ピレモンへの書

 

[本書の録されし場所及び年代]獄中書簡の一としての本書の成立年代、録されし場所につきてはエペソ書の緒言を参照すべし。すなわち本書は紀元六十一、二年の頃、ローマにおける幽囚中のパウロによりて認(したた)められ、テキコがこれをコロサイの住民ピレモンに持参したのであった。

 

[ピレモン書の由来]ピレモンはコロサイの住民であり、パウロの信仰の弟子であった(81319)。又もしアピヤ(2節)がその妻であり、アルキポ(同上)がその家族又は家の教会の牧師であるとの想像が事実であるとすれば、彼の全家がパウロと非常に親しい関係にあったことがわかる。その僕オネシモすらもパウロをよく知っていたことは想像に難くない。然るにパウロはコロサイを訪問したことがない故、おそらくパウロのエペソ滞在中にピレモンもエペソに住み居り、パウロによりて信仰に導かれ、その後おそらく職業の関係よりコロサイに移住したものであろう。「その家の教会」を有していたのをみれば(2節)伝道に熱心であり、かつ相当の暮しをしていたことを知ることができる。

 このピレモンの奴隷であったオネシモが何らかの不都合を主人に対して為し、ために彼に放逐され(又は自ら逃亡して)パウロを頼って来たので、パウロはこれを若干の時の間自己の膝下に留置き、彼をして改心せしめ、立派なる信者となり、充分に信用し得る者となした(11節)。而してこれをピレモンに返還し、ピレモンと再び以前にも増して親しき主従の関係に入らしめんとしたのであった。折りしもコロサイにおける偽教師の跳梁のことを耳にし、書簡を認(したた)めてテキコを遣わすの必要が生じたので、その序をもって彼はオネシモをも伴わしめてコロサイに送り届けしめたのであった(ただし反対にオネシモ送還を主なる要件と見る説もある)。

 

[本書と聖経としての価値]本書は本来全然一の私的用件を録した書簡である。これが聖経として認めらるるには相当の時日を要したのみならず、近代の学者の中には、これを寓話的作品として真のパウロの書簡たることを否定する説すらあるのであるが、本書全体に溢るる純粋の愛情は何ら偽りなき心の吐露たることを示し、かつ本書がパウロの性格より当然流れ出づるべき内容を有することより見てパウロの作たるを疑うことができず、文章も多分にパウロらしさを有している。而して本書がパウロの性格の微妙な動き及びその深き愛を知る上で非常に有益であるのみならず、オネシモが悔改めてピレモンに再び受入れらるること、及びパウロがその凡ての負債を負わんとするの態度は、罪人たる人類がキリストの贖いによりて罪を赦され、神に立還り得ることを同一原理の表顕であると見得る等のことより、本書の価値が益々高く評価せられ、ついに聖経の一部となったのであろう。