黒崎幸吉著 註解新約聖書 Web版ピレモン書

ピレモン書第1章
1-1 挨拶 1:1 - 1:3

1章1節 キリスト・イエスの囚人(めしうど)たるパウロ(およ)兄弟(きゃうだい)テモテ、[(ふみ)を](われ)らが(あい)する同勞者(どうらうしゃ)ピレモン、[引照]

口語訳キリスト・イエスの囚人パウロと兄弟テモテから、わたしたちの愛する同労者ピレモン、
塚本訳キリスト・イエスの囚人パウロと、兄弟テモテから、愛する共働者ピレモン、
前田訳キリスト・イエスのとりこパウロと兄弟テモテから、われらの愛する協力者ピレモンに、
新共同キリスト・イエスの囚人パウロと兄弟テモテから、わたしたちの愛する協力者フィレモン、
NIVPaul, a prisoner of Christ Jesus, and Timothy our brother, To Philemon our dear friend and fellow worker,

1章2節 (われ)らの姉妹(しまい)アピヤ、(われ)らと(とも)戰鬪(たたかひ)をなせるアルキポ(およ)(なんぢ)(いへ)にある教會(けうくわい)に[(おく)る]。[引照]

口語訳姉妹アピヤ、わたしたちの戦友アルキポ、ならびに、あなたの家にある教会へ。
塚本訳姉妹アピヤ、わたし達の戦友アルキポ、およびあなたの家の集会に(、この手紙をおくる)。
前田訳姉妹アピアに、われらの戦友アルキポに、それからあなたの家にある集まりに宛てて。
新共同姉妹アフィア、わたしたちの戦友アルキポ、ならびにあなたの家にある教会へ。
NIVto Apphia our sister, to Archippus our fellow soldier and to the church that meets in your home:
註解: パウロ書簡の冒頭の形式によっている(ロマ1:1以下参照)。パウロがここに使徒たることを掲げないのは、本書簡が極めて謙遜にして柔和なる態度をもって書かれているからであって、その意味において自己を「囚人」として表現したことはピレモンの心を和らげる上において特に適切である。ピレモンはコロサイの信徒間の長老であった。なお監督又は殉教者であった等の伝説もある。アピヤはピレモンの妻、アルキポはピレモンの息子又は友人と見るよりもコロサイ4:17註において想像せるごとく、むしろその家の教会の福音伝道者であったろう。ピレモンは5、6節より見ても明らかなるごとく恐らく有力にして富裕なる信者であったらしくその家に教会があった。ピレモンを愛する「同労者」と云った意味はエペソにおいてパウロと共に伝道に従事した(L3)と見るよりも現在福音の宣伝に力を尽くしている意味において同労者と呼んだと見るべきであろう。「共に戦闘をなせる」も同様に見て差支えがない。数人に宛てた訳は家の教会全体に関することだからである。

1章3節 (ねが)はくは(われ)らの(ちち)なる(かみ)および(しゅ)イエス・キリストより(たま)恩惠(めぐみ)平安(へいあん)と、(なんぢ)らに()らんことを。[引照]

口語訳わたしたちの父なる神と主イエス・キリストから、恵みと平安とが、あなたがたにあるように。
塚本訳わたし達の父なる神と主イエス・キリストらの恩恵と平安、あなた達にあらんことを。
前田訳われらの父なる神と主イエス・キリストから恩恵と平和があなた方に与えられますように。
新共同わたしたちの父である神と主イエス・キリストからの恵みと平和が、あなたがたにあるように。
NIVGrace to you and peace from God our Father and the Lord Jesus Christ.
註解: ローマ1:7後半と同文、その箇所の註参照。

1-2 ピレモンの愛に対する感謝 1:4 - 1:7

1章4節 われ(いの)るとき(つね)(なんぢ)をおぼえて()(かみ)感謝(かんしゃ)す。[引照]

口語訳わたしは、祈の時にあなたをおぼえて、いつもわたしの神に感謝している。
塚本訳わたしは祈りの時にあなたを思うて、いつもわたしの神に感謝している。
前田訳あなたを祈りのうちにおぼえて、つねにわが神に感謝します、
新共同わたしは、祈りの度に、あなたのことを思い起こして、いつもわたしの神に感謝しています。
NIVI always thank my God as I remember you in my prayers,

1章5節 これ(しゅ)イエスと(すべ)ての聖徒(せいと)とに(たい)する(なんぢ)(あい)信仰(しんかう)とを()きたればなり。[引照]

口語訳それは、主イエスに対し、また、すべての聖徒に対するあなたの愛と信仰とについて、聞いているからである。
塚本訳主イエスに対して、またすべての聖徒に対して持っているあなたの愛と信仰とについて聞くからである。
前田訳あなたが主イエスとすべての聖徒に対して持つ愛とまことを聞いていますから。
新共同というのは、主イエスに対するあなたの信仰と、聖なる者たち一同に対するあなたの愛とについて聞いているからです。
NIVbecause I hear about your faith in the Lord Jesus and your love for all the saints.
註解: ピレモンは信仰において又愛の実行において聞えていた。パウロはこのことを耳にし(おそらくエパフラスより聞いたのであろう)ピレモンを憶えて常に神に感謝をささげていた。かく云いてパウロはまずピレモンにつき神に感謝することを忘れなかった。
辞解
[常に] むしろ「感謝す」にかかると見る方が適当であろう。
[聖徒に対する信仰] 意味を為さないためにこれを「信実」と読まんとする説あり(M)。しかしむしろ文法上の chiasm(配列転換)の例として「主イエスに対する信仰と凡ての聖徒に対する愛」と訳するを可とす。

1章6節 (ねが)ふところは、(なんぢ)信仰(しんかう)交際(まじはり)活動(はたらき)により、人々(ひとびと)われらの(うち)なる(すべ)ての()(わざ)()りて、[榮光(えいくわう)を]キリストに()するに(いた)らんことなり。[引照]

口語訳どうか、あなたの信仰の交わりが強められて、わたしたちの間でキリストのためになされているすべての良いことが、知られて来るようになってほしい。
塚本訳(わたしの祈りは、)あなたの信仰の交わりがますますキリストへと強く働き、わたし達に賜わったすべての善の知識に達することである。
前田訳キリストにおいて、われらのうちのすべての善を知って、あなたの信仰の交わりが力を発揮しますように。
新共同わたしたちの間でキリストのためになされているすべての善いことを、あなたが知り、あなたの信仰の交わりが活発になるようにと祈っています。
NIVI pray that you may be active in sharing your faith, so that you will have a full understanding of every good thing we have in Christ.
註解: 難解の一節にして種々の解があるけれども次のごとくに私訳して意味は通ずる。「これ汝の信仰の交際が、我らの中なる凡ての善き事の知識を以て働きてキリストに至らん為なり」。「信仰の交際」とは信仰によりて他の人々と苦楽を共にすることで、主として寄付又は援助の意味に用いられる。ピリ1:5。ロマ15:26。Uコリ8:4。9:13。ピレモンは愛が深かったので信仰により愛をもってこの種の交際を行っていた。これが更に「我ら」キリスト者の中にある凡ての善き事をピレモンが充分に知りてこれを行うことによりて、その信仰の交際が一層力強く働きてキリストの完全さにまで到達せんことがパウロの祈りの中に浮び出づる願いであった。

1章7節 兄弟(きゃうだい)よ、(われ)なんぢの(あい)によりて(おほい)なる勸喜(よろこび)慰安(なぐさめ)とを()たり。聖徒(せいと)(こころ)(なんぢ)によりて(やす)んぜられたればなり。[引照]

口語訳兄弟よ。わたしは、あなたの愛によって多くの喜びと慰めとを与えられた。聖徒たちの心が、あなたによって力づけられたからである。
塚本訳然り、あなたの愛のゆえにわたしが受けた喜びと慰めとは大きい。あなたのお蔭で聖徒たちの心はやすめられたからである、兄弟よ。
前田訳あなたの愛について、大きなよろこびと慰めを感じます。それは、兄弟よ、あなたゆえに聖徒の心が慰められたからです。
新共同兄弟よ、わたしはあなたの愛から大きな喜びと慰めを得ました。聖なる者たちの心があなたのお陰で元気づけられたからです。
NIVYour love has given me great joy and encouragement, because you, brother, have refreshed the hearts of the saints.
註解: おそらくピレモンの慈善的行為すなわち信仰の交際とその家庭の解放による伝道とによりて、聖徒たちの心配は除かれ、彼らの心が平安に帰したことをパウロが聞いたのであろう。この愛がパウロに大なる歓喜と慰安とを与えた。ただしパウロがかくピレモンの愛を賞揚する所以は、次に述ぶべきオネシモの問題においてもまたピレモンをしてこの愛によりて行動せしめんがためであった。

1-3 本文 1:8 - 1:20

1章8節 この(ゆゑ)に、われキリストに()りて、(なんぢ)になすべき(こと)(いささ)かも(はばか)らず(めい)()れど、[引照]

口語訳こういうわけで、わたしは、キリストにあってあなたのなすべき事を、きわめて率直に指示してもよいと思うが、
塚本訳それゆえに、わたしはキリストにおいて、あなたの義務として命令するのに、なんの憚るところもないが、
前田訳それゆえ、なすべきことをあなたに命ずることは、キリストにあってまったく無遠慮にできますが、
新共同それで、わたしは、あなたのなすべきことを、キリストの名によって遠慮なく命じてもよいのですが、
NIVTherefore, although in Christ I could be bold and order you to do what you ought to do,

1章9節 むしろ(あい)(ゆゑ)によりて(なんぢ)にねがふ。[引照]

口語訳むしろ、愛のゆえにお願いする。すでに老年になり、今またキリスト・イエスの囚人となっているこのパウロが、
塚本訳(むしろ)あなたのこの愛によって、たってお願いする。──こんな、(もはや)老人で、かつまた今はキリスト・イエスの囚人であるパウロが、
前田訳愛ゆえにむしろお願いします。このパウロは老年のうえに今はキリスト・イエスのとりこですが、
新共同むしろ愛に訴えてお願いします、年老いて、今はまた、キリスト・イエスの囚人となっている、このパウロが。
NIVyet I appeal to you on the basis of love. I then, as Paul--an old man and now also a prisoner of Christ Jesus--
註解: ここにパウロはピレモンの師であり、使徒である以上、ピレモンが当然為すべきことをばこれを命令することはキリストに在りて、すなわち信仰のゆえに少しも憚らない処であった。それにも関わらずパウロはピレモンを愛するがゆえに、彼を強制的に取扱うことを欲せず、ピレモンの愛に訴えて歎願的態度を取るのであった。パウロとも云わるる者がかかる態度を取るに至るその心の偉大さを見よ。たといピレモンがいかなる心持をオネシモに対して懐いていてもパウロのこの態度に動かされずにはいないであろう。
辞解
[キリストに在りて] 「憚らず」(直訳、大胆さを持つ)にかかる。
[愛の故に] 一般的に愛の原理により(M0、L3)と見る説とパウロとピレモンとの間の愛(B1)と見る説とあり前説の方がよろし。

1章10節 (すで)(とし)()いて(いま)はキリスト・イエスの囚人(めしうど)となれる(われ)パウロ、[引照]

口語訳捕われの身で産んだわたしの子供オネシモについて、あなたにお願いする。
塚本訳あなたにお願いするのは、わたしが縄目のあいだに(福音によって)生んだわたしの子オネシモのことである。
前田訳捕われのうちに生んだわが(信仰の)子 オネシモについてあなたにお願いします。
新共同監禁中にもうけたわたしの子オネシモのことで、頼みがあるのです。
NIVI appeal to you for my son Onesimus, who became my son while I was in chains.
註解: (原文はこの部分も9節の中に入る)パウロはピレモンに対し懇願的態度を取ることの意義の極めて重大なることを示さんとしてこの一節を加えたものと思われる。而して、その重大なる所以としてこの一句は二つの意味に解される。一はパウロは既に年長者であって人の尊敬を受くべきものであり、今やキリストの囚人として一層光栄あり、尊まるべき者であるのに、愛のゆえにその弟子に対しても卑下(へりくだ)りて願うの態度を取っているのである、との意味に解し、他の一はパウロはその老年と幽囚とを示してピレモンの愛と同情とを求めているのであると解しているのである。後者を可とす。凡ては愛の原則によるべきものなることを示す。

縲絏(なはめ)(うち)にて()みし()()オネシモの(こと)をなんぢに(ねが)ふ。

註解: パウロがいかにオネシモを愛していたかは、これを我が「子」と呼ぶことをもって知ることができる。殊に縲絏(なわめ)の中に在りて老年において生みし子である以上尚更である。キリストが我ら罪人のために神の前に執成し給う時もかくのごとくであることと思われる。

1章11節 かれ(まへ)には(なんぢ)(えき)なき(もの)なりしが、(いま)(なんぢ)にも(われ)にも(えき)ある(もの)となれり。[引照]

口語訳彼は以前は、あなたにとって無益な者であったが、今は、あなたにも、わたしにも、有益な者になった。
塚本訳彼は、かつてはあなたに無益な男であったが、今はあなたにもわたしにも有益な者となった。
前田訳彼はかつてはあなたに無益でしたが、今はあなたにもわたしにも有益です。
新共同彼は、以前はあなたにとって役に立たない者でしたが、今は、あなたにもわたしにも役立つ者となっています。
NIVFormerly he was useless to you, but now he has become useful both to you and to me.
註解: オネシモ(Onēesimos)なる語は「有力なる」「益ある」ことを意味する故、パウロはこの名に因んで本節を認めたものと解している学者が多い。ただし本節の「益なき」「益ある」は achrēstos、euchrēstos なり。人間は信仰を得ることにより一変する。オネシモは以前はピレモンにとりてまことに厄介な奴隷であった(いかなる点において不都合な奴隷であったかは明かでないが)。然るに一旦悔改めてキリストの僕になった彼は全く別人のようになった。かかる者となった以上はピレモンにも否パウロにも非常に役立つものになっていることは勿論である。この益ある事役立つ事はオネシモの性格が一変してキリスト者らしき奴隷となっていることを言っているので、「パウロにとりてはその伝道の労が報いられたことから利益と歓喜とを得る事」(M0)の益ではない。彼は事実パウロに仕えて良き僕たることを示していた。

1章12節 (われ)かれを(なんぢ)()す、かれは()(こころ)なり。[引照]

口語訳彼をあなたのもとに送りかえす。彼はわたしの心である。
塚本訳彼を(、この手紙を持たせて)あなたに送りかえす。──彼はわたしの最愛の人である。
前田訳彼を、すなわちわが心をあなたにお返しします。
新共同わたしの心であるオネシモを、あなたのもとに送り帰します。
NIVI am sending him--who is my very heart--back to you.
註解: 原文は一層熱情が篭った書き方である。「我彼を ─ 即ち我が心なる彼を ─ 汝に返す」(私訳)で切々たる愛情を示す。「心」splanchna は「内臓」の意味で、愛情の宿る処と考えられていた。「憐憫」の意味にも用う(Uコリ7:15、ピリ2:1、Tヨハ3:17)。動詞 splanchnizomai は新約聖書では凡て「憐憫む」と訳されている。それ故に、「我が心なる彼」は「我が全愛情が注がれている彼」の意味である。使徒パウロが罪を犯した一人の奴隷の上に注ぐ愛情の深さはまことに驚くべきものがある。キリストの愛は正にかくのごとくであろう。

1章13節 (われ)(かれ)をわが(もと)(とど)めおきて、()福音(ふくいん)の[ために]縲絏(なはめ)にある(うち)、なんぢに(かわ)りて(われ)(つか)へしめんと[(ほっ)し](考慮(かうりょ)し)たれど、[引照]

口語訳わたしは彼を身近に引きとめておいて、わたしが福音のために捕われている間、あなたに代って仕えてもらいたかったのである。
塚本訳(実は)彼をわたしの所に留めておいて、あなたに代って、福音の縄目にあるわたしの世話をしてもらいたかったのである。
前田訳わたしとしては彼を当方に引きとめておいて、あなたに代わって、福音の縄目にあるわたしの世話をしてもらいたかったのです。
新共同本当は、わたしのもとに引き止めて、福音のゆえに監禁されている間、あなたの代わりに仕えてもらってもよいと思ったのですが、
NIVI would have liked to keep him with me so that he could take your place in helping me while I am in chains for the gospel.

1章14節 なんぢの承諾(しょうだく)()ずして[()くするを(この)ま](は(なに)をも()(こと)(ほっ)せ)ざりき、(これ)なんぢの(ぜん)()むを()ざるに()[で](づるが(ごと)くなら)ずして(こころ)より()でん[ことを(ほっ)したれば](が(ため))なり。[引照]

口語訳しかし、わたしは、あなたの承諾なしには何もしたくない。あなたが強制されて良い行いをするのではなく、自発的にすることを願っている。
塚本訳が、あなたの諒解なしに何一つすることを好まなかった。あなたがわたしの無理強いなどでなく、自由意志をもって、このよいことをするように願うのである。
前田訳しかしあなたの同意なしには何もしたくありません。あなたの善が強いられず心からのものであるためです。
新共同あなたの承諾なしには何もしたくありません。それは、あなたのせっかくの善い行いが、強いられたかたちでなく、自発的になされるようにと思うからです。
NIVBut I did not want to do anything without your consent, so that any favor you do will be spontaneous and not forced.
註解: 処々私訳を挿入したのは原文に近づけ且つ原文の味を一層そのままに表顕せんがためである。この二節の中種々の感情や、種々の要求や、又社会生活における当然の権利義務と、これよりも高き道徳的態度である処の礼節に関する教訓を含むことに注意すべし。パウロはオネシモを自分の傍らに置き、彼の身体の世話をさせることを非常に便利に感じたことは想像に余りがある。殊に子のごとくにこれを愛し、霊によりて生める我が子であり、又オネシモより見ればパウロは霊の父であること故、パウロに仕えることを非常に喜んでいたことであろう。パウロは何とかしてかくせんことを予々「考慮しつつ」あった(eboulomēn 未完了過去)、又「福音の縲絏(なわめ)」はパウロにとりて一つの名誉でもあり、又誇りでもあった。この意味においてパウロはピレモンすらもこのパウロに仕える義務があることを言外に匂わせているのである。それ故にピレモンに代ってオネシモを彼の許に置き彼に仕えしむることはピレモンも異議を挿むべきではなく、又パウロも福音の故にこれを当然の権利であるとすら考えた。然るにもかかわらずパウロはピレモンの「承諾なしには」オネシモにつき「何事も為す事を欲しなかった」(ēthelēesa 不定過去形、断然たる決心を示す)。その故はもしそのままオネシモを手許に止め置くならば、たといピレモンがそのことを聞いて何の異議もなく又これを喜んだにしても、少なくとも一般の目にはパウロが強いてこれを為し、ピレモンが止むを得ずこれに従っている「如く」(hōs)に見えるので、パウロはかくするを好まず、ピレモンが進んで心よりかくするように ─ これがピレモンの「善」である ─パウロはオネシモを留めおくことを思い止まったのであった。これはパウロは礼儀を権利以上に重んじたからである。ただしかく言いてもパウロは一旦返したオネシモの返送をピレモンに要求したのではなく、これ迄に思ったオネシモを返すということに、深い意義を持たしめたのである。
辞解
[欲す、好む] 現行訳に「欲す」、「好む」と訳され、私訳に「考慮す」、「欲す」と改めた二つの動詞(上記註を見よ)の原語及び時法の差異の微妙なる点に注意すべし。現行訳に「如く」を脱落したのは原文の気持ちを損することが大きい。

1章15節 (かれ)暫時(しばらく)なんぢを(はな)れしは、(あるひ)(なんぢ)かれを永遠(とこしへ)(たも)ち、[引照]

口語訳彼がしばらくの間あなたから離れていたのは、あなたが彼をいつまでも留めておくためであったかも知れない。
塚本訳彼がしばらくあなたの所を離れたのは、多分彼をいつまでもあなたの手もとに置くためであろう。
前田訳たぶん彼が一時離れていたのは、あなたが彼をいつまでもとめおくためです。
新共同恐らく彼がしばらくあなたのもとから引き離されていたのは、あなたが彼をいつまでも自分のもとに置くためであったかもしれません。
NIVPerhaps the reason he was separated from you for a little while was that you might have him back for good--

1章16節 もはや奴隷(どれい)(ごと)くせず、奴隷(どれい)(まさ)りて(あい)する兄弟(きゃうだい)(ごと)くせん(ため)なりしやも()るべからず。(われ)(こと)(かれ)(あい)す、まして(なんぢ)(にく)によりても(しゅ)によりても、(これ)(あい)せざる()けんや。[引照]

口語訳しかも、もはや奴隷としてではなく、奴隷以上のもの、愛する兄弟としてである。とりわけ、わたしにとってそうであるが、ましてあなたにとっては、肉においても、主にあっても、それ以上であろう。
塚本訳もはや奴隷としてでなく、奴隷以上、愛する兄弟として。彼はわたしにとって、とくに愛する兄弟である。またあなたにとっては、肉においても、主においても、なおさらのことである。
前田訳それはもはや奴隷としてでなく、奴隷以上のもの、愛する兄弟としてです。まったくわたしにとってもそのとおりですが、ましてあなたにとっては、肉にあっても主にあっても、いかほどそうでしょう。
新共同その場合、もはや奴隷としてではなく、奴隷以上の者、つまり愛する兄弟としてです。オネシモは特にわたしにとってそうですが、あなたにとってはなおさらのこと、一人の人間としても、主を信じる者としても、愛する兄弟であるはずです。
NIVno longer as a slave, but better than a slave, as a dear brother. He is very dear to me but even dearer to you, both as a man and as a brother in the Lord.
註解: 訳文が甚だしく原文を離れている故、左のごとくに私訳す。「恐らく彼が暫時〔汝より〕隔てられしは、汝彼を、もはや奴隷のごとくせず、かえって奴隷以上の愛する兄弟 ─ 就中(なかんずく)我にとりて然れど、汝にとりては更に一層肉においても主においても愛する兄弟 ─ のごとくして永遠に保たんがためなるやもしれず」パウロはオネシモをピレモンに返還する決意をなしたる後、つらつら思い廻らせる時、ピレモンとオネシモとの関係に関する神の不思議なる摂理を感じたのであった。すなわちオネシモはピレモンより放逐されたのであるが(或は逃亡したのか、その辺は明瞭ではないが逃亡ならばパウロはまず彼に復帰をすすめたはず故、放逐されたと見る方が適当であろう)、これは神の目より見た場合、神がこれを暫時隔離し給うたので、彼は神によりピレモンより「隔てられ」たのであった。その目的はピレモンが遂には永遠にオネシモを保つに至らんがためであり、しかも、始めは奴隷であったのを、今度は奴隷のごとくではなく(奴隷の地位を解放せよとの意味ではなく、心の態度において全く変化すること)、愛する兄弟のごとくに彼を保つに至らんがためであったのかもしれないとパウロは考えたのであった。而してパウロはこの「愛する兄弟」の意味を敷衍して「我にとりては最も愛する兄弟であるが、汝にとりてはこれよりも更に一層の度において、肉においては以前よりの主従関係より、霊においては新たにキリストに在る信仰の兄弟として愛する兄弟である」ことを附加している。かく言いてパウロはピレモンをして神の摂理を思わしめ、オネシモをパウロの許に留置くよりも、ピレモンの許に返すことの方が一層神の御旨に叶うことを暗示し、又回心後のオネシモに対する愛を呼起こして、結局ピレモンがオネシモを受入れざるを得ざるに至らしめているのである。まことに偉大なるパウロの戦略である。かかる巧なる手腕は深き愛を基としてのみ生れ出でるのである。
辞解
[なんぢを離れしは] 「隔てられしは」又は「離さしは」と訳すべきで、この場合この受動態が特に重要であることに注意すべし。(C2)
[殊に] 私訳「就中(なかんずく)」は malista で最上級の副詞を用う。パウロは何人にも劣らずオネシモを愛していると言いつつ、更に「それよりも以上に」ピレモンにとりて愛する兄弟として受入れらるべきことを唱うるところにパウロの絶妙の文章となっている。

1章17節 (なんぢ)もし(われ)(とも)とせば、()ふ、われを()るるごとく(かれ)()れよ。[引照]

口語訳そこで、もしわたしをあなたの信仰の友と思ってくれるなら、わたし同様に彼を受けいれてほしい。
塚本訳だからもしあなたがこのわたしを仲間と思ってくれるなら、どうか彼をわたし同様に迎えてください。
前田訳そこで、もしわたしを同志とするなら、彼をわたしと同様に迎えてください。
新共同だから、わたしを仲間と見なしてくれるのでしたら、オネシモをわたしと思って迎え入れてください。
NIVSo if you consider me a partner, welcome him as you would welcome me.
註解: この「友」は philos ではなく、koinōnos を用い、「仲間」の意味で感情、利害、事業等を共通している同士をいう。「彼のものは我のもの、我のものは彼のもの」(B1)というごとき間柄を指す。パウロは遂に最後の膝詰談判をなし、ピレモンをしていかにしてもパウロの言を入れざるを得ざるに至らしめた。すなわちもしピレモンがパウロに対して、感情も主張も、信仰も、利害も共通する同士すなわち一身同体と思って受入れているとすれば、このパウロの「心」であるオネシモを受入れよというのである。もしこのオネシモを受入れないならばパウロをも受入れないこととなるのである。神の愛子なるキリストが神の前に我らを執成し給う時は、実にかかる愛と熱心とをもってなし給うことであろう。而して神より棄てられ給う覚悟をもって我らを神に立返らせんとし給うことであろう。

1章18節 (かれ)もし(なんぢ)不義(ふぎ)をなし、または(なんぢ)負債(おひめ)あらば、(これ)(われ)()はせよ。[引照]

口語訳もし、彼があなたに何か不都合なことをしたか、あるいは、何か負債があれば、それをわたしの借りにしておいてほしい。
塚本訳もし彼が何かあなたに損害を与えたか、あるいは借りがあるなら、それはわたしの勘定にしてもらいたい。
前田訳もし彼があなたに損をさせたか負債があるならば、わたしの勘定にしてください。
新共同彼があなたに何か損害を与えたり、負債を負ったりしていたら、それはわたしの借りにしておいてください。
NIVIf he has done you any wrong or owes you anything, charge it to me.
註解: パウロはオネシモに対してピレモンの愛と救いを求めてはいるけれども、これに甘えてその義務までもこれを無視し又踏倒さんとするごときことは全くなかった。パウロはおそらくオネシモよりその罪状の告白を得ていただろう。多分彼は数々の悪事の中に主人の金銭を私消したことも理由となって放逐されたのであろう。この不義又は負債に対し、パウロはこれを自分の債務として「我が勘定に記入しておけ」との命をピレモンに与えている。あたかもイエス・キリストが全人類の罪を彼自身の上に置き、彼の罪として神より裁かれ給うたと同様である。愛は相手の凡ての苦痛、罪、不義、負債を自分のものとするに至らなければならない。パウロはオネシモに対してかかる愛を有っていた。そしてキリストが父なる神の赦しを信じていたように、パウロはピレモンの愛を信じ、従って彼の赦しとオネシモを受入れることを確信していた。

1章19節 (われ)パウロ()づから(これ)(しる)す、われ(つくの)はん、[引照]

口語訳このパウロが手ずからしるす、わたしがそれを返済する。この際、あなたが、あなた自身をわたしに負うていることについては、何も言うまい。
塚本訳──わたしパウロ自筆をもって認める、わたしが返済します。──あなたが(わたしの負債者であり、)あなた自身をさえわたしに借りていることについては、(今)わたしは何も言わないが、
前田訳わたしパウロが自筆で書きます、確かにお返ししましょう、と。あなた自身わたしにおかげを受けているとわたしが恩に着せないためです。
新共同わたしパウロが自筆で書いています。わたしが自分で支払いましょう。あなたがあなた自身を、わたしに負うていることは、よいとしましょう。
NIVI, Paul, am writing this with my own hand. I will pay it back--not to mention that you owe me your very self.
註解: パウロはオネシモの負債を引受けたことを自署をもってピレモンに伝えている。ただし本書簡以外は(ガラテヤ書の場合も問題となり得るのであるが)パウロはその書簡の大部分を口授し、最後に小部分を自署したのであるが本書簡はおそらく全部パウロが認め、唯ここに特にその点を強調したものと思われる(L3)ただし反対説あり。

(なんぢ)われに()(もっ)(つくの)ふべき負債(おひめ)あれど、(われ)これを()はず。

註解: 直訳「汝われにその上汝自身をも負い居れと我これを言わず」で、借金どころではなく、ピレモンはパウロより信仰を与えられて永遠の生命を得ているのであるから、この生命そのものすらもパウロに負うているのである故、この点より言えばパウロがオネシモの負債をピレモンに償う必要もないくらいであるが、それにもかかわらず、パウロは自書によりこれを支払うことを引受けたのであるから、必ずオネシモを受入れてくれという意味である。
辞解
[負債あれど] prosopheilō なる語を用い、単なる opheilō の上に加えられた負債であることを示す。

1章20節 ((しか)り)兄弟(きゃうだい)よ、()ふ、なんぢ(しゅ)()りて(われ)(えき)()させよ、キリストに()りて()(こころ)(やす)んぜよ。[引照]

口語訳兄弟よ。わたしはあなたから、主にあって何か益を得たいものである。わたしの心を、主にあって力づけてもらいたい。
塚本訳ほんとうに兄弟よ、主にあってわたしを喜ばせてもらいたい。どうかキリストにあってわたしの心をやすめてください。
前田訳そうです、兄弟よ、わたしは主にあってあなたのことをよろこびたく、わが心をキリストにあって慰めてください。
新共同そうです。兄弟よ、主によって、あなたから喜ばせてもらいたい。キリストによって、わたしの心を元気づけてください。
NIVI do wish, brother, that I may have some benefit from you in the Lord; refresh my heart in Christ.
註解: 前節においてパウロは、ピレモンがパウロに負債を支払うべき義務があるごとき口吻を洩らした。しかしながらこれはピレモンにかくせられんために言うたのでは勿論なく、本節を言わんとする伏線であった。本節は「兄弟よ、一つ君が僕に儲けさしてくれないか」というごとき意味で、よしピレモンが彼自身をすらパウロに負うていようとも、オネシモを受入れてくれさえすれば、パウロに与うる喜びはピレモンの負債を全部支払ってなおパウロに益を与えるであろうとの意味である。パウロの論鋒の実に巧妙なるを見よ。かくしてパウロは彼の「心」と共にあるオネシモの問題が解決さるるまでは安んずることができない。
辞解
[益を得させよ] この「益を得させよ」もオネシモの名にかけていると見る説もある。
[安んぜよ] 7節の「安んず」と同語。
[キリストに在りて] 「主に在りて」「キリストに在りて」を繰返しているのは、この問題が凡て信仰問題であること、すなわちこの世の利害問題とは全く異なることを示している。
要義 [贖罪の心理]所謂パウロの贖罪論は、これを神学的項式のごとくに提唱し、これを信徒の上に強制し、これを信ずると否とによって、救いと審判とが分かるるかのごとくに主張さるる場合、多くの人はその不可解のためにこれに躓く。しかしながら贖罪の真理は決してユダヤ的犠牲の礼典の残滓でもなく、又冷かなる神学的理論でもない。それは神の前に罪人を執成さんとするキリストの愛の自然にして且つ当然なる顕れである。あたかもパウロがその愛する弟子オネシモを、ピレモンの前に執成さんとしたのと同様である。この事実が本書の中に表われ、本書に録されしパウロの心持が、殆んどその全貌において、神の前にキリストが執成し給う時の心持と一致していることは、真に奇しき事実であると言わなければならない。本書の存在により、贖罪の教理が血も涙も熱もある活ける心理的事実として我らの前に示さるるに至ったのである。ともすれば冷かなる教理と化せんとする傾向がある贖罪論が、一片の私信たる本書の存在によりて生命あるものとせられたことをは、まことに感謝すべき事実である。

1-4 附記 1:21 - 1:22

1章21節 (われ)なんぢの從順(じゅうじゅん)確信(かくしん)して(これ)()(おく)る。わが()ふところに(まさ)りて(なんぢ)(おこな)はんことを()るなり。[引照]

口語訳わたしはあなたの従順を堅く信じて、この手紙を書く。あなたは、確かにわたしが言う以上のことをしてくれるだろう。
塚本訳あなたの快諾を確信してこの手紙を書く。わたしが言う以上のことまであなたがしてくれることを。わたしは知っている。
前田訳あなたの従順を確信してこれを書きます。わたしがいう以上のことをも、あなたはしてくれることを知っています。
新共同あなたが聞き入れてくれると信じて、この手紙を書いています。わたしが言う以上のことさえもしてくれるでしょう。
NIVConfident of your obedience, I write to you, knowing that you will do even more than I ask.
註解: 最後にパウロはピレモンがパウロの言う処を必ず行うことを確信する旨を述べ、更にそれ以上のことを行うであろうことを知るとの言を附加することにより、もはやピレモンをして否応なしにパウロの言に従わざるを得ざる立場まで追詰めてしまったのである。パウロの手際はまことに鮮やかである。しかしながらピレモンは感謝と喜びとをもってここまで追詰められたことであろう。
辞解
[言う処に勝りて] 前にkaiの一字あり、「言う処は勿論」の意味となり、一層力強さを表す。なお「従順」なる語を用いる事によりここにパウロは始めてその使徒たる権威の片鱗を示している事に注意すべし。「言う処に勝りて」は「言う処以上に」でオネシモの奴隷たる身分を解放する事の意味を示唆していると解する説が多いけれども(M0、L3)必ずしもかかる具体的の案までもパウロが考えたと見るべきかは疑わしい。

1章22節 (しか)して(同時(どうじ)に)()がために宿(やど)(そな)へよ、(われ)なんぢらの(いのり)により、(つい)()()(なんぢ)らに(あた)へられんことを(のぞ)めばなり。[引照]

口語訳ついでにお願いするが、わたしのために宿を用意しておいてほしい。あなたがたの祈によって、あなたがたの所に行かせてもらえるように望んでいるのだから。
塚本訳しかしまた同時に、わたしに宿を準備してください。あなた達の祈りによって、(わたしの体は近々)あなた達に与えられることを期待しているのだから。
前田訳ついでながら、わたしに宿を用意してください。あなた方の祈りによって、そちらへ引き渡されようとの望みを持っていますから。
新共同ついでに、わたしのため宿泊の用意を頼みます。あなたがたの祈りによって、そちらに行かせていただけるように希望しているからです。
NIVAnd one thing more: Prepare a guest room for me, because I hope to be restored to you in answer to your prayers.
註解: パウロは既にオネシモがピレモンに受入れられるものとして考えているごとき態度を取っている。即ち自分は間もなくローマの幽囚より解放されるであろうから(ピリ2:24)宿を備えてくれというのである。これはオネシモを送ると同時に彼の心もまたコロサイに赴いていることを示している。而してこの釈放はピレモンその他の人々(1、2節)の祈によりてやがて実現するであろうことを望んでいることをパウロは宿を求める理由として付加えている。
辞解
[我が身の汝らに与えらるる] 神が彼をピレモン等の許に送り給うであろうとのこと。

1-5 結尾の挨拶及び頌栄(しょうえい) 1:23 - 1:25

1章23節 キリスト・イエスに()りて(われ)とともに囚人(めしうど)となれるエパフラス、[引照]

口語訳キリスト・イエスにあって、わたしと共に捕われの身になっているエパフラスから、あなたによろしく。
塚本訳キリスト・イエスにあってわたしの囚人エパフラスからあなたによろしく。
前田訳キリスト・イエスにあるわが同囚エパフラスからあなたによろしく。
新共同キリスト・イエスのゆえにわたしと共に捕らわれている、エパフラスがよろしくと言っています。
NIVEpaphras, my fellow prisoner in Christ Jesus, sends you greetings.
辞解
[我と共に囚人となれる] sunaichmalōtos コロ4:10註参照。

1章24節 (およ)()同勞者(どうらうしゃ)マルコ、アリスタルコ、デマス、ルカ(みな)なんぢに安否(あんぴ)()ふ。[引照]

口語訳わたしの同労者たち、マルコ、アリスタルコ、デマス、ルカからも、よろしく。
塚本訳私の共働者たちマルコ、アリスタルコ、デマス、ルカからも。
前田訳マルコ、アリスタルコ、デマス、ルカからもよろしく、彼らはわが協力者です。
新共同わたしの協力者たち、マルコ、アリスタルコ、デマス、ルカからもよろしくとのことです。
NIVAnd so do Mark, Aristarchus, Demas and Luke, my fellow workers.
註解: コロ4:10−14に一々適切なる説明付きにて列挙せられし人名と略同一故、その箇所を参照すべし。唯「ユストと云えるイエス」のみ除かれているがその理由は不明である。エパフラスはコロサイの人故おそらくピレモン等に親しいために最初に掲げたのであろう。

1章25節 (ねが)はくは(しゅ)イエス・キリストの恩惠(めぐみ)、なんぢらの(れい)(とも)にあらんことを。[引照]

口語訳主イエス・キリストの恵みが、あなたがたの霊と共にあるように。
塚本訳主イエス・キリストの恩恵、あなた達の霊と共にあらんことを。
前田訳主イエス・キリストの恩恵があなた方の霊とともにありますように。
新共同主イエス・キリストの恵みが、あなたがたの霊と共にあるように。
NIVThe grace of the Lord Jesus Christ be with your spirit.
註解: 結尾の挨拶は略大同小異であるが、「なんぢらの霊とともに」とあるのはガラ6:18。Uテサ4:22である。