黒崎幸吉著 註解新約聖書 Web版第1テサロニケ書

第1テサロニケ書第4章

分類
3 道徳的、教理的部分 4:1 - 5:24
3-1 個人関係 4:1 - 4:12
3-1-イ 聖かるべきこと 4:1 - 4:8  

註解: 本節以下12節まで道徳的教訓、4:13−5:11は終末的教訓、5:12−24は一般的教訓を与えている。本書の主要部分を為す教訓的部分である。

4章1節 されば兄弟(きゃうだい)よ、(をはり)(われ)(しゅ)イエスによりて(なんぢ)らに(もと)め、かつ(すす)む。なんぢら如何(いか)(あゆ)みて(かみ)(よろこ)ばすべきかを我等(われら)より(まな)びし(ごと)く、また(あゆ)みをる(ごと)くに増々(ますます)(すす)まんことを。[引照]

口語訳最後に、兄弟たちよ。わたしたちは主イエスにあってあなたがたに願いかつ勧める。あなたがたが、どのように歩いて神を喜ばすべきかをわたしたちから学んだように、また、いま歩いているとおりに、ますます歩き続けなさい。
塚本訳だから最後に、(愛する)兄弟達よ、主イエスによって願いまた勧める。神をお喜ばせするにはどう歩かねばならぬかを、(既に)私達に教えられたのだから、どうかその通りに…君達は(今)その通りに歩いているのであるが、どうかなお一層進歩してもらいたい!
前田訳さらに、兄弟よ、主イエスにあってお願いしまたお勧めしたいのです。いかに歩んで神によろこばれるべきかはわれらからお聞きで、そのとおりお歩きですが、さらに完全にそうしてください。
新共同さて、兄弟たち、主イエスに結ばれた者としてわたしたちは更に願い、また勧めます。あなたがたは、神に喜ばれるためにどのように歩むべきかを、わたしたちから学びました。そして、現にそのように歩んでいますが、どうか、その歩みを今後も更に続けてください。
NIVFinally, brothers, we instructed you how to live in order to please God, as in fact you are living. Now we ask you and urge you in the Lord Jesus to do this more and more.
註解: パウロがテサロニケの信徒に求めまた勧むることは、彼らのこれまでパウロより学び、かつ彼ら自らも実行せるごとき、神を悦ばすべき正しき道徳的行為を、従来よりも一層富かにせんことであった。
辞解
[学ぶ] 伝承すること。
[進む] 豊富になること。
[主イエスによりて] 主イエスとの霊の交わりにありて。

4章2節 (われ)らが(しゅ)イエスに()りて如何(いか)なる命令(めいれい)(あた)へしかは、(なんぢ)らの()(ところ)なり。[引照]

口語訳わたしたちがどういう教を主イエスによって与えたか、あなたがたはよく知っている。
塚本訳私達が主イエスによってどんな命令を与えたか、君達は知っているのだから。
前田訳どんな指図を主イエスによってお与えしたかご承知です。
新共同わたしたちが主イエスによってどのように命令したか、あなたがたはよく知っているはずです。
NIVFor you know what instructions we gave you by the authority of the Lord Jesus.
註解: 前節を確めんがために彼らの記憶を呼び起しているのである。
辞解
[イエスに頼りて] dia なる前置詞を用う、イエスに対する信仰より来れる命令である。

4章3節 それ(かみ)御旨(みむね)は、なんぢらの(きよ)からんことにして、(すなは)淫行(いんかう)をつつしみ、[引照]

口語訳神のみこころは、あなたがたが清くなることである。すなわち、不品行を慎み、
塚本訳然り、神の御旨は君達が潔くなること、すなわち淫行を避け、
前田訳神のみ心はあなた方が聖くあることです。それは、不品行から遠ざかり、
新共同実に、神の御心は、あなたがたが聖なる者となることです。すなわち、みだらな行いを避け、
NIVIt is God's will that you should be sanctified: that you should avoid sexual immorality;
註解: テサロニケの信徒は大体において信者の模範であるけれども(1:7)淫行と貪慾においては他の異邦人キリスト者と同様(エペ5:3)なお殊に訓戒を要するのであった。3−8節はsなわちこれらに関する教訓である。而してパウロは淫行を避くることの根本的必要はそれが神の要求であること、すなわち神は信者の潔からんことを要求し給うことをここに教えているのである。
辞解
[つつしみ] 「遠ざけ」と訳すべき文字。

4章4節 各人(おのおの)おのが(つま)()て、(きよ)くかつ(たふと)くし、[引照]

口語訳各自、気をつけて自分のからだを清く尊く保ち、
塚本訳一人一人が聖潔と尊敬とをもって自分の妻を待うことを学び、
前田訳おのおのがその体を聖く尊く保つことを知り、
新共同おのおの汚れのない心と尊敬の念をもって妻と生活するように学ばねばならず、
NIVthat each of you should learn to control his own body in a way that is holy and honorable,
註解: 淫行を避けんがためには各々己が妻を有ちこれを神の賜物と考えて潔き交わりをなし、これを尊敬の心をもって取扱い、肉的たる猥なる心情を遠ざくることが必要にしてかつ最善の途である。
辞解
[妻] 原語は「器」なる語であって、これを「身体」と解し、「得て」を「支配して」と訳する意見多し(L2、A1)。しかしながらこの解釈には種々の無理あり、むしろ現行訳のごとくこれを「妻」と訳するを可とす(A1、M0、Z0)。妻を器と呼びたる例としてTペテ3:7辞解を見よ。▲「得る」ktaomai を「支配する」と訳すことが無理であるが、口語訳もこの解釈を取り「保つ」と訳している。「器」を自分の「身体」と見ることも適当ではない。5節と対応して性的関係の神聖さを教え給うのである。

4章5節 (かみ)()らぬ異邦人(いはうじん)のごとく(じゃう)(よく)放縱(ほしいまま)にすまじきを()り、[引照]

口語訳神を知らない異邦人のように情欲をほしいままにせず、
塚本訳(決して)“神を知らぬ異教人”のように情慾をもって(これに対)してはならぬこと、
前田訳神を知らぬ異教徒のように欲におぼれず、
新共同神を知らない異邦人のように情欲におぼれてはならないのです。
NIVnot in passionate lust like the heathen, who do not know God;
註解: 情慾を制御すべきことを知るがためには神を知ること、すなわちこれを神の支配の下に置くことが最も必要である。異邦人が情慾に関して放縦なのは情慾をも聖なる神の支配の下に置くべきことを知らないためである。
辞解
[情慾を放縦にす] 直訳「慾望の熱情」というべき文字、慾は人間が自然に具有する神の賜物である。それ故に神によりて支配せらるべきものであり、熱情がこれを支配しはならない。

4章6節 かかる(こと)によりて兄弟(きゃうだい)(あざむ)き、また(かす)めざらんことなり。[引照]

口語訳また、このようなことで兄弟を踏みつけたり、だましたりしてはならない。前にもあなたがたにきびしく警告しておいたように、主はこれらすべてのことについて、報いをなさるからである。
塚本訳兄弟の権利を侵し、取り引きにおいて利を貪らぬことである。凡てこれらのことに対し、“主が仕返しをし給うお方”であることは、前に君達に言いまた証した通りだから。
前田訳兄弟のことで干渉や侵害をしないことです。これらすべてについて主が報いをなさることは、前にもいい、かつ証明したとおりです。
新共同このようなことで、兄弟を踏みつけたり、欺いたりしてはいけません。わたしたちが以前にも告げ、また厳しく戒めておいたように、主はこれらすべてのことについて罰をお与えになるからです。
NIVand that in this matter no one should wrong his brother or take advantage of him. The Lord will punish men for all such sins, as we have already told you and warned you.
註解: 本節に関しては二種の全く異なる解釈があり、その一は3−5節を受けて情慾問題に関するものと見、兄弟の妻を奪うことすなわち姦淫を禁ずるの意味と解する説であり(A1、B1)、その二はこれを淫行の問題とは別に、これと並んで貪慾を戒むる意味であると解す(M0、Z0、L2)。第二説が適当なるがごとし、第二説に従えば「取引上のことにおいて兄弟を搾取しまたは掠めざらんことなり」と訳すべきである。現行訳がこの何れを採用したのであるかは訳語の上からは不明である。
辞解
[かかる事] 文法上より見るもむしろ「取引上の事において」「仕事の上にて」または「係争問題において」(L2)等と訳する方が適当である。
[欺き] huperbainō は新約聖書に唯一回用いられており、「行き過ぎる」「範囲を超す」「蹂躙する」(Z0)等のごとき意味の語である。上記第一説を主張する学者はこれを夫婦関係の範囲を超えて兄弟を蹂躙する意味に取り、第二説を主張する学者はこれを商売上正当なる利益の範囲を超え兄弟を搾取する意味に取る。
[掠む] pleonekteō は貪慾の心をもって奪い取ること、金銭上の意味に用うる場合多し。

(すべ)(これ)()のことを(おこな)(もの)(しゅ)(むくい)(たま)ふは、わ(れら)が(すで)(なんぢ)らに()げ、かつ(あかし)せしごとし。

註解: 淫行、貪慾等の行為は神を知らざる異邦において日常茶飯事であり、何らの恐れなくこれらが行われていた(エペ5:3−6)。それらの社会においてキリスト教の信仰に入りたる者にとりては、これら汚穢より免るるに最も有効なる途は主の報い、すなわち神の罰を思うことである。神の御前に畏れ戦くより外には、この汚穢より免るる途はない。このことをパウロはテサロニケのみならず他の信徒たちにも常に告げていた(ガラ5:21。エペ5:5、6。コロ3:6)。なお本節は「われらが曩(さき)に汝らに告げまた証しごとくこれら凡てのことにつきて主は報復者に在し給うなり」と訳すべきである。
辞解
[これらのこと] 淫行、貪慾を指す。

4章7節 (かみ)(われ)らを(まね)(たま)ひしは、汚穢(けがれ)(おこな)はしめん(ため)にあらず、(きよ)からしめん(ため)なり。[引照]

口語訳神がわたしたちを召されたのは、汚れたことをするためではなく、清くなるためである。
塚本訳神が私達を召し給うたのは不潔を行わせるためでなく、聖潔のためである。
前田訳神があなた方をお招きになったのは汚れにではなく、聖さにです。
新共同神がわたしたちを招かれたのは、汚れた生き方ではなく、聖なる生活をさせるためです。
NIVFor God did not call us to be impure, but to live a holy life.
註解: 「汚穢」はここでは前掲淫行、貪慾の総称と見るべきである。すなわち淫行を避け貪慾を戒むべき所以は、消極的には神の罰があるからこれを恐るるべきが故であり(6節)積極的にはそれが神のキリスト者を召し給う召命の目的だからである。すなわち単に刑罰に対する恐怖のみが聖潔の動機であってはならず、神の御旨を成すことが真の動機でなければならぬ。
辞解
「汚穢」と「清潔」につき前置詞による微妙の区別がなされているけれどもこれを訳語に示すことは至難である。

4章8節 この(ゆゑ)(これ)(こば)(もの)(ひと)(こば)むにあらず、(なんぢ)らに(せい)(れい)(あた)へたまふ(かみ)(こば)むなり。[引照]

口語訳こういうわけであるから、これらの警告を拒む者は、人を拒むのではなく、聖霊をあなたがたの心に賜わる神を拒むのである。
塚本訳かかるが故にこの戒めを軽んずる者は人を軽んずるのでなく、“君達にその”聖なる“霊を賜うた”神を軽んずるのである。
前田訳これをあなどるものは、人をでなく、あなた方に聖霊をお与えの神をあなどるのです。
新共同ですから、これらの警告を拒む者は、人を拒むのではなく、御自分の聖霊をあなたがたの内に与えてくださる神を拒むことになるのです。
NIVTherefore, he who rejects this instruction does not reject man but God, who gives you his Holy Spirit.
註解: 以上のごとき教訓は当時のギリシャ文化の社会一般に行われていなかった、単にパウロという一人の人間の思想または主義であると思ってこれを拒んではいけない。これは神を拒み神の意思に反し、その召命を空しくする所以であり。而して神はキリスト者に聖霊を与え給うが故にこの神を拒むことは聖霊を拒むことであり、かかる者より聖霊は取り去られてしまう。
要義 [罪と聖霊]隠れたる罪、または一般に問題とされない種類の罪は一見その人の上に何ら悪の結果をも来さないもののごとくに見える。しかしながらキリスト者の場合においては、これが世の終りにおいて神の審判に服すべき理由となるのみならず、現世においても聖霊が彼より取り去らるる原因となるのである。神は己に背く者に聖霊を与え給わず、聖霊はかかる者の中に帰り給わない。それ故にこの種の罪の中に留まる者の必ず陥る結果は、その霊的無力である。

3-1-ロ 愛と勤労 4:9 - 4:12  

註解: 9−12節はキリスト者が同信の友および社会一般に対して如何に行動すべきかを教う。

4章9節 兄弟(きゃうだい)(あい)につきては(なんぢ)らに()きおくるに(およ)ばず。(なんぢ)らは(たがひ)(あひ)(あい)する(こと)(した)しく(かみ)(をし)へられ、[引照]

口語訳兄弟愛については、今さら書きおくる必要はない。あなたがたは、互に愛し合うように神に直接教えられており、
塚本訳兄弟愛については(かれこれ)書く必要はあるまい。互いに相愛すべきことは君達自ら神に教えられ、
前田訳兄弟愛についてはお書きするに及びません。ご自身お互いに愛するよう神に教えられておいでです。
新共同兄弟愛については、あなたがたに書く必要はありません。あなたがた自身、互いに愛し合うように、神から教えられているからです。
NIVNow about brotherly love we do not need to write to you, for you yourselves have been taught by God to love each other.

4章10節 また(すで)にマケドニヤ全國(ぜんこく)()るすべての兄弟(きゃうだい)(あい)するに()りてなり。[引照]

口語訳また、事実マケドニヤ全土にいるすべての兄弟に対して、それを実行しているのだから。しかし、兄弟たちよ。あなたがたに勧める。ますます、そうしてほしい。
塚本訳しかもそれをマケドニヤ中にいる凡ての兄弟達に対して実行しているのだから。しかし(愛する)兄弟達よ、君達に勧める。なお一層(そのことにおいて)進歩し、
前田訳そしてマケドニア全体の兄弟にそれをなさっておいでです。なおお勧めしますが、さらにそうしてください。
新共同現にあなたがたは、マケドニア州全土に住むすべての兄弟に、それを実行しています。しかし、兄弟たち、なおいっそう励むように勧めます。
NIVAnd in fact, you do love all the brothers throughout Macedonia. Yet we urge you, brothers, to do so more and more.
註解: キリスト者の道徳の中心は愛である。ただしこのことはテサロニケの信者にはもはや書き送る必要をパウロは認めなかった。その理由の一はすでに彼らは充分このことを教えられていること、その二はこれを充分に実行していることである。第一の理由につきては「汝ら互に相愛すべきことに関しては神の教え子なればなり」(私訳)といいて、パウロが彼らに教えしことも真の意味においては神が教えたのであることを示し、第二の理由につきては「マケドニヤ全国にある凡ての兄弟を愛する」ことを掲げている。「兄弟」はキリスト者同士であり、初代の信徒はかくのごとく互に相愛したのであった。
辞解
[親しく] 「汝ら自身」。
[すべての兄弟を愛す] 原語「すべての兄弟に対してこれを行う」

されど兄弟(きゃうだい)よ、なんぢらに(すす)む。ますます(これ)(おこな)ひ、

註解: テサロニケのキリスト者は大体において愛につき学びかつ実行していることを認めつつも、なおこれをもって満足すべきにあらざることを教えている。愛することには極限がない。
辞解
[ますます之を行ひ] 「益々充実し」で、兄弟愛に関す。

4章11節 (われ)らが(まへ)(めい)ぜしことく(つと)めて安靜(しづか)にし、[引照]

口語訳そして、あなたがたに命じておいたように、つとめて落ち着いた生活をし、自分の仕事に身をいれ、手ずから働きなさい。
塚本訳また静かに生活し、自分の仕事を励み、(曩に)命じたように手ずから働くことをもって名誉とせよ。
前田訳静かに生きることを尊び、おのがことを務め、手ずから働くこと、指図したとおりになさい。
新共同そして、わたしたちが命じておいたように、落ち着いた生活をし、自分の仕事に励み、自分の手で働くように努めなさい。
NIVMake it your ambition to lead a quiet life, to mind your own business and to work with your hands, just as we told you,
註解: 「安静」は自ら騒ぎ回り、または走り回ることの反対で、平静に市民としての日常生活を行うこと。当時の信徒の中には、入信の悦びに夢中になり、自己の職務をも忘れて騒ぎ回りし者もありしことなるべく、またキリストの再臨の近きことを教えられて日常の仕事も手につかず、焦慮の生活を為せるものもありしなるべく、これらの人々に対しパウロは安静を要求したのである。
辞解
[力(つと)めて] philotimeomai につきてはロマ15:20辞解参照。

(おのれ)(わざ)をなし、

註解: 他人のことに濫りに干渉せず、自己の為すべき分を忠実に為すこと。狂信家は往々にして空虚なる騒ぎを演じ、また己のごとく熱狂せざる者に対して干渉するごときが多い。

()づから(はたら)け。

註解: 労働の重要さを示す。キリスト再臨の接近せることを信ずる者は、往々にしてこの世の実生活を無意味と考え、日常の労働を軽視する、この弊害を矯正せんとするのがパウロの目的であった。
辞解
[手づから] 「手づから」とあるので手工業者がテサロニケの信徒の大部分を為すと見る説があるけれども(A1、M0)かく局限する必要なし(Z0)。以上が10節の「励む」の内容である。

4章12節 これ(そと)(ひと)(たい)して(ただ)しく(おこな)ひ、また(みづか)(とぼ)しきことなからん(ため)なり。[引照]

口語訳そうすれば、外部の人々に対して品位を保ち、まただれの世話にもならずに、生活できるであろう。
塚本訳これは(主を信じない)外部の人に対して(信者らしい)見苦しからぬ生活をし、また誰の厄介にもならずにすむためである。
前田訳それはあなた方が外の人々に対して折り目正しく歩み、だれにも世話にならないためです。
新共同そうすれば、外部の人々に対して品位をもって歩み、だれにも迷惑をかけないで済むでしょう。
NIVso that your daily life may win the respect of outsiders and so that you will not be dependent on anybody.
註解: 11節の諸種の勧めの目的を示す、前半は「安静にして」、「己が事を為す」ことの目的、後半は「手づから働く」ことの目的である。「外の人」は信者以外の人を指す。たとい信仰のためであるとしても狂信的態度は未信者を躓かせ、また往々にして未信者すら敢て為さざるごとき不道徳、非常識の態度を取るに至る。ゆえに「正しく行うこと」すなわち「立派な態度を取ること」が必要である。また信仰の故と称して自己の業務を疎かにする者があり、かかる者は自己の生活が困窮するようになり、自然他人に迷惑を及ぼすに至る。かかることを避くることがキリスト者にとりて必要である。
辞解
[正しく行う] 「立派に歩む」で「立派に」 euschēmonōs 「善き貌に」の意。
[乏しきことなし] 「何物をも必要とせず」であるが「何物」を「何者」と男性として解し、「何人の助けをも要せず」と訳する説もある。かく解することは誤訳ではないが、これを中性と見て現行訳のごとく解する方が適当であろう。
要義 [狂信者の弊]信仰は一方に眠れる信仰、死ねるごとき信仰になりやすいと共に、反対に他方に熱狂的信仰に陥りやすい。熱狂的信仰に陥る原因は、神が自己を支配せずして、自己の感情に支配せらるることにある。而してその結果は、平凡平静なる日常生活をもって不信仰と誤認し、特別にして異常なる生活にのみ信仰生活の正しき姿があると考えるに至るものである。従って11節に示さるるごとき種々の弊害を伴うに至るのであって、この事実は今日もこれをいわゆる再臨信者、聖霊派の中に見出すことができる。彼らはこれに関して充分に反省を要するであろう。

3-2 再臨問題 4:13 - 5:11
3-2-イ 復活と再臨との関係 4:13 - 4:28  

4章13節 兄弟(きゃうだい)よ、(すで)(ねむ)れる(もの)のことに()きては、(なんぢ)らの()らざるを(この)まず、希望(のぞみ)なき(ほか)(ひと)のごとく(なげ)かざらん(ため)なり。[引照]

口語訳兄弟たちよ。眠っている人々については、無知でいてもらいたくない。望みを持たない外の人々のように、あなたがたが悲しむことのないためである。
塚本訳兄弟達よ、(主に在って)眠った者のことを知っていて、希望の無い他の人々のように(徒らに)歎かないようにしてもらいたい。
前田訳兄弟よ、眠る人々についてお知らせしたく思います。希望のない他の人々のようにお悲しみにならないためです。
新共同兄弟たち、既に眠りについた人たちについては、希望を持たないほかの人々のように嘆き悲しまないために、ぜひ次のことを知っておいてほしい。
NIVBrothers, we do not want you to be ignorant about those who fall asleep, or to grieve like the rest of men, who have no hope.
註解: テサロニケの信徒はキリストの再臨を待望む信仰を獲ていた(1:10)。けれどもキリストの再臨は非常に近く、自分たちの生存中に起ると確信していたので(4:17)、思いがけなく彼ら信徒の中に死者が出て、しかもキリストの再臨が未だなかったので、彼ら(死者)が果してキリストの再臨によりて、建てらるる永遠の国に入ることができるや否やの不安が彼らの間に生じた。その結果彼らはその死者に対して不信者と同様に悲しんだのであった。パウロはこの問題につきて彼らを慰めんとしたのである(18節)。
辞解
[眠れる者] 「死ぬる者」の単なる婉曲話法である。それ故にこの語を根拠として、死者が眠っているのであると結論してはならない。また肉体だけが眠り、霊は醒めていると論ずる必要もない。またこの場合キリスト者としての信仰を有ちて死ねる者を指す。
[希望なき他の人] 救われて永遠の国に入るの希望なき人々、すなわち福音の信仰による復活の希望を持たざる異邦人、未信者等を指す、彼らは親しき者の死については絶望的悲しみを有つ。

4章14節 (われ)らの(しん)ずる(ごと)く、イエスもし()にて(よみが)へり(たま)ひしならば、(かみ)はイエスによりて(ねむり)()きたる(もの)を、イエスと(とも)()れきたり(たま)ふべきなり。[引照]

口語訳わたしたちが信じているように、イエスが死んで復活されたからには、同様に神はイエスにあって眠っている人々をも、イエスと一緒に導き出して下さるであろう。
塚本訳私達が信ずるようにもしイエスが死んで復活し給うたならば、神はイエスによって眠った者をも同様にイエスと共に連れ来たり給うであろうから。
前田訳イエスが亡くなって復活なさったとわれらが信じるならば、神はイエスにあって眠った人々を彼とともにお導きでしょう。
新共同イエスが死んで復活されたと、わたしたちは信じています。神は同じように、イエスを信じて眠りについた人たちをも、イエスと一緒に導き出してくださいます。
NIVWe believe that Jesus died and rose again and so we believe that God will bring with Jesus those who have fallen asleep in him.
註解: キリストと信徒との一体感の当然の結果としてイエスに在りて眠りに就きたる者もまたイエスと一体の関係に在る故、イエスが来り給う時は必ず共に導き連れ来るべきである。
辞解
前半直訳「そはもし我らイエスに死して甦り給いしことを信ぜば、同様に神は・・・・・・」となる。ただし意味は「我らはたしかにこれを信じているのであるが、そうとすれば同様に・・・・・・」となる。

4章15節 われら(しゅ)(ことば)をもて(なんぢ)らに()はん、[引照]

口語訳わたしたちは主の言葉によって言うが、生きながらえて主の来臨の時まで残るわたしたちが、眠った人々より先になることは、決してないであろう。
塚本訳然り、私達の主の御言をもってこのことを(はっきり)君達に言う(ことが出来る)──私達主の来臨(の時)まで生き残っている者は、(既に)眠った者に先立つ(て光栄に与る)ことは絶対に無い。
前田訳主のことばによって申しますが、われら主の来臨まで生き残るものは、眠った人々に先立つことは決してありますまい。
新共同主の言葉に基づいて次のことを伝えます。主が来られる日まで生き残るわたしたちが、眠りについた人たちより先になることは、決してありません。
NIVAccording to the Lord's own word, we tell you that we who are still alive, who are left till the coming of the Lord, will certainly not precede those who have fallen asleep.
註解: 次に掲げらるる言に相応するものは福音書の中に見出し得ない(マタ24:31。25:1以下。ヨハ6:39以下等は当らない)。それ故に或は口伝によりパウロに伝えられしものか、またはガラ1:12かまたはTコリ11:23(辞解参照)のごとく直接に黙示をもってパウロに示されたものと見るより外にない。

我等(われら)[のうち](しゅ)(きた)りたまふ(とき)(いた)るまで()きて(のこ)れる(もの)は、(すで)(ねむ)れる(もの)(けっ)して(さき)だたじ。

註解: キリスト再臨の時に生存している信者よりも先に、すでに眠れる信者は復活する。それ故にすでに眠れる者の運命につき憂慮すべきではない。
辞解
[我らのうちの] 「のうちの」は原文になし、パウロは己が生存中に主の再臨があると信じていた。この点パウロの信仰に誤りがあったこととなるので、この結論を避けんがために種々の訳し方または解し方が試みられているけれども、何れも決定的ではない。現行訳「我らのうち」もその試みの一つである。パウロにとりては再臨接近の信仰が生き生きしていたので、かく言うより他に言い方がなかったのであろう。

註解: 本節および次節は前節の提言の詳説である。

4章16節 それ(しゅ)は、號令(がうれい)御使(みつかひ)(をさ)(こゑ)(かみ)のラッパと(とも)に、みづから(てん)より(くだ)(たま)はん。[引照]

口語訳すなわち、主ご自身が天使のかしらの声と神のラッパの鳴り響くうちに、合図の声で、天から下ってこられる。その時、キリストにあって死んだ人々が、まず最初によみがえり、
塚本訳何故なら、(その時)主自ら号令と御使いの頭の声と神のラッパ(の響き)と共に天から下り給うて、キリストにおいて死んだ死人がまず復活し、
前田訳主ご自身、合図とともに、すなわち天使長の声と神のラッパによって、天からお降りでしょう。そしてキリストにある死人がまずよみがえりましょう。
新共同すなわち、合図の号令がかかり、大天使の声が聞こえて、神のラッパが鳴り響くと、主御自身が天から降って来られます。すると、キリストに結ばれて死んだ人たちが、まず最初に復活し、
NIVFor the Lord himself will come down from heaven, with a loud command, with the voice of the archangel and with the trumpet call of God, and the dead in Christ will rise first.
註解: キリストの天降りの時の盛んなる光景を叙す、すなわち神はキリストの天降りの号令を発し給い、御使いの長(ミカエルなりや他の御使いなりや等は素より知る限りにあらず)は眠れる聖徒を醒まさんがために声を揚げ、神のラッパが吹奏せられて目覚めたる者が召集せられ、天において大なる動員令が発せられ、かくしてキリスト自ら次に記さるるごとき栄光をもって天より降り給う。ただしこれらの声が天上のみの出来事であることは5:2によりて明らかである。
辞解
後期ユダヤ教においてはメシヤの来臨に関して本節のごとき思想が行われていた。これは地上におけるメシヤの救いに対して次第に望みを失えるユダヤ人の自然の落ち行く途であった。従ってこれらの思想は旧約よりの影響(次節を見よ)もあるべく、また他民族の神話よりの影響もあるであろうが、パウロはイエスの復活によりて、それらの思想をその再臨の時の姿として受入れ得るに至ったのであった。ただしパウロはこれらの三つの声の何たるかを一々神学的に考察したものとは思われず、むしろ詩的にこれを取扱ったものと見て可ならん。なおこの三者の中第二第三は第一の内容的詳説であるとみるごときことも(M0)必要ない。

その(とき)キリストにある死人(しにん)まづ(よみが)へり、

4章17節 (のち)()きて(のこ)れる(われ)らは、(かれ)らと(とも)に(同時(どうじ)に)(くも)のうちに()()られ、空中(くうちゅう)にて(しゅ)(むか)へ、()くていつまでも(しゅ)(とも)()るべし。[引照]

口語訳それから生き残っているわたしたちが、彼らと共に雲に包まれて引き上げられ、空中で主に会い、こうして、いつも主と共にいるであろう。
塚本訳それから私達(その時まで)生き残っている者が主に会うため彼らと一緒に雲に乗って空中に奪い去られる。かくして私達はいつも主と共に居るのである。
前田訳次にわれら生き残るものが彼らといっしょに雲で移され、空で主にお会いし、かくていつまでも主とともにあるでしょう。
新共同それから、わたしたち生き残っている者が、空中で主と出会うために、彼らと一緒に雲に包まれて引き上げられます。このようにして、わたしたちはいつまでも主と共にいることになります。
NIVAfter that, we who are still alive and are left will be caught up together with them in the clouds to meet the Lord in the air. And so we will be with the Lord forever.
註解: キリスト来り給う時、キリストにある死人すなわち信仰をもって死ねる人々はまず甦るのであって、決して彼らは永遠に主の再臨を迎え得ないのではない。而して次に生きて残っている信者たる我らはTコリ15:52によれば瞬間に化して霊の体となり、彼ら先に甦りたる者と共に雲のうちに取り去られるのである。而してキリスト者は天より降りて地上に至る前に空中においてこれらの復活せる聖徒は彼を迎え奉るのである。かくしてキリストと一体たる彼らは、常に主と偕にいることができるようになるのである。
辞解
[雲のうち] 神は雲の中に在し給うことの思想より来れる表顕(詩104:3。18:11。イザ19:1)。高き稜威をあらわす。
[空中にて] 「空中に」と訳して「取り去られ」に関連せしむる説多し(M0、A1、B1)、むしろ現行訳を取る(Z0)。なおパウロはキリストの地上に来り給うこと、義者、不義者の審判等につきては触れていない。テサロニケの信徒をその悲嘆より救い得ることをもって足れりとしたのであって、ここにキリストの再臨に関する彼の思想の全貌を示さんとしたのではない。

4章18節 されば(これ)()(ことば)をもて(たがひ)(あひ)(なぐさ)めよ。[引照]

口語訳だから、あなたがたは、これらの言葉をもって互に慰め合いなさい。
塚本訳だから、これらの言をもって互いに慰め合え。
前田訳それゆえこれらのことばで互いに慰め合ってください。
新共同ですから、今述べた言葉によって励まし合いなさい。
NIVTherefore encourage each other with these words.
註解: 以上のごとき再臨の時の出来事の順序を知るならば、再臨以前に死者が生じたからとて悲嘆に暮れるべきではなく、今後一般に死者の生じたる場合の信仰的態度が決定さるる訳である。
要義 [キリストの空中再臨と携挙] 4:13−18の記事は我らの今日の知識と思想とに照してあまりに子供らしく、あまりに空想的であって信ずるに難き点が数々ある。雲に乗って来ること、空中の奉迎、その他凡て決して信じやすい事実ではない。殊にパウロはその生存中の主の再臨を信じ、この点明らかに彼が誤っていたとすれば、この思想全体を誤謬として放棄すべきではないかとの説が起るのは当然である。しかしながら第一に我らは神の万能を信ずるが故に、我らの常識や、経験や、科学的知識をもって理解し得られざるの故をもって絶対にそのことが起らないと定めることができない。第二にパウロの録せるこれらの思想は大体においてユダヤ的でありまた神秘的であってこれを一々具体的に解せんとするは誤りである。これを一つの美わしき詩と解し、その実現は我らの想像を超越する貌において行われるものであることを思わなければならない。第三に主の再臨はキリストの救いとその復活と、完全に聖なる新天新地と、その中に住むべき神の民とに対する要求より当然の事実として信ぜらるべきことである故、その実現の状況の記載如何に拘泥せず、その事実そのものに対する確信を持つべきである。それ故にこれらの記事を非科学的なりとし非現実的なりとし、または後期ユダヤ教の思想なりとして一擲(いってき)してはならない。あたかもキリストの初臨の預言が、必ずしも明瞭なる形において預言せられず、想像に難き種々の預言となって伝えられたのであったが、キリスト来り給いてそれらの預言の意義が分明せるごとく、キリストの再臨もまた、その実現の後において聖書の言の意義が明らかにせられるであろう。

第1テサロニケ書第5章
3-2-ロ 主の日の時期とこれに対する覚悟 5:1 - 5:11  

5章1節 兄弟(きゃうだい)よ、(とき)()とに()きては(なんぢ)らに()きおくるに(およ)ばず。[引照]

口語訳兄弟たちよ。その時期と場合とについては、書きおくる必要はない。
塚本訳兄弟達よ、(来臨までの)時間と(その)時期とについては、(更めてここに)書く必要はあるまい。
前田訳兄弟よ、その時と場合についてはお書きするに及びません。
新共同兄弟たち、その時と時期についてあなたがたには書き記す必要はありません。
NIVNow, brothers, about times and dates we do not need to write to you,
註解: その理由は次節に由りて明らかである。ゆえに書き送ることが役に立たずとか不可能であるとか、または汝らは常に再臨に対して準備している故(B1)等と解するは誤りである。
辞解
[時] chronos 一般に「時」の意味で期間、時間等に用う。「期」kairos はある目的を眼中に置きそのために定められる時または期間を指す。ここに複数形を用いたのは、その間に種々の事情を含むからであろう。

5章2節 (なんぢ)らは(しゅ)()盜人(ぬすびと)(よる)[きたるが](ごと)くに(きた)ることを、(みづか)詳細(つまびらか)()ればなり。[引照]

口語訳あなたがた自身がよく知っているとおり、主の日は盗人が夜くるように来る。
塚本訳主の日が夜の盗人のように(不意に)来ることを君達は精密く知っているのだから。
前田訳よくご承知のとおり主の日は夜の盗びとのように来ます。
新共同盗人が夜やって来るように、主の日は来るということを、あなたがた自身よく知っているからです。
NIVfor you know very well that the day of the Lord will come like a thief in the night.
註解: 「主の日」なる語は旧約聖書にも「エホバの日」としてすでに用いられている(イザ2:12。13:6、9。エレ30:7。エゼ13:5。アモ5:18。ヨエ1:15。2:1、11等)。ただしそれは審判の恐るべき日として考えられた。新約時代においては「エホバ」すなわち「主」をイエスに当てはめ、イエスの再来の日として、この世が終りを告げ、聖徒の復活、万人の審判、万物の復興、神の国の完成の行わるる日として考えられた。この日は盗賊の夜来るごとく、突然に予期せざる時に来る。必ずしも主の再臨が夜間に起ることを意味したのではない。マタ24:42−44にすでにイエスはこのことを告げ給うた。パウロはこれを伝え聞いていたものと考えられる。

5章3節 人々(ひとびと)平和(へいわ)無事(ぶじ)なりと()ふほどに、滅亡(ほろび)にはかに(かれ)らの(うへ)(きた)らん、(はら)める(をんな)(うみ)苦痛(くるしみ)(のぞ)むがごとし、(かなら)(のが)るることを()じ。[引照]

口語訳人々が平和だ無事だと言っているその矢先に、ちょうど妊婦に産みの苦しみが臨むように、突如として滅びが彼らをおそって来る。そして、それからのがれることは決してできない。
塚本訳人々が無事だ、大丈夫だと言っている時に、丁度妊婦に陣痛が起こると同じように、思いもかけず滅亡が来て、決して逃げ出すことは出来ない。
前田訳「平和で無事」と人々がいうとき、突然の滅びが彼らにのぞむでしょう。それは妊婦にのぞむ苦しみのようで、決してのがれえません。
新共同人々が「無事だ。安全だ」と言っているそのやさきに、突然、破滅が襲うのです。ちょうど妊婦に産みの苦しみがやって来るのと同じで、決してそれから逃れられません。
NIVWhile people are saying, "Peace and safety," destruction will come on them suddenly, as labor pains on a pregnant woman, and they will not escape.
註解: キリストの再臨に際し彼を信ぜざる者または名のみの信徒はこれを信ぜず、平和無事なりと唱えて安心しきっている時に突然に大なる苦痛と滅亡とが臨む、これは妊婦に産みの苦痛が臨むごとくである。すなわちその時期の不明と、必ず来ることとの二点において類似している。唯妊婦に出産が来ることは何人にも明らかであるが、キリストの再臨は不信者にとりては信じられない。比喩には常にこの種の不完全さを伴うことに注意すべきである。

5章4節 されど兄弟(きゃうだい)よ、(なんぢ)らは(くらき)()らざれば、盜人(ぬすびと)(きた)るごとく()()なんぢらに追及(おひし)くことなし。[引照]

口語訳しかし兄弟たちよ。あなたがたは暗やみの中にいないのだから、その日が、盗人のようにあなたがたを不意に襲うことはないであろう。
塚本訳しかし兄弟達よ、君達は暗の中にいないから、その日が君達に盗人のように襲いかかることは無い。
前田訳兄弟よ、あなた方は闇の中にはいませんから、その日が盗びとのように襲いはしますまい。
新共同しかし、兄弟たち、あなたがたは暗闇の中にいるのではありません。ですから、主の日が、盗人のように突然あなたがたを襲うことはないのです。
NIVBut you, brothers, are not in darkness so that this day should surprise you like a thief.
註解: 私訳「されど兄弟よ、汝らは暗きにおらず、これその日盗人のごとく汝らに追及くことなからんためなり」。キリスト者は神の恩恵によりて光の子(ヨハ3:21。12:36。エペ5:8)とせられたのである。それ故に神の守護により主の日がキリスト者の上に盗人のごとくに来ることはない。

5章5節 それ(なんぢ)()はみな(ひかり)()ども(ひる)子供(こども)なり。(われ)らは(よる)()(もの)にあらず、(やみ)()(もの)にあらず。[引照]

口語訳あなたがたはみな光の子であり、昼の子なのである。わたしたちは、夜の者でもやみの者でもない。
塚本訳皆光の子、昼の子なのだから。私達(主を信ずる者)は夜の者でも、暗の者でもない。
前田訳皆さんは光の子、昼の子です。われらは夜のものでも闇のものでもありません。
新共同あなたがたはすべて光の子、昼の子だからです。わたしたちは、夜にも暗闇にも属していません。
NIVYou are all sons of the light and sons of the day. We do not belong to the night or to the darkness.
註解: 前節の理由を説明する。すなわちキリスト者の性格を最も適切に示す処の語は光の子供ということである。神は光であり(Tヨハ1:5)イエスは真の光である(ヨハ1:9)。ゆえにキリスト者は光の子であり、この光の支配する昼の子である。従って主の日が盗人のごとくに彼らの上に来ることはできない。この昼、夜は勿論霊的の意味であり、比喩もここに至って霊的部分と物質的部分とが混流する。

5章6節 されば(ほか)(ひと)のごとく(ねむ)るべからず、()(さま)して(つつし)むべし。[引照]

口語訳だから、ほかの人々のように眠っていないで、目をさまして慎んでいよう。
塚本訳だから、他の人のように眠っていずに、(いつも)目を覚まし、白面でいようではないか。
前田訳それで、他の人々のように眠らず、目を覚まして慎みましょう。
新共同従って、ほかの人々のように眠っていないで、目を覚まし、身を慎んでいましょう。
NIVSo then, let us not be like others, who are asleep, but let us be alert and self-controlled.
註解: 「他の人」は不信者、「眠る」は霊的惰眠であって善悪の差別を弁えず霊魂の救いにつきて無関心なること。光の子供、昼の子供たるキリスト者はかかる状態にあってはならない、反対に彼らは霊の目を覚まして善を行い、悪を避け、救いを望む真面目なる生涯を送らなければならない。これがキリストの再臨に対する最善の準備である。

5章7節 (ねむ)(もの)(よる)(ねむ)り、(さけ)()(もの)(よる)()ふなり。[引照]

口語訳眠る者は夜眠り、酔う者は夜酔うのである。
塚本訳眠る者は夜眠り、(酒に)酔う者は夜酔うのである。
前田訳眠るものは夜眠り、酔うものは夜酔っています。
新共同眠る者は夜眠り、酒に酔う者は夜酔います。
NIVFor those who sleep, sleep at night, and those who get drunk, get drunk at night.
註解: 不信の子らの生活の中心は夜にあり前後不覚の睡りと酩酊放恣の生活をなし、多くの罪悪は夜間に行わる。かくのごとく彼らの霊的生活もまた、善悪正邪を弁えざる暗黒の中の睡りのごとく、また酔漢のごとく放恣であって霊の救いに無関心である。あたかも敵前において備えなき兵隊のごとくである。而して主の日は盗人のごとく突然彼らの上に来るのである。

5章8節 されど(われ)らは(ひる)()(もの)なれば、信仰(しんかう)(あい)との胸當(むねあて)()け、(すくひ)(のぞみ)(かぶと)をかむりて(つつし)むべし。[引照]

口語訳しかし、わたしたちは昼の者なのだから、信仰と愛との胸当を身につけ、救の望みのかぶとをかぶって、慎んでいよう。
塚本訳しかし私達は昼の者だから、信仰と愛の“鎧と、救いの”希望の“兜とに身を固め”て、白面でいようではないか。
前田訳われらは昼のものですから、信仰と愛の胸当てをつけ、救いの望みをかぶとにして慎んでいましょう。
新共同しかし、わたしたちは昼に属していますから、信仰と愛を胸当てとして着け、救いの希望を兜としてかぶり、身を慎んでいましょう。
NIVBut since we belong to the day, let us be self-controlled, putting on faith and love as a breastplate, and the hope of salvation as a helmet.
註解: 昼の子たちは目を覚まして敵の襲撃より自己を守らなければならない。その武器は信仰と愛の胸当てであって、これにより不信と利己心の攻撃に対し自己の心を守り、また救いの望みの兜であって、救いを高く掲げて敵に示すと共にその頭脳を多くの誤れる思想の攻撃より守りかくして慎みてその救いを全うせんとするのである。かくしてキリスト者はキリストの再臨に備えて己を守り、己を潔くすることができる。

5章9節 それ(かみ)(われ)らを(いかり)に[()はせんとに]あらず、(しゅ)イエス・キリストに()りて(すくひ)()させんと(さだ)(たま)へるなり。[引照]

口語訳神は、わたしたちを怒りにあわせるように定められたのではなく、わたしたちの主イエス・キリストによって救を得るように定められたのである。
塚本訳何故なら神が私達に定め給うた運命は御怒りによる滅亡でなく、私達の主イエス・キリストによって救いを得ることであるから。
前田訳神はわれらを怒りへとお定めではなく、われらの主イエス・キリストによる救いの獲得へとお定めです。
新共同神は、わたしたちを怒りに定められたのではなく、わたしたちの主イエス・キリストによる救いにあずからせるように定められたのです。
NIVFor God did not appoint us to suffer wrath but to receive salvation through our Lord Jesus Christ.
註解: キリスト者は神の摂理によりて滅亡より救い出され救いに定められたのである故、これを考えて主の再臨を待ち望み、かつこれを迎うるに相応しき者となるべきである。

5章10節 (しゅ)我等(われら)のために()(たま)へるは、我等(われら)をして()めをるとも(ねむ)りをるとも(おのれ)(とも)()くることを()しめん(ため)なり。[引照]

口語訳キリストがわたしたちのために死なれたのは、さめていても眠っていても、わたしたちが主と共に生きるためである。
塚本訳主は、私達が(その日)目を覚ましていても(あるいは既に墓に)眠っていても、(皆等しく)彼と共に生きることが出来るように、私達のために死に給うたのである。
前田訳彼はわれらのためにお死にになりました。それは、われらが目覚めていても眠っていても彼とともに生きるためです。
新共同主は、わたしたちのために死なれましたが、それは、わたしたちが、目覚めていても眠っていても、主と共に生きるようになるためです。
NIVHe died for us so that, whether we are awake or asleep, we may live together with him.
註解: 前節「キリストに頼る救」を受け、この救いは主イエスの死によることとこの死は我らをして彼と共に永遠に生きしめんがためなることを述べ、結局キリストの再臨によりて凡てのキリスト者が永遠にキリストと共に生くるものとなることを示す。「寤めをるとも眠りをるとも」は一種の語呂による戯れであってえ、6節の「眠る」「目を覚ます」とは異なる意味に用いられている。すなわち「生ける者も死ねる者も」との意味である。▲イエスの死の目的は、復活して彼を信ずるものと共に生きるためであった。単にバプテスマを授けて多くの人を教会員にするためではなかった。

5章11節 ()(ゆゑ)(たがひ)(すす)めて各自(おのおの)(とく)()つべし、これ(なんぢ)らが(つね)()(ところ)なり。[引照]

口語訳だから、あなたがたは、今しているように、互に慰め合い、相互の徳を高めなさい。
塚本訳だから、今既にそうしているように、互いに慰め合い、また互いに励まし合え。
前田訳それゆえ、あなた方は今なさっているように互いに慰め、互いに向上させてください。
新共同ですから、あなたがたは、現にそうしているように、励まし合い、お互いの向上に心がけなさい。
NIVTherefore encourage one another and build each other up, just as in fact you are doing.
註解: 各自の徳を建てること(Tコリ8:1。ロマ14:19辞解参照)がキリストの再臨に関する凡ての教訓の結論である。キリストの再臨はこれを神学的理論として組立つるために学ぶべきではなく、また好奇心よりこれを穿鑿(せんさく)すべきではない。これは各自の徳を建てることがその目的でなければならぬ。この目的をもって互に勧めることが本書簡において再臨につきてパウロの教えし目的であった。而して彼は最後にテサロニケの信者が常にこれを実行すつつあることを加えて彼らを賞揚し、自己の満足を表明している。
要義 [キリスト再臨の時期とこれに対する準備]キリスト再臨の時期につきダニエル書、ゼカリヤ書、黙示録等の任意の章節を材料として年月日を計算し、その結果を得てキリストがその日に来り給うことを唱え、而してその誤謬のために多くの躓きを生じた例は歴史上非常に多い。第二世紀にポントの監督が六ヶ月以内にキリストの再臨があることを唱えて信徒を迷わせたることあり。その後も欧米の諸国最近には日本にもこの種の説を唱えて人々を迷わせた例は少なくない。これは明らかに5:2−4に反することであって、我らはこの迷いを繰返してはならない。全然父の御意の中にある事柄を我らは濫りに忖度(そんたく)してはならない。唯我らとしてはこれに対する準備をしていることが必要であり、而してそれで充分である。備えある者はそれで満足しており、主の来り給う時の如何を問題としない。而してその準備は6節以下に示さるるごとくである。

3-3 教会関係 5:12 - 5:24
3-3-イ 教会生活 5:12 - 5:22  

5章12節 兄弟(きゃうだい)よ、(なんぢ)らに(もと)む。なんぢらの(うち)(らう)し、(しゅ)にありて(なんぢ)らを(をさ)め、(なんぢ)らを訓戒(くんかい)する(もの)(おも)んじ、[引照]

口語訳兄弟たちよ。わたしたちはお願いする。どうか、あなたがたの間で労し、主にあってあなたがたを指導し、かつ訓戒している人々を重んじ、
塚本訳兄弟達よ、願う、君達の所で働き、主にあって世話し、また訓戒する人々(の骨折り)を認め、
前田訳兄弟よ、お願いします。あなた方のうち労苦し、主にあってあなた方を指導し、助言する人々を重んじてください。
新共同兄弟たち、あなたがたにお願いします。あなたがたの間で労苦し、主に結ばれた者として導き戒めている人々を重んじ、
NIVNow we ask you, brothers, to respect those who work hard among you, who are over you in the Lord and who admonish you.
註解: 12−22節は一般的訓戒である。本節は教会の中において教会のために奉仕して種々の労を取ることを厭わぬ者、または教会を治めてその秩序を維持することに努力する者、または教会の人々を訓戒してこれを道徳的信仰的に向上せしむる者らをば、その価値を認めてこれを尊重すべきである。これら三つの働きは必ずしも一人(M0)の仕事の三方面を指すとは限らず、一人の場合も二人以上の場合も有り得ることと解して可なり(B1)。而してこれは監督なる公職に任命せられし者と見る(M1)べきではなく、むしろ人々の霊的賜物の如何によりて、特別の奉仕を為す場合を指せるものと見るべきである(L2)。ただしこの主の人を尊重するの習慣がついに監督なる公職に付与せられし権威の源となった。▲教会の職制が二次的のものであったことの一つの証拠である。
辞解
[労し、治め] 「労する者」、「治める者」と訳すべきである。

5章13節 その勤勞(はたらき)によりて(あつ)(これ)(あい)(うやま)へ。[引照]

口語訳彼らの働きを思って、特に愛し敬いなさい。互に平和に過ごしなさい。
塚本訳その仕事の故に特別に彼らを愛し尊重せよ。互いに仲善くせよ。
前田訳彼らをそのわざゆえに愛の中に尊敬してください。互いに平和であってください。
新共同また、そのように働いてくれるのですから、愛をもって心から尊敬しなさい。互いに平和に過ごしなさい。
NIVHold them in the highest regard in love because of their work. Live in peace with each other.
註解: 私訳「その業のゆえに愛を以って厚くこれを教え」教会のためにこれらの業をなる事は充分尊敬に値している事柄である。

[また](たがひ)(あひ)(やわら)ぐべし。

註解: 信者相互の平和を重んずべきこと。

5章14節 兄弟(きゃうだい)よ、(なんぢ)らに(すす)む、(みだり)なる(もの)訓戒(くんかい)し、[引照]

口語訳兄弟たちよ。あなたがたにお勧めする。怠惰な者を戒め、小心な者を励まし、弱い者を助け、すべての人に対して寛容でありなさい。
塚本訳兄弟達よ、なお勧める、ふしだらな者を戒め、気の小さい者を励まし、(心の)弱い者の面倒を見てやり、誰に対しても寛大であれ。
前田訳兄弟よ、お勧めします。わがままものをいましめ、小心ものを励まし、弱いものを助け、すべての人に寛容であってください。
新共同兄弟たち、あなたがたに勧めます。怠けている者たちを戒めなさい。気落ちしている者たちを励ましなさい。弱い者たちを助けなさい。すべての人に対して忍耐強く接しなさい。
NIVAnd we urge you, brothers, warn those who are idle, encourage the timid, help the weak, be patient with everyone.
註解: 「妄(みだり)なる者」 ataktos とは政治的社会的規律に服せざる人を指す、教会の規律に対する場合にもこれを用いることができる。かかる人々をば教会はこれを訓戒して矯正しなければならぬ。

落膽(きおち)せし(もの)(はげ)まし、

註解: 不幸のため、罪のため、その他の事柄のために落胆している者がある場合これを励まし元気をつけてやるべきである。

(よわ)(もの)(たす)け、

註解: この「扶(たす)け」 antechomai は親しみて注意し世話をすること、弱きは霊肉ともに関連す。

(すべ)ての(ひと)(たい)して寛容(くわんよう)なれ。

註解: 単にキリスト者同士の間のみならず、一般の人に対しても寛容の態度を必要とする。

5章15節 (たれ)(ひと)(たい)(あく)をもて(あく)(むく)いぬやう(つつし)め。[引照]

口語訳だれも悪をもって悪に報いないように心がけ、お互に、またみんなに対して、いつも善を追い求めなさい。
塚本訳誰も悪で悪に仕返しせぬように注意し、互いに、また何人にも、常に親切であるように努めよ。
前田訳気をつけて、だれも悪に悪を報いないように。つねに互いにまたすべての人に善をおつとめなさい。
新共同だれも、悪をもって悪に報いることのないように気をつけなさい。お互いの間でも、すべての人に対しても、いつも善を行うよう努めなさい。
NIVMake sure that nobody pays back wrong for wrong, but always try to be kind to each other and to everyone else.
註解: マタ5:44の教訓はキリスト者として特に強調せられし道徳であった。ペテロも(Uペテ3:9)パウロも(ロマ12:17)これを強調した。「目には目を」の一般の道徳水準に比して一段の高さにある。

ただ(あひ)(たがひ)に、また(すべ)ての(ひと)(たい)して(つね)(ぜん)()(もと)めよ。

註解: 「善」は道徳的の善を指す。常に凡ての人に対して善を行わんとする場合、復讐の念ごときは起り得ない。

5章16節 (つね)(よろこ)べ、[引照]

口語訳いつも喜んでいなさい。
塚本訳常に喜べ、
前田訳つねによろこび、
新共同いつも喜んでいなさい。
NIVBe joyful always;
註解: ピリ4:4。患難にも、不幸にも喜び得るはキリスト者の特権である。何となれば神の溢るる恩恵の中に生くるが故にその歓喜の大なるが故に他の小なる悲嘆に打勝ち得るからである。

5章17節 ()えず(いの)れ、[引照]

口語訳絶えず祈りなさい。
塚本訳絶え間なく祈れ、
前田訳たえまなくお祈りなさい。
新共同絶えず祈りなさい。
NIVpray continually;
註解: 神との絶えざる霊の交わりは絶えざる祈りとなる(エペ6:18。コロ4:2。ロマ12:12)。祈りは霊の呼吸である。

5章18節 (すべ)てのことを感謝(かんしゃ)せよ、[引照]

口語訳すべての事について、感謝しなさい。これが、キリスト・イエスにあって、神があなたがたに求めておられることである。
塚本訳(幸不幸、)何事についても(神に)感謝せよ。これ(ら三つ)は神がキリスト・イエスに於て君達に求め給うものである。
前田訳何につけても感謝なさい。それこそ神がキリスト・イエスにあってあなた方にお求めのことです。
新共同どんなことにも感謝しなさい。これこそ、キリスト・イエスにおいて、神があなたがたに望んでおられることです。
NIVgive thanks in all circumstances, for this is God's will for you in Christ Jesus.
註解: 喜びにおいても悲しみにおいても凡てにおいて感謝すべきである。何となれば神は愛にして、如何なることをも我らの幸福のために我らに給うが故である。

これキリスト・イエスに()りて(かみ)(なんぢ)らに(もと)(たま)(ところ)なり。

註解: 「これ」は「凡てのことを感謝せよ」を受くるものと見ることが最も適当であろう。すなわちこのことは神の要請であり御意である。神与え給う以上如何なることも感謝より外になきはずであり、従って神はまたこの感謝の心を喜び給う。

註解: 19−22節は霊のことに関す。御霊のこと、預言のこと等はみな常識以上の働きである故、自然一方には非常識なる狂信的態度となり、他方常識的立場より御霊を熄し、預言を蔑すようになる。ゆえにこれを試みて善を取り悪を棄つることを要する。

5章19節 御靈(みたま)()すな、[引照]

口語訳御霊を消してはいけない。
塚本訳(他人に燃えている)霊(の火)を消すな。
前田訳霊を消さないように。
新共同“霊”の火を消してはいけません。
NIVDo not put out the Spirit's fire;
註解: 霊のことに対して鋭敏なる感覚を保持しなければならない、時に御霊の働きと称して狂信的態度に陥る者があり、これを注意するべきではあるけれども、一面御霊は心の中に燃えていなければならない。これを消してはならない。御霊の火を消すのは罪の力である。

5章20節 預言(よげん)(なみ)すな、[引照]

口語訳預言を軽んじてはならない。
塚本訳(殊に)預言(する者があれば、それ)を軽蔑するな。
前田訳預言を軽んじないようにし、
新共同預言を軽んじてはいけません。
NIVdo not treat prophecies with contempt.
註解: 預言すと称してこれを濫用し、またはこれによりて人も欺き、またはこれによりて自ら迷いの中に陥る者らありその結果預言を蔑する者も生じたけれども、真の預言はかかるものではなく、神に代りて神の御旨を語るものである故これを蔑してはならぬ。

5章21節 (すべ)てのこと(こころ)みて()きものを(まも)り、[引照]

口語訳すべてのものを識別して、良いものを守り、
塚本訳何事についても真偽を見別け、善いもの(だけ)を保存せよ。
前田訳すべてを見分けて、よいものを守り、
新共同すべてを吟味して、良いものを大事にしなさい。
NIVTest everything. Hold on to the good.

5章22節 (すべ)(あく)(たぐひ)(とほ)ざかれ。[引照]

口語訳あらゆる種類の悪から遠ざかりなさい。
塚本訳“あらゆる”種類の“悪に遠ざかれ”。
前田訳あらゆる形の悪を避けてください。
新共同あらゆる悪いものから遠ざかりなさい。
NIVAvoid every kind of evil.
註解: 御霊のこと、預言のことの中にも善きものと悪しきものとあり、これを試みることが必要である。またその他の事柄につきてもこれを試験し検討して善悪の区別を明らかにし、善をばこれを守り悪の類をばこれを遠ざけなければならぬ。

3-3-ロ 結尾の祈 5:23 - 5:24  

5章23節 (ねが)はくは平和(へいわ)(かみ)、みづから(なんぢ)らを(まった)(きよ)くし、[引照]

口語訳どうか、平和の神ご自身が、あなたがたを全くきよめて下さるように。また、あなたがたの霊と心とからだとを完全に守って、わたしたちの主イエス・キリストの来臨のときに、責められるところのない者にして下さるように。
塚本訳願わくは、平和の神自ら君達を潔め尽くし、私達の主イエス・キリストの来臨の時咎められることの無いように、君達の霊と心と体を完全に守り給わんことを。
前田訳平和の神ご自身があなた方をくまなくお聖めになり、あなた方の霊と心と体を健やかに保って、われらの主イエス・キリストの来臨に際してとがなくしてくださいますように。
新共同どうか、平和の神御自身が、あなたがたを全く聖なる者としてくださいますように。また、あなたがたの霊も魂も体も何一つ欠けたところのないものとして守り、わたしたちの主イエス・キリストの来られるとき、非のうちどころのないものとしてくださいますように。
NIVMay God himself, the God of peace, sanctify you through and through. May your whole spirit, soul and body be kept blameless at the coming of our Lord Jesus Christ.
註解: 最後にパウロはテサロニケの信徒に関して神に対する祈願、厳密に言えば希望を述べている。その第一は平和の神御自身がテサロニケの信徒を全く潔くすることである。聖潔はイエスの再臨を待望む聖徒に欠くべからざる性質である。

(なんぢ)らの(れい)(こころ)(からだ)とを(まった)(まも)りて、(われ)らの(しゅ)イエス・キリストの(きた)(たま)ふとき()むべき(ところ)なからしめ(たま)はん(こと)を。

註解: 再臨のイエスの前に責むべき所なからんために我らは我らの全心、全霊、全体が神によりて完全に守られなければならぬ。かくして始めてイエスの再臨の時、憶するすることなくその御前に出づることができる。
辞解
[霊、心、体] この場合神の霊と見るよりも人の精神の最高の機関を指し、「心」は五官によりて刺激せられこれに対して働く心の部分であり、「体」とは肉体で、これは神の宮として常に神を迎えている場合始めて責むべき所なきものとなる。而して凡てこれらは神によりて守らるるより外に実現し得ない事実である。「霊」はパウロは一般に「神の霊」を指すけれどもここでは人間の霊で人間の精神の最高の機関として考えられ、「心」はそれより卑(ひく)きものとして取扱っている。

5章24節 (なんぢ)らを()したまふ(もの)眞實(まこと)なれば、(これ)()(たま)ふべし。[引照]

口語訳あなたがたを召されたかたは真実であられるから、このことをして下さるであろう。
塚本訳君達を召し給うお方は真実だから、このことをも(きっと)成し遂げ給うであろう。
前田訳あなた方をお招きの方はまことにいますゆえ、そうなさるでしょう。
新共同あなたがたをお招きになった方は、真実で、必ずそのとおりにしてくださいます。
NIVThe one who calls you is faithful and he will do it.
註解: 23、24節の祈願は一見実現困難のようであるが、汝らを召し給える神は真実に在すが故にその約束をば必ず実行したまうであろう。

分類
4 結尾の挨拶 5:25 - 5:28

5章25節 兄弟(きゃうだい)よ、(われ)らのために(いの)れ。[引照]

口語訳兄弟たちよ。わたしたちのためにも、祈ってほしい。
塚本訳兄弟達よ、私達のために【も】祈ってくれ。
前田訳兄弟よ、われらのためにもお祈りください。
新共同兄弟たち、わたしたちのためにも祈ってください。
NIVBrothers, pray for us.
註解: 伝道者や使徒は信仰の指導者である関係上他人のために祈るべき人であり、一見他人より祈ってもらう必要がないかのごとくに思われているけれども反対に最も多く祈ってもらう必要がある。サタンは最も激しく信仰の勇者を攻撃するからである(Uテサ3:1。エペ6:20)。

5章26節 きよき接吻(くちつけ)をもて(すべ)ての兄弟(きゃうだい)安否(あんぴ)()へ。[引照]

口語訳すべての兄弟たちに、きよい接吻をもって、よろしく伝えてほしい。
塚本訳潔い接吻で兄弟一同に宜しく(と伝えてくれ)。
前田訳きよい口づけですべての兄弟によろしくお伝えください。
新共同すべての兄弟たちに、聖なる口づけによって挨拶をしなさい。
NIVGreet all the brothers with a holy kiss.
註解: 接吻はギリシャおよび西部アジア地方の挨拶の形式であった(ロマ16:16註参照)。本書簡はテサロニケ教会の主脳者に渡され、それらの人々が、凡ての兄弟に安否を問うことを命じている。すなわち主脳者を中心とする全教会の一致の姿である。

5章27節 (しゅ)によりて(なんぢ)らに(めい)ず、この(ふみ)(すべ)ての兄弟(きゃうだい)()()かせよ。[引照]

口語訳わたしは主によって命じる。この手紙を、みんなの兄弟に読み聞かせなさい。
塚本訳主に誓って君達に願う、兄弟一同にこの手紙を読み聞かせよ。
前田訳主によってお願いします。この手紙をすべての兄弟に読み聞かせてください。
新共同この手紙をすべての兄弟たちに読んで聞かせるように、わたしは主によって強く命じます。
NIVI charge you before the Lord to have this letter read to all the brothers.
註解: 教会の主脳者たちがこれを凡ての兄弟に読みきかせることをパウロは絶対的要求として指示している。その故はこの書簡が重要なる内容を有するからでもあり、殊にパウロがテサロニケの兄弟たちの全部を心に置きつつこれを認(したた)めたのであった少数の主脳者たちのみを目的に書いたのではないからである。
辞解
[主によりて汝らに命ず] 「主によりて汝らに誓いて命ず」というごとき意味で極めて厳粛なる命令である。パウロがかかる態度を取りたる理由として種々の推測が行われ、或はテサロニケには最初に回心せるユダヤ人の信者がありこれが他の人々と不和であるために全体に及ばないことを恐れたと想像され(W2)、または主脳者たちがこれを私用してしまうことを恐れたためと考えられ、その他種々のことが考えられているけれども前掲註のごとくであろう。

5章28節 (ねが)はくは(しゅ)イエス・キリストの恩惠(めぐみ)、なんぢらと(とも)()らんことを。[引照]

口語訳わたしたちの主イエス・キリストの恵みが、あなたがたと共にあるように。
塚本訳願わくは私達の主イエス・キリストの恩恵、君達と共にあらんことを!
前田訳われらの主イエス・キリストの恵みがあなた方とともにありますように。
新共同わたしたちの主イエス・キリストの恵みが、あなたがたと共にあるように。
NIVThe grace of our Lord Jesus Christ be with you.
註解: パウロがその書簡の結尾に用いた形式で、豊かなる内容を有している言葉である(Tコリ16:23その他)。なおこれに神の愛、聖霊の交わりを加えて三位の神に呼びかけている場合もある(Uコリ13:13)。