コリント人への後の書

 

[本書を認めし由来] コリント前書を認めし後、幾何もなくしたエペソにおける騒動(使19:32-41)の結果、パウロはエペソを去ってマケドニヤに向かいトロアスに着いた。先に彼はテトスをコリントに遣わして、Tコリがコリントの教会に如何なる影響を与えたかを窺(うかが)はしめ、その帰路トロアスにおいて彼と出逢いコリントの教会の実状を聞かんことを予想したけれども、彼は未だトロアスにこなかったがために(2:13)その目的を達し得ずしてマケドニヤに渡り、そこにてテトスに逢い(7:5以下)彼よりコリントの教会の状況を聞く事ができた。その情報の中には喜ぶべきことと悲しむべきことを含んで居った。喜信と目すべきものは、コリント前書(56章等)によって彼らの悔改めしこと(5:9)パウロを慕うことの切なること(7:7)等であって、悲しむべきことはパウロの反対者らが、パウロの使途たるの権威を否定し、彼の動機を疑い(1:17)または金銭上の疑惑までかけ(12:16)彼の言語態度をすら非難して(10:1)彼の信用を傷つけんとしておることであった。この歓喜と悲憤の感情が溢れて本書となったのである。

 

[本書の目的と内容] 以上のごとき由来をもつ本書は、パウロがコリントに至る前にこの悲しむべき状態を改め、何のわだかまりも無くパウロを迎えることを得るようにする為であった(12:19-2113:10)。従って全書簡に溢れて居る内容は、正しき福音の弁護と自己に対する非難の反対とである。そしてパウロの性格とその喜怒の情とが最も著しく本書において表れて居り、かつ彼とコリントの教会との関係そのものが、皆キリストに対する彼の信仰の反射であることが全文に満ちて居るのを見ることができる。故に本書の内容はロマ書、コリント前書、エペソ書等のごとく教理の点が主となって居るのではなく、パウロとコリント教会との個人的の関係がその内容の大部分を占めているのである。

 

[時と場所] 前述のごとく本書はマケドニヤにおいて書かれたのである。古き写本にはピリピよりと附記せるものもあり、あるいは事実ならんもこれを証明することは困難である。時はコリント前書の書かれし翌年即ち57年ごろならん。

 

[本書の特質] パウロの反対党の人々は彼の人格的特質を捕らえ、これを曲解して彼を非難するの材料とした。しかしパウロはすべての場合いおいて信仰に立ちて行って居ったのであることを、本書において力説して居る。それゆえに本書の特質とも見るべきものは、特権の人格の中に福音を盛る時、その人格が如何に働き如何なる結果を来たすかを見る上に、多くの教訓を与える点であって、信仰が単に教理の問題にあらず、日常のすべての行動の原動力であることをこの書において学ぶことができる。

 

[本書の結果] 本書がコリントの教会に如何なる結果を与えしかはこれを知ることができない。ただパウロはその計画を遂行してコリントに至り、そこよりロマ書を認めたことだけが知られているに過ぎない。