コリント人への前の書

 

 [コリントの状態] コリントはギリシャの大都市であつて、紀元前一四六年ムンミウスによりて破壊されて後、約百年にしてシーザーは之を再建してローマの殖民地とし、総督を茲に駐在せしめた。アカヤの主都であり、東西に海を控え、アジアとローマ地方との交通路に当つて居り、パウロの時代に於ては富裕にして繁華なる商業都市であった。運動競技が盛であつたのみならず(9:24-27)、哲学も亦盛であつた(1:19以下)。有名なる偶像アフロデットの神殿があり(8:1以下)、其の附近には千人以上の賤業婦が居つたと記されて居る。従て全市に淫風吹き荒び、基督者すらも之に感化されずに居なかつた(5:1以下)。ロマ1:18-32の道徳的腐敗の状態をパウロはコリントに於て認めた。諺に淫蕩の行為に耽る事を Korinthiazesthai「コリントの如くす」と云う語を用いるに至つた程である。此の不道徳にして而も一方学術文芸の盛な点が本書の背景を為して居るのであつて、本書の理解上重要な点である。

 

[コリントの教会とパウロとの関係] 紀元五十年頃パウロはシルワノ、テモテと共に(使18:5。IIコリ1:19)アテネよりコリントに来て其処に福音を伝えた。従つて彼は此の地の教会の創設者であつた(4:12。9:1以下。IIコリ11:7-9)。彼は其地に於てアクラ、プリスキラの夫婦なる信者の家に宿り、同業の故を以て天幕製造に従事し、自活しつつ福音を伝えた(使18:1-4)。始めはユダヤ人の会堂に於て福音を伝えて居つたけれども、ユダヤ人の反対に逢ひユストなる改宗者の家に在り一年半の間滞在して其処に教会の基礎を置く事が出来た。信者は主として異邦人でありユダヤ人も之に混じ下流の人々が多かつた(1:26。7:18)。パウロは此の大都市に在りて戦々競々として伝道したとの事である(2:1-4)。パウロ去つて後アポロ此の地に来て伝道する様になつた(使18:24-。Iコリ3:5-9)。

 

[時と場所] パウロはエペソより此の書翰を認めた(16:3-8)。是より以前に他に一回コリント人に向け書面を認めたけれども此の書面は紛失してしまつた(5:9)。時代は紀元五十六年頃ならん。

 

[コリント前書の由来] 此の書翰を認むるに至つた由来は、此頃コリントの信者より書面がパウロの許に達し、其中に提出されし多くの質問に答うる為め、又其の持参者より聞伝えし事に就てパウロの憂うる処を吐露せんがためであつた。伝聞せし事柄の中主要のものは、教会の分争の事柄であつた(1:11)。彼は此の問題に始めの四章を費して居る。其他信者の破倫(5:1-)、信者相互の訴訟(6:1-)、信者の淫行(6:9-)等に就てであつて、コリントよりの書翰の内容は結婚問題(7章)偶像にささげし肉に関する問題(8-9:1)愛餐の問題(11章)霊の賜物の問題(12章)死者の復活の問題(15章)等であつた。是等に関して一々親切なる答弁を与えて居る。

 

[本書の特質] コリント前書はロマ書の如くに教理上の問題にあらずして、実際問題を主として取扱つた点に於て其の特徴を持つて居る(第15章は例外)。而して本書の最も驚くべき点はパウロの是等の諸問題に対する解決は一時的姑息のものにあらず、又当時の事情や境遇に捕われたる解決にあらずして、凡ての問題に於て純粋に霊的立場に立ち、聖霊の指導によりて根本的に諸問題を解決した点に存して居る。