黒崎幸吉著 註解新約聖書 Web版ルカ伝

ルカ伝第8章

分類
4 伝道の前進 6:12 - 8:56
4-6 弟子たることに関する校訓 8:1 - 8:21
4-6-イ イエスに従う人々 8:1 - 8:3  

註解: 6:20以下7:50までルカはマルコ伝に欠けている材料のみを排列していたけれども8:4−9:50は再びマルコ伝の順序に従って記事を進めている。この間の特徴は、イエスが専ら巡回伝道に従事し給えること、弟子たちの活動の場合を一層多くしたこと、また弟子たちの訓練に特に力を入れたことである。8:1−3はその緒言である。

8章1節 この(のち)イエス(をしへ)()べ、(かみ)(くに)福音(ふくいん)(つた)へつつ、町々(まちまち)村々(むらむら)(まは)(たま)ひしに、十二(じふに)弟子(でし)(ともな)ふ。[引照]

口語訳そののちイエスは、神の国の福音を説きまた伝えながら、町々村々を巡回し続けられたが、十二弟子もお供をした。
塚本訳その後、イエスは町から町、村から村へと回りながら、神の国を説き、その福音を伝えられた。十二人(の弟子)がお供をした。
前田訳そののち彼は町々村々をまわって神の国をのべ伝え、その福音を説かれた。十二人がお伴をした。
新共同すぐその後、イエスは神の国を宣べ伝え、その福音を告げ知らせながら、町や村を巡って旅を続けられた。十二人も一緒だった。
NIVAfter this, Jesus traveled about from one town and village to another, proclaiming the good news of the kingdom of God. The Twelve were with him,
註解: 十二弟子の選任は6:12−16において行われたのであったが、その後7:11以外は弟子の活躍せる様子が見えず、主としてイエスの活躍と説教とが中心であった。

8章2節 また(まへ)()しき(れい)()()され、(やまひ)(いや)されなどせし(をんな)たち、(すなは)(なな)つの惡鬼(あくき)のいでしマグダラと()ばるるマリヤ、[引照]

口語訳また悪霊を追い出され病気をいやされた数名の婦人たち、すなわち、七つの悪霊を追い出してもらったマグダラと呼ばれるマリヤ、
塚本訳また悪霊や病気をなおしていただいた数名の女たち、すなわち、七つの悪鬼を追い出されたマグダラの女と呼ばれたマリヤと、
前田訳悪霊や病からいやされた何人かの女たち、すなわち、七人の霊から解放されたマグダラの女ことマリヤ、
新共同悪霊を追い出して病気をいやしていただいた何人かの婦人たち、すなわち、七つの悪霊を追い出していただいたマグダラの女と呼ばれるマリア、
NIVand also some women who had been cured of evil spirits and diseases: Mary (called Magdalene) from whom seven demons had come out;

8章3節 ヘロデの(いへ)(つかさ)クーザの(つま)ヨハンナ(およ)びスザンナ、()(ほか)にも(おほ)くの(をんな)ともなひゐて、()財産(ざいさん)をもて(かれ)らに(つか)へたり。[引照]

口語訳ヘロデの家令クーザの妻ヨハンナ、スザンナ、そのほか多くの婦人たちも一緒にいて、自分たちの持ち物をもって一行に奉仕した。
塚本訳ヘロデ(・アンデパス王)の家令クーザの妻ヨハンナと、スザンナと、そのほか大勢の女たちも一しょであった。女たちは自分の財産を持ち出して、みなを賄った。
前田訳ヘロデの家令クーザの妻ヨハンナとスザンナ、そのほか多くの女たちもいっしょであった。彼女らは自分の財産を出して彼らに奉仕した。
新共同ヘロデの家令クザの妻ヨハナ、それにスサンナ、そのほか多くの婦人たちも一緒であった。彼女たちは、自分の持ち物を出し合って、一行に奉仕していた。
NIVJoanna the wife of Cuza, the manager of Herod's household; Susanna; and many others. These women were helping to support them out of their own means.
註解: 四福音書中婦人に関し特に注意深く録しているのはルカである。婦人の愛はイエスをその苦難の中に慰め、その奉仕は彼らの伝道を助けること多大であった。
辞解
[マグダラ] ガリラヤの西岸の小村落。このマリヤは七つの悪鬼による特に重き病から醫された女であった。イエスの死、埋葬、復活の記事に重要な地位を占めている(24:10。マタ27:56、61。28:1。マコ15:40。16:1。ヨハ19:25。20:1−18)。
[ヘロデ] ヘロデ・アンテパスでヘロデ大王の子、クーザはその大蔵大臣のごときもの、その妻ヨハンナは当時寡婦であったものと思われる。この種の貴顕の助力は社会的に好影響が有ったろう。ヨハンナとスザンナはルカ伝のみに記されている(24:10)。
要義 [婦人と信仰]婦人の人格の完全に認められたのはイエスに始まる。これは神の子としての男子と婦人の平等を知っただけではなく、婦人が真の信仰を得る場合は始めて人格的に男子の尊敬を得るに足る性格を持つに至るからである。

4-6-ロ 種蒔きの譬え。弟子たる者の態度 8:4 - 8:15
(マタ13:1-23) (マコ4:1-20)  

8章4節 (おほい)なる群衆(ぐんじゅう)むらがり、町々(まちまち)(ひと)みもとに()(つど)ひたれば、(たとへ)をもて()ひたまふ、[引照]

口語訳さて、大ぜいの群衆が集まり、その上、町々からの人たちがイエスのところに、ぞくぞくと押し寄せてきたので、一つの譬で話をされた、
塚本訳(ある時)大勢の群衆が集まり、また町々からも人々が押しよせてきたので、イエスは譬を用いて話された、
前田訳大勢の群衆が集まり、町々からも人々が押しよせたので、彼は譬えでいわれた、
新共同大勢の群衆が集まり、方々の町から人々がそばに来たので、イエスはたとえを用いてお話しになった。
NIVWhile a large crowd was gathering and people were coming to Jesus from town after town, he told this parable:
註解: 場所も時も明示されていない。この種蒔きの譬話はマタイ、マルコも共にこれを掲げているがルカ伝は最も簡単である。ルカが農業にあまり興味を有たないためであろう。ただし内容の理解には差支えがない。

8章5節 (たね)()(もの)その(たね)()かんとて()づ。()くとき(みち)(かたは)らに()ちし(たね)あり、()みつけられ、また(そら)(とり)これを(ついば)む。[引照]

口語訳「種まきが種をまきに出て行った。まいているうちに、ある種は道ばたに落ち、踏みつけられ、そして空の鳥に食べられてしまった。
塚本訳「種まく人がその種をまきに出かけた。まく時に、あるものは道ばたに落ちた。踏みつけられたり、空の鳥が食ったりした。
前田訳「種まきが種をまきに出かけた。まくうちに、あるものは道ばたに落ちて、踏みつけられ、空の鳥が食べた。
新共同「種を蒔く人が種蒔きに出て行った。蒔いている間に、ある種は道端に落ち、人に踏みつけられ、空の鳥が食べてしまった。
NIV"A farmer went out to sow his seed. As he was scattering the seed, some fell along the path; it was trampled on, and the birds of the air ate it up.

8章6節 (いは)(うへ)()ちし(たね)あり、()()でたれど潤澤(うるほひ)なきによりて()る。[引照]

口語訳ほかの種は岩の上に落ち、はえはしたが水気がないので枯れてしまった。
塚本訳またほかのものは岩の上に落ちた。(生えるには)生えたが、湿り気がないので枯れてしまった。
前田訳あるものは岩の上に落ちた。生えたが、水気がないので枯れた。
新共同ほかの種は石地に落ち、芽は出たが、水気がないので枯れてしまった。
NIVSome fell on rock, and when it came up, the plants withered because they had no moisture.

8章7節 (いばら)(うち)()ちし(たね)あり、(いばら)(とも)()()でて(これ)(ふさ)ぐ。[引照]

口語訳ほかの種は、いばらの間に落ちたので、いばらも一緒に茂ってきて、それをふさいでしまった。
塚本訳またほかのものは茨の(根が張っている)中に落ちた。茨が一しょに生えて押えつけてしまった。
前田訳あるものは茨の間に落ちた。すると茨がいっしょに生えて押えつけた。
新共同ほかの種は茨の中に落ち、茨も一緒に伸びて、押しかぶさってしまった。
NIVOther seed fell among thorns, which grew up with it and choked the plants.

8章8節 ()()()ちし(たね)あり、()()でて(ひゃく)(ばい)()(むす)べり』[引照]

口語訳ところが、ほかの種は良い地に落ちたので、はえ育って百倍もの実を結んだ」。こう語られたのち、声をあげて「聞く耳のある者は聞くがよい」と言われた。
塚本訳またほかのものは善い地に落ちた。生えて(育って)百倍の実を結んだ。」こう言ったあとで、「耳の聞える者は聞け」と叫ばれた。
前田訳あるものはよい地に落ち、生えて百倍の実がなった」と。こういってから、「聞く耳あるものは聞け」と叫ばれた。
新共同また、ほかの種は良い土地に落ち、生え出て、百倍の実を結んだ。」イエスはこのように話して、「聞く耳のある者は聞きなさい」と大声で言われた。
NIVStill other seed fell on good soil. It came up and yielded a crop, a hundred times more than was sown." When he said this, he called out, "He who has ears to hear, let him hear."
註解: イエスはかく言いてその内容を群衆に説明し給わなかった。その理由は10節に示されている。それ故イエスはこの譬えを語ったまま暫く沈黙して後、次の語を発し給うた。

これらの(こと)()ひて(よば)はり(たま)ふ『きく(みみ)ある(もの)()くべし』

8章9節 弟子(でし)たち()(たとへ)如何(いか)なる(こころ)なるかを()ひたるに、[引照]

口語訳弟子たちは、この譬はどういう意味でしょうか、とイエスに質問した。
塚本訳弟子たちがこの譬はどういう意味かと尋ねると、
前田訳弟子たちがこの譬えの意味をおたずねすると、
新共同弟子たちは、このたとえはどんな意味かと尋ねた。
NIVHis disciples asked him what this parable meant.

8章10節 イエス()(たま)ふ『なんぢらは(かみ)(くに)奧義(おくぎ)()ることを(ゆる)されたれど、(ほか)(もの)(たとへ)にてせらる。(かれ)らの()()ず、()きて(さと)らぬ(ため)なり。[引照]

口語訳そこで言われた、「あなたがたには、神の国の奥義を知ることが許されているが、ほかの人たちには、見ても見えず、聞いても悟られないために、譬で話すのである。
塚本訳言われた、「あなた達(内輪の者)には、神の国の秘密をさとる力が授けられている(のでありのままに話す)が、ほかの人たちには譬をもって話すのである。これは(聖書にあるように、)“彼らが見ても見えず、聞いても悟らない”ようにするためである。
前田訳彼はいわれた、「あなた方には神の国の奥義を知ることがゆるされているが、ほかの人たちには譬えで話す。彼らが見ても見えず、聞いても悟らないためである。
新共同イエスは言われた。「あなたがたには神の国の秘密を悟ることが許されているが、他の人々にはたとえを用いて話すのだ。それは、/『彼らが見ても見えず、/聞いても理解できない』/ようになるためである。」
NIVHe said, "The knowledge of the secrets of the kingdom of God has been given to you, but to others I speak in parables, so that, "`though seeing, they may not see; though hearing, they may not understand.'
註解: 「為なり」は目的を表す。何故に弟子たち以外には神の国の奥義を解らせないのであるか。それは彼らに知らせないためであるとイエスは言い給う。この強い言はイザ6:9の引用で、神はさらにイザヤに命じて「なんぢこの民の心を鈍くし、その耳をものうくし、その眼をおほへ、恐らくはかれらその眼にて見その耳にてきき、その心にてさとり、翻りて醫さるることあらん」(イザ6:10)と言い給えるごとく、イエスをして民の目と耳とを塞がしめんとし給う意味である。すなわち不信の民の上に下る審判であるが、この審判は愛の審判で結局これにより彼らを励まし、彼らをして真理をさとらしめんがためである。事実、真理は譬諭の中に隠されており、表面に出ていない。しかも譬諭はこれを記憶し易い。そして熱心に真理を求める者はこの隠された真理を譬諭の中から取り出そうと努力することによって、かえって真理を発見する。すなわち隠されることによってかえって顕わされる。マタイ伝(13:13)はややこの語気を弱めている。なおマタ13:14、15に上掲イザ6:9、10を引用しているがそれは七十人訳によったものである。

8章11節 (たとへ)(こころ)(これ)なり。(たね)(かみ)(ことば)なり。[引照]

口語訳この譬はこういう意味である。種は神の言である。
塚本訳譬(の意味)はこうである。──種は神の御言葉である。
前田訳譬えはこうである。種は神のことばである。
新共同「このたとえの意味はこうである。種は神の言葉である。
NIV"This is the meaning of the parable: The seed is the word of God.
註解: この神の言を語るものはイエスであり、イエス自身が神の言である。そして弟子たちはこれを播く者である。

8章12節 (みち)(かたは)らなるは、()きたるのち、惡魔(あくま)きたり、(しん)じて(すく)はるる(こと)のなからんために、御言(みことば)をその(こころ)より(うば)(ところ)(ひと)なり。[引照]

口語訳道ばたに落ちたのは、聞いたのち、信じることも救われることもないように、悪魔によってその心から御言が奪い取られる人たちのことである。
塚本訳道ばたのものとは、(御言葉を)聞くと、あとで悪魔が来て、彼らを信じて救われることのないように、その心から御言葉をさらってゆく人たちである。
前田訳道ばたのものとは、聞くがそのあとで悪魔が来て、彼らが信じて救われないようにと、その心からことばを取り去る人々である。
新共同道端のものとは、御言葉を聞くが、信じて救われることのないように、後から悪魔が来て、その心から御言葉を奪い去る人たちである。
NIVThose along the path are the ones who hear, and then the devil comes and takes away the word from their hearts, so that they may not believe and be saved.
註解: 道路沿いの地は人に踏まれて固くなっているので種子が地中に入らない。習慣や伝統によって固まっている心には神の言は容易に深入りし得ず、信仰に入り難い。その間に種々の事情が、彼らの心より神の言を奪い彼らを救いから遠ざける。これはサタンの働きである。

8章13節 (いは)(うへ)なるは、()きて御言(みことば)(よろこ)()くれども、()なければ、(しばら)(しん)じて嘗試(こころみ)のときに退(しりぞ)(ところ)(ひと)なり。[引照]

口語訳岩の上に落ちたのは、御言を聞いた時には喜んで受けいれるが、根が無いので、しばらくは信じていても、試錬の時が来ると、信仰を捨てる人たちのことである。
塚本訳岩の上のものとは、御言葉を聞く時、喜んで受け入れるが、この人たちには(しっかりした信仰の)根がないので、その当座は信じているが、試みの時に離れおちる人たちである。
前田訳岩の上のものとは、聞いてよろこんで受け入れるが、この人たちは根がないので、しばらくは信じているが試みの時に離れる人々である。
新共同石地のものとは、御言葉を聞くと喜んで受け入れるが、根がないので、しばらくは信じても、試練に遭うと身を引いてしまう人たちのことである。
NIVThose on the rock are the ones who receive the word with joy when they hear it, but they have no root. They believe for a while, but in the time of testing they fall away.
註解: 岩の上は土壌が薄い、路傍とはちがい習慣や伝統に踏み固められていない故、如何なる真理でも容易に受ける。岩は太陽熱を受けて種子の発育を早める。感じ易い人、軽薄な人、単純な人に相当する。かかる人は急に一時信仰に燃えるけれども間もなく枯死する。日光や熱の甞試(しょうし)に耐え得ないからである。「退く」は信仰を離れること。

8章14節 (いばら)(うち)()ちしは、()きてのち()ぐるほどに、()心勞(こころづかひ)財貨(たから)快樂(けらく)とに(ふさ)がれて(みの)らぬ(ところ)(ひと)なり。[引照]

口語訳いばらの中に落ちたのは、聞いてから日を過ごすうちに、生活の心づかいや富や快楽にふさがれて、実の熟するまでにならない人たちのことである。
塚本訳茨の中に落ちたもの、これは(御言葉を)聞く(と、しばらくは信じている)が、とかくするうちに人生の心配や富や快楽に押えつけられて、実の熟さない人たちである。
前田訳茨の間に落ちたものとは、聞いて、人生のわずらいや富や快楽に押えられて、実らない人々である。
新共同そして、茨の中に落ちたのは、御言葉を聞くが、途中で人生の思い煩いや富や快楽に覆いふさがれて、実が熟するまでに至らない人たちである。
NIVThe seed that fell among thorns stands for those who hear, but as they go on their way they are choked by life's worries, riches and pleasures, and they do not mature.
註解: 素質は福音を受け納るるに適しているけれども、現世的慾望をも強く心に蔵している種類の人である。かかる人はこの世の慾に支配されて神の言の種子を発育せしめない。まずこの世の何たるか、その頼りなきものなることを認め、神に祈ってその慾求を除去されるより外にない。

8章15節 ()()なるは、御言(みことば)()き、(ただ)しく()(こころ)にて(これ)(まも)り、(しの)びて()(むす)(ところ)(ひと)なり。[引照]

口語訳良い地に落ちたのは、御言を聞いたのち、これを正しい良い心でしっかりと守り、耐え忍んで実を結ぶに至る人たちのことである。
塚本訳しかし良い地のもの、これは御言葉を聞くと、りっぱな善い心でこれをしっかり守り、忍耐をもって実を結ぶ人たちである。
前田訳よい地のものとは、よい正しい心でみことばを聞いて守り、忍耐をもって実る人々である。
新共同良い土地に落ちたのは、立派な善い心で御言葉を聞き、よく守り、忍耐して実を結ぶ人たちである。」
NIVBut the seed on good soil stands for those with a noble and good heart, who hear the word, retain it, and by persevering produce a crop.
註解: 正しく善き心は伝統や習慣に支配されず、それらの中から善悪を見分け得る心であり、またあらゆる世の試誘に対し忍耐をもってこれに耐え得る者には多くの果が結ばれる。柔らかくして深みがあり、雑草の繁茂を許さざる土壌が良き地であると同じく、かかる心に播かれし種は多くの果を結ぶ。なおマタ13:23要義一、二参照。
要義1 [我が心の土壌]人は遺伝・家庭・教養・環境等の影響下に、種々の心の土壌が出来上って来るのであって、我らは充分に自己を反省して、自己の心の性格を明らかにしなければならない。そして一見これらの性格の大部分は宿命的に固定しているかのごとくであるけれども、農夫が開拓と肥料と、異なる性質の土壌を混合すること等によって土質を変化するのと同様、我らの心の土質もある程度の変更は可能であり、また必要である。また我らは神の言の力をその真の力をもって我らの上に及ぼすならば、小粒の原子爆弾が一都市を破壊するごとく、我らの心の岩や、踏みなれた道路をも打砕くことができる。種播きの譬喩の示す四種の土地は各人に宿命的に固定して動かし得ないものと考えてはならない。
要義2 [性格の差]良き地、良き土壌とても凡てがみな同一の性質ではなく、また同一であってはならない。異なった性格の土壌は異なった植物に適当する。これと同様人間の性格の際は決して詛わるべきものではなく、かえって神の御旨である。各々異なった性格を有しつつみなこれを良き地とすることができる。路傍の地・石地・茨の地等は土地そのものの性格というよりもむしろその遺伝・環境・教養等の結果である場合が多い。

4-6-ハ 世の光となれ 8:16 - 8:18
(マコ4:21-25)   

8章16節 (たれ)燈火(ともしび)をともし(うつは)にて(おほ)ひ、または寢臺(ねだい)(した)におく(もの)なし、()(きた)(もの)のその(ひかり)()んために、(これ)燈臺(とうだい)(うへ)()くなり。[引照]

口語訳だれもあかりをともして、それを何かの器でおおいかぶせたり、寝台の下に置いたりはしない。燭台の上に置いて、はいって来る人たちに光が見えるようにするのである。
塚本訳(しかし外の人たちに神の国の秘密が隠されるのは、ただしばらくである。)だれも明りをつけて器でおおい隠したり、寝台の下に置いたりする者はない。(部屋に)入ってくる者にその光が見えるように、かならず燭台の上に置くのである。
前田訳だれも明りをつけて器でおおったり寝台の下に置いたりはしない。入って来る人に光が見えるように、燭台の上に置く。
新共同「ともし火をともして、それを器で覆い隠したり、寝台の下に置いたりする人はいない。入って来る人に光が見えるように、燭台の上に置く。
NIV"No one lights a lamp and hides it in a jar or puts it under a bed. Instead, he puts it on a stand, so that those who come in can see the light.
註解: 蝋燭でもランプでも蝋や油自身に光は無いが外からこれに火を点ずれば光を放つ。イエスの弟子たちも彼ら自身が光るのではないが、イエスに火を点ぜらる場合光を放つ。この光はこれを隠さず、凡ての人を照らしてこれに真理を示し道を照らさなければならない。これが弟子たちの使命でる。

8章17節 それ(かく)れたるものの(あらは)れぬはなく、()め(られ)たるものの()られぬはなく、(あきら)かにならぬはなし。[引照]

口語訳隠されているもので、あらわにならないものはなく、秘密にされているもので、ついには知られ、明るみに出されないものはない。
塚本訳隠れているものであらわにならぬものはなく、隠されているもので(人に)知られず、また現われないものもないからである。
前田訳隠れたものであらわにならぬものはなく、秘められたもので知られぬままで明るみに出ないものはない。
新共同隠れているもので、あらわにならないものはなく、秘められたもので、人に知られず、公にならないものはない。
NIVFor there is nothing hidden that will not be disclosed, and nothing concealed that will not be known or brought out into the open.
註解: それ故に聴いたことはこれを行為に顕わさなければならぬ。学んだことはこれを人に教えなければならぬ。桝の下に置く燈火は消え、実行に顕わさず他に与えない真理は死骸となる。

8章18節 されば(なんぢ)()くこと如何(いか)にと(こころ)せよ、[引照]

口語訳だから、どう聞くかに注意するがよい。持っている人は更に与えられ、持っていない人は、持っていると思っているものまでも、取り上げられるであろう」。
塚本訳だから、気をつけよ、聞き方が大切である。(よく聞いて守れ。)持っている人は(さらに)与えられ、持たぬ人は、持っていると思うものまで取り上げられるのである。」
前田訳それゆえ、聞きかたに心せよ。持つ人は与えられ、持たぬ人は持つと思うものまでも取られる」と。
新共同だから、どう聞くべきかに注意しなさい。持っている人は更に与えられ、持っていない人は持っていると思うものまでも取り上げられる。」
NIVTherefore consider carefully how you listen. Whoever has will be given more; whoever does not have, even what he thinks he has will be taken from him."
註解: 「如何に聴くべきかに注意せよ」と訳すべし。良き地に播かれし種のように、正しく聴く場合は、聴いた真理がその人の真の所有となる。正しく聴くとは、真理を聴いてこれを実行することである(21節)。

(たれ)にても()てる(ひと)はなほ(あた)へられ、()たぬ(ひと)はその()てりと(おも)(もの)をも()らるべし』

註解: 有てる人は教えを聴いてこれを実行し、またこれを人に伝える人である。かかる人は実行によって教えが自己の生命と化し、さらに新たに真理を求めてこれを自己のものとする。また人に与えることによってあたかも水道の中の水のように、新たなる水が水源から供給される。これに反し教えを聴いてこれを実行せず、またこれを人に伝えないものはそれが自己の生命とならず、また水溜りの水のごとく死滅し腐敗する。これは有てるにあらず有てりと思っているに過ぎない。マタイ伝、マルコ伝に「有てるものをも」とあるは言い方としては不精確である。
要義 [世の光、地の塩]真理はこれを他に与うることに由ってこの使命を全うし、かつ自らも益々豊かになるものである。蝋は自らを燃やすことによってその光を増し、塩は自己を溶かすことによって益々多くの味を与える。水道の水はこれを流れ出さしめることによって新鮮さを保ち、新しい水の供給を受ける。イエスの弟子はその与えられた真理を他に与うることによって益々その使命を全うし、かつ益々与えられる結果となる。伝道心なき信徒の信仰は死滅し、枯渇し、生命を失う。

4-6-ニ 真の父母兄弟姉妹 8:19 - 8:21
(マタ12:46-50) (マコ3:31-35)  

8章19節 さてイエスの(はは)兄弟(きゃうだい)(きた)りたれど、群衆(ぐんじゅう)によりて(ちか)づくこと(あた)はず。[引照]

口語訳さて、イエスの母と兄弟たちとがイエスのところにきたが、群衆のためそば近くに行くことができなかった。
塚本訳(ある時)イエスの母と兄弟たちがイエスの所に来たが、人だかりのため、そばへ行くことができなかった。
前田訳彼の母と兄弟が彼のところに来たが、群衆のためいっしょになれなかった。
新共同さて、イエスのところに母と兄弟たちが来たが、群衆のために近づくことができなかった。
NIVNow Jesus' mother and brothers came to see him, but they were not able to get near him because of the crowd.

8章20節 (ある)(ひと)イエスに『なんぢの(はは)兄弟(きゃうだい)と、(なんぢ)()はんとて(そと)()つ』と()げたれば、[引照]

口語訳それで、だれかが「あなたの母上と兄弟がたが、お目にかかろうと思って、外に立っておられます」と取次いだ。
塚本訳人々が「母上と兄弟がたが、お会いしたいと外に立っておられます」と知らせると、
前田訳「母上とご兄弟方がお会いしたいと外にお立ちです」と知らせがあった。
新共同そこでイエスに、「母上と御兄弟たちが、お会いしたいと外に立っておられます」との知らせがあった。
NIVSomeone told him, "Your mother and brothers are standing outside, wanting to see you."

8章21節 (こた)へて()ひたまふ『わが(はは)わが兄弟(きゃうだい)は、(かみ)(ことば)()き、かつ(おこな)(これ)らの(もの)なり』[引照]

口語訳するとイエスは人々にむかって言われた、「神の御言を聞いて行う者こそ、わたしの母、わたしの兄弟なのである」。
塚本訳イエスは答えられた、「わたしの母、わたしの兄弟は、神の御言葉を聞いて行う人たちである。」
前田訳彼は答えられた、「わが母、わが兄弟は、神のことばを聞いて行なう人々である」と。
新共同するとイエスは、「わたしの母、わたしの兄弟とは、神の言葉を聞いて行う人たちのことである」とお答えになった。
NIVHe replied, "My mother and brothers are those who hear God's word and put it into practice."
註解: マタイ伝とマルコ伝には一層詳細にこの光景を叙述しているけれども、内容においては大差はない。ルカは「神の言を聴き、かつ行ふ」ということによって18節との思想の関連をもたしめている。肉の父母兄弟はこの世限りの父母兄弟であり、神にある父母兄弟は永遠の父母兄弟である。而して神にあるとは神の言を聴いてこれを行う者をいう。肉親のみを重んずる者は肉親以外の者を疎んずる。これに反し主にある父母兄弟を愛する者は肉の父母兄弟をも愛する。

4-7 奇蹟の数々 8:22 - 8:56
4-7-イ 風浪を静め給う。 8:22 - 8:25
(マタ8:23-27) (マコ4:35-41)  

8章22節 (ある)()[引照]

口語訳ある日のこと、イエスは弟子たちと舟に乗り込み、「湖の向こう岸へ渡ろう」と言われたので、一同が船出した。
塚本訳ある日のこと、イエスは弟子たちと舟に乗って、「湖の向こう岸に渡ろう」と言われるので、船出した。
前田訳ある日のこと、彼は弟子たちと小舟に乗って、「湖の向こう岸へ渡ろう」といわれるので、船出した。
新共同ある日のこと、イエスが弟子たちと一緒に舟に乗り、「湖の向こう岸に渡ろう」と言われたので、船出した。
NIVOne day Jesus said to his disciples, "Let's go over to the other side of the lake." So they got into a boat and set out.
註解: 種蒔きの譬えを語り給える日の夕方であった。マコ4:35。

イエス弟子(でし)たちと(とも)(ふね)()りて『みづうみの彼方(かなた)にゆかん』と()(たま)へば、(すなは)船出(ふなで)す。

8章23節 (わた)るほどにイエス(ねむ)りたまふ。颶風(はやて)みづうみに()(おろ)し、(ふね)(みづ)滿()ちんとして(あやふ)かりしかば、[引照]

口語訳渡って行く間に、イエスは眠ってしまわれた。すると突風が湖に吹きおろしてきたので、彼らは水をかぶって危険になった。
塚本訳渡ってゆくうちに、イエスは寝入ってしまわれた。すると突風が湖に吹きおろし、彼らは水をかぶって危険になった。
前田訳渡る間に、彼は眠り込まれた。すると突風が湖に吹きおろし、彼らは波をかぶってあぶなくなった。
新共同渡って行くうちに、イエスは眠ってしまわれた。突風が湖に吹き降ろして来て、彼らは水をかぶり、危なくなった。
NIVAs they sailed, he fell asleep. A squall came down on the lake, so that the boat was being swamped, and they were in great danger.

8章24節 弟子(でし)たち御側(みそば)により、()(おこ)して()ふ『(きみ)よ、(きみ)よ、(われ)らは(ほろ)ぶ』イエス()きて(かぜ)(なみ)とを(いやし)(たま)へば、ともに(しづま)りて(なぎ)となりぬ。[引照]

口語訳そこで、みそばに寄ってきてイエスを起し、「先生、先生、わたしたちは死にそうです」と言った。イエスは起き上がって、風と荒浪とをおしかりになると、止んでなぎになった。
塚本訳弟子たちがそばに来て、「先生、先生、わたし達は溺れます」と言ってイエスを起した。イエスが目をさまして風と浪とを叱りつけられると、(たちどころに)静まって、凪になった。
前田訳彼らはおそばへ来て、「先生、先生、おぼれます」といってお起こしした。彼が目を覚まして風と波をたしなめられると、静まって凪になった。
新共同弟子たちは近寄ってイエスを起こし、「先生、先生、おぼれそうです」と言った。イエスが起き上がって、風と荒波とをお叱りになると、静まって凪になった。
NIVThe disciples went and woke him, saying, "Master, Master, we're going to drown!" He got up and rebuked the wind and the raging waters; the storm subsided, and all was calm.

8章25節 かくて弟子(でし)たちに()(たま)ふ『なんぢらの信仰(しんかう)いづこに()るか』かれら(おそ)(あや)しみて(たがひ)()ふ『こは(たれ)ぞ、(かぜ)(みづ)とに(めい)(たま)へば(したが)ふとは』[引照]

口語訳イエスは彼らに言われた、「あなたがたの信仰は、どこにあるのか」。彼らは恐れ驚いて互に言い合った、「いったい、このかたはだれだろう。お命じになると、風も水も従うとは」。
塚本訳彼らに言われた、「あなた達の信仰はどこにあるのか。」弟子たちは驚き恐れて、「この方はいったいだれだろう、この方が命令されると、風も水も、その言うことを聞くのだが」と語り合った。
前田訳彼はいわれた、「あなた方の信仰はどこにあるのか」と。彼らはおそれ、おどろき、互いに語りあった、「この方はいったいだれだろう、お命じになると風も波も従うとは」と。
新共同イエスは、「あなたがたの信仰はどこにあるのか」と言われた。弟子たちは恐れ驚いて、「いったい、この方はどなたなのだろう。命じれば風も波も従うではないか」と互いに言った。
NIV"Where is your faith?" he asked his disciples. In fear and amazement they asked one another, "Who is this? He commands even the winds and the water, and they obey him."
註解: 第一に注意すべきことはイエスが沈みかかっている舟の中で熟睡していたということである。生命を神に委(まか)せたものの信仰的態度である。第二に弟子たちの懼れ戦いている態度である。神の言を人に伝える使命を持たされた弟子としては、この場合主の態度と同じ態度に出づべきであった。然るに狼狽して主を呼び起した。第三にイエスが風と浪とを禁(いまし)め給うたその態度であった。風は気圧の差異から生ずるのであってイエスの言に従うはずがないと人は考える。しかし神にはその気圧を動かす力があると考えなければならない。イエスは時々神の子としての力を表わし給うた。第四にイエスの弟子たちを叱責し給えるその言の力強さである。弟子たちは終生この御言を忘れ得なかったであろう。第五に「こは誰ぞ」との驚愕の叫びである。やがて彼らはイエスの神の子に在し給うことを知るに至った。神の子の姿の著しい発露を我らはこの一つの出来事の中に見ることができる。

4-7-ロ 狂人を醫し豚を海に溺れしめ給う。 8:26 - 8:39
(マタ8:28-34) (マコ5:1-20)  

8章26節 (つい)にガリラヤに(むか)へるゲラセネ(ひと)()()く。[引照]

口語訳それから、彼らはガリラヤの対岸、ゲラサ人の地に渡った。
塚本訳かくて一行はガリラヤの向い側にあるゲラサ人の地に渡った。
前田訳彼らはゲラサ人の地に渡った。ガリラヤの向こう岸である。
新共同一行は、ガリラヤの向こう岸にあるゲラサ人の地方に着いた。
NIVThey sailed to the region of the Gerasenes, which is across the lake from Galilee.
註解: 異本にゲルゲセネとあり、これを採用する説もある(Z0)。ガリラヤ湖の東岸ガダラの南方ならんとのこと、紀元四百年頃はすでにその地名が喪失していたようである。イエスがこの地に行き給える目的はおそらく伝道のためではなく、ユダヤ人の群衆を離れて弟子たちのみを静かに教育するためであったろう。この記事は大体マルコ伝に近く若干の加除あり。

8章27節 (をか)(のぼ)りたまふ(とき)、その(まち)(ひと)にて惡鬼(あくき)()かれたる(もの)きたり()ふ。この(ひと)(ひさ)しきあひだ(ころも)()ず、また(いへ)()まずして(はか)(うち)にゐたり。[引照]

口語訳陸にあがられると、その町の人で、悪霊につかれて長いあいだ着物も着ず、家に居つかないで墓場にばかりいた人に、出会われた。
塚本訳イエスが陸にあがられると、その町の者で、悪鬼につかれた一人の男が迎えた。この男は長い間着物を着ず、また家にすまずに墓場にすんでいた。
前田訳舟から陸にあがられると、その町のある男が迎えた。彼は悪鬼につかれていて、かなりの間着物を着ず、家にでなく墓に住んでいた。
新共同イエスが陸に上がられると、この町の者で、悪霊に取りつかれている男がやって来た。この男は長い間、衣服を身に着けず、家に住まないで墓場を住まいとしていた。
NIVWhen Jesus stepped ashore, he was met by a demon-possessed man from the town. For a long time this man had not worn clothes or lived in a house, but had lived in the tombs.
註解: サタンの支配する罪人の姿とその居所とはかくのごときものであろう。かかる人は、住むべき所に住まず着るべき衣を着ない。

8章28節 イエスを()てさけび、御前(みまへ)平伏(ひれふ)して大聲(おほごゑ)にいふ『至高(いとたか)(かみ)()イエスよ、(われ)(なんぢ)(なに)關係(かかはり)あらん、(ねが)はくは(われ)(くる)しめ(たま)ふな』[引照]

口語訳この人がイエスを見て叫び出し、みまえにひれ伏して大声で言った、「いと高き神の子イエスよ、あなたはわたしとなんの係わりがあるのです。お願いです、わたしを苦しめないでください」。
塚本訳イエスを見ると、叫びながらその前にひれ伏し、大声で言った、「いと高き神の子のイエス様、“放っておいてください。”お願いです、わたしを苦しめないでください。」
前田訳イエスを見ると、叫びながらみ前にひれ伏し、大声でいった、「何のご用です、いと高き神の子、イエスさま。お願いです、わたしを苦しめないでください」と。
新共同イエスを見ると、わめきながらひれ伏し、大声で言った。「いと高き神の子イエス、かまわないでくれ。頼むから苦しめないでほしい。」
NIVWhen he saw Jesus, he cried out and fell at his feet, shouting at the top of his voice, "What do you want with me, Jesus, Son of the Most High God? I beg you, don't torture me!"

8章29節 これはイエス(けが)れし(れい)に、この(ひと)より()()かんことを(めい)(たま)ひしに()る。[引照]

口語訳それは、イエスが汚れた霊に、その人から出て行け、とお命じになったからである。というのは、悪霊が何度も彼をひき捕えたので、彼は鎖と足かせとでつながれて看視されていたが、それを断ち切っては悪霊によって荒野へ追いやられていたのである。
塚本訳これはイエスが汚れた霊に、その人から出てゆけと命じたからである。汚れた霊は何度も何度もその人をつかんだ。いかに鎖と足桎でつながれ監視されていても、その繋ぎをひきちぎり、悪鬼に追われて荒野にいったのである。
前田訳これは、イエスがけがれた霊にその人から出るよう命じられたからである。霊は何度もその人をとらえた。彼は鎖と足かせでつながれて監視されていたが、そのつなぎを切って、悪霊に追われて荒野に行ったのである。
新共同イエスが、汚れた霊に男から出るように命じられたからである。この人は何回も汚れた霊に取りつかれたので、鎖でつながれ、足枷をはめられて監視されていたが、それを引きちぎっては、悪霊によって荒れ野へと駆り立てられていた。
NIVFor Jesus had commanded the evil spirit to come out of the man. Many times it had seized him, and though he was chained hand and foot and kept under guard, he had broken his chains and had been driven by the demon into solitary places.
註解: この人がイエスに向って叫ぶ前に、イエスはその憐れむべき姿を見て穢れし霊にその人より出づべきことを命じ給うた。イエスの鋭い感覚はかの狂人を支配していた悪霊を直覚し給うたからであった。同様に悪鬼もまたイエスの何であるかを知る鋭い感覚を有っていた。狂人のイエスに対する懇願は悪鬼が彼をして語らしめたのであった。罪の中に安住する人間が聖なるものに対して自然に反撥心を起すのは、かかる人を支配しているサタンの働きである。

この(ひと)けがれし(れい)に[しばしば](長期(ちょうき)(あいだ))(とら)へられ、

註解: この句と次節とはルカ特有の説明なり。
辞解
[けがれし霊に] 原文に略されている。
[しばしば] 「多くの時の間」。
[拘(とら)へる] 原語「引き握んでさらって行く」貌。動きが取れない状態。

(くさり)足械(あしかせ)とにて(つな)(まも)られたれど、その(つなぎ)をやぶり、惡鬼(あくき)()はれて荒野(あらの)()けり。

註解: 狂暴性に富み、共同生活を嫌い、荒野で野獣のごとき生活を続けていた。我らの罪も良心の束縛を好まず、その繋ぎを断ち切って悪鬼に逐(お)わるるままに野獣のごとき生活を我らを逐(お)いやるものである。我らはこの狂人の生活を嘲笑う資格がない。

8章30節 イエス(これ)に『なんぢの()(なに)か』と()(たま)へば『レギオン』と(こた)ふ、(おほ)くの惡鬼(あくき)その(うち)()りたる(ゆゑ)なり。[引照]

口語訳イエスは彼に「なんという名前か」とお尋ねになると、「レギオンと言います」と答えた。彼の中にたくさんの悪霊がはいり込んでいたからである。
塚本訳「あなたの名はなんというか」とイエスがお尋ねになると、「軍団です」とこたえた。悪鬼が大勢、(一軍団も)彼の中に入りこんでいたからである。
前田訳イエスはおたずねになった、「何という名か」と。彼はいった、「軍団(レギオン)です」と。大勢の悪鬼が彼に入り込んでいたからである。
新共同イエスが、「名は何というか」とお尋ねになると、「レギオン」と言った。たくさんの悪霊がこの男に入っていたからである。
NIVJesus asked him, "What is your name?" "Legion," he replied, because many demons had gone into him.
註解: イエスは勿論その狂人の本名を問うたのであったが悪鬼が彼に代って答えたのであった。それほど完全に彼は悪鬼の支配の下にあったのである。レギオンはローマの軍隊の一部隊の名で六千人から成っていた。

8章31節 (かれ)らイエスに、(そこ)なき(ところ)()くを(めい)(たま)はざらんことを()ふ。[引照]

口語訳悪霊どもは、底知れぬ所に落ちて行くことを自分たちにお命じにならぬようにと、イエスに願いつづけた。
塚本訳また、地の底に行くことをお命じにならぬようにと願った。
前田訳また、悪鬼は地の底に行けとお命じのないようお願いした。
新共同そして悪霊どもは、底なしの淵へ行けという命令を自分たちに出さないようにと、イエスに願った。
NIVAnd they begged him repeatedly not to order them to go into the Abyss.
註解: 悪鬼どもの最も恐れることは、神の力によって底なき所すなわちサタンの投げ込まれる場所(黙20:3)に往かされることであった。

8章32節 彼處(かしこ)(やま)に、(おほ)くの(ぶた)(いち)(むれ)(しょく)()たりしが、[引照]

口語訳ところが、そこの山べにおびただしい豚の群れが飼ってあったので、その豚の中へはいることを許していただきたいと、悪霊どもが願い出た。イエスはそれをお許しになった。
塚本訳折から、そこの山で多くの豚の群が草を食っていた。悪鬼どもは、それに乗り移ることを許されたいと願った。お許しになると、
前田訳ちょうどそこの山でかなりの豚の群れが飼われていた。悪鬼どもはそれに移り入ることをお願いした。彼はおゆるしになった。
新共同ところで、その辺りの山で、たくさんの豚の群れがえさをあさっていた。悪霊どもが豚の中に入る許しを願うと、イエスはお許しになった。
NIVA large herd of pigs was feeding there on the hillside. The demons begged Jesus to let them go into them, and he gave them permission.
註解: この事実はこの地方はユダヤ人の地域ではなく異邦人の住んでいる地方であったことを示す。ユダヤ人は豚を食せず、従って豚を畜(やしな)わなかった。

惡鬼(あくき)ども()(ぶた)()るを(ゆる)(たま)はんことを()ひたれば、イエス(ゆる)(たま)ふ。

註解: 悪鬼どもの願いは狂人の口を通して為されたと見るべきであろう。悪鬼はイエスの前に立ち得なかったからであろう。

8章33節 惡鬼(あくき)(ひと)()でて(ぶた)()りたれば、その(むれ)(がけ)より湖水(みづうみ)()(くだ)りて(おぼ)れたり。[引照]

口語訳そこで悪霊どもは、その人から出て豚の中へはいり込んだ。するとその群れは、がけから湖へなだれを打って駆け下り、おぼれ死んでしまった。
塚本訳悪鬼どもはその人から出ていって豚に乗り移った。すると群は(気がちがったように)けわしい坂をどっと湖へなだれこみ、溺れて死んだ。
前田訳悪鬼どもは人から出て豚に入った。すると群れは崖を湖へなだれ込んでおぼれ死んだ。
新共同悪霊どもはその人から出て、豚の中に入った。すると、豚の群れは崖を下って湖になだれ込み、おぼれ死んだ。
NIVWhen the demons came out of the man, they went into the pigs, and the herd rushed down the steep bank into the lake and was drowned.
註解: ガリラヤ湖の東岸には、急に屹立(きつりつ)せる崖の連続する丘陵がある。その丘陵の上は平地であり居住に適している。豚はかかる丘陵を駈け下って湖水に溺れたのであった。悪鬼が人を出でて豚に入るというような事実が有り得るかどうかは困難な問題であるが、人間同士の間にすら催眠術が行われる以上動物の精神状態をある特殊な精神力をもって支配することも有り得ないことはないであろう。

8章34節 ()(もの)ども()(おこ)りし(こと)()て、()()きて、(まち)にも(さと)にも()げたれば、[引照]

口語訳飼う者たちは、この出来事を見て逃げ出して、町や村里にふれまわった。
塚本訳豚飼たちはこの出来事を見て逃げ出し、町や部落に知らせた。
前田訳豚飼いたちは出来事を見て逃げ出し、町や里にふれまわった。
新共同この出来事を見た豚飼いたちは逃げ出し、町や村にこのことを知らせた。
NIVWhen those tending the pigs saw what had happened, they ran off and reported this in the town and countryside,

8章35節 人々(ひとびと)ありし(こと)()んとて()で、イエスに(きた)りて、惡鬼(あくき)()でたる(ひと)の、衣服(ころも)をつけ(たしか)なる(こころ)にて、イエスの足下(あしもと)()しをるを()(おそ)れあへり。[引照]

口語訳人々はこの出来事を見に出てきた。そして、イエスのところにきて、悪霊を追い出してもらった人が着物を着て、正気になってイエスの足もとにすわっているのを見て、恐れた。
塚本訳人々はこの出来事を見に出て来たが、イエスの所に来て、悪鬼を追い出された人が着物をき、正気にかえって、イエスの足もとにじっと坐っているのを見ると、恐ろしくなった。
前田訳人々は出来事を見に出て来たが、イエスのところに来て、悪鬼が出た人が着物を着、正気になってイエスの足もとにすわっているのを見て、おそろしくなった。
新共同そこで、人々はその出来事を見ようとしてやって来た。彼らはイエスのところに来ると、悪霊どもを追い出してもらった人が、服を着、正気になってイエスの足もとに座っているのを見て、恐ろしくなった。
NIVand the people went out to see what had happened. When they came to Jesus, they found the man from whom the demons had gone out, sitting at Jesus' feet, dressed and in his right mind; and they were afraid.
註解: 豚飼いたちはいたく懼れてこの事実を附近にふれ回り、附近の人々も恐いもの見たさに出て来て、思いがけない変化を見て、事情はよく解らなかったが(36節)いたく懼れた。我らがサタンの僕たる有様から解き放されて神の僕とせられる時の変化は、これよりも一層大きい変化である。
辞解
[イエスの足下に坐し] 弟子がその師に対する態度である。

8章36節 かの惡鬼(あくき)()かれたる(ひと)(すく)はれし事柄(ことがら)()(もの)ども、(これ)(かれ)らに()げたれば、[引照]

口語訳それを見た人たちは、この悪霊につかれていた者が救われた次第を、彼らに語り聞かせた。
塚本訳また(現場を)見ていた人たちは、悪鬼につかれていた者がどんな風にして救われたかを、その人々に知らせた。
前田訳目撃者たちは悪鬼につかれた人がどのように救われたかを人々に知らせた。
新共同成り行きを見ていた人たちは、悪霊に取りつかれていた人の救われた次第を人々に知らせた。
NIVThose who had seen it told the people how the demon-possessed man had been cured.

8章37節 ゲラセネ[地方(ちはう)]((びと)近郊(きんこう))の民衆(みんしゅう)、みなイエスに()()(たま)はんことを()ふ。これ(おほい)(おそ)れたるなり。[引照]

口語訳それから、ゲラサの地方の民衆はこぞって、自分たちの所から立ち去ってくださるようにとイエスに頼んだ。彼らが非常な恐怖に襲われていたからである。そこで、イエスは舟に乗って帰りかけられた。
塚本訳ゲラサ地方の住民は皆すっかりおびえ切って、イエスに自分たち(の所)からでて行ってもらいたいと頼んだ。そこでイエスは舟に乗って帰られた。
前田訳ゲラサ地方の住人は皆大いにおそれて、イエスにお立ち去りくださるようお願いした。彼は小舟に乗って帰られた。
新共同そこで、ゲラサ地方の人々は皆、自分たちのところから出て行ってもらいたいと、イエスに願った。彼らはすっかり恐れに取りつかれていたのである。そこで、イエスは舟に乗って帰ろうとされた。
NIVThen all the people of the region of the Gerasenes asked Jesus to leave them, because they were overcome with fear. So he got into the boat and left.
註解: 彼らこの事実の原因であった事情、すなわちイエスの偉大なる霊力をきき、さらにこれを附近の人々に伝えたのであろう。彼らはイエスを魔術師のごとくに考え、また豚に対するごとき大損害が彼らに加えられんかを恐れたのであろう。イエスをその地より退去するように請うた。狂人はイエスを師と仰ぎ、常人は彼に退去を懇請する。いずれが狂人か、いずれが常人か、「幸福なるかな狂人、汝は神の子をうけることができた。禍なるかな常人、汝は神の子を拒む狂人である」と叫ばなければならないのではあるまいか。

ここにイエス(ふね)()りて(かへ)(たま)ふ。

8章38節 (とき)惡鬼(あくき)()でたる(ひと)、ともに()らんことを(ねが)ひたれど、(これ)()らしめ[んと]て、[引照]

口語訳悪霊を追い出してもらった人は、お供をしたいと、しきりに願ったが、イエスはこう言って彼をお帰しになった。
塚本訳(帰ろうとされる時に、)悪鬼を追い出された男がお供をしたいと願ったが、(許さず、)こう言ってお帰しになった、
前田訳悪鬼が出た人はお伴をと願ったが、こういってお帰しになった、
新共同悪霊どもを追い出してもらった人が、お供したいとしきりに願ったが、イエスはこう言ってお帰しになった。
NIVThe man from whom the demons had gone out begged to go with him, but Jesus sent him away, saying,

8章39節 ()(たま)ふ『なんぢの(いへ)(かへ)りて、(かみ)如何(いか)(おほい)なる(こと)(なんぢ)になし(たま)ひしかを(つぶさ)()げよ』(かれ)ゆきて、イエスの如何(いか)(おほい)なる(こと)(おのれ)になし(たま)ひしかを、(あまね)くその(まち)()(ひろ)めたり。[引照]

口語訳「家へ帰って、神があなたにどんなに大きなことをしてくださったか、語り聞かせなさい」。そこで彼は立ち去って、自分にイエスがして下さったことを、ことごとく町中に言いひろめた。
塚本訳「家に帰って、神がどんなにえらいことをしてくださったかを、(みんなに)話してきかせなさい。」すると彼は行って、イエスがどんなにえらいことを自分にされたかを、町中に言いふらした。
前田訳「家に帰って、神があなたになさったことのすべてをお話しなさい」と。すると彼は立ち去って、イエスが彼になさったことのすべてを町じゅうにひろめた。
新共同「自分の家に帰りなさい。そして、神があなたになさったことをことごとく話して聞かせなさい。」その人は立ち去り、イエスが自分にしてくださったことをことごとく町中に言い広めた。
NIV"Return home and tell how much God has done for you." So the man went away and told all over town how much Jesus had done for him.
註解: イエスに醫されし狂人はイエスの愛の深さに感激し、生来嘗(かつ)て味わなかった歓喜を感じた。そして生来彼に対して冷淡であった同郷の人々の許に帰ることを欲せず、イエスの許に居ることを願った。しかしイエスは、それよりも彼が異邦人に「神」の大なる御業を証することを望み給うた。我らの救いは我ら自身の安佚(あんいつ)のためではない。然るに彼はこのイエスの御言に服(したが)ったけれども、その町に言い広めたのは「神」の為し給えることではなく、「イエス」が如何に大なることを為し給いしかを告げた。彼にとって神とイエスとの区別がつかなかったのであった。美しい信仰である。なおマコ5:20要義一、二、附記参照。

4-7-ハ ヤイロの娘を甦らしめ血漏の女を醫し給う 8:40 - 8:56
(マタ9:18-26) (マコ5:22-43)  

註解: 40−56節のヤイロの娘の復活と血漏の女の治癒の奇蹟は三福音書の中マルコ伝に最も詳しく、マタイ伝に最も簡略でルカはマルコによりこれに若干の変更を加え、技術的に改良している。唯マルコ伝のごとき素朴さと生気とは欠けているように感じられる。

8章40節 かくてイエスの(かへ)(たま)ひしとき、群衆(ぐんじゅう)これを(むか)ふ、みな()ちゐたるなり。[引照]

口語訳イエスが帰ってこられると、群衆は喜び迎えた。みんながイエスを待ちうけていたのである。
塚本訳イエスが(カペナウムに)帰ってこられると、群衆は喜んで迎えた。皆待っていたのである。
前田訳イエスが帰られると、群衆は歓迎した。皆お待ちしていたのである。
新共同イエスが帰って来られると、群衆は喜んで迎えた。人々は皆、イエスを待っていたからである。
NIVNow when Jesus returned, a crowd welcomed him, for they were all expecting him.
註解: 場所はゲラセネの対岸おそらくカペナウムであろう(マタ9:1)。イエスは26節に群衆を避けて(註参照)ゲラセネに赴き給うたのであるから、群衆はその帰来を待ち焦がれていた。

8章41節 ()よ、會堂(くわいだう)(つかさ)にてヤイロといふ(もの)あり、(きた)りてイエスの足下(あしもと)()し、その(いへ)にきたり(たま)はんことを(ねが)ふ。[引照]

口語訳するとそこに、ヤイロという名の人がきた。この人は会堂司であった。イエスの足もとにひれ伏して、自分の家においでくださるようにと、しきりに願った。
塚本訳するとそこに名をヤイロという人が来た。この人は礼拝堂の役人であった。イエスの足もとにひれ伏し、家に来ていただきたいと願った。
前田訳するとそこにヤイロという名の人が来た。この人は会堂司であった。イエスのお足もとにひれ伏して、家においでくださいと願った。
新共同そこへ、ヤイロという人が来た。この人は会堂長であった。彼はイエスの足もとにひれ伏して、自分の家に来てくださるようにと願った。
NIVThen a man named Jairus, a ruler of the synagogue, came and fell at Jesus' feet, pleading with him to come to his house

8章42節 おほよそ十二(じふに)(さい)ほどの一人(ひとり)(むすめ)ありて、()ぬばかりなる(ゆゑ)なり。[引照]

口語訳彼に十二歳ばかりになるひとり娘があったが、死にかけていた。ところが、イエスが出て行かれる途中、群衆が押し迫ってきた。
塚本訳十二歳ばかりの一人娘があって、それが死にかけていたのである。(ヤイロの家に)行かれる途中、群衆はイエスを押しつぶしそうであった。
前田訳十二歳ばかりのひとり娘があって、死にかけていたのである。しかし彼がお出かけのとき、群衆が彼に押し迫って来た。
新共同十二歳ぐらいの一人娘がいたが、死にかけていたのである。イエスがそこに行かれる途中、群衆が周りに押し寄せて来た。
NIVbecause his only daughter, a girl of about twelve, was dying. As Jesus was on his way, the crowds almost crushed him.
註解: ユダヤ人中の有力者ともいうべき会堂司が一平民のイスの足下に伏したことは一面その心の苦しみから凡ての習慣を無視してその真情を吐露したのであり、他面イエスの崇高なる威厳が司をして自然かかる態度を取らしめたのであろう。マルコ伝には十二歳であることを最後に(マコ5:42)記しかつ一人娘であることは記されていない。51、56節などを見ても一人娘ということは事実と見るべきである。ルカの記事の方が始めから会堂司の苦悩や全体の事実の真相を明かに示す点において優れている。
辞解
マルコ伝では「会堂司たちの一人」としてあるがルカはこれを無視している。

イエスの()(たま)ふとき、群衆(ぐんじゅう)かこみ(ふさ)がる。

註解: 次節以下48節までの血漏の女の物語を引き出すために本節をその背景として掲げる。

8章43節 ここに(じふ)二年(にねん)このかた血漏(ちらう)(わづら)ひて、[引照]

口語訳ここに、十二年間も長血をわずらっていて、医者のために自分の身代をみな使い果してしまったが、だれにもなおしてもらえなかった女がいた。
塚本訳すると十二年このかた長血をわずらって、だれにもなおしてもらえなかった女が、
前田訳すると、十二年来長血で、だれにもなおしてもらえなかった女が
新共同ときに、十二年このかた出血が止まらず、医者に全財産を使い果たしたが、だれからも治してもらえない女がいた。
NIVAnd a woman was there who had been subject to bleeding for twelve years, but no one could heal her.
註解: ヤイロの娘も十二歳ほどであることが二者の間に奇縁があるかのごとくにルカに思われたのかもしれない。

醫者(いしゃ)(ため)(おの)身代(しんだい)をことごとく(つひや)したれども、

註解: 重要な写本の中にこの句(マコ5:26による)を欠くものがあり、ネストレはこれを欄外に出している。ルカは医者の立場から、医者に対する批難の口吻を含むこの句を好まなかったのであろう。

(たれ)にも(いや)され()ざりし(をんな)あり。

註解: 十二年間の無益な苦痛と失費の後であるから、この女は最後の希望をイエスに繋いだことであろう。

8章44節 イエスの(のち)(きた)りて、御衣(みころも)(ふさ)にさはりたれば、()()づること立刻(たちどころ)()みたり。[引照]

口語訳この女がうしろから近寄ってみ衣のふさにさわったところ、その長血がたちまち止まってしまった。
塚本訳近寄ってきて、後からイエスの上着の裾にさわった。すると、たちどころに血の出るのがやんだ。
前田訳近よってうしろから彼の上着の裾にさわった。するとたちまち出血がやんだ。
新共同この女が近寄って来て、後ろからイエスの服の房に触れると、直ちに出血が止まった。
NIVShe came up behind him and touched the edge of his cloak, and immediately her bleeding stopped.

8章45節 イエス()(たま)ふ『(われ)(さは)りしは(たれ)ぞ』(ひと)みな(いな)みたれば、ペテロ[(およ)(とも)にをる(もの)ども]()ふ『(きみ)よ、群衆(ぐんじゅう)なんぢを(かこ)みて押迫(おしせま)るなり』[引照]

口語訳イエスは言われた、「わたしにさわったのは、だれか」。人々はみな自分ではないと言ったので、ペテロが「先生、群衆があなたを取り囲んで、ひしめき合っているのです」と答えた。
塚本訳イエスが言われた、「わたしにさわったのはだれか。」皆が知らないとこたえると、ペテロが言った、「先生、(なにしろ)群衆が(こんなに)あなたを取り巻いて、もみ合っているのですから。」
前田訳イエスはいわれた、「わたしにさわったのはだれか」と。皆が知らないと答えると、ペテロがいった、「先生、群衆があなたをかこんで、もみあっています」と。
新共同イエスは、「わたしに触れたのはだれか」と言われた。人々は皆、自分ではないと答えたので、ペトロが、「先生、群衆があなたを取り巻いて、押し合っているのです」と言った。
NIV"Who touched me?" Jesus asked. When they all denied it, Peter said, "Master, the people are crowding and pressing against you."

8章46節 イエス()(たま)ふ『われに(さは)りし(もの)あり、能力(ちから)(われ)より()でたるを()[る](ればなり)』[引照]

口語訳しかしイエスは言われた、「だれかがわたしにさわった。力がわたしから出て行ったのを感じたのだ」。
塚本訳イエスが言われた、「(確かに)だれかがさわった。わたしの中から力が出ていったのを感じたから。」
前田訳イエスはいわれた、「だれかがさわった。わたしから力が出て行ったのを感じたから」と。
新共同しかし、イエスは、「だれかがわたしに触れた。わたしから力が出て行ったのを感じたのだ」と言われた。
NIVBut Jesus said, "Someone touched me; I know that power has gone out from me."
註解: 女がイエスの衣の總(ふさ)に触ったのはマコ5:28にあるとおりその謙遜な心と態度とをもってイエスに対する絶対的信仰を顕したのであった。イエスの衣そのものに治癒の力があると考えたのではなく、自分の信仰の心を衣を通してイエスに伝えんとしたのであった。この熱心がイエスの心に通じ、イエスの有ち給う治癒力を彼より引き出したのであった。この種の霊的感応は、決して有り得ないことではない。弟子たちには勿論この事実は解らなかった。イエスの御言を奇異に感じたのは(45b)そのためである。
辞解
[及び共におる者ども] 重要なる写本には欠けている(ネストレも欄外)。マコ5:31の「弟子たち」からここに修正的に挿入されたものであろう。

8章47節 (をんな)おのれが(かく)()ぬことを()り、(おのの)(きた)りて御前(みまへ)平伏(ひれふ)し、(さは)りし(ゆゑ)立刻(たちどころ)()えたる(こと)を、人々(ひとびと)(まへ)にて()ぐ。[引照]

口語訳女は隠しきれないのを知って、震えながら進み出て、みまえにひれ伏し、イエスにさわった訳と、さわるとたちまちなおったこととを、みんなの前で話した。
塚本訳女は隠しおおせないのを見て、震えながら、進み出てイエスの前にひれ伏し、さわった訳と、たちどころに直ったこととを皆の前で話した。
前田訳女は隠せないのをみて、ふるえながらみ前に出てひれ伏し、さわったわけと、たちまちなおったことを皆の前で話した。
新共同女は隠しきれないと知って、震えながら進み出てひれ伏し、触れた理由とたちまちいやされた次第とを皆の前で話した。
NIVThen the woman, seeing that she could not go unnoticed, came trembling and fell at his feet. In the presence of all the people, she told why she had touched him and how she had been instantly healed.
註解: イエスの驚くべき洞見力の前に女は恐れ戦いた。そして、イエスの「我に觸りしは誰ぞ」との質問に答えずいることの恐ろしさを感じ、御前に平伏して凡ての事実を告白した。神が我らの心の中を凡て見給うことを知るまでは人は自己の罪を告白することを欲しない。

8章48節 イエス()(たま)ふ『むすめよ、(なんぢ)信仰(しんかう)なんぢを(すく)へり、(やす)らかに()け』[引照]

口語訳そこでイエスが女に言われた、「娘よ、あなたの信仰があなたを救ったのです。安心して行きなさい」。
塚本訳イエスは言われた、「娘よ、あなたの信仰がなおしたのだ。“さよなら、平安あれ。”」
前田訳彼はいわれた、「娘よ、あなたの信仰があなたを救った。安らかにお帰り」と。
新共同イエスは言われた。「娘よ、あなたの信仰があなたを救った。安心して行きなさい。」
NIVThen he said to her, "Daughter, your faith has healed you. Go in peace."
註解: イエスはここにもまた女の信仰の賞揚し給うた(7:50。17:19。18:42)。「安らかに」は「平安の中に」で心の平安である。身体に病気があるものは自然心に不安があるのであるが、肉体の病の治癒によって得る肉的平安または安心をイエスは言い給うたのではない。神の愛の守護の下にあることの確信より生ずる心の平安である。

8章49節 かく(かた)(たま)ふほどに、會堂(くわいだう)(つかさ)(いへ)より(ひと)きたりて()ふ『なんぢの(むすめ)()()にたり、()(わづら)はすな』[引照]

口語訳イエスがまだ話しておられるうちに、会堂司の家から人がきて、「お嬢さんはなくなられました。この上、先生を煩わすには及びません」と言った。
塚本訳イエスがまだ話しておられるところに、礼拝堂監督の家からひとりの人が来て(監督に)言った、「お嬢さんはもうなくなりました。先生にこれ以上御迷惑をかけられないように。」
前田訳まだ彼がお話しのところに、会堂司の家から人が来ていった、「あなたの娘さんはなくなりました。もう先生をわずらわさぬように」と。
新共同イエスがまだ話しておられるときに、会堂長の家から人が来て言った。「お嬢さんは亡くなりました。この上、先生を煩わすことはありません。」
NIVWhile Jesus was still speaking, someone came from the house of Jairus, the synagogue ruler. "Your daughter is dead," he said. "Don't bother the teacher any more."

8章50節 イエス(これ)()きて會堂(くわいだう)(つかさ)(こた)へたまふ『(おそ)るな、ただ(しん)ぜよ。さらば(むすめ)(すく)はれん』[引照]

口語訳しかしイエスはこれを聞いて会堂司にむかって言われた、「恐れることはない。ただ信じなさい。娘は助かるのだ」。
塚本訳イエスは聞いて監督に言葉をかけられた、「こわがることはない。ただ信ぜよ。そうすれば助かる。」
前田訳イエスはそれを聞いて司にいわれた、「おそれるな。ただ信ぜよ。そうすれば助かる」と。
新共同イエスは、これを聞いて会堂長に言われた。「恐れることはない。ただ信じなさい。そうすれば、娘は救われる。」
NIVHearing this, Jesus said to Jairus, "Don't be afraid; just believe, and she will be healed."
註解: 会堂司は娘の死の報に接し愕然として驚いたことであろう。イエスは彼の心を察しこれに「答へて」唯イエスを信じ、その能力に全く信頼すべきことを教え給うた。人間の凡ての力に絶望せる者にとって、イエスに対する絶対的信頼のみが唯一の希望である。そしてイエスはこの希望を空しくし給わない。「娘は救はれん」と言い給える時、已(すで)にイエスは、彼を甦らせ給うことの確信を持ち給うた。

8章51節 イエス(いへ)(いた)りて、ペテロ、ヨハネ、ヤコブ(およ)()(ちち)(はは)(ほか)は、ともに()ることを(たれ)にも(ゆる)(たま)はず。[引照]

口語訳それから家にはいられるとき、ペテロ、ヨハネ、ヤコブおよびその子の父母のほかは、だれも一緒にはいって来ることをお許しにならなかった。
塚本訳家に着かれると、ペテロとヨハネとヤコブと、女の子の父と母とのほかには、だれも一しょに中に入ることを許されなかった。
前田訳家に来られると、ペテロとヨハネとヤコブと、子の父と母のほかはいっしょに入ることをゆるされなかった。
新共同イエスはその家に着くと、ペトロ、ヨハネ、ヤコブ、それに娘の父母のほかには、だれも一緒に入ることをお許しにならなかった。
NIVWhen he arrived at the house of Jairus, he did not let anyone go in with him except Peter, John and James, and the child's father and mother.
註解: 最も重要なる場合、特にこの三人の弟子を近くに置き給うた。十二人の中の特選の三人であり、弟子中の弟子であった。イエスに従い来った多くの群衆は家に入ることを許されなかった。ヨハネをヤコブより先に立てたのはルカのみで、当時となってヨハネの霊的地位はその兄ヤコブの上に在ったためであろう。(9:28。使1:13)。

8章52節 (ひと)みな()き、かつ()のために(なげ)()たりしが、イエス()ひたまふ『()くな、()にたるにあらず、()ねたるなり』[引照]

口語訳人々はみな、娘のために泣き悲しんでいた。イエスは言われた、「泣くな、娘は死んだのではない。眠っているだけである」。
塚本訳(集まった)人々が皆泣いて、女の子のために悲しんでいた。イエスが言われた、「泣くな。死んだのではない、眠っているのだ。」
前田訳皆が泣いて子を惜しんでいた。彼はいわれた、「泣くな。死んだのではない。眠っているのだ」と。
新共同人々は皆、娘のために泣き悲しんでいた。そこで、イエスは言われた。「泣くな。死んだのではない。眠っているのだ。」
NIVMeanwhile, all the people were wailing and mourning for her. "Stop wailing," Jesus said. "She is not dead but asleep."

8章53節 人々(ひとびと)その()にたるを()れば、イエスを嘲笑(あざわら)ふ。[引照]

口語訳人々は娘が死んだことを知っていたので、イエスをあざ笑った。
塚本訳人々は死んだことを知っているので、あざ笑っていた。
前田訳人々は死んだと知っていたので彼をあざけった。
新共同人々は、娘が死んだことを知っていたので、イエスをあざ笑った。
NIVThey laughed at him, knowing that she was dead.
註解: 死人の埋葬に際して会衆がことさらに悲哀慟哭の態度を強調する習慣があったが、この場合は心からこの少女の死を悲しみ、その父母に同情したものも多かったであろう。イエスが「寝(い)ねたるのみ」と言い給うたのは、その甦りを確信し給うたからであった。復活を確信する者にとっては死は唯寝(い)ねたるのみである。復活の信仰は今日も人の嘲笑に晒されている。マコ5:40に彼らをみな外に逐い出したと録されていることは一層この場合に相応しい光景色である。

8章54節 (しか)るにイエス()()をとり、()びて『()よ、()きよ』と()(たま)へば、[引照]

口語訳イエスは娘の手を取って、呼びかけて言われた、「娘よ、起きなさい」。
塚本訳しかしイエスは女の子の手を取り、声をあげて「子よ、起きなさい!」と呼ばれると、
前田訳しかし彼は子の手を取って、声を高めて「子よ、起きよ」といわれた。
新共同イエスは娘の手を取り、「娘よ、起きなさい」と呼びかけられた。
NIVBut he took her by the hand and said, "My child, get up!"

8章55節 その(れい)かへりて立刻(たちどころ)()く。[引照]

口語訳するとその霊がもどってきて、娘は即座に立ち上がった。イエスは何か食べ物を与えるように、さしずをされた。
塚本訳霊がもどって、即座に女の子は立ち上がった。イエスは(何か)食べさせるように言いつけられた。
前田訳すると子の霊がもどって、子はすぐ立ちあがった。そこで彼は食べ物を与えるよういいつけられた。
新共同すると娘は、その霊が戻って、すぐに起き上がった。イエスは、娘に食べ物を与えるように指図をされた。
NIVHer spirit returned, and at once she stood up. Then Jesus told them to give her something to eat.
註解: キリスト再臨に際し、主にあって眠れる凡ての者をイエスはかくして呼起し給うであろう。肉体を離れし霊が再びその肉体に「立帰る」 epistrephō と考えられていることに注意すべし。

イエス食物(しょくもつ)(これ)(あた)ふることを(めい)(たま)ふ。

註解: ルカ伝のみに録されている医者らしい注意である。両親も他の者どもも驚きのあまり、かかる細かい注意を忘れていたのであろう。

8章56節 その兩親(ふたおや)おどろきたり。イエス()()りし(こと)(たれ)にも(かた)らぬやうに(めい)(たま)ふ。[引照]

口語訳両親は驚いてしまった。イエスはこの出来事をだれにも話さないようにと、彼らに命じられた。
塚本訳両親が呆気にとられていると、イエスはこの出来事をだれにも言うなと命じられた。
前田訳両親はおどろきいった。彼はこの出来事をだれにもいわぬようお命じになった。
新共同娘の両親は非常に驚いた。イエスは、この出来事をだれにも話さないようにとお命じになった。
NIVHer parents were astonished, but he ordered them not to tell anyone what had happened.
註解: もしこのイエスの注意が与えられなかったならば、両親は無我夢中にこの事実を周囲に言い振らしたであろう。イエスの欲し給うことは人々の心が愛の神に立帰ることであって、自分の欲望を充すために神の子を利用することではなかったからである。なお、マコ5章末尾の要義一、二参照。
要義1 [汝の信仰汝を救えり]イエスはその数多き奇蹟的治病の際にしばしば「汝の信仰汝を救えり」なる言を発し給うた。これは勿論各人の信仰の力が自己を救ったことを意味したのではなく、神は各々の信仰に応じてその上に治癒の力を及ぼし給うたことを意味している。すなわち信仰とは神に絶対に信頼することであり、神に向っておのが心の門を開き、神が自由に己の上にその働きを及ぼし得る態度を取ることである。病に悩む者はその弱さを知り、神に依り頼む以外に途なきことを知っているので、かかる態度に出るのであって、イエスはこれを信仰と呼んでいるのである。それ故この場合の「信仰」とは「イエス・キリストの贖罪」を信ずるとか、またはイエスが「神の子」に在し給うことを信ずるとかいうごとき神学的なものではなく、またその「救」も永遠の救いという意味よりも病よりの救いを意味しているのであるが、その心の態度、心の状態は両者全く同一であることを知らなければならぬ。この心の態度をもって聖書により神の言に接するとき、我らはその凡てに対し絶対の信頼をささげることができる。
要義2 [死にたるにあらず寝ねたるなり]イエスが完全に死んでしまったヤイロの娘(tethnēken 49節)について、表題のごとくに言い給うたことは、我々にとって重大なる事実を示しているものと思われる。すなわち主にある凡ての人は死んでも死なない(ヨハ11:26)。その肉体の死は一時の眠りである。イエス再び来りて「起きよ」と言い給えば、我々はみな甦ることができるのである。ヤイロの娘の復活はこの事実を我々に示さんとの神の御旨の顕れであると考えることができよう。

ルカ伝第9章

分類
5 イエスの本質に対する弟子の訓練 9:1 - 9:50
5-1 十二弟子の派遣 9:1 - 9:6
(マタ10:1-14) 

9章1節 イエス十二(じふに)弟子(でし)()()せて、もろもろの惡鬼(あくき)(せい)し、(やまひ)をいやす能力(ちから)權威(けんゐ)とを(あた)へ、[引照]

口語訳それからイエスは十二弟子を呼び集めて、彼らにすべての悪霊を制し、病気をいやす力と権威とをお授けになった。
塚本訳それから(前に選んだ)十二人(の弟子)を呼びあつめて、すべての悪鬼を支配し、また病気をなおす力と全権とを授けた上、
前田訳十二人を呼び集めて、すべての悪鬼を押え、病をいやす力と権威を与え、
新共同イエスは十二人を呼び集め、あらゆる悪霊に打ち勝ち、病気をいやす力と権能をお授けになった。
NIVWhen Jesus had called the Twelve together, he gave them power and authority to drive out all demons and to cure diseases,

9章2節 また(かみ)(くに)宣傳(のべつた)へしめ、(ひと)(いや)さしむる(ため)に、(これ)(つかは)[さんとして](し(たま)ふ。)[引照]

口語訳また神の国を宣べ伝え、かつ病気をなおすためにつかわして
塚本訳神の国(の福音)を説いたり、病気を直したりするために派遣された。
前田訳神の国をのべ伝えていやしをするよう彼らをつかわされた。
新共同そして、神の国を宣べ伝え、病人をいやすために遣わすにあたり、
NIVand he sent them out to preach the kingdom of God and to heal the sick.
註解: 十二弟子を伴い教えを宣べ、病を醫し、死者を甦えらせ給える(8章)後、ここにイエスは始めて十二弟子に独立の歩みを為さしめ給うた。そのためにまずイエス御自身が有ち給うたと同様の能力と権威とを彼らにも有たしめて悪鬼を制し、病を醫すことを為させ、彼らを二人ずつ一組として(マコ6:7註)遣し、福音の宣伝と、治癒とを行わしめ給うた。イエスの霊の力が彼らの中に注がれたのである。

(かくて)()(たま)ふ、

9章3節 (たび)のために(なに)をも()つな、(つゑ)(ふくろ)(かて)(ぎん)も、また(ふた)つの下衣(したぎ)をも()つな。[引照]

口語訳言われた、「旅のために何も携えるな。つえも袋もパンも銭も持たず、また下着も二枚は持つな。
塚本訳彼らに言われた、「旅行には何も──杖も、旅行袋も、パンも、金も持ってゆくな。着替えの下着も持ってはならない。
前田訳彼らにいわれた、「道中何も持つな、杖も、袋も、パンも、金も。下着の替えも持つな。
新共同次のように言われた。「旅には何も持って行ってはならない。杖も袋もパンも金も持ってはならない。下着も二枚は持ってはならない。
NIVHe told them: "Take nothing for the journey--no staff, no bag, no bread, no money, no extra tunic.
註解: 伝道旅行のためには少しの贅沢も許されないのは勿論少しの準備も必要としない。凡ての必要は、これを神によって供給賜与されることを信じて旅立すべきである。福音を受け、治癒に与る人々が感謝をもってそれらを弟子たちに献ぐべきである。当時の社会では未知の旅人を親切に接待することは、凡ての人の義務と考えられていたので今日とは事情を異にし、今日これを文字通り実行することはできないが、この精神は今日も充分にこれを生かして行かなければならない。マコ6:8には杖だけは携帯しても可しとあるが、マルコはこれをもって所持品の貧弱さを示し、ルカとマタイは杖すら所持することを禁ずることによって、伝道者の無所有の姿を強調したのであろう。杖そのものに格別の意味はない。二つの下衣を持つとは着換えをもつこと。

9章4節 いづれの(いへ)()るとも、其處(そこ)(とどま)れ、(しか)して其處(そこ)より()()れ。[引照]

口語訳また、どこかの家にはいったら、そこに留まっておれ。そしてそこから出かけることにしなさい。
塚本訳ある家に入ったら、(その町を去るまでは)その家に泊まっていて、そこから(次の町へ)立ってゆけ。
前田訳家に入ったら、そこに泊まってそこから出かけよ。
新共同どこかの家に入ったら、そこにとどまって、その家から旅立ちなさい。
NIVWhatever house you enter, stay there until you leave that town.
註解: すなわち同一の市邑にいる中は宿所を変更してはいけない。これはその家の人に対する信頼の態度であると共に如何なる場所にも満足すべきことを意味す。接待に対する不満等のために宿所を変えてはならぬ。3、4節により衣食住に対する伝道者の態度を教えている。挺身・信頼・満足の態度である。

9章5節 (ひと)もし(なんぢ)らを()けずば、その(まち)()()るとき、(あかし)のために(あし)(ちり)(はら)へ』[引照]

口語訳だれもあなたがたを迎えるものがいなかったら、その町を出て行くとき、彼らに対する抗議のしるしに、足からちりを払い落しなさい」。
塚本訳人があなた達を歓迎しないなら、(すぐ)その町を(出てゆけ。そして)出てゆくとき、(縁を切ったことを)そこの人々に証明するため、足の埃を払いおとせ。」
前田訳人々があなた方を歓迎しないなら、その町を出るとき彼らへの証のために足のちりを払い落とせ」と。
新共同だれもあなたがたを迎え入れないなら、その町を出ていくとき、彼らへの証しとして足についた埃を払い落としなさい。」
NIVIf people do not welcome you, shake the dust off your feet when you leave their town, as a testimony against them."
註解: 次は対人的態度を教えている。すなわち黒白を、明白にすべきことである。足の塵を払うことはその町の不信の精神の汚れを塵一つ附着せしめないことを表徴しており、その町に対する審(さば)きの表示である。

9章6節 ここに弟子(でし)たち()でて村々(むらむら)()(めぐ)り、あまねく福音(ふくいん)宣傳(のべつた)へ、(いや)すことを()せり。[引照]

口語訳弟子たちは出て行って、村々を巡り歩き、いたる所で福音を宣べ伝え、また病気をいやした。
塚本訳十二人は出かけていって、村から村へとあるき回りながら、到る所で福音を説き、また病気をなおした。
前田訳彼らは出かけて、村から村へとまわり、至るところで福音を説き、また病をいやした。
新共同十二人は出かけて行き、村から村へと巡り歩きながら、至るところで福音を告げ知らせ、病気をいやした。
NIVSo they set out and went from village to village, preaching the gospel and healing people everywhere.
註解: 師イエスと同じく弟子たちもこの二点にその活動の中心を置いた。「村々」とあるは「町々」は(8:1)イエスも巡回し給うたことと、その数が少ないので弟子たちには村々に力を注がしめ給うたためであろう。

5-2 イエスの本質 9:7 - 9:43
5-2-イ ヘロデとイエス 9:7 - 9:9
(マタ14:1-2) (マコ6:14-16)   

9章7節 さて國守(こくしゅ)ヘロデ、ありし(すべ)ての(こと)をききて周章(あわ)てまどふ。(ある)(ひと)はヨハネ死人(しにん)(うち)より(よみが)へりたりといひ、[引照]

口語訳さて、領主ヘロデはいろいろな出来事を耳にして、あわて惑っていた。それは、ある人たちは、ヨハネが死人の中からよみがえったと言い、
塚本訳これは一切の出来事が領主ヘロデの耳にはいると、彼はすっかり不安になった。ある人は(イエスのことを洗礼者)ヨハネが死人の中から生きかえったのだと言い、
前田訳領主ヘロデはこれらの出来事すべてを耳にして、心平らかではなかった。あるものはヨハネが死人の中から復活した、
新共同ところで、領主ヘロデは、これらの出来事をすべて聞いて戸惑った。というのは、イエスについて、「ヨハネが死者の中から生き返ったのだ」と言う人もいれば、
NIVNow Herod the tetrarch heard about all that was going on. And he was perplexed, because some were saying that John had been raised from the dead,

9章8節 (ある)(ひと)はエリヤ(あらは)れたりといひ、また(ある)(ひと)は、(いにし)への預言者(よげんしゃ)一人(ひとり)よみがへりたりと()へばなり。[引照]

口語訳またある人たちは、エリヤが現れたと言い、またほかの人たちは、昔の預言者のひとりが復活したのだと言っていたからである。
塚本訳ある人は(預言者)エリヤが現われたと言い、またほかの人は、昔のある預言者が生き返ったのだと言ったからである。
前田訳あるものはエリヤが現われた、またほかのものは昔のある預言者がよみがえった、といったからである。
新共同「エリヤが現れたのだ」と言う人もいて、更に、「だれか昔の預言者が生き返ったのだ」と言う人もいたからである。
NIVothers that Elijah had appeared, and still others that one of the prophets of long ago had come back to life.
註解: ヘロデはヘロデ大王の子ヘロデ・アンテパス、詳細はマコ6:14参照。良心に平安なき者は、国王といえども義しき一匹夫イエスの前に周章狼狽する。エリヤは死なずに昇天したので(U列2:11)再び現れるであろうと信じられた。イエスがそれであると或人はいう。然らずばヨハネが生き返ったかまたは預言者の一人が復活したのであると噂された。

9章9節 ヘロデ()ふ『ヨハネは(われ)すでに首斬(くびき)りたり、(しか)るに()かる(こと)のきこゆる()(ひと)(たれ)なるか』[引照]

口語訳そこでヘロデが言った、「ヨハネはわたしがすでに首を切ったのだが、こうしてうわさされているこの人は、いったい、だれなのだろう」。そしてイエスに会ってみようと思っていた。
塚本訳しかしヘロデは言った、「ヨハネは(確かに)わたしが首をはねた。だが、こんな噂を聞くその男はそもそも何者だろう。」彼はイエスに会いたいと思った。
前田訳しかしヘロデはいった、「ヨハネはわたしが首をはねた。このようなうわさを聞くその男はだれだ」と。彼はイエスに会いたく思っていた。
新共同しかし、ヘロデは言った。「ヨハネなら、わたしが首をはねた。いったい、何者だろう。耳に入ってくるこんなうわさの主は。」そして、イエスに会ってみたいと思った。
NIVBut Herod said, "I beheaded John. Who, then, is this I hear such things about?" And he tried to see him.
註解: すでに首を斬ったのだからその復活は信じられないのであったろう。ただしマコ6:16にはヘロデもかく信じたように録している。この矛盾は理由不明、ルカは異なった伝説を基礎としたものと思われる。

かくてイエスを()んことを(もと)めゐたり。

註解: 「求めゐたり」は未完了過去形で常々求めつづけていたことを示す。恐いもの見たさのためと、イエスを恐るるに及ばないという確信を得たかったのであろう。しかし「イエスは宮廷に入ることに慣れず、ヘロデはイエスのために己が宮廷を出づることを必要と考うるごとき人間ではなかった」(B1)。ただしこのヘロデの願いは23:6−15において充された。囚人としてのイエスを見たのでヘロデは殊の外喜んだ(23:8)。彼の人格の卑劣さを見ることができる。マタ14:3−12.マコ6:17−29はこれにつづいてヨハネの死について録しているけれども、ルカはこれを省略した。ギリシャ、ローマの人々のヨハネに対する無関心のためであろう。

5-2-ロ 五千人の賜食 9:10 - 9:17
(マタ14:13-21) (マコ6:30-44) (ヨハ6:1-13)  

9章10節 使徒(しと)たち(かへ)りきて、()()しし(こと)(つぶさ)にイエスに()ぐ。[引照]

口語訳使徒たちは帰ってきて、自分たちのしたことをすべてイエスに話した。それからイエスは彼らを連れて、ベツサイダという町へひそかに退かれた。
塚本訳(さて十二人の)使徒たちは帰ってきて、(旅行中に)したことをみなイエスに話した。イエスは彼らを連れて、自分たちだけベツサイダという町の方へ引っ込まれた。
前田訳使徒たちは帰って来て、したことのすべてをイエスに話した。イエスは彼らを連れて、そっとベツサイダという町へ退かれた。
新共同使徒たちは帰って来て、自分たちの行ったことをみなイエスに告げた。イエスは彼らを連れ、自分たちだけでベトサイダという町に退かれた。
NIVWhen the apostles returned, they reported to Jesus what they had done. Then he took them with him and they withdrew by themselves to a town called Bethsaida,
註解: 6節より本節に連絡する。その間に経過せる期間は不明。

イエス(かれ)らを(たづさ)へて(ひそか)にベツサイダといふ(まち)退(しりぞ)きたまふ。

註解: これはヨルダン川がガリラヤ湖に注ぐ処の東方にある小漁村でヘロデ・ピリポが皇帝アウグスト・ユリアスの娘の記念にこの村を改造したのでベテサイダ・ユリアスと呼ばれていた。イエスが弟子たちだけを携えて群衆を避けようとされたのは、弟子のみを静かに教育するためであった。イエスを離れた活動は空騒ぎとなる。

9章11節 されど群衆(ぐんじゅう)これを()りて(したが)(きた)りたれば、(かれ)らを()けて、(かみ)(くに)(こと)(かた)り、かつ治療(ちれう)(えう)する人々(ひとびと)(いや)したまふ。[引照]

口語訳ところが群衆がそれと知って、ついてきたので、これを迎えて神の国のことを語り聞かせ、また治療を要する人たちをいやされた。
塚本訳しかし群衆がそれと知ってついて来たので、これを迎えて神の国のことを語り、また治療を要する人々を直された。
前田訳群衆がそれと知って、ついて来たので、彼らを迎えて神の国について語り、手当を要するものをなおされた。
新共同群衆はそのことを知ってイエスの後を追った。イエスはこの人々を迎え、神の国について語り、治療の必要な人々をいやしておられた。
NIVbut the crowds learned about it and followed him. He welcomed them and spoke to them about the kingdom of God, and healed those who needed healing.
註解: 群衆に接することは、ベテサイダに退いた目的に反していたけれども、求める心に対して強く引かれ給うイエスの愛は、彼らを「接(う)け」ずにいることができなかった。そして神の国のことを教うること、治癒を要する人を醫すことの二つを何時ものごとくに行い、そして日の暮るるをも忘れ、食事のこをすら忘れ給うた。マルコの記事をルカは簡略にし多くの緊要ならざる細目を除いている。

9章12節 ()(かたぶ)きたれば、十二(じふに)弟子(でし)きたりて()ふ『群衆(ぐんじゅう)()らしめ、周圍(まはり)(むら)また(さと)にゆき、宿(やど)をとりて食物(しょくもつ)(もと)めさせ(たま)へ。(われ)らは()かる(さび)しき(ところ)()るなり』[引照]

口語訳それから日が傾きかけたので、十二弟子がイエスのもとにきて言った、「群衆を解散して、まわりの村々や部落へ行って宿を取り、食物を手にいれるようにさせてください。わたしたちはこんな寂しい所にきているのですから」。
塚本訳日が傾きかけると、十二人は来てイエスに言った、「群衆を解散させ、まわりの村や部落に行って宿を取らせ、食事をさせてください。わたし達はこんな人里はなれた所にいるのですから。」
前田訳日が傾きかけると、十二人がおそばへ来ていった、「群衆を解散させ、まわりの村や里へ行って宿らせ、食事をさせてください。われらはこんな人里離れたところにいますから」と。
新共同日が傾きかけたので、十二人はそばに来てイエスに言った。「群衆を解散させてください。そうすれば、周りの村や里へ行って宿をとり、食べ物を見つけるでしょう。わたしたちはこんな人里離れた所にいるのです。」
NIVLate in the afternoon the Twelve came to him and said, "Send the crowd away so they can go to the surrounding villages and countryside and find food and lodging, because we are in a remote place here."
註解: 群衆は自己の飢えをも忘るるほどイエスに引き付けられていた。最も事務的な平凡な焦慮を示したのは、弟子たちであった。

9章13節 イエス()(たま)ふ『なんぢら食物(しょくもつ)を((かれ)らに)(あた)へよ』[引照]

口語訳しかしイエスは言われた、「あなたがたの手で食物をやりなさい」。彼らは言った、「わたしたちにはパン五つと魚二ひきしかありません、この大ぜいの人のために食物を買いに行くかしなければ」。
塚本訳彼らに言われた、「あなた達が自分で食べさせてやったらよかろう。」彼らが言った、「手許にはパン五つと魚二匹よりありません、わたし達が行って、このみんなの食べる物を買ってこないことには。」
前田訳彼はいわれた、「あなた方が食べ物をお与えなさい」と。彼らはいった、「パン五つと魚二匹しか手もとにありません、われらがこの人たち皆の食べ物を買いに行かないかぎり」と。
新共同しかし、イエスは言われた。「あなたがたが彼らに食べ物を与えなさい。」彼らは言った。「わたしたちにはパン五つと魚二匹しかありません、このすべての人々のために、わたしたちが食べ物を買いに行かないかぎり。」
NIVHe replied, "You give them something to eat." They answered, "We have only five loaves of bread and two fish--unless we go and buy food for all this crowd."
註解: 弟子たちに不可能を命じて、不可能を可能ならしめる神を示さんとし給う。

弟子(でし)たち()ふ『(われ)らただ(いつ)つのパンと(ふた)つの(うを)とあるのみ、()(おほ)くの(ひと)のために、()きて()はねば(ほか)食物(しょくもつ)なし』

註解: 直訳「もし我ら往きてこの民凡てのために食物を買ふにあらざれば、我らには五つのパンと二つの魚とより外になし」。

9章14節 (をとこ)おほよそ()(せん)(にん)ゐたればなり。[引照]

口語訳というのは、男が五千人ばかりもいたからである。しかしイエスは弟子たちに言われた、「人々をおおよそ五十人ずつの組にして、すわらせなさい」。
塚本訳男五千人ばかりもいたからである。「五十人ぐらいずつ組にして坐らせなさい」と弟子たちに言われた。
前田訳男五千人ほどがいたからである。彼は弟子たちにいわれた、「五十人くらいずつ組にしてすわらせなさい」と。
新共同というのは、男が五千人ほどいたからである。イエスは弟子たちに、「人々を五十人ぐらいずつ組にして座らせなさい」と言われた。
NIV(About five thousand men were there.) But he said to his disciples, "Have them sit down in groups of about fifty each."
註解: イエスの命令を実行することは絶対に不可能であった。

イエス弟子(でし)たちに()ひたまふ『人々(ひとびと)(くみ)にして()(じふ)(にん)づつ()せしめよ』

9章15節 (かれ)()その(ごと)くなして、人々(ひとびと)をみな()せしむ。[引照]

口語訳彼らはそのとおりにして、みんなをすわらせた。
塚本訳そのように、皆を坐らせた。
前田訳彼らはそのとおりにして、皆をすわらせた。
新共同弟子たちは、そのようにして皆を座らせた。
NIVThe disciples did so, and everybody sat down.
註解: 弟子たちのイエスに対する絶対信頼と絶対服従を見よ、彼らはイエスが何を為さんとし給うかを、問うことだにしなかった。

9章16節 かくてイエス(いつ)つのパンと(ふた)つの(うを)とを()り、(てん)(あふ)ぎて(しゅく)し、()きて弟子(でし)たちに(わた)し、群衆(ぐんじゅう)のまへに()かしめ(たま)ふ。[引照]

口語訳イエスは五つのパンと二ひきの魚とを手に取り、天を仰いでそれを祝福してさき、弟子たちにわたして群衆に配らせた。
塚本訳するとイエスは(いつも家長がするように、)その五つのパンと二匹の魚を(手に)取り、天を仰いでそれを祝福したのち、(パンを)裂いて、群衆に配るように弟子たちに渡された。
前田訳彼はその五つのパンと二匹の魚を取り、天を仰いでそれを祝福して裂き、群衆に配るように弟子たちに渡された。
新共同すると、イエスは五つのパンと二匹の魚を取り、天を仰いで、それらのために賛美の祈りを唱え、裂いて弟子たちに渡しては群衆に配らせた。
NIVTaking the five loaves and the two fish and looking up to heaven, he gave thanks and broke them. Then he gave them to the disciples to set before the people.
註解: イエスの祝福を受けると小量のものも無限の力を有す。イエスの態度は、平常十二弟子と共に食し給う時と全く同じであった。神にとっては一人も千人のごとく千人も一人のごとくである。無尽蔵の物質を支配し給う神は物量を問題とし給わない。イエスの祝福は物の価値を無限大に拡大する。

9章17節 (かれ)らは(くら)ひて(みな)()く。()きたる(あまり)(あつ)めしに十二(じふに)(かご)ほどありき。[引照]

口語訳みんなの者は食べて満腹した。そして、その余りくずを集めたら、十二かごあった。
塚本訳皆が食べて満腹した。そして余った(パンの)屑を拾うと、十二篭あった。
前田訳皆が食べて満腹した。余りのくずを拾うと、十二籠あった。
新共同すべての人が食べて満腹した。そして、残ったパンの屑を集めると、十二籠もあった。
NIVThey all ate and were satisfied, and the disciples picked up twelve basketfuls of broken pieces that were left over.
註解: 如何にして五つのパンと二つの魚をもって五千人を飽かしめ得たかは、我らの今日の知識をもっては説明し得ない。なお残余を拾い集めることは、神の豊富さに似合わしからぬようであるが、無限の創造力を有ち給う神がその造り給える一物をも軽視し給わない処に、神の神らしさを見るべきである。この奇蹟は最も重要なる奇蹟として他の三福音書にも掲げられている。それらの各々に附随せる要義をも参照すべし。
要義 [弟子の従順さ]イエスの御言を解せず、その為せと命じ給うことの何のためであるかを解しなかった弟子たちでありながら、彼らは従順にイエスの命じ給うままに行動した。この時彼らがイエスより受取ったパンは、彼らの手中において数百倍の量に増加したのであった。かくして彼らはイエスに従うことによって自ら奇蹟を行うことができたのであった。かつ、「食物を彼らに与えよ」との命令をすら実行することができた。この奇蹟の物語において注意べき点である。

5-2-ハ イエスは誰か。受難の予告(その一) 9:18 - 9:22
(マタ16:13-23) (マコ8:27-33)   

註解: 前節と本節との間にマルコ伝6:45−8:27に相当する部分が省かれている。理由は不明である。

9章18節 イエス人々(ひとびと)(はな)れて(いの)居給(ゐたま)ふとき、弟子(でし)たち(とも)にをりしに、()ひて()ひたまふ[引照]

口語訳イエスがひとりで祈っておられたとき、弟子たちが近くにいたので、彼らに尋ねて言われた、「群衆はわたしをだれと言っているか」。
塚本訳イエスがひとりで祈っておられた時のこと、弟子たち(だけ)が一しょにいると、こう言って尋ねられた、「人々はわたしのことをなんと言っているのか。」
前田訳彼がひとりで祈っておられたときのこと、弟子たちがおそばにいたのでおたずねになった、「群衆はわたしをなんといっているか」と。
新共同イエスがひとりで祈っておられたとき、弟子たちは共にいた。そこでイエスは、「群衆は、わたしのことを何者だと言っているか」とお尋ねになった。
NIVOnce when Jesus was praying in private and his disciples were with him, he asked them, "Who do the crowds say I am?"
註解: 「人々を離れて」は適訳ではない、「一人にて」「単独にて」と訳すべきで、弟子たちも偕にいる中で独り祈り給うたのである。イエスのこの祈りの姿は弟子たちの目に強く印象されたのであった。

群衆(ぐんじゅう)(われ)(たれ)といふか』

9章19節 (こた)へて()ふ『バプテスマのヨハネ、(ある)(ひと)はエリヤ、(ある)(ひと)(いにし)への預言者(よげんしゃ)一人(ひとり)よみがへりたりと()ふ』[引照]

口語訳彼らは答えて言った、「バプテスマのヨハネだと、言っています。しかしほかの人たちは、エリヤだと言い、また昔の預言者のひとりが復活したのだと、言っている者もあります」。
塚本訳彼らが答えて言った、「洗礼者ヨハネ。あるいはエリヤ、あるいは昔のある預言者が生き返ったのだ、と言う者があります。」
前田訳彼らが答えた、「洗礼者ヨハネです。あるものはエリヤ、あるものは昔のある預言者がよみがえった、と申します」と。
新共同弟子たちは答えた。「『洗礼者ヨハネだ』と言っています。ほかに、『エリヤだ』と言う人も、『だれか昔の預言者が生き返ったのだ』と言う人もいます。」
NIVThey replied, "Some say John the Baptist; others say Elijah; and still others, that one of the prophets of long ago has come back to life."
註解: 8節と同一で当時一般の人々のイエスに対する評言であった。イエスを真に理解しなかった人々でも、人間としては彼に最高の霊的地位を与えることには一致していた。

9章20節 イエス()(たま)ふ『なんぢらは(われ)(たれ)()ふか』ペテロ(こた)へて()ふ『(かみ)のキリストなり』[引照]

口語訳彼らに言われた、「それでは、あなたがたはわたしをだれと言うか」。ペテロが答えて言った、「神のキリストです」。
塚本訳彼らに言われた、「では、あなた達はわたしのことをなんと言うのか。」ペテロが答えて言った、「神の(お約束の)救世主!」
前田訳彼らにいわれた、「あなた方はわたしをなんというか」と。ペテロが答えた、「神のキリスト」と。
新共同イエスが言われた。「それでは、あなたがたはわたしを何者だと言うのか。」ペトロが答えた。「神からのメシアです。」
NIV"But what about you?" he asked. "Who do you say I am?" Peter answered, "The Christ of God."
註解: ペテロが弟子たちを代表してイエスを人間以上と見「神の受膏者」または「キリスト」(マコ8:29)または「キリスト活ける神の子」と告白した。これはイエスに対する尊敬を超越して彼に対する礼拝にまで高められた心の態度であった。これが人間がキリストに対して取るべき当然の態度である。マタイ伝(16:17−19)によればイエスはいたくこの告白を嘉(よみ)し、ペテロに天国の鍵を授け給うた。マルコ伝、ルカ伝にはこれを省略している。

9章21節 イエス(かれ)らを(いまし)めて、(これ)(たれ)にも()げぬやうに(めい)じ、[引照]

口語訳イエスは彼らを戒め、この事をだれにも言うなと命じ、そして言われた、
塚本訳イエスは弟子たちを戒めて、このことをだれにも言うなと命じられた。
前田訳彼は弟子たちをたしなめてこのことをだれにもいわぬよう命じられた。そして、いわれた、
新共同イエスは弟子たちを戒め、このことをだれにも話さないように命じて、
NIVJesus strictly warned them not to tell this to anyone.
註解: この信仰は神より直接に彼らの霊に示されるものであって、人が人に告ぐべきものではない、またイエスを神のキリストと信ずることは次節以下27節に示されている通り、唯頭脳による理解の問題ではなく生命懸(いのちが)けの問題であるから、無理解の者に濫りに与えてはならない故かく命じ給う。なおこの告白終ってイエスは苦難の途に向って突進し給うたのであった。またイエスがこの告白を拒まなかった処にイエスの神の子意識を見ることができる。▲イエスを神の子と信じ、彼を宣伝えるのがキリスト者の任務である。このことと「これを誰にも告げるな」という主の命令とは矛盾するようであるが、この信仰は聖霊によって父より示されるべきことであり、イエスの復活昇天の後においてこのことが実現すべきものであるので、彼の在世中には濫りにこれを言い広めることを禁じ給うたのであろう。

かつ()(たま)

9章22節 (ひと)()(かなら)(おほ)くの苦難(くるしみ)をうけ、長老(ちゃうらう)祭司長(さいしちゃう)學者(がくしゃ)らに()てられ、かつ(ころ)され、三日(みっか)めに(よみが)へるべし』[引照]

口語訳「人の子は必ず多くの苦しみを受け、長老、祭司長、律法学者たちに捨てられ、また殺され、そして三日目によみがえる」。
塚本訳そして、「人の子(わたし)は多くの苦しみをうけ、長老、大祭司連、聖書学者たちから排斥され、殺され、そして三日目に復活せねばならない。(神はこうお決めになっている)」と言われた。
前田訳「人の子は多くの苦しみを受け、長老、大祭司、学者から捨てられ、殺されて三日目に復活せねばならぬ」と。
新共同次のように言われた。「人の子は必ず多くの苦しみを受け、長老、祭司長、律法学者たちから排斥されて殺され、三日目に復活することになっている。」
NIVAnd he said, "The Son of Man must suffer many things and be rejected by the elders, chief priests and teachers of the law, and he must be killed and on the third day be raised to life."
註解: イエスはここに初めて受難の予告をなし給うた。かかるイエスを神の子として信じなければならないことは最も困難なことであり、かくてもなおイエスを信ずるのでないならば、その信仰は虚偽である。かつ弟子自らもこの苦難を負う覚悟を要する。

5-2-ニ イエスに従う者の覚悟 9:23 - 9:27
(マタ16:24-28) (マコ8:34-9:1)   

9章23節 また一同(いちどう)(もの)()ひたまふ『(ひと)もし(われ)(したが)(きた)らんと(おも)はば、(おのれ)をすて、日々(ひび)おのが十字架(じふじか)()ひて(われ)(したが)へ。[引照]

口語訳それから、みんなの者に言われた、「だれでもわたしについてきたいと思うなら、自分を捨て、日々自分の十字架を負うて、わたしに従ってきなさい。
塚本訳それから今度は皆に話された、「だれでも、わたしについて来ようと思う者は、(まず)己れをすてて、毎日自分の十字架を負い、それからわたしに従え。
前田訳そして皆にいわれた、「わたしについて来ようとするものは、おのれを捨てて日ごとおのが十字架を負い、それからわたしに従え。
新共同それから、イエスは皆に言われた。「わたしについて来たい者は、自分を捨て、日々、自分の十字架を背負って、わたしに従いなさい。
NIVThen he said to them all: "If anyone would come after me, he must deny himself and take up his cross daily and follow me.
註解: 利益や、パンを求めて我に従うのは誤っている。イエスの弟子となるの第一の覚悟は、日々自己の負うべき苦難を負うことである。

9章24節 (そは)(おの)生命(いのち)(すく)はんと(おも)(もの)(これ)(うしな)ひ、()がために(おの)生命(いのち)(うしな)ふその(ひと)(これ)(すく)[はん](ふべければなり)。[引照]

口語訳自分の命を救おうと思う者はそれを失い、わたしのために自分の命を失う者は、それを救うであろう。
塚本訳(十字架を避けてこの世の)命を救おうと思う者は(永遠の)命を失い、わたしのために(この世の)命を失う者が、(永遠の)命を救うのだから。
前田訳おのがいのちを救おうとするものはそれを失い、わたしのためにいのちを失うものはそれを救おう。
新共同自分の命を救いたいと思う者は、それを失うが、わたしのために命を失う者は、それを救うのである。
NIVFor whoever wants to save his life will lose it, but whoever loses his life for me will save it.
註解: 前節の理由、我らの生命はキリストのために献げらるることによって救われて永遠の生命に入り、反対に自己のためにこれを用いんとして永遠の滅亡に入る。この逆説(パラドックス)の真理なることを覚るのが、キリスト教教理の理解の鍵である。

9章25節 (ひと)全世界(ぜんせかい)(まう)くとも、(おのれ)をうしなひ(おのれ)(そん)せば、(なに)(えき)あらんや。[引照]

口語訳人が全世界をもうけても、自分自身を失いまたは損したら、なんの得になろうか。
塚本訳全世界をもうけても、自分(の命)を失ったり損したりするのでは、その人は何を得するのだろう。
前田訳人が全世界をかち得ても、自らを失いまたは損したら、何の利得があろう。
新共同人は、たとえ全世界を手に入れても、自分の身を滅ぼしたり、失ったりしては、何の得があろうか。
NIVWhat good is it for a man to gain the whole world, and yet lose or forfeit his very self?
註解: 一人の個人の価値は全世界よりも貴重である。この自己の人格を救いこれを全うすることは全世界をもうけるよりも大切なることである。そしてこの個人を救うにはキリストを信じて彼に従うより外にない(ヨハ12:25)。

9章26節 (われ)()(ことば)とを()づる(もの)をば、(ひと)()もまた、(おのれ)(ちち)(せい)なる御使(みつかひ)たちとの榮光(えいくわう)をもて(きた)らん(とき)()づべし。[引照]

口語訳わたしとわたしの言葉とを恥じる者に対しては、人の子もまた、自分の栄光と、父と聖なる御使との栄光のうちに現れて来るとき、その者を恥じるであろう。
塚本訳(わたしを信ずると言いながら、)わたしとわたしの福音(を告白すること)とを恥じる者があれば、人の子(わたし)も、自分と父上と聖なる天使たちとの栄光に包まれて(ふたたび地上に)来る時、そんな(臆病)者を(弟子と認めることを)恥じるであろう。
前田訳わたしとわがことばを恥じるものがあれば、その人を人の子は恥じよう、彼が自分と父と聖なる天使たちの栄光のうちに来るときに。
新共同わたしとわたしの言葉を恥じる者は、人の子も、自分と父と聖なる天使たちとの栄光に輝いて来るときに、その者を恥じる。
NIVIf anyone is ashamed of me and my words, the Son of Man will be ashamed of him when he comes in his glory and in the glory of the Father and of the holy angels.
註解: イエスとイエスの言とを恥ずる者はイエスを信ずることを拒み、イエスに従うことを恥とする者であり、すなわち不信の徒である。かかる者に対し、イエスが再び来給う時、これを己のものと呼ぶことを恥じて彼を拒むであろう。イエスの再臨の時は父の栄光、己が栄光、御使いたちの栄光をもって輝く。そのイエスに拒まれることは永遠の死、永遠の審判を意味する。

9章27節 われ(まこと)をもて(なんぢ)らに()ぐ、此處(ここ)()(もの)のうちに、(かみ)(くに)()るまで[は]()(あぢ)はぬ(もの)どもあり』[引照]

口語訳よく聞いておくがよい、神の国を見るまでは、死を味わわない者が、ここに立っている者の中にいる」。
塚本訳本当にわたしは言う、(その時はじきに来る。)今ここに立っている者のうちには、死なずにいて、その神の国を見る者がある。」
前田訳本当にいう、ここに立っているものの中には、神の国を見るまで死を味わわぬものがある」と。
新共同確かに言っておく。ここに一緒にいる人々の中には、神の国を見るまでは決して死なない者がいる。」
NIVI tell you the truth, some who are standing here will not taste death before they see the kingdom of God."
註解: 「神の国を見る」とはイエスの再臨により神の国が実現し完成する時の姿を指す。「死を味ふ」は肉体の死を意味せず、永遠の死を意味すと見るべきである。イエスを信ずる者は「永遠の生命をもちかつ審判に至らず、死より生命に移っている」(ヨハ5:24)。ここに立っている汝ら多くの人々(23節)の中、全部ではないにしてもその或者は、イエスを信ずることによって永遠の生命を持ち、永遠に死を味わずしてやがて再臨のイエスの栄光を見ることができる者があるであろう。イエスはやがて苦難と死を経過しなければならず、弟子はおのが十字架を負うてイエスに従わなければならぬ。しかしイエスのためにかくしてその生命を失う者こそ永遠の栄光と永遠の生命を獲得し、栄光のイエスとその国とを見ることができるのである。苦難を通しての栄光である。なおこの「死」を肉体的死と見る場合、弟子の生存中にキリストの再臨があることとなり、事実相違の結果となるため、「神の国」を「イエスの変貌」(28−36節)または紀元七十年のエルサレムの陥落を指すとする説あれど、上掲解釈を採る。

5-2-ホ イエスの変貌 9:28 - 9:36
(マタ17:1-8) (マコ9:2-8)   

9章28節 これらの(ことば)をいひ(たま)ひしのち八日(やうか)ばかり()ぎて、ペテロ、ヨハネ、ヤコブを()きつれ、(いの)らんとて(やま)(のぼ)(たま)ふ。[引照]

口語訳これらのことを話された後、八日ほどたってから、イエスはペテロ、ヨハネ、ヤコブを連れて、祈るために山に登られた。
塚本訳これらの言葉を語られた後、八日ばかりして、ペテロとヨハネとヤコブとを連れて、祈るために山に上られた。
前田訳これらのことをいわれてから八日ほどして、彼はペテロとヨハネとヤコブを連れて山に上って祈られた。
新共同この話をしてから八日ほどたったとき、イエスは、ペトロ、ヨハネ、およびヤコブを連れて、祈るために山に登られた。
NIVAbout eight days after Jesus said this, he took Peter, John and James with him and went up onto a mountain to pray.
註解: 八日後の出来事であったが互に密接な関連がある事件であった。ヨハネをヤコブより先に置いたのはヨハネが当時生きており、重要な目撃者であるから(B1)と解するのは適当でない。8:51註参照。この場合もイエスの目的は父なる神に祈り給うことであった。
辞解
[山] この山の位置名称等につき種々の伝説があるが不確かである。現在はタボール山の頂上に、この事実を記念する建物がある。

9章29節 かくて(いの)(たま)ふほどに、御顏(みかほ)(さま)かはり、()(ころも)(しろ)くなりて(かがや)けり。[引照]

口語訳祈っておられる間に、み顔の様が変り、み衣がまばゆいほどに白く輝いた。
塚本訳祈っておられるうちに、お顔の様子がちがってきて、着物(まで)が白く光り出した。
前田訳祈っておられると、お顔の様子が変わり、お着物が白く輝いた。
新共同祈っておられるうちに、イエスの顔の様子が変わり、服は真っ白に輝いた。
NIVAs he was praying, the appearance of his face changed, and his clothes became as bright as a flash of lightning.
註解: ルカは単に「御顔の様相」 eidos が変わったといっているが、マタイ、マルコは「彼らの前にてその状かはり metamorphōthē 」といい、蛹が蛾になったほどの変態 metamorphosis を呈したことを録している。後者の方が実相を良く示していると思われる。白き衣は、祭司・天の使い等の衣に類する点より見るも、この場合のイエスの姿は天的光輝に輝いていた。

9章30節 ()よ、二人(ふたり)(ひと)ありてイエスと(とも)(かた)る。これはモーセとエリヤとにて、[引照]

口語訳すると見よ、ふたりの人がイエスと語り合っていた。それはモーセとエリヤであったが、
塚本訳すると見よ、二人の人が(現われて、)イエスと話していた。それはモーセとエリヤで、
前田訳すると見よ、ふたりの人が彼と話していた。それはモーセとエリヤで、
新共同見ると、二人の人がイエスと語り合っていた。モーセとエリヤである。
NIVTwo men, Moses and Elijah,

9章31節 榮光(えいくわう)のうちに(あらは)れ、イエスのエルサレムにて()げんとする逝去(せいきょ)のことを()ひゐたるなり。[引照]

口語訳栄光の中に現れて、イエスがエルサレムで遂げようとする最後のことについて話していたのである。
塚本訳栄光に包まれて現われ、イエスがエルサレムで遂げねばならぬ最後について(彼と)語っていたのである。
前田訳栄光のうちに現われ、イエスがエルサレムで遂げねばならぬ最期について話していたのである。
新共同二人は栄光に包まれて現れ、イエスがエルサレムで遂げようとしておられる最期について話していた。
NIVappeared in glorious splendor, talking with Jesus. They spoke about his departure, which he was about to bring to fulfillment at Jerusalem.
註解: 31−33a節はルカ伝のみにあり。ルカが伝聞かまたは異なった記録より取ったのであろう。「逝去」は exodos の訳で、去って往くことすなわち門出または出発を意味す。従ってこの場合、単にイエスの受難の死のみならず、その後の復活、昇天等をも含んでいると見るべきである。モーセは律法の代表者、エリヤは預言の代表者で両者をもって旧約を代表し、新約のイエスが加わって神の人類救済の経綸の全貌を示す。

9章32節 ペテロ(およ)(とも)にをる(もの)いたく睡氣(ねむけ)ざしたれど、()(さま)してイエスの榮光(えいくわう)および(とも)()二人(ふたり)()たり。[引照]

口語訳ペテロとその仲間の者たちとは熟睡していたが、目をさますと、イエスの栄光の姿と、共に立っているふたりの人とを見た。
塚本訳ペテロたちはぐっすり眠っていたが、(この時)目を覚まして、このイエスの栄光(の姿)と、一しょに立っている二人の人とを見たのである。
前田訳ペテロと仲間は眠り込んでいたが、目を覚まして、彼の栄光と、彼とともに立つふたりの人とを見た。
新共同ペトロと仲間は、ひどく眠かったが、じっとこらえていると、栄光に輝くイエスと、そばに立っている二人の人が見えた。
NIVPeter and his companions were very sleepy, but when they became fully awake, they saw his glory and the two men standing with him.
註解: 「睡気ざす」睡さに耐え難いこと、これは29節の前の状態として考うべきであろう。さもなくばイエスの変貌を見ることができなかったはずである。

9章33節 二人(ふたり)(もの)イエスと(わか)れんとする(とき)、ペテロ、イエスに()ふ『(きみ)よ、(われ)らの此處(ここ)()るは()し、(われ)()つの(いほり)(つく)り、(ひと)つを(なんぢ)のため、(ひと)つをモーセのため、(ひと)つをエリヤの(ため)にせん』(かれ)()(ところ)()らざりき。[引照]

口語訳このふたりがイエスを離れ去ろうとしたとき、ペテロは自分が何を言っているのかわからないで、イエスに言った、「先生、わたしたちがここにいるのは、すばらしいことです。それで、わたしたちは小屋を三つ建てましょう。一つはあなたのために、一つはモーセのために、一つはエリヤのために」。
塚本訳いよいよ二人がイエスと別れようとした時、ペテロがイエスに言った、「先生、わたし達(三人)がここにいるのは、とても良いと思います。だから小屋を三つ造りましょう。一つをあなたに、一つをモーセに、一つをエリヤに。」──何を言っているのか、(自分にも)わからなかった。
前田訳ふたりが彼と別れるとき、ペテロはイエスにいった、「先生、われらがここにいるのをさいわい、幕屋を三つ作りましょう、一つをあなたに、一つをモーセに、一つをエリヤに」と。何をいっているのか、自分にもわからなかったのである。
新共同その二人がイエスから離れようとしたとき、ペトロがイエスに言った。「先生、わたしたちがここにいるのは、すばらしいことです。仮小屋を三つ建てましょう。一つはあなたのため、一つはモーセのため、もう一つはエリヤのためです。」ペトロは、自分でも何を言っているのか、分からなかったのである。
NIVAs the men were leaving Jesus, Peter said to him, "Master, it is good for us to be here. Let us put up three shelters--one for you, one for Moses and one for Elijah." (He did not know what he was saying.)
註解: ペテロはこの高き山の上にイエス、モーセ、エリヤの三人と共に生活することの幸福を想像して胸の躍るを覚え、かかる状態の永続こそ望ましいことと思ったので、この奇蹟的顕現の性質の如何をも考慮に入れずにこの三人のために廬(いおり)の建設を提言したのであった。
辞解
[言ふ所を知らざりき] 無我夢中で言ったとのこと。
[此處に居るは善し] 「善し」はこんな結構なことはないという意味。道徳的善悪の問題ではない。

9章34節 この(こと)()()るほどに、(くも)おこりて(かれ)らを(おほ)ふ。(くも)(うち)()りしとき、弟子(でし)たち(おそ)れたり。[引照]

口語訳彼がこう言っている間に、雲がわき起って彼らをおおいはじめた。そしてその雲に囲まれたとき、彼らは恐れた。
塚本訳しかしペテロがこう言い終らないうちに、雲がおこって、彼ら(イエスとモーセとエリヤと)を掩った。彼らが雲の中に入った時、弟子たちは恐ろしくなった。
前田訳ペテロがこういううちに雲がおこって彼らをおおった。彼らは雲の中に入ったときおそれた。
新共同ペトロがこう言っていると、雲が現れて彼らを覆った。彼らが雲の中に包まれていくので、弟子たちは恐れた。
NIVWhile he was speaking, a cloud appeared and enveloped them, and they were afraid as they entered the cloud.

9章35節 (くも)より(こゑ)()でて()ふ『これは()(えら)びたる(()が)()なり、(なんぢ)(これ)()け』[引照]

口語訳すると雲の中から声があった、「これはわたしの子、わたしの選んだ者である。これに聞け」。
塚本訳すると「これはわたしの“選んだ子、”“彼の言うことを聞け”」と言う声が雲の中から聞えてきた。
前田訳すると、雲の中から声がした、「これはわが選びのいとし子。彼に耳傾けよ」と。
新共同すると、「これはわたしの子、選ばれた者。これに聞け」と言う声が雲の中から聞こえた。
NIVA voice came from the cloud, saying, "This is my Son, whom I have chosen; listen to him."
註解: 高い山の頂上に不意に雲が起る光景は唯さえ物すごいものであるが、その雲が白き衣に耀いた三人と弟子たち三人とを包んでしまったので、弟子たちが懼れたのも無理もない。その時雲の中から聞えた声は神の声として、彼らにとって最も意義深いものであった。マタ17:5。マコ9:7には「これは我が愛しむ子なり、汝ら之に聴け」とあり、ルカはこれを「選びたる我が子」と録している。この両者の間に根本的差別はない。なおUペテ1:17、18の差異を見よ。ただしキリストについて「選ばれたる」ことを録しているのはルカだけである(23:35)。

9章36節 (こゑ)()でしとき、(ただ)イエスひとり()(たま)ふ。[引照]

口語訳そして声が止んだとき、イエスがひとりだけになっておられた。弟子たちは沈黙を守って、自分たちが見たことについては、そのころだれにも話さなかった。
塚本訳声がきこえた時、見ると(そこには)イエスだけがおられた。彼らはそのころ口をつぐんで、見たことを一切、だれにも話さなかった。
前田訳声がしたとき、見ると、イエスだけがおられた。彼らは黙りこんで、見たことをそのころ、いっさいだれにも話さなかった。
新共同その声がしたとき、そこにはイエスだけがおられた。弟子たちは沈黙を守り、見たことを当時だれにも話さなかった。
NIVWhen the voice had spoken, they found that Jesus was alone. The disciples kept this to themselves, and told no one at that time what they had seen.
註解: イエスは「律法と預言者」すなわち旧約の完成者であり成就者である。モーセやエリヤと同列に置くべきではない。このことをペテロも他の二人の弟子も悟ったことであろう。

弟子(でし)たち(もく)して、()(こと)(なに)(ひと)()(ころ)たれにも()げざりき。

註解: ルカ伝のみにこのことが録され、イエスがかく命じ給うたことはマタイ伝とマルコ伝とのみに録されている。ルカはこの命令を省略したか、または事の重大さを弟子たちが感じ、自然暫くの間沈黙したものと解したのであろう。なおルカがこの記事の次にエリヤに関する記事を省略したのは(マタ17:9−13。マコ9:9−13)ユダヤ人以外には関心少なき事実であるからであろう。
要義 [イエスに関する神の証言]イエスがヨハネよりバプテスマを受けて水より上り給える時「これは(または汝は)我が悦ぶ我が愛子なり」との声が天より聞え、この度また、イエスの変貌の山においてほとんど同様の声が天より聞えた。前者はイエスが伝道生涯に入らんとし給う門出の際であり、後者はイエスが十字架の途に進まんとし給う門出の際であった。共にイエスにとっては重大なる危機であり、神の佑けを要すること最も大なる時であった。この時神は天よりその御声をもってイエスを証し、彼に天よりの佑けを与え給うたのであった。これによってイエスは、新たなる確信をもってその進むべき道に進み、弟子たちは不動の信仰をもって彼に依り頼むことができたのであった(Uペテ1:17、18)。

5-2-へ 癲癇の兒を醫し給う 9:37 - 9:43
(マタ17:14-21) (マコ9:14-29)   

9章37節 (つぎ)()(やま)より(くだ)りたるに、(おほい)なる群衆(ぐんじゅう)イエスを(むか)ふ。[引照]

口語訳翌日、一同が山を降りて来ると、大ぜいの群衆がイエスを出迎えた。
塚本訳次の日、山から下ってくると、大勢の群衆がイエスを出迎えた。
前田訳次の日彼らが山をおりると、大勢の群衆がイエスを出迎えた。
新共同翌日、一同が山を下りると、大勢の群衆がイエスを出迎えた。
NIVThe next day, when they came down from the mountain, a large crowd met him.

9章38節 ()よ、群衆(ぐんじゅう)のうちの(ある)(ひと)さけびて()ふ『()よ、(ねが)はくは()()(かへり)みたまへ、(これ)()獨子(ひとりご)なり。[引照]

口語訳すると突然、ある人が群衆の中から大声をあげて言った、「先生、お願いです。わたしのむすこを見てやってください。この子はわたしのひとりむすこですが、
塚本訳すると群衆の中のひとりの人がこう言って叫んだ、「先生、お願いです、伜に目をかけてやってください。独り息子です。
前田訳すると見よ、群衆のひとりが叫んだ、「先生、お願いします。倅(せがれ)にお心をおかけください。ひとり息子です。
新共同そのとき、一人の男が群衆の中から大声で言った。「先生、どうかわたしの子を見てやってください。一人息子です。
NIVA man in the crowd called out, "Teacher, I beg you to look at my son, for he is my only child.

9章39節 ()よ、(れい)()くときは(にはか)(さけ)ぶ、痙攣(ひきつ)けて(あわ)をふかせ、(いた)(そこな)ひ、(やうや)くにして(はな)るるなり。[引照]

口語訳霊が取りつきますと、彼は急に叫び出すのです。それから、霊は彼をひきつけさせて、あわを吹かせ、彼を弱り果てさせて、なかなか出て行かないのです。
塚本訳かわいそうに霊がつくと、急にどなり出し、またひきつけさせて泡をふかせ、なかなか離れないで、すっかり弱らせてしまいます。
前田訳霊がとりつくが早いか急に叫びだし、ひきつけさせて泡をふかせ、なかなか離れないで弱らせます。
新共同悪霊が取りつくと、この子は突然叫びだします。悪霊はこの子にけいれんを起こさせて泡を吹かせ、さんざん苦しめて、なかなか離れません。
NIVA spirit seizes him and he suddenly screams; it throws him into convulsions so that he foams at the mouth. It scarcely ever leaves him and is destroying him.

9章40節 御弟子(みでし)たちに(これ)()(いだ)すことを()ひたれど、(あた)はざりき』[引照]

口語訳それで、お弟子たちに、この霊を追い出してくださるように願いましたが、できませんでした」。
塚本訳それで、霊を追い出すことをお弟子たちに願いましたが、お出来になりませんでした。」
前田訳お弟子たちに霊を追い出すようお願いしましたが、おできになりませんでした」と。
新共同この霊を追い出してくださるようにお弟子たちに頼みましたが、できませんでした。」
NIVI begged your disciples to drive it out, but they could not."
註解: イエスとその三人の弟子が山上におり、下には九人の弟子が群衆の中におり癲癇(てんかん)の子を醫すことができなかったのでその家族はもとより、一般の群衆も切りにイエスの来り給うことを待望していた。その子の親は彼をイエスの許に連れて来て治癒を請うた。独り子であったことが一層その父の心配を大きくしていた。

9章41節 イエス(こた)へて()(たま)ふ『ああ(しん)なき(まが)れる()なる(かな)、われ何時(いつ)まで(なんぢ)らと(とも)にをりて、(なんぢ)らを(しの)ばん。(なんぢ)()をここに()(きた)れ』[引照]

口語訳イエスは答えて言われた、「ああ、なんという不信仰な、曲った時代であろう。いつまで、わたしはあなたがたと一緒におられようか、またあなたがたに我慢ができようか。あなたの子をここに連れてきなさい」。
塚本訳イエスが答えられた、「ああ不信仰な、腐り果てた時代よ、わたしはいつまであなた達の所にいてあなた達に我慢しなければならないのか。息子をここにつれてきなさい。」
前田訳イエスが答えられた、「ああ不信の曲がった世代よ、いつまであなた方のところにいてあなた方を辛抱すべきか。息子をここに連れて来なさい」と。
新共同イエスはお答えになった。「なんと信仰のない、よこしまな時代なのか。いつまでわたしは、あなたがたと共にいて、あなたがたに我慢しなければならないのか。あなたの子供をここに連れて来なさい。」
NIV"O unbelieving and perverse generation," Jesus replied, "how long shall I stay with you and put up with you? Bring your son here."
註解: イエスはこの時、弟子たち、病兒の父、一般の群衆をも含めてその不信と邪曲を責め給うた。弟子たちが彼を醫し得なかったのは弟子たちのみならず、その父の不信にもよることであったので、マコ9:22b−24にイエスがその父の不信を責め給えることが記されている。ルカ伝は省略している。

9章42節 (すなは)(きた)るとき、惡鬼(あくき)これを()(たふ)し、(いた)痙攣(ひきつ)けさせたり。イエス(けが)れし(れい)(いやし)め、()(いや)して、その(ちち)(わた)したまふ。[引照]

口語訳ところが、その子がイエスのところに来る時にも、悪霊が彼を引き倒して、引きつけさせた。イエスはこの汚れた霊をしかりつけ、その子供をいやして、父親にお渡しになった。
塚本訳しかし来るうちに、悪鬼がもうその子を投げ倒して、ひどくひきつけさせた。イエスは汚れた霊を叱りつけて子をいやし、父親に返された。
前田訳来るうちに悪鬼が子を倒してひきつけさせた。イエスはけがれた霊をたしなめて子をいやし、父親に返された。
新共同その子が来る途中でも、悪霊は投げ倒し、引きつけさせた。イエスは汚れた霊を叱り、子供をいやして父親にお返しになった。
NIVEven while the boy was coming, the demon threw him to the ground in a convulsion. But Jesus rebuked the evil spirit, healed the boy and gave him back to his father.

9章43節 人々(ひとびと)みな(かみ)稜威(みいつ)(をどろ)きあへり。[引照]

口語訳人々はみな、神の偉大な力に非常に驚いた。みんなの者がイエスのしておられた数々の事を不思議に思っていると、弟子たちに言われた、
塚本訳皆が神の御威光に驚いてしまった。イエスのされたすべてのことに皆が驚いていると、(また)弟子たちに言われた、
前田訳皆が神の偉大さにおどろきいった。皆が彼のなさったことすべてにおどろいていると、彼は弟子たちにいわれた、
新共同人々は皆、神の偉大さに心を打たれた。イエスがなさったすべてのことに、皆が驚いていると、イエスは弟子たちに言われた。
NIVAnd they were all amazed at the greatness of God. While everyone was marveling at all that Jesus did, he said to his disciples,
註解: 穢れし霊はイエスを見て反抗的に一層強くその力を発揮したにも関らず、イエスは容易にこれを醫し給うた。弟子たちはこれを見て師の力におどろき群衆もまたイエスの中に耀く神の稜威におどろいた。

5-3 弟子たちを戒め給う 9:43 - 9:50
5-3-イ 受難の予告(その二) 9:43 - 9:45
(マタ17:22-23) (マコ9:31-32)   

人々(ひとびと)みなイエスの()(たま)ひし(すべ)ての(こと)(あや)しめる(とき)、イエス弟子(でし)たちに()(たま)ふ、

註解: 山上においては貌を変えてモーセ及びエリヤと語り、弟子たちをしてその光栄に驚かしめ、山を下っては九人の弟子の誰もが醫し得なかった病兒を醫して群衆をして怪しましめ給うた。かかるイエスに対しては、何人も彼の将来に多くを期待し、イスラエルを異教国の支配より脱せしめ給うのはこの人であろうと考えたであろう。これに対し事実は全くその反対であることをイエスは簡単に弟子たちに告げ給うた。

9章44節 『これらの(ことば)(なんぢ)らの(みみ)にをさめよ。(ひと)()人々(ひとびと)()(わた)さるべし』[引照]

口語訳「あなたがたはこの言葉を耳におさめて置きなさい。人の子は人々の手に渡されようとしている」。
塚本訳「あなた達はこの言葉をよく耳にしまって置きなさい。──人の子(わたし)は人々の手に引き渡されねばならない。」
前田訳「あなた方はこのことばを耳に入れておきなさい。人の子は人々の手に渡されよう」と。
新共同「この言葉をよく耳に入れておきなさい。人の子は人々の手に引き渡されようとしている。」
NIV"Listen carefully to what I am about to tell you: The Son of Man is going to be betrayed into the hands of men."
註解: これは第二回目の受難の予告である。マコ9:31によれば「殺されて三日ののちに甦へるべき」ことをも示し給うた。かかる事は変貌の山のイエス、病兒を醫し給えるイエスにとっては何人にも想像だになし得ないことであった。

9章45節 かれら()(ことば)(さと)らず、(わきま)へぬやうに(かく)されたるなり。また()(ことば)につきて()ふことを(おそ)れたり。[引照]

口語訳しかし、彼らはなんのことかわからなかった。それが彼らに隠されていて、悟ることができなかったのである。また彼らはそのことについて尋ねるのを恐れていた。
塚本訳しかし彼らはこの言葉がわからなかった。彼らに(意味が)隠されていたので、会得できなかったのである。でもこわいので、この言葉について尋ねなかった。
前田訳しかし彼らはこのことがわからなかった。彼らに隠されていたので、理解できなかったのである。そしてこわかったので、そのことについておたずねしなかった。
新共同弟子たちはその言葉が分からなかった。彼らには理解できないように隠されていたのである。彼らは、怖くてその言葉について尋ねられなかった。
NIVBut they did not understand what this meant. It was hidden from them, so that they did not grasp it, and they were afraid to ask him about it.
註解: 人間の理解力弁別力は、その霊的能力の程度によって異なる。イエスの語り給える御言を文字の上より見れば何人も理解し得る事柄であるが、それが弟子たちの心に明瞭な感じを与えなかった。解ったようで解っていなかった。後に信仰が確立するようになって以前には想像だに為し得なかったような明瞭さをもってこの言が彼らに響いて来た。その時までは、その真理が隠されていたのである。またイエスの態度があまりにも真剣であったので譬喩による説教の場合とは異なり、その意味を問うことを懼れた。
辞解
[辨へる] aisthanomai 実感を得ること。
要義 [悟るに時あり]聖書は幸いにして仏教の経典のごとくに文字そのものとして難解なものは多くはない。それにもかかわらず聖書の示そうとしている多くの真理は、これを理解したつもりでいてもその真の意味を理解せずにおる場合は非常に多い。例えば「あがない」のこと、「再臨」のこと等は、聖書の中に数多く録されている重要な真理であるにもかかわらず、それが明らかに我らの霊に啓示されるまでは「辨へぬやうに隱され」ている故これを悟ることができない。言の上では明らかにされておりながら、その意味が隠されており、心に実感が伴わない。しかし時至ってその言が我らの霊に啓示される時、以前には思いも及ばなかった明瞭さをもってその意味を理解し、心に強い実感を得るに至るのである。これ神の言は我らの理知の世界の外にあるからである。

5-3-ロ 野心を戒む 9:46 - 9:48
(マタ18:1-5) (マコ9:33-37)   

9章46節 ここに弟子(でし)たちの(うち)に、(たれ)(おほい)ならんとの爭論(さうろん)おこりたれば、[引照]

口語訳弟子たちの間に、彼らのうちでだれがいちばん偉いだろうかということで、議論がはじまった。
塚本訳ここに弟子たちの心に、自分たちのうちでだれが一番えらいだろうという考えが起った。
前田訳弟子たちの間に、自分たちのだれが一番偉いか、という考えがおこった。
新共同弟子たちの間で、自分たちのうちだれがいちばん偉いかという議論が起きた。
NIVAn argument started among the disciples as to which of them would be the greatest.
註解: 精神的職務に就いている者は、殊に虚栄心や名誉心が強い。弟子たちは地方伝道に派遣されて帰って来たばかりなので各々の成績の良否等も自然に比較するような心になった。マタイ伝と異なりルカ伝はこれを現世における大小の意味と見るべきであろう。
辞解
[おこる] eiserchomai 「入り来る」なる原語を用う。弟子たちの間にこれまで見得なかったサタン的心情と、それにより生ずる争論とが入って来たことを示す。

9章47節 イエスその(こころ)爭論(さうろん)()りて、幼兒(をさなご)をとり御側(みそば)()きて()(たま)ふ、[引照]

口語訳イエスは彼らの心の思いを見抜き、ひとりの幼な子を取りあげて自分のそばに立たせ、彼らに言われた、
塚本訳イエスは彼らの心の考えを知って、一人の子供の手を取り、自分のわきに立たせて、
前田訳イエスは彼らの心の考えを悟って、幼子の手を取って自らのそばに立たせて
新共同イエスは彼らの心の内を見抜き、一人の子供の手を取り、御自分のそばに立たせて、
NIVJesus, knowing their thoughts, took a little child and had him stand beside him.

9章48節 『おほよそ()()のために()幼兒(をさなご)()くる(もの)は、(われ)()くるなり。(われ)()くる(もの)は、(われ)(つかは)しし(もの)()くるなり。[引照]

口語訳「だれでもこの幼な子をわたしの名のゆえに受けいれる者は、わたしを受けいれるのである。そしてわたしを受けいれる者は、わたしをおつかわしになったかたを受けいれるのである。あなたがたみんなの中でいちばん小さい者こそ、大きいのである」。
塚本訳言われた、「わたしの名を信ずるこの子供を迎える者は、わたしを迎えてくれるのである。わたしを迎える者は、わたしを遣わされた方をお迎えするのである。あなた達の間ではだれよりも一番小さい者が、一番えらい。」
前田訳いわれた、「わが名のゆえにこの幼子を迎えるものはわたしを迎える。わたしを迎えるものはわたしをつかわされた方をお迎えする。あなた方の間では一番小さいものが一番偉い」と。
新共同言われた。「わたしの名のためにこの子供を受け入れる者は、わたしを受け入れるのである。わたしを受け入れる者は、わたしをお遣わしになった方を受け入れるのである。あなたがた皆の中で最も小さい者こそ、最も偉い者である。」
NIVThen he said to them, "Whoever welcomes this little child in my name welcomes me; and whoever welcomes me welcomes the one who sent me. For he who is least among you all--he is the greatest."
註解: 弟子たちが「誰か大ならん」と言って争った「大さ」「偉大さ」の内容は、弟子たちの考えでは、偉大な事業を成就し、偉大な信仰の持主となることであったろう。かくして信仰的に世人の賞賛の的となり、事業的に世人を驚かし得る者が偉大なものと考えたのであろう。これに対しイエスは一人の幼兒のごとく世人の注意を引かず社会的価値を認められないような人(例えば貧民・病人・無位無官無学の人等がそれである)をイエスの名によってすなわち信仰によって受け、これを愛しこれを助けることがすなわちイエスを信ずることであり、これがまた神を信ずることであり、偉大な事業、偉大な信仰とはかかるものであることを示し給うた。こうしてまた同時に、幼兒のごとき人間は無価値に見えるけれども神の目には大きい価値があることを示し給うた。神の目に偉大なるものは人の目に小さく、人の目に小さい者は神の目に大である。

(なんぢ)らの(うち)にて(もっと)(ちひさ)(もの)は、これ(おほい)なるなり』

註解: それ故に人間的に見て最も小さき者であることは決して無価値であることを意味せず、またかかる者こそかえって神の目に最も大なるものであり、反対に自ら大なる者と自負しているものはかえって神の目には小さき者である。▲天国における大小は地上における大小とは正反対である。これが一般に理解される時地上には空なる争闘は消え去り平和が漲(みなぎ)る。
要義 [人に仕うる心]自らを高くせんとして他人をして自己に奉仕せしめるのが、昔からの独裁者、封建諸侯らの態度であり、その正反対がイエスの態度(マタ20:25−28)であり、従って凡てのキリスト者の態度でなければならない。自らを高しとする者は世の卑(ひく)き者と交わることを恥辱と考え、自らを卑(ひく)しとする者は世の卑(ひく)きもの、病者、弱者、愚者に仕えることを自分の天職と考える。かかる者のみ神より大なるものと認められる。

5-3-ハ 党派心を戒む 9:49 - 9:50
(マコ9:38-40)   

9章49節 ヨハネ(こた)へて()ふ『(きみ)よ、御名(みな)によりて惡鬼(あくき)()ひいだす(もの)()しが、我等(われら)とともに(したが)はぬ(ゆゑ)に、(これ)(とど)めたり』[引照]

口語訳するとヨハネが答えて言った、「先生、わたしたちはある人があなたの名を使って悪霊を追い出しているのを見ましたが、その人はわたしたちの仲間でないので、やめさせました」。
塚本訳ヨハネが言った、「先生、あなたの名を使って悪鬼を追い出している者を見たので、止めるように言いました。わたし達と一しょに(あなたに)従わないからです。(しかし言うことを聞きませんでした。)」
前田訳ヨハネがいった、「先生、あなたのみ名で悪鬼を追い出しているものを見ましたが、われらに従いませんので、やめさせました」と。
新共同そこで、ヨハネが言った。「先生、お名前を使って悪霊を追い出している者を見ましたが、わたしたちと一緒にあなたに従わないので、やめさせようとしました。」
NIV"Master," said John, "we saw a man driving out demons in your name and we tried to stop him, because he is not one of us."

9章50節 イエス()(たま)ふ『()むな。(なんぢ)らに(さから)はぬ(もの)は、(なんぢ)らに()(もの)なり』[引照]

口語訳イエスは彼に言われた、「やめさせないがよい。あなたがたに反対しない者は、あなたがたの味方なのである」。
塚本訳イエスはヨハネに言われた、「止めさせるには及ばない。反対しない者はあなた達の味方である。」
前田訳イエスは彼にいわれた、「やめさせるな。あなた方に反対せぬものはあなた方の味方である」と。
新共同イエスは言われた。「やめさせてはならない。あなたがたに逆らわない者は、あなたがたの味方なのである。」
NIV"Do not stop him," Jesus said, "for whoever is not against you is for you."
註解: おそらくヨハネがその兄ヤコブと共に伝道旅行に出かけていた時の経験であろう。イエスの御名によって悪鬼を逐いだしておりながらヨハネらと共にイエスの弟子となってイエスに従うことをしない故に、イエスの名において悪鬼を逐い出すことを止めたのであった。宗教家に往々にして見る狭い宗派心、徒党心の現れである。ヨハネはこれを「幼兒をうくる」心の反対ではないかと思い付き、イエスに質問したのであろう。イエスはこれに対し、ヨハネらの態度を非とし、積極的に反対するものでないならば、たといイエスの弟子団の一員とならないものでも、それは味方であると考うべきであることを教え給うた。徒党心・宗派心は、今日も同様に、強い人間の本能である。加うるに自己を神の位置に置いて他を審(さば)くことは為すべきではない。
辞解
「逆らふ」kata 「附く」huper で、「敵する」「味方する」意味である。ロマ8:31も同様。
要義 [宗派心の本質](1)自家自派の思想や組織を正しとすると同時にこれと異なるものを誤っていると考えること、(2)自己と同一の徒党に属しないものはたとい同一の信仰を有っていてもこれを異端視することの二つが宗派心の本質である。第一の点は自己を神の地位に置いて他を審(さば)くことから生ずる誤謬であり、第二の点はキリストに属していることをもって足れりとせず、自己の徒党に加わることを必要と考える誤謬である。強い自信と熱心とは結構であるが、それが宗派心となって堕落する場合、往々かえって大なる害を為すものである。それは自己をキリスト以上の地位に置くからである。

分類
6 エルサレムに向って進み始め給う 9:51 - 12:48
6-1 内外の困難 9:51 - 9:62
6-1-イ サマリヤ人イエスを拒否す 9:51 - 9:56  

註解: 9:51より18:30まで(学者によっては18:14まで、または19:27までとする説もあり)は、全くマルコ伝から分離してルカ独特の記述を主体とする部分であり、ルカの特種の資料によったものと思われる。その中にはイエスの教訓を多く含んでおり、甚だ貴重なるもの、独特なるものが多い。マルコやマタイにはこれに類せるものなく、むしろヨハネ伝の思想に近いものが多い。この部分の資料が何であったかは明かではなく、またこの部分は、事件の順を逐(お)うて記されたものではなく、思想の連絡を主として併列されたものと見るべきであろう(L2)。学者はこの部分を「ルカによる旅行記」と称している。

9章51節 イエス[(てん)に]()げらるる(とき)滿()ちんとしたれば、御顏(みかほ)(かた)くエルサレムに()けて(すす)まんとし、[引照]

口語訳さて、イエスが天に上げられる日が近づいたので、エルサレムへ行こうと決意して、その方へ顔をむけられ、
塚本訳イエスは(いよいよ)昇天の日が迫ったので、決然としてその顔をエルサレムへ向けて進み、
前田訳昇天の日が迫ったので、彼は顔を毅然とエルサレムへ向けて進み、
新共同イエスは、天に上げられる時期が近づくと、エルサレムに向かう決意を固められた。
NIVAs the time approached for him to be taken up to heaven, Jesus resolutely set out for Jerusalem.
註解: 9:5、22等に預言し給えること、すなわちイエスは迫害による死のために地上の生活を棄てて天上の生活に移り給うべき日々が到来した。そこでイエスは死の覚悟を定め、物凄き決意をもって、真直にエルサレムに御顔を向けて進み給うた。ルカの叙述の生き生きとしていることに注意すべし。信仰に生くるものの態度はかくあるべきである。
辞解
[天に擧げらるる時] 「天に」は原文になし、ただし昇天を意味することは勿論である。唯これは天に挙げらるる一時的事実を指すのでなく、地上の生活より天上の生活に移り給うことを意味していると見るべきである(L2、Z0)。
[時] 「日々」で複数、すなわち昇天以前の彼の全生涯は終りに到達した。イエスはもはやその十字架の死の近いことを感じ給うた。

9章52節 (おのれ)(さき)だちて使(つかひ)(つかは)したまふ。[引照]

口語訳自分に先立って使者たちをおつかわしになった。そして彼らがサマリヤ人の村へはいって行き、イエスのために準備をしようとしたところ、
塚本訳(まず行くさきざきに)使を先発させられた。ところが、彼らが行ってイエスのために宿の用意をしようとしてサマリヤ人の村に入ると、
前田訳使いたちを先発させられた。彼らが行って宿の用意にとサマリア人の村に入ると、
新共同そして、先に使いの者を出された。彼らは行って、イエスのために準備しようと、サマリア人の村に入った。
NIVAnd he sent messengers on ahead, who went into a Samaritan village to get things ready for him;
註解: この使いは54節のヨハネとヤコブの外他の人々も加わったであろう。予め派遣するのは、一行の宿舎その他の準備のためであった。

(かれ)()きてイエスの(ため)(そなへ)をなさんとて、サマリヤ(ひと)(ある)(むら)()りしに、

註解: ガリラヤよりエルサレムに直行するにはサマリヤが最も近い順路である。サマリヤ人はユダヤ人に対して強い反感を有っていたけれども(ヨハ4:9註参照)、イエスは少しもそれに心を留め給わずに彼らの中に宿ることの準備を為さしめ給うた。弟子たちもその師の感化の下に虚心淡懐にサマリヤ人の或村に入って行った。

9章53節 (むら)(ひと)そのエルサレムに(むか)ひて()(たま)ふさまなるが(ゆゑ)に、イエスを()けず、[引照]

口語訳村人は、エルサレムへむかって進んで行かれるというので、イエスを歓迎しようとはしなかった。
塚本訳村人たちはイエスが顔をエルサレムへ向けて進んでおられるので、承知しなかった。
前田訳人々は彼を受け入れなかった。顔をエルサレムへ向けて進んでおられたからである。
新共同しかし、村人はイエスを歓迎しなかった。イエスがエルサレムを目指して進んでおられたからである。
NIVbut the people there did not welcome him, because he was heading for Jerusalem.
註解: 直訳「村人彼を受けず、そは彼の御顔はエルサレムに向って進みつつありたればなり」。イエスの態度が真直にエルサレムに向っていることを知り、イエスをユダヤ人を愛する者と見、サマリヤ人の感情は嫉妬と反感とに満されたのであった。なおこの理由につき種々の解釈があるが採らない。宗教上の反感が如何に執拗で不合理であるかは、今日も変わらない。

9章54節 弟子(でし)のヤコブ、ヨハネ、これを()()ふ『(しゅ)よ、(われ)らが(てん)より()()(くだ)して(かれ)らを(ほろび)すことを(ほっ)(たま)ふか』[引照]

口語訳弟子のヤコブとヨハネとはそれを見て言った、「主よ、いかがでしょう。彼らを焼き払ってしまうように、天から火をよび求めましょうか」。
塚本訳弟子のヤコブとヨハネとはそれを見て(憤慨して)言った、「主よ、(エリヤのように)“天から火を”呼び“下して、”あの奴らを“焼き殺してしまい”ましょうか。」
前田訳弟子のヤコブとヨハネがそれを見ていった、「主よ、天から火を呼びおろして彼らを焼き殺しましょうか」と。
新共同弟子のヤコブとヨハネはそれを見て、「主よ、お望みなら、天から火を降らせて、彼らを焼き滅ぼしましょうか」と言った。
NIVWhen the disciples James and John saw this, they asked, "Lord, do you want us to call fire down from heaven to destroy them ?"
註解: 異本に「エリヤが為したるごとくに」とあり、必ずしも必要の句にあらず、U列1:9−12参照。エリヤはアハジア王がエクロンの神バアルアルゼブブに使いを遣わそうとしたのを叱責して、五十人の使者とその長の上に二回とも天より火を降して彼らを焼殺した。ヨハネは雷の子と称えられるほど、激情家であったので、サマリヤ人の態度に憤激し、天の火をもってこれを焼き殺そうとした、そしてイエスの意向を伺った。

9章55節 イエス(かへり)みて(かれ)らを(いまし)め、[引照]

口語訳イエスは振りかえって、彼らをおしかりになった。
塚本訳イエスは振り返って二人を叱り、
前田訳彼は振り返ってふたりをたしなめられた。
新共同イエスは振り向いて二人を戒められた。
NIVBut Jesus turned and rebuked them,
註解: 異本に「イエス顧みて彼らを戒めて言ひ給ふ。汝らは如何なる霊に属するかを知らず(ざるか)。人の子は人の生命を亡ぼさんとにあらで之を救はんとて来れり」とあり、これを採用する学者も多い。イエスの霊とエリヤの霊とは異なっていた。旧約においては神の審判が高調され、審判の神の霊が働いており、エリヤはこれによってアハジヤ王の使いを焼殺した。新約において罪の赦しと人類の救いとが中心でありイエスの霊は救いの霊であって、弟子たちはこの霊に属する者であった。従ってエリヤのごとくに行動すべきではない。

9章56節 (つい)(あひ)(とも)(ほか)(むら)()きたまふ。[引照]

口語訳そして一同はほかの村へ行った。
塚本訳みなとほかの村へ行かれた。
前田訳そして一行は別の村へと進んだ。
新共同そして、一行は別の村に行った。
NIVand they went to another village.
要義1 [異なる霊に対する態度]イエスすら彼を受けないサマリヤ人に対してかかる寛容を示し給うた。カルヴィンがセルヴェートに対して示した不寛容の態度は明らかにこのイエスの教訓に違反している。ただしイエスは異なる霊に対して妥協的な態度を取り給うたのではなく、またかく教え給うたのでもなかった。彼の弟子を受けない邑がある場合、その足の塵を払ってそこを出づべきことを教え給うた(9:5)。この度の場合も彼は弟子たちと共に他の村に往き、その不一致の態度を明らかにし給うたことに注意すべきである。
要義2 [イエスを迎えよ]イエスが我らの心の中に宿らんとして、我らの心の戸を叩き給う時、我ら直ちに彼を迎え入れずとも我らは直ちに天よりの罰を受けるとは限らない。それ故に我らは往々にして彼の訪れに心付かず、時にはこれを拒否し彼を迎え入れない場合が多い。かかる場合は、彼は我を見捨てて他の人の心の戸を叩き給う。而して彼を迎うることは永遠の祝福であり、彼を拒むことは永遠の滅亡である。

6-1-ロ イエスに従うことの困難 9:57 - 9:62  

9章57節 (みち)()くとき、(ある)(ひと)イエスに()ふ『何處(いづこ)()(たま)ふとも(われ)(したが)はん』[引照]

口語訳道を進んで行くと、ある人がイエスに言った、「あなたがおいでになる所ならどこへでも従ってまいります」。
塚本訳彼らが道を進んでいると、ある人がイエスに言った、「どこへでもおいでになる所はお供をします。」
前田訳彼らが道行くとき、ある人がイエスにいった、「どこでもおいでのところへお伴します」と。
新共同一行が道を進んで行くと、イエスに対して、「あなたがおいでになる所なら、どこへでも従って参ります」と言う人がいた。
NIVAs they were walking along the road, a man said to him, "I will follow you wherever you go."
註解: 57−62節においてイエスは彼に従わんとする三人の弟子に対し、イエスの弟子たるべき者の持つべき覚悟を教え給う。この中第一第二はマタ8:19−22にあり第三はルカの特有である。第一の人は自らイエスに従わんことを申出でた。しかもイエスが行き給う処は水の中でも火の中でも従おうとする熱心と勇気とを示した。熱狂型の弟子であった。

9章58節 イエス()ひたまふ『(きつね)(あな)あり、(そら)(とり)(ねぐら)あり、されど(ひと)()(まくら)する(ところ)なし』[引照]

口語訳イエスはその人に言われた、「きつねには穴があり、空の鳥には巣がある。しかし、人の子にはまくらする所がない」。
塚本訳イエスはその人に言われた、「狐には穴がある、空の鳥には巣がある。しかし人の子(わたし)には枕する所がない。(その覚悟があるか。)」
前田訳イエスはいわれた、「狐には穴があり、空の鳥には巣がある。しかし人の子には枕するところがない」と。
新共同イエスは言われた。「狐には穴があり、空の鳥には巣がある。だが、人の子には枕する所もない。」
NIVJesus replied, "Foxes have holes and birds of the air have nests, but the Son of Man has no place to lay his head."
註解: 軽々しく熱狂する者はまた忽(たちま)ちにして冷め易い。かかる者の熱狂を煽ることは、彼をしてついにその熱狂の奴隷となって滅亡せしめるだけであることをイエスは知り、まず彼に冷水三斗を浴せ給うた。すなわちサマリヤで経験し給えるごとくに、人の子はこの世に拒否せられ、安らかに眠りを取る場所すら与えられない。イエスの弟子となろうとする者は勿論彼とその運命を倶(とも)にする覚悟を要する、イエスの弟子となることは大なる苦難をその身にうけることを覚悟しなければならない。
辞解
「狐」も「空の鳥」も聖書では多くの場合悪しき者を意味する(ルカ13:32。8:5。エゼ13:4。39:4)。イエスはここでもかかる意味をこれらの語の中に風刺し、イエスとの対照となし給うたのとも見ることができよう。

9章59節 また(ある)(ひと)()ひたまふ『(われ)(したが)へ』かれ()ふ『まづ()きて()(ちち)(はうむ)ることを(ゆる)(たま)へ』[引照]

口語訳またほかの人に、「わたしに従ってきなさい」と言われた。するとその人が言った、「まず、父を葬りに行かせてください」。
塚本訳またほかの一人に言われた、「わたしについて来なさい。」その人が言った、「その前に、父の葬式をしに行かせてください。」
前田訳またほかの人にいわれた、「わたしに従いなさい」と。その人がいった、「まず父を葬りに行かせてください」と。
新共同そして別の人に、「わたしに従いなさい」と言われたが、その人は、「主よ、まず、父を葬りに行かせてください」と言った。
NIVHe said to another man, "Follow me." But the man replied, "Lord, first let me go and bury my father."
註解: 第二の者は第一の者と反対に自ら進んでイエスに従うことをせず、容易に決心がつき兼ねている種類の人であったろう。かかる者に対しイエスは「我に従へ」と呼びかけ彼の決心を促し、彼の弱さに力を添え給うた(マタイ伝とはややこれと異なる)。これに対し彼には凡てを捨ててイエスに従おうとする強い熱情は起らなかった。従ってその決心を実行に移す前に何らかの口実を設けてその実行を遅延しようとした。父を葬るためという最も有力な口実を設けたならば、イエスもこれを許し給うであろうと考えたからである。

9章60節 イエス()ひたまふ『()にたる(もの)に、その()にたる(もの)(はうむ)らせ、(なんぢ)()きて(かみ)(くに)()(ひろ)めよ』[引照]

口語訳彼に言われた、「その死人を葬ることは、死人に任せておくがよい。あなたは、出て行って神の国を告げひろめなさい」。
塚本訳その人に言われた、「死んだ者の葬式は死んだ者にまかせ、あなたは行って神の国を伝えなさい。」
前田訳その人にいわれた、「死人に自分らの死人を葬らせ、あなたは行って神の国をのべ伝えなさい」と。
新共同イエスは言われた。「死んでいる者たちに、自分たちの死者を葬らせなさい。あなたは行って、神の国を言い広めなさい。」
NIVJesus said to him, "Let the dead bury their own dead, but you go and proclaim the kingdom of God."
註解: イエスに従うには徹底的に全心全霊をもって従うことを第一の主要なる事柄と考えなければならぬ。この世の凡ての要請よりも上にこれを置かなければならぬ。イエスは父の埋葬を理由としてイエスに従うことを少しでも遅延しようとする弟子の心そのものに、イエスの弟子に相応しからざる要素を発見し給うた。それ故イエスは、彼を許さず、肉的死人の処理は、霊的死人すなわち神を信ぜざる者に任せて置けば充分であり、霊的に新生せる弟子は、さらに重要な緊急の使命があることを教え給うた。この使命は神の国を宣伝えることである。

9章61節 また(ある)(ひと)いふ『(しゅ)よ、(われ)なんぢに(したが)はん、されど()(いへ)(もの)(わかれ)()ぐることを(ゆる)(たま)へ』[引照]

口語訳またほかの人が言った、「主よ、従ってまいりますが、まず家の者に別れを言いに行かせてください」。
塚本訳もう一人のほかの人も言った、「主よ、お供します。ただその前に、家の者に暇乞いをさせてください。」
前田訳もうひとりもいった、「主よ、お伴します。ただ、まず家のものに別れを告げさせてください」と。
新共同また、別の人も言った。「主よ、あなたに従います。しかし、まず家族にいとまごいに行かせてください。」
NIVStill another said, "I will follow you, Lord; but first let me go back and say good-by to my family."

9章62節 イエス()ひたまふ『()(すき)につけてのち(のち)(かへり)みる(もの)は、(かみ)(くに)(かな)(もの)にあらず』[引照]

口語訳イエスは言われた、「手をすきにかけてから、うしろを見る者は、神の国にふさわしくないものである」。
塚本訳しかしイエスは言われた、「鋤に手をかけたあとで後を見る者は、神の国の役に立たない。」
前田訳イエスはいわれた、「鋤に手をかけてからうしろを見るものは神の国にふさわない」と。
新共同イエスはその人に、「鋤に手をかけてから後ろを顧みる者は、神の国にふさわしくない」と言われた。
NIVJesus replied, "No one who puts his hand to the plow and looks back is fit for service in the kingdom of God."
註解: 第三の者はイエスに従おうという熱心もあるが、同時にこの世の愛慾を全く断ち切り兼ね、この世のことにも恋々(れんれん)としている種類の人であった。神と財宝とに兼ね仕えようとするのはこの種の人である。かかる者に対しイエスは、一旦福音の伝道に従事しようとした以上は決して後を顧みてはならない。真直にその使命に突進べえきことを教え給うた。
要義 [イエスに従う者の覚悟]イエスに従う者は第一に非常なる困難をイエスと共に味わうことを覚悟しなければならない。第二に喜んで直ちに彼に従わなければならない。口実を設けて彼に従うことを避けてはならない。第三に徹底的でなければならぬ。二心をもって彼に従わんとする者は、結局彼を離れて世の奴隷となるに過ぎない。ここで「イエスに従う」とはその弟子となって伝道に従事することの意味であるが、単に信仰に入る場合についても、これらの事情はそのまま適応する。