黒崎幸吉著 註解新約聖書 Web版ルカ伝

ルカ伝第21章

分類
9 ユダヤにおけるイエス 18:31 - 21:38
9-2 ユダヤ人の反抗 20:1 - 21:4
9-2-ト 貧者のレプタ 21:1 - 21:4
(マコ12:41-44)   

21章1節 イエス()()げて、()める人々(ひとびと)納物(をさめもの)賽錢函(さいせんばこ)()()るるを()[引照]

口語訳イエスは目をあげて、金持たちがさいせん箱に献金を投げ入れるのを見られ、
塚本訳それから目をあげて、金持たちが賽銭箱に賽銭を入れるのを見ておられた。
前田訳彼は目をあげて金持が賽銭箱に寄付を入れるのを見ておられた。
新共同イエスは目を上げて、金持ちたちが賽銭箱に献金を入れるのを見ておられた。
NIVAs he looked up, Jesus saw the rich putting their gifts into the temple treasury.
註解: ルカはこの辺の記事はマルコに依存している。賽銭函は宮の中に置かれていた。富者は人の前に誇り顔に多くの賽銭を投入れたのであった(マコ12:41)。イエスは不快な気持ちでこれを眺め給うたのであろう。

21章2節 また(ある)(まづ)しき寡婦(やもめ)のレプタ(ふた)つを()()るるを()()(たま)ふ、[引照]

口語訳また、ある貧しいやもめが、レプタ二つを入れるのを見て
塚本訳またある貧しそうな寡婦がレプタ銅貨[五円]二つをそこに入れるのを見て、
前田訳また、ある貧しいやもめが、レプタふたつをそこに入れるのを見て、いわれた、
新共同そして、ある貧しいやもめがレプトン銅貨二枚を入れるのを見て、
NIVHe also saw a poor widow put in two very small copper coins.
註解: 原文には「またある女、しかも貧しき寡婦の」とあり、富める男子に比し、貧しくかつ労働力なき女子にしてしかも夫を失える寡婦であることが、その生活苦の並々ならぬことを示している。レプタ(単数レプトン)は最小の貨幣、マコ12:42辞解参照。

21章3節 『われ(まこと)をもて(なんぢ)らに()ぐ、この(まづ)しき寡婦(やもめ)は、(すべ)ての(ひと)よりも(おほ)()()れたり。[引照]

口語訳言われた、「よく聞きなさい。あの貧しいやもめはだれよりもたくさん入れたのだ。
塚本訳言われた、「本当にわたしは言う、あの貧乏な寡婦はだれよりも多く入れた。
前田訳「本当にいう、この貧しいやもめはだれよりも多く入れた。
新共同言われた。「確かに言っておくが、この貧しいやもめは、だれよりもたくさん入れた。
NIV"I tell you the truth," he said, "this poor widow has put in more than all the others.

21章4節 (かれ)らは(みな)その(ゆたか)なる(うち)より納物(をさめもの)(うち)()()れ、この寡婦(やもめ)はその(とぼ)しき(うち)より、(おの)()てる生命(いのち)(しろ)をことごとく()()れたればなり』[引照]

口語訳これらの人たちはみな、ありあまる中から献金を投げ入れたが、あの婦人は、その乏しい中から、持っている生活費全部を入れたからである」。
塚本訳この人たちは皆あり余る中から賽銭を入れたのに、あの婦人は乏しい中から、持っていた生活費を皆入れたのだから。」
前田訳この人たちは皆あり余る中から入れたが、彼女は乏しい中から持っていた身代をすっかり入れたから」と。
新共同あの金持ちたちは皆、有り余る中から献金したが、この人は、乏しい中から持っている生活費を全部入れたからである。」
NIVAll these people gave their gifts out of their wealth; but she out of her poverty put in all she had to live on."
註解: 貧者の一燈、富者の万燈である。神の目にはこの寡婦の献げ物が最も大きい献げ物であった。神は物質の量を見ず、ささぐる者の心を見給う。同様に神は人間の事業の大小を見ず、神と人とに対する奉仕の精神、愛の心の大小を見給う。
要義1 [献金の大小]献金の多少は、金額の多少ではない。しかし金額が少ないのが常にこの寡婦の場合のごとくに大なる献金を意味するわけではない。神に対する信仰と感謝の念の欠乏のために少ない献金を為す場合も決して稀ではない。「己が有てる生命の料をことごとく投げ入れた」寡婦の態度とその心とを、凡てのキリスト者が倣うべきことをイエスは教え給うたのであった。
要義2 [金額の多少と仕事の大小]神の目には富者の万燈よりもこの貧しき寡婦の一燈が大きいものに見えた。しかし普通に考えられる処によればこれは信仰的価値は大であっても社会的効果はやはり富者の万燈が大きいと信じられている。しかしながら事実果してそうであろうか、人の目に大きく見えるものが必ずしも大きい結果を来たすとはかぎらない。大きい金額、大衆の運動などは結局僅少な結果を来たすに過ぎず、人の目に小さく見える愛の行為、信仰の生活はかえって社会的にも大きい結果を来たすものであることを知らねばならぬ。イエスの生活は人間の目には小さい生涯であったけれどもその結果の大きさは無限である。

9-3 終末の預言 21:5 - 21:38
9-3-イ エルサレム滅亡の預言 21:5 - 21:7
(マタ24:1-3) (マコ13:1-4)  

21章5節 (ある)人々(ひとびと)美麗(みごと)なる(いし)献物(ささげもの)とにて(みや)(かざ)られたる(こと)(かた)りしに、イエス()(たま)ふ、[引照]

口語訳ある人々が、見事な石と奉納物とで宮が飾られていることを話していたので、イエスは言われた、
塚本訳ある人たちが(イエスに)宮がりっぱな石と献納品とで飾られていることを話すと、言われた、
前田訳ある人々が宮について、立派な石や献納品で飾られていることを話すと、彼はいわれた、
新共同ある人たちが、神殿が見事な石と奉納物で飾られていることを話していると、イエスは言われた。
NIVSome of his disciples were remarking about how the temple was adorned with beautiful stones and with gifts dedicated to God. But Jesus said,
註解: 「或る人々」は、マタ24:1には「弟子たち」マコ13:1には「弟子の一人」とあり、また「石と獻物」はマタイには「建物」、マルコには「石と建物」とありそれぞれ異なっているが終末の光景の説明としては何れであっても差支えがない。彼らはエルサレムの宮の壮麗なのに目も魂も奪われていた。然るにイエスは神に反する者の上に臨むべき審判の立場からこの宮について考えていた。着眼の相違を見よ。
辞解
[獻物(ささげもの)] 宮に献納されその中に飾られている諸種の寄進物。

21章6節 『なんぢらが()(これ)()(もの)は、(ひと)つの(いし)(くづ)されずして(いし)(うへ)(のこ)らぬ()きたらん』[引照]

口語訳「あなたがたはこれらのものをながめているが、その石一つでもくずされずに、他の石の上に残ることもなくなる日が、来るであろう」。
塚本訳「あなた達が(今)見ているこれらの物は、このまま重なっている石が一つもなくなるほど、くずれてしまう日が来るであろう。」
前田訳「あなた方が見ているこれらのものは、石の上に石がひとつも重なっていなくなるほどに崩れてしまう時が来よう」と。
新共同「あなたがたはこれらの物に見とれているが、一つの石も崩されずに他の石の上に残ることのない日が来る。」
NIV"As for what you see here, the time will come when not one stone will be left on another; every one of them will be thrown down."
註解: エルサレムの宮の崩壊をイエスは預言し給い、この預言は紀元七十年に実現した。

21章7節 (かれ)()ひて()ふ『()よ、さらば(これ)()のことは何時(いつ)あるか、(また)これらの(こと)()らんとする(とき)如何(いか)なる(しるし)あるか』[引照]

口語訳そこで彼らはたずねた、「先生、では、いつそんなことが起るのでしょうか。またそんなことが起るような場合には、どんな前兆がありますか」。
塚本訳彼らがイエスに尋ねた、「先生、では、そのことはいつ起りましょうか。また、(世の終りが来て)このことがおころうとする時には、どんな前兆がありましょうか。」
前田訳彼らはたずねた、「先生、それはいつでしょうか。それがおころうとするときにはどんな兆しがありましょうか」と。
新共同そこで、彼らはイエスに尋ねた。「先生、では、そのことはいつ起こるのですか。また、そのことが起こるときには、どんな徴があるのですか。」
NIV"Teacher," they asked, "when will these things happen? And what will be the sign that they are about to take place?"
註解: 弟子たちはエルサレムに対する神の審判は、イエスの再臨および神の国の復興と同時に来ること、而してそれが間もなく来るであろうと信じていた。それ故に、エルサレムの宮殿の破壊される時と、イエスの再臨の前兆が何であるかについて質問したのであった。

9-3-ロ 非キリスト、天災、地変 21:8 - 21:11
(マタ24:4-8) (マコ13:5-8)  

21章8節 イエス()(たま)ふ『なんぢら(まどは)されぬように(こころ)せよ、(おほ)くの(もの)わが()(をか)(きた)り「われは(それ)なり」と()ひ「(とき)(ちか)づけり」と()はん、(かれ)らに(したが)ふな。[引照]

口語訳イエスが言われた、「あなたがたは、惑わされないように気をつけなさい。多くの者がわたしの名を名のって現れ、自分がそれだとか、時が近づいたとか、言うであろう。彼らについて行くな。
塚本訳そこでこう話された。──「迷わされないように気をつけよ。いまに多くの人があらわれて、『(救世主は)わたしだ』とか、『(最後の)時は近づいた』とか言って、わたしの名を騙るにちがいないから。そんな人たちのあとを追うな。
前田訳彼はいわれた、「迷わされぬよう気をつけよ。多くのものがわが名をかたって現われ、『わたしがそれだ。時は近づいた』といおう。それらの人々について行くな。
新共同イエスは言われた。「惑わされないように気をつけなさい。わたしの名を名乗る者が大勢現れ、『わたしがそれだ』とか、『時が近づいた』とか言うが、ついて行ってはならない。
NIVHe replied: "Watch out that you are not deceived. For many will come in my name, claiming, `I am he,' and, `The time is near.' Do not follow them.
註解: イエスは前節の質問に対して直接に答えず、世の終末そのものとその兆(しるし)とに区別を立て偽預言者に惑わされないように間接の警戒を与え給う。真の「時」と「兆(しるし)」とは信仰によって見分けなければならない。かかる時が近付いて来ると偽キリスト偽預言者が多く顕れて人々を惑わす。

21章9節 戰爭(いくさ)騷亂(さわぎ)との(こと)()くとき、怖づな。()かることは()づあるべきなり。()れど(をはり)(ただ)ちに(きた)らず』[引照]

口語訳戦争と騒乱とのうわさを聞くときにも、おじ恐れるな。こうしたことはまず起らねばならないが、終りはすぐにはこない」。
塚本訳戦争や暴動と聞いた時に、びっくりするな。それらのことはまず”おこらねばならないことである”が、しかし(まだ)すぐ最後ではないのだから。」
前田訳戦争や暴動と聞いたときにおそれるな。それらはまずおこらねばならないが、すぐに世の終わりにはならない」と。
新共同戦争とか暴動のことを聞いても、おびえてはならない。こういうことがまず起こるに決まっているが、世の終わりはすぐには来ないからである。」
NIVWhen you hear of wars and revolutions, do not be frightened. These things must happen first, but the end will not come right away."
註解: 世の終りのように思われる大事件が次々に起って来るが、それを恐れてはならない。イエスは世の終末の光景を弟子たちに解説しようとはせず、弟子たちをして、世の終末の前に襲い来るべき凡ての困難を自覚せしめ、これによって信仰を捨てることがないように彼らを守らんとし給う。イエスの愛の深さを見るべきである。イエスは徹頭徹尾愛の実行家に在し給う。彼らを恐怖に陥れるものんお第一は戦争と騒亂(さわぎ)であるが、それが終末の兆(しるし)ではない。
辞解
[騒亂(さわぎ)] akatastasis 秩序を破壊すること。

21章10節 また()ひたまふ『「(たみ)(たみ)に、(くに)(くに)(さから)ひて()たん」[引照]

口語訳それから彼らに言われた、「民は民に、国は国に敵対して立ち上がるであろう。
塚本訳それから言われた、「(世の終りが来る前に、)“民族は民族に、国は国に向かって(敵となって)立ち上がり、”
前田訳またいわれた、「民は民に国は国に向かって立ちあがり、
新共同そして更に、言われた。「民は民に、国は国に敵対して立ち上がる。
NIVThen he said to them: "Nation will rise against nation, and kingdom against kingdom.
註解: 社会的混乱である。民族相互間、または人種と人種の間、または国と国との間に争闘が起る。現時の世界の情勢もまさにかくのごとくである。これがキリストの再臨の近付きつつある証拠である。

21章11節 かつ(おほい)なる地震(ぢしん)あり、處々(ところどころ)疫病(えきびゃう)饑饉(ききん)あらん。(おそ)るべき(こと)(てん)よりの(おほい)なる(しるし)とあらん。[引照]

口語訳また大地震があり、あちこちに疫病やききんが起り、いろいろ恐ろしいことや天からの物すごい前兆があるであろう。
塚本訳また大地震や、ここかしこに疫病や飢饉があり、いろいろな恐ろしいこと、また天に驚くべき前兆があらわれるであろう。
前田訳大地震やあちこちに疫病や飢饉があり、おそろしいことや天からの大きな兆しがあろう。
新共同そして、大きな地震があり、方々に飢饉や疫病が起こり、恐ろしい現象や著しい徴が天に現れる。
NIVThere will be great earthquakes, famines and pestilences in various places, and fearful events and great signs from heaven.
註解: 地上には種々の天災、不幸が起り、また天よりは大なる懼るべき兆しが起って来る。キリスト再臨の前にはかかる事件が頻発し、世の終りを予感せしめる。地震・疫病・飢饉は地上に起る神の罰であり、天よりの兆は天体の異変や天より地に降る種々の天災を指す。
辞解
[懼るべき事と天よりの大なる兆(しるし)] 「天よりの大なる懼るべき兆」の意味である。

9-3-ハ 迫害 21:12 - 21:19
(マタ24:9-14) (マコ13:9-13)  

21章12節 すべて(これ)()のことに(さき)だちて、人々(ひとびと)なんぢらに()をくだし、(なんぢ)らを()めん、(すなは)(なんぢ)らを會堂(くわいだう)および(ひとや)(わた)し、わが()のために(わう)たち(つかさ)たちの(まへ)()きゆかん。[引照]

口語訳しかし、これらのあらゆる出来事のある前に、人々はあなたがたに手をかけて迫害をし、会堂や獄に引き渡し、わたしの名のゆえに王や総督の前にひっぱって行くであろう。
塚本訳しかしすべてこれらのことがある前に、人々はあなた達に手をかけて迫害する。すなわち礼拝堂や牢屋に引き渡し、またわたしゆえに、王や総督の前に引き出すであろう。
前田訳しかしこれらすべての前に人々はあなた方に手を下して迫害しよう。会堂や牢に引き渡し、わが名のゆえに王や総督の前に引き出そう。
新共同しかし、これらのことがすべて起こる前に、人々はあなたがたに手を下して迫害し、会堂や牢に引き渡し、わたしの名のために王や総督の前に引っ張って行く。
NIV"But before all this, they will lay hands on you and persecute you. They will deliver you to synagogues and prisons, and you will be brought before kings and governors, and all on account of my name.
註解: 天災地変よりも前に迫害が起る。キリスト者は権力を保持する有司の前に犯罪人として曳かれる。すなわち政治的法律的手段による迫害が襲って来る。「わが名のために」は全部に関係あると見るべきで、従って「即ち」の次に置くべきである。

21章13節 これは(なんぢ)らに(あかし)(をり)とならん。[引照]

口語訳それは、あなたがたがあかしをする機会となるであろう。
塚本訳これは結局あなた達が(福音を)証しする結果となるのである。
前田訳それはあなた方が証をする機会となろう。
新共同それはあなたがたにとって証しをする機会となる。
NIVThis will result in your being witnesses to them.
註解: かかる迫害がかえって福音の証となる。
辞解
[機(おり)となる] apobainō は「変化する」「転化する」等の意。迫害が証に転化すること。

21章14節 されば(なんぢ)如何(いか)(こた)へんと(あらか)じめ思慮(おもんぱか)るまじき(こと)(こころ)(さだ)めよ。[引照]

口語訳だから、どう答弁しようかと、前もって考えておかないことに心を決めなさい。
塚本訳だから(前もって)弁明の準備をしておかないことに、心を決めなさい。
前田訳弁明の準備をせぬよう心に決めよ。
新共同だから、前もって弁明の準備をするまいと、心に決めなさい。
NIVBut make up your mind not to worry beforehand how you will defend yourselves.
註解: かかる場合、答弁や弁解の仕方を前もって苦慮することをしてはならない。堅く心を定めてかかることを為さざらんことを決心すべきである。迫害は肉体的苦痛のみであるが、かかる苦慮は無益に魂をも苦しめるのみならず、かかる取越苦労はかえって答弁を掻き乱す。
辞解
[預(あらか)じめ思慮(おもんば)る] promeletaō は取越し苦労をすること。なお演説等の場合は原稿を作り予行演習を為すことなどにも用いている。

21章15節 われ(なんぢ)らに、(すべ)(さから)(もの)()(さから)()()すことをなし()ざる、(くち)智慧(ちゑ)とを(あた)ふべければなり。[引照]

口語訳あなたの反対者のだれもが抗弁も否定もできないような言葉と知恵とを、わたしが授けるから。
塚本訳いかなる反対者も、反抗し弁駁することの出来ない言葉の知恵を、わたしが授けるから。
前田訳わたしがことばと知恵を授けよう。それにはいかなる反対者もさからい、抗弁できまい。
新共同どんな反対者でも、対抗も反論もできないような言葉と知恵を、わたしがあなたがたに授けるからである。
NIVFor I will give you words and wisdom that none of your adversaries will be able to resist or contradict.
註解: 王や司たちに対して答弁をする場合に何らの予備なしにも非常なる雄弁と智慧とが神の力によって豊かに与えられ凡ての反対者をして対抗し得ざらしめ、反対論を為し得ざらしめることをイエスは彼らに約束し給う。イエスに信頼する者は、かかる場合にも何ら恐るるに足りない。▲「言い逆ひ」 anthistēmi は「反抗する」、「言い消す」 antilegō は「抗弁する」。

21章16節 (なんぢ)らは兩親(ふたおや)兄弟(きゃうだい)親族(しんぞく)朋友(とも)にさへ(わた)されん。(また)かれらは(なんぢ)らの(うち)(ある)(もの)(ころ)さん。[引照]

口語訳しかし、あなたがたは両親、兄弟、親族、友人にさえ裏切られるであろう。また、あなたがたの中で殺されるものもあろう。
塚本訳あなた達はまた親、兄弟、親族、友人からまで(裁判所に)引き渡される。殺される者もあろう。
前田訳あなた方は両親、兄弟、親戚、友人からも裏切られよう。殺されるものもあろう。
新共同あなたがたは親、兄弟、親族、友人にまで裏切られる。中には殺される者もいる。
NIVYou will be betrayed even by parents, brothers, relatives and friends, and they will put some of you to death.

21章17節 (なんぢ)()わが()(ゆゑ)(すべ)ての(ひと)(にく)まるべし。[引照]

口語訳また、わたしの名のゆえにすべての人に憎まれるであろう。
塚本訳またわたしの弟子であるために皆から憎まれる。
前田訳わが名のゆえに皆から憎まれよう。
新共同また、わたしの名のために、あなたがたはすべての人に憎まれる。
NIVAll men will hate you because of me.
註解: キリストの名を信ずることにより、最も親しい家族にさえも憎まれ殺されるであろう。キリスト者となることの困難はここにある。そしてこの事実は、世の終末に近付くに従って益々甚だしいことになるであろう。キリストを信ずることによって家族間に不和が生ずる例は、今日も非常に多い。

21章18節 ()れど(なんぢ)らの(かしら)(かみ)(いち)すぢだに()せじ。[引照]

口語訳しかし、あなたがたの髪の毛一すじでも失われることはない。
塚本訳しかしあなた達の髪の毛一本も決して無くならない。
前田訳しかしあなた方の髪の毛一本も失われまい。
新共同しかし、あなたがたの髪の毛の一本も決してなくならない。
NIVBut not a hair of your head will perish.
註解: 髪の毛一筋までも神の守護の下に置かれるであろう。すなわち神の絶対的守護の下に立ち得るに至るであろう。それ故にキリスト者はエルサレムの破滅と世の終末を目前にしていながら、神の絶対的守護の下に霊の絶対的平安を持つことができる。

21章19節 (なんぢ)らは忍耐(にんたい)によりて()靈魂(たましひ)()べし。[引照]

口語訳あなたがたは耐え忍ぶことによって、自分の魂をかち取るであろう。
塚本訳あなた達は忍耐によって、自分の(まことの)命をかち取ることができる。
前田訳忍耐によってあなた方はおのがいのちをかち得よう。
新共同忍耐によって、あなたがたは命をかち取りなさい。」
NIVBy standing firm you will gain life.
註解: 「終りまで耐え忍ぶ者は救わるべし」(マタ24:13。マコ13:13)というに同じ、非常なる迫害の下に必要なのは忍耐である。イエスの弟子らは迫害下における忍耐によってその生命を獲得することができる。以上は7節における弟子たちの問いに対してのイエスの答であった。イエスが彼らに教えんとし給いしことは、再臨の兆(しるし)やエルサレム滅亡の時期ではなくそれらの事件とこれに伴う聖徒の迫害に対して彼らの取るべき態度すなわち忍耐を教え給うたのであった。イエスは全く空論を好み給わなかった。
辞解
[霊魂を得べし] また「生命を獲得せん」とも訳され、永遠の生命はこの信仰的忍耐をもって確実に保持し獲得し得ることを示したのである。

9-3-ニ エルサレムの滅亡 21:20 - 21:24
(マタ24:15-22) (マコ13:14-20)  

註解: 本節以下はエルサレムの滅亡のいよいよ接近した場合の状況を録す。必ずしもルカが紀元七十年のエルサレム陥落を知ってこれを録したのであると見る必要はないが20−24節の記述がマタ24:15−22。マコ13:14−20と異なっていることは、エルサレムの滅亡に関するイエスの預言(19:43)が具体的に実現される時が次第に切迫せることをルカは直感したことと、また「荒す憎むべき者」(マタ24:15。マコ13:14)のごときダニエル書の預言はテオピロ(1:4)のごとき異邦の貴族には、興味なきことであったため、これを具体化したのであろう。

21章20節 (なんぢ)らエルサレムが軍勢(ぐんぜい)(かこ)まるるを()ば、()(ほろび)(ちか)づけりと()れ。[引照]

口語訳エルサレムが軍隊に包囲されるのを見たならば、そのときは、その滅亡が近づいたとさとりなさい。
塚本訳しかしエルサレムが(ローマの)軍勢に囲まれるのを見たら、その滅亡が近づいたと知れ。
前田訳エルサレムが軍勢に囲まれるのを見たら、その滅亡が近いと知れ。
新共同「エルサレムが軍隊に囲まれるのを見たら、その滅亡が近づいたことを悟りなさい。
NIV"When you see Jerusalem being surrounded by armies, you will know that its desolation is near.
註解: この福音書が記されてから数年後に、ローマの将軍テトスによりこの預言が事実となった。神の子を十字架に釘(つけ)るエルサレムは必ず神の審判に服しなければならない。
辞解
[亡び] erēmōsis は荒廃の意味。

21章21節 その(とき)ユダヤに()(もの)どもは(やま)(のが)れよ、(みやこ)(うち)にをる(もの)どもは()でよ、田舍(ゐなか)にをる(もの)どもは(みやこ)()るな、[引照]

口語訳そのとき、ユダヤにいる人々は山へ逃げよ。市中にいる者は、そこから出て行くがよい。また、いなかにいる者は市内にはいってはいけない。
塚本訳その時ユダヤ(の平地)におる者は(急いで)山に逃げよ。都の中におる者は立ち退け。田舎におる者は都に入るな。
前田訳そのときユダヤにいるものは山にのがれよ。都の中にいるものは立ち退け。田舎にいるものは都に入るな。
新共同そのとき、ユダヤにいる人々は山に逃げなさい。都の中にいる人々は、そこから立ち退きなさい。田舎にいる人々は都に入ってはならない。
NIVThen let those who are in Judea flee to the mountains, let those in the city get out, and let those in the country not enter the city.
註解: 大都市が空襲によって荒廃に帰せられる時の実際を経験した者は、この語の意味を充分に理解することができる。すなわちエルサレムおよびその附近に停滞する者は何人も災害を免れることができないほどその災禍は急速かつ激甚である。

21章22節 これ(しる)されたる(すべ)ての(こと)()げらるべき刑罰(けいばつ)()なり。[引照]

口語訳それは、聖書にしるされたすべての事が実現する刑罰の日であるからだ。
塚本訳これは(聖書に)書いてあることが皆成就する“(神の)刑罰の日”だからである。
前田訳それは聖書に書かれていることすべてが成就する刑罰の日である。
新共同書かれていることがことごとく実現する報復の日だからである。
NIVFor this is the time of punishment in fulfillment of all that has been written.
註解: イエスを拒みこれを十字架に釘(つけ)るユダヤ民族は神の審判を受けねばならず、それがまずその首都エルサレムにおいて実現するであろう。そのことは聖書にすでに預言されているとおりである(エレ5:29。ホセ9:7。マラ3:1、5)。

註解: 23、24節は禍害の甚大なることを示す。

21章23節 その()には(みごも)りたる(もの)と、(ちち)()まする(もの)とは禍害(わざはひ)なるかな。[引照]

口語訳その日には、身重の女と乳飲み子をもつ女とは、不幸である。地上には大きな苦難があり、この民にはみ怒りが臨み、
塚本訳それらの日には、身重の女と乳飲み子をもつ女とは、ああかわいそうだ!この(ユダヤの)地には大きな艱難が、この民には(神の)怒りが臨むのだから。
前田訳それらの日には、身重の女と乳のみ子を持つ女は気の毒だ。この地には大きな苦しみが、この民には怒りがのぞもうから。
新共同それらの日には、身重の女と乳飲み子を持つ女は不幸だ。この地には大きな苦しみがあり、この民には神の怒りが下るからである。
NIVHow dreadful it will be in those days for pregnant women and nursing mothers! There will be great distress in the land and wrath against this people.
註解: これらの女子は逃げることに非常な困難を覚えるからである。

()(おほい)なる艱難(なやみ)ありて、御怒(みいかり)この(たみ)(のぞ)み、

註解: ユダヤの地すなわちイスラエルの国には艱難が来り、イスラエルの民には神の怒りが臨む。
辞解
[地] 世界とか地球とかいう広い意味ではなく、イスラエルの地のこと。
[艱難(なやみ)andnchē] 「苦悩」のこと。

21章24節 (かれ)らは(つるぎ)()(たふ)れ、(また)(とら)はれて諸國(しょこく)()かれん。[引照]

口語訳彼らはつるぎの刃に倒れ、また捕えられて諸国へ引きゆかれるであろう。そしてエルサレムは、異邦人の時期が満ちるまで、彼らに踏みにじられているであろう。
塚本訳彼らは剣の刃にたおれ、あるいは捕虜となってあらゆる国々に散らされ、また“エルサレムは”(いわゆる)異教人時代が終るまで、“異教人に踏みにじられる”であろう。
前田訳彼らは剣の刃にたおれ、あらゆる国々に捕虜となり、異邦人の時代が終わるまで、エルサレムは異邦人に踏みにじられよう。
新共同人々は剣の刃に倒れ、捕虜となってあらゆる国に連れて行かれる。異邦人の時代が完了するまで、エルサレムは異邦人に踏み荒らされる。」
NIVThey will fall by the sword and will be taken as prisoners to all the nations. Jerusalem will be trampled on by the Gentiles until the times of the Gentiles are fulfilled.
註解: 神の怒りは、敵軍の侵入の形で彼らの上に降るであろう。その結果彼らエルサレムの民は剣で殺されるかまたは捕虜となって遠い外国に曳いて行かれるであろう。すなわちユダヤ国の滅亡であり、神の選民の上への審判である。

(しか)してエルサレムは異邦人(いはうじん)(とき)滿()つるまで、異邦人(いはうじん)蹂躙(ふみにじ)らるべし。

註解: 異邦人が救われてその数が満つる時が来るまで(ロマ11:12、25)異邦人はユダヤ人を蹂躙り、エルサレムの支配権を握りユダヤ民族を支配するであろう(黙11:2)。
辞解
[異邦人の時] (1)異邦人が審判を行う期間、(2)異邦人が優勢を保持している期間、(3)異邦人が恩恵を受けている期間等に解されているけれども(E1)この三者は同時に起っている一つの事実である。

9-3-ホ 人の子の再臨 21:25 - 21:28
(マタ24:29-31) (マコ13:24-27)  

21章25節 また()(つき)(ほし)(しるし)あらん。()にては國々(くにぐに)(たみ)なやみ、(うみ)(なみ)との()(とどろ)くによりて狼狽(うろた)へ、[引照]

口語訳また日と月と星とに、しるしが現れるであろう。そして、地上では、諸国民が悩み、海と大波とのとどろきにおじ惑い、
塚本訳すると日と月と星とに(世の終りの不思議な)前兆があらわれ、地上では“海がどよめき荒れ狂うため、国々の民は”周章てふためき怖じまどい、
前田訳日と月と星に兆しがあろう。地上では海が波立って荒れるため、諸民が怖じまどい、
新共同「それから、太陽と月と星に徴が現れる。地上では海がどよめき荒れ狂うので、諸国の民は、なすすべを知らず、不安に陥る。
NIV"There will be signs in the sun, moon and stars. On the earth, nations will be in anguish and perplexity at the roaring and tossing of the sea.

21章26節 人々(ひとびと)おそれ、かつ世界(せかい)(きた)らんとする(こと)(おも)ひて(きも)(うしな)はん。これ(てん)萬象(ばんしゃう)ふるひ(うご)けばなり。[引照]

口語訳人々は世界に起ろうとする事を思い、恐怖と不安で気絶するであろう。もろもろの天体が揺り動かされるからである。
塚本訳全世界に臨もうとしていることを思って、恐ろしさのあまり悶え死にする者があろう。“もろもろの天体が”震われるからである。
前田訳全世界にのぞむべきことを思って、もだえ死ぬものがあろう。もろもろの天体が揺られるからである。
新共同人々は、この世界に何が起こるのかとおびえ、恐ろしさのあまり気を失うだろう。天体が揺り動かされるからである。
NIVMen will faint from terror, apprehensive of what is coming on the world, for the heavenly bodies will be shaken.
註解: エルサレムの滅亡は、地方的出来事であるが、キリスト再臨の前にはさらに全世界に亙(わた)り、天地の自然の中に大なる変動が起り、天には日月星晨に不思議なる変化が起り、地には海と濤とに鳴物が起って恐るべき天災の来ることを告ぐるもののごとくであるため諸国の民は周章狼狽して為す処を知らず(aporia)そのために「なやみ」「緊迫」に陥り進退きわまってしまう(sunechomai 12:50)。そして一般の人々は全世界に臨まんとすることに対する恐怖と予期とのために息絶えるであろう。それは天の万軍、すなわち全宇宙が震い動かされるほど大きい変動がおこるであろうからである。すなわちキリスト再臨の前にはエルサレムの滅亡だけではなく天地が転倒するばかりの大変動が起りまた起らんとするためにユダヤ人のみならず全世界の凡ての人々が恐怖混迷に陥り、魂も消え失せんとするであろうとのことである。原文の文勢を今少しく忠実に解釈すれば「而して日と月と星とに兆あらん。また地には海と波との鳴物に狼狽せる国々の民のなやみあらん。人々は全世界に臨まんとすることに対する恐怖と予期によって魂消え失せん。そは天の万象震い動かんとすればなり」。
辞解
[兆(しるし)] sēmeia は「不思議」とも訳され奇蹟的現象を指す。
[海と浪との鳴物] 社会現象の形容と見るよりも、名状すべからざる恐ろしさを有する自然の異変を指すと見るべきである。
[なやみ] sunochē は圧迫されて動きがとれなくなること。
[狼狽(うろた)へ] aporia は「為す処を知らざること」。
[膽を失ふ] apopsychō はまた「息絶える」意味にも用う。
[天の萬象] 原語「天の万軍」「天の諸の権力(ちから)」で、日月星晨等の天体のみならず宇宙の秩序を維持すると考えられている諸種の力をも含む。

21章27節 ()のとき人々(ひとびと)(ひと)()能力(ちから)(おほい)なる榮光(えいくわう)とをもて、(くも)()りきたるを()ん。[引照]

口語訳そのとき、大いなる力と栄光とをもって、人の子が雲に乗って来るのを、人々は見るであろう。
塚本訳するとその時、人々は“人の子(わたし)が”大いなる権力と栄光とをもって、“雲に乗って来るのを”見るであろう。
前田訳そのとき、人々は人の子が大きな力と栄光をもって雲に乗って来るのを見よう。
新共同そのとき、人の子が大いなる力と栄光を帯びて雲に乗って来るのを、人々は見る。
NIVAt that time they will see the Son of Man coming in a cloud with power and great glory.
註解: イエス・キリストの再臨は以上のごとき天地の大変動の中に起るであろう。全世界の人は恐れふためき、生きる心だに無くなったその時人の子は能力(ちから)と栄光とをもって来り給う。全世界の絶望のただ中に、イエスにおいて完全なる希望が顕れるのである。イエスはその「能力」をもって世界を平定し、その「栄光」をもって世界を照し給うであろう。

21章28節 これらの(こと)(おこ)(はじ)めなば、(あふ)ぎて(かしら)()げよ。(なんぢ)らの贖罪(あがなひ)(ちか)づけるなり』[引照]

口語訳これらの事が起りはじめたら、身を起し頭をもたげなさい。あなたがたの救が近づいているのだから」。
塚本訳それでこれらのことがおこり始めたら、体を伸ばし、頭をあげなさい。あなた達のあがない(の時)が近づいたのだから。」
前田訳これらがはじまれば、体をのばし、頭をあげよ。あなた方のあがないが近づいたのだから」と。
新共同このようなことが起こり始めたら、身を起こして頭を上げなさい。あなたがたの解放の時が近いからだ。」
NIVWhen these things begin to take place, stand up and lift up your heads, because your redemption is drawing near."
註解: 多くの人々が恐ろしい天変地異の中に困憊絶望の中にある時、イエスを信ずる者は、上を仰ぎ、首を挙げてその贖罪を待ち望む態度を取ることができるのである。それ故に世界が益々混沌として来るに従って、キリスト者は益々希望に燃えることができる。
辞解
[これらの事] 8−27節に示された諸々の事件。これを25−27節(M0、E0)と限る必要はない。8−27節の凡ての事変がイエスの再臨の近い証拠である。

9-3-へ 無花果の比喩 21:29 - 21:33
(マタ24:32-36) (マコ13:28-33)  

21章29節 また(たとへ)()ひたまふ『無花果(いちぢく)()また(すべ)ての()()よ、[引照]

口語訳それから一つの譬を話された、「いちじくの木を、またすべての木を見なさい。
塚本訳(こう言ったあと、)また一つの譬をひいて彼らに話された。──「無花果の木をはじめ、すべての木を見なさい。
前田訳彼はまたひとつの譬えを彼らに話された、「いちじくの木などすべての木を見なさい。
新共同それから、イエスはたとえを話された。「いちじくの木や、ほかのすべての木を見なさい。
NIVHe told them this parable: "Look at the fig tree and all the trees.

21章30節 (すで)()ざせば、(なんぢ)()これを()てみづから(なつ)(ちか)きを()る。[引照]

口語訳はや芽を出せば、あなたがたはそれを見て、夏がすでに近いと、自分で気づくのである。
塚本訳すでに芽が出ると、それを見て、ひとりでにはや夏が近いと知るのである。
前田訳すでに芽が出ると、それを見て、あなた方はおのずとはや夏が近いと知る。
新共同葉が出始めると、それを見て、既に夏の近づいたことがおのずと分かる。
NIVWhen they sprout leaves, you can see for yourselves and know that summer is near.

21章31節 ()くのごとく(これ)()のことの(おこ)るを()ば、(かみ)(くに)(ちか)きを()れ。[引照]

口語訳このようにあなたがたも、これらの事が起るのを見たなら、神の国が近いのだとさとりなさい。
塚本訳そのようにあなた達も、これらのことがおこるのを見たら、神の国が近くに来ていることを知れ。
前田訳そのようにあなた方も、これらがおこるのを見たら、神の国が近づいていると知れ。
新共同それと同じように、あなたがたは、これらのことが起こるのを見たら、神の国が近づいていると悟りなさい。
NIVEven so, when you see these things happening, you know that the kingdom of God is near.
註解: 夏来たらんとする時は、無花果でもその他の樹でも芽を吹き出す、芽を見て夏の近いことを知ることができる。これと同様に以上に示したような事件が起って来るとそれは神の国が近い証拠である。それ故これらの天変地異を見るごとに、キリスト者は益々神の国の近いことを知り希望に充されて欣喜雀躍(きんきじゃくやく)し、この世の人は反対に周章狼狽(しゅうしょうろうばい)、畏怖困憊(いふこんぱい)する。

21章32節 われ(まこと)(なんぢ)らに()ぐ、これらの(こと)ことごとく()るまで、(いま)()()ぎゆくことなし。[引照]

口語訳よく聞いておきなさい。これらの事が、ことごとく起るまでは、この時代は滅びることがない。
塚本訳アーメン、わたしは言う、(これらのことが)一つのこらずおこってしまうまでは、この時代は決して消え失せない。
前田訳本当にいう、すべてがおこるまでこの時代は決して過ぎ去らない。
新共同はっきり言っておく。すべてのことが起こるまでは、この時代は決して滅びない。
NIV"I tell you the truth, this generation will certainly not pass away until all these things have happened.

21章33節 (てん)()()ぎゆかん、されど()(ことば)()ぎゆくことなし。[引照]

口語訳天地は滅びるであろう。しかしわたしの言葉は決して滅びることがない。
塚本訳天地は消え失せる、しかし(今言った)わたしの言葉は決して消え失せない。
前田訳天と地は過ぎ去ろう。しかしわがことばは決して過ぎ去るまい。
新共同天地は滅びるが、わたしの言葉は決して滅びない。」
NIVHeaven and earth will pass away, but my words will never pass away.
註解: イエスは異常なる自信をもって前節までの教説を保証し給うた。すなわちイエスの再臨とこの世の終りの前には上述するごとき諸々の現象は間違いなく起るというのである。そしてたとい天地が過ぎ往くことがあってもイエスのこの言は過ぎ往くことのないことを確信し、これを弟子たちに保証し給うた。このことは、世界に臨む天変地異や人間社会の動乱はイエスを信じない者にとっては畏るべき敵であるけれども、イエスを信ずる者にとてはあがないの時の近きを知らされたことを意味し、ますますその救いの近きを知る歓喜の日である。それ故たとい恐るべき天変地異が起ってもキリスト者の心には平安と幸福が宿っている。

9-3-ト 結論 21:34 - 21:38  

註解: イエスの再臨は以上のごとき天地の大変動と人類社会の動乱や革命等の後に起るのであるからキリスト者もこれらの困難を通過しなければならない。それらの困難の中に在ってもイエスを待望み、困難の中を通過してイエスの前に立たなければならない。

21章34節 (なんぢ)()みづから(こころ)せよ、(おそ)らくは飮食(のみくひ)にふけり、()煩勞(わずらひ)にまとはれて(こころ)(にぶ)り、(おも)ひがけぬ(とき)、かの()(わな)のごとく(きた)らん。[引照]

口語訳あなたがたが放縦や、泥酔や、世の煩いのために心が鈍っているうちに、思いがけないとき、その日がわなのようにあなたがたを捕えることがないように、よく注意していなさい。
塚本訳注意せよ、大酒を呑み、二日酔いをし、またこの世のことを心配して、頭が鈍くなっていると、“罠が”落ちるように、だしぬけにかの日があなた達に臨まないとはかぎらない。
前田訳気をつけよ、放縦、酩酊、世のわずらいに心が鈍るうちに、いきなりかの日がわなのようにあなた方にのぞまないように。
新共同「放縦や深酒や生活の煩いで、心が鈍くならないように注意しなさい。さもないと、その日が不意に罠のようにあなたがたを襲うことになる。
NIV"Be careful, or your hearts will be weighed down with dissipation, drunkenness and the anxieties of life, and that day will close on you unexpectedly like a trap.
註解: (私訳)「汝ら暴飲と酩酊と生活の煩労のために汝らの心を鈍らせ、かくしてかの日が羂(わな)のごとく突然汝らの上に来ることなきよう自ら注意せよ」。世界が混乱し、不安であればあるほど、人々の心は刹那的享楽に誘惑され毎日の生活に逐われ易い。そしてこれによってその苦痛を忘れまたはそれから免れようとするのである。しかしかかる者にとっては主の日は突然として来ること、あたかも羂(わな)が獲物の前に突然現われるのと同様であり、かくしてキリスト者もその羂(わな)の中に陥ってしまう。かかることが無いように注意し、常に緊張せる信仰的生活をもって主の日を待望んでいなければならない。

21章35節 これは(あまね)()(かほ)()める(すべ)ての(ひと)(のぞ)むべ[き](ければ)なり。[引照]

口語訳その日は地の全面に住むすべての人に臨むのであるから。
塚本訳その日は“地の”全面“に住んでいる者に”一人のこらず襲いかかるのだから。
前田訳その日は全地の上に住むものすべてにのぞむから。
新共同その日は、地の表のあらゆる所に住む人々すべてに襲いかかるからである。
NIVFor it will come upon all those who live on the face of the whole earth.
註解: 「主の日」は全世界の全人類に臨むのであって、キリスト者のみに臨むのではない。それ故に、油断をしているキリスト者にとっては主の日は突然襲い来り、その動乱異変の中に巻き込まれてしまう。なお前節の「羂(わな)のごとく」を本節に入れて読む節があるけれども現行訳の方が適当である。

21章36節 この(おこ)るべき(すべ)ての(こと)をのがれ、(ひと)()のまへに()()るやう、(つね)(いの)りつつ()(さま)しをれ』[引照]

口語訳これらの起ろうとしているすべての事からのがれて、人の子の前に立つことができるように、絶えず目をさまして祈っていなさい」。
塚本訳目を覚まして常に祈っておれ、すべてこれら将来の出来事からのがれて、人の子(わたし)の前に立ち得るようにと。」
前田訳目を覚ましてつねに祈れ、これら来たるべきことすべてをのがれて、人の子の前に立ちうるように」と。
新共同しかし、あなたがたは、起ころうとしているこれらすべてのことから逃れて、人の子の前に立つことができるように、いつも目を覚まして祈りなさい。」
NIVBe always on the watch, and pray that you may be able to escape all that is about to happen, and that you may be able to stand before the Son of Man."
註解: それ故にキリスト者の日常生活は目を覚まし、霊の目を明かにして祈りつづけ、これらの凡ての禍害を逃れ、その中に巻き込まれず、その中を通過して人の子の前に立つことでなければならぬ。
要義 [世の終末とキリストの再臨]この問題は種々の困難なる問題を有しているために、ある者は全然これを信ぜず、ある者は象徴的の言葉をすら全部具体化して奇怪なる未来像を描いてこれを信じようとしているのであるが、この双方とも聖書を正しく解する途ではない。
世の終末においてキリストが再び来り給うということは、神の独り子に在し給うイエスにとっては当然のことでなければならない。そしてそれは、未来の出来事である故今から詳細を知ることができないが、消極的にはそれは非キリストの顕現と区別さるべきこと、また、戦争や、天変地異や、信徒の迫害や、エルサレムの陥落や、自然界の異変とも区別さるべきであることをイエスは教えたのであった。しかしこれらのことはイエスの再臨と無関係なのではなく、凡てがその前兆であり、これなしには再臨は起らず、これらが悉く起ってからキリストの再臨が起るのである。そしてこれらのことの苦難の中で多くの人の信仰が試され、ある者はその苦痛に堪え得ずして主の日を待望む信仰を失い、享楽と生活に心を奪われてしまう。唯目を覚して祈祷を常にする者のみ、この苦難の中にあって仰ぎて首を挙げ、それらより救い出されて人の子の前に立つことができるのである。イエスがこお終末の教説をなし給うたのは、これによって世の終末の如何に関し好奇心を持たせるためではなく、信徒の決心と態度とが如何にあるべきかを教え給うたのである。

註解: 本節および次節はエルサレムにおけるイエスの活動を収約的に記録したのである。

21章37節 イエス(ひる)(みや)にて(をし)へ、(よる)()でてオリブといふ(やま)宿(やど)りたまふ。[引照]

口語訳イエスは昼のあいだは宮で教え、夜には出て行ってオリブという山で夜をすごしておられた。
塚本訳イエスは(毎日)昼のあいだは宮で教え、夜は(都を)出ていって、いわゆるオリブ山で夜を過ごされた。
前田訳彼は昼の間、宮で教え、夜は出ていわゆるオリブ山に行って泊まられた。
新共同それからイエスは、日中は神殿の境内で教え、夜は出て行って「オリーブ畑」と呼ばれる山で過ごされた。
NIVEach day Jesus was teaching at the temple, and each evening he went out to spend the night on the hill called the Mount of Olives,

21章38節 (たみ)はみな御教(みをしへ)()かんとて、(あさ)とく(みや)にゆき、御許(みもと)(あつま)れり。[引照]

口語訳民衆はみな、み教を聞こうとして、いつも朝早く宮に行き、イエスのもとに集まった。
塚本訳人々は皆宮で話を聞こうとして、早起きして彼の所にあつまった。
前田訳民は皆宮で話を聞こうと早起きして彼のところに集まった。
新共同民衆は皆、話を聞こうとして、神殿の境内にいるイエスのもとに朝早くから集まって来た。
NIVand all the people came early in the morning to hear him at the temple.
註解: 19:47、48.
辞解
[宿る] 必ずしも山に野宿したという意味に取る必要はない。
[朝とく] またの意味は「熱心に」でこの両者相通ずる。

ルカ伝第22章

分類
10 イエスの受難 22:1 - 23:56
10-1 死の準備 22:1 - 22:23
10-1-イ ユダの裏切り 22:1 - 22:6
(マタ26:1-5、14-16) (マコ14:1-2、10-11)  

22章1節 さて過越(すぎこし)といふ除酵祭(じょかうさい)(ちか)づけり。[引照]

口語訳さて、過越といわれている除酵祭が近づいた。
塚本訳種無しパンの祭、すなわち、いわゆる過越の祭が近づいた。
前田訳過越といわれる種なしパンの祭りが近づいた。
新共同さて、過越祭と言われている除酵祭が近づいていた。
NIVNow the Feast of Unleavened Bread, called the Passover, was approaching,
註解: 過越と除酵祭とはユダヤ人の最大の祭典であり、エジプト脱出を記念する式典であった。この二者を合わせて過越と呼ばれていた。ルカはこの二者を一つとして取扱っている(7節)。

22章2節 祭司長(さいしちゃう)學者(がくしゃ)らイエスを(ころ)さんとし、その手段(てだて)いかにと(もと)む、(たみ)(おそ)れたればなり。[引照]

口語訳祭司長たちや律法学者たちは、どうかしてイエスを殺そうと計っていた。民衆を恐れていたからである。
塚本訳大祭司連と聖書学者たちは、イエスを(そっと)無き者にする方法を考えていた。人民(が暴動を起すの)を恐れたのである。
前田訳大祭司と学者らは彼を殺す方法を探していた。民をおそれていたからである。
新共同祭司長たちや律法学者たちは、イエスを殺すにはどうしたらよいかと考えていた。彼らは民衆を恐れていたのである。
NIVand the chief priests and the teachers of the law were looking for some way to get rid of Jesus, for they were afraid of the people.
註解: 祭司長・学者らはイエスを殺すことを熱望していたけれども、民の間にあるイエスの声望のために躊躇していた。▲口語訳によると「手段を選ばす何とかして殺そうと計っていた」こととなって正確ではない。原文は「如何なる手段で殺そうか」とその手段を「探究して」いたこととなる。

註解: マタイ伝、マルコ伝はこの間にベタニヤのマリヤの塗油の記事を掲げている。ルカは類似の記事をすでに掲げているので(7:36−50)あるいは重複を好まなかったためであろう。この記事を省略している。

22章3節 (とき)にサタン、十二(じふに)一人(ひとり)なるイスカリオテと(とな)ふるユダに()る。[引照]

口語訳そのとき、十二弟子のひとりで、イスカリオテと呼ばれていたユダに、サタンがはいった。
塚本訳すると(その時)悪魔が、十二人の(弟子の)数に入っていたイスカリオテと呼ばれるユダに入った。
前田訳悪魔(サタン)が、十二人のひとりに数えられていてイスカリオテと呼ばれるユダに入った。
新共同しかし、十二人の中の一人で、イスカリオテと呼ばれるユダの中に、サタンが入った。
NIVThen Satan entered Judas, called Iscariot, one of the Twelve.
註解: ヨハ13:2よりも一層激しい言をもってユダの反逆をサタンの業として録している。
辞解
[十二の一人] 「十二の数からの」ユダがイエスを師と仰いだ動機は、始めより彼を裏切らんがためでは勿論無かった。イエスもまた彼を十二使徒の一人に撰んだのは、彼をして己を裏切らしめんためでもなかった。ユダはイエスをメシヤと信じ、イエスによってイスラエルを政治的に救わんと欲したのであった。然るにイエスには政治的野心は無く現世的成功が覚束なかったことを見てイエスに対する不信の心が萠(きざ)し、そこにサタンが付け入ったのであった。

22章4節 ユダ(すなは)祭司長(さいしちゃう)宮守頭(みやもりがしら)どもに()きて、イエスを如何(いか)にして(わた)さんと(はか)りたれば、[引照]

口語訳すなわち、彼は祭司長たちや宮守がしらたちのところへ行って、どうしてイエスを彼らに渡そうかと、その方法について協議した。
塚本訳彼は出かけていって、大祭司連、宮の守衛長たちとイエスを売る方法について話し合った。
前田訳彼は行って大祭司や守衛らとイエスを引き渡す方法について話しあった。
新共同ユダは祭司長たちや神殿守衛長たちのもとに行き、どのようにしてイエスを引き渡そうかと相談をもちかけた。
NIVAnd Judas went to the chief priests and the officers of the temple guard and discussed with them how he might betray Jesus.

22章5節 (かれ)(よろこ)びて(ぎん)(あた)へんと(やく)す。[引照]

口語訳彼らは喜んで、ユダに金を与える取決めをした。
塚本訳彼は喜んで、金をやることに話をきめた。
前田訳彼らはよろこんで、金を渡すことに決めた。
新共同彼らは喜び、ユダに金を与えることに決めた。
NIVThey were delighted and agreed to give him money.

22章6節 ユダ(うべな)ひて、群衆(ぐんじゅう)()らぬ(とき)にイエスを(わた)さんと()(をり)をうかがふ。[引照]

口語訳ユダはそれを承諾した。そして、群衆のいないときにイエスを引き渡そうと、機会をねらっていた。
塚本訳ユダは承諾し、群衆の目をぬすんで彼らにイエスを引き渡すよい機会をねらっていた。
前田訳ユダは承諾した。そして群衆のいないときにイエスを引き渡す好機をねらっていた。
新共同ユダは承諾して、群衆のいないときにイエスを引き渡そうと、良い機会をねらっていた。
NIVHe consented, and watched for an opportunity to hand Jesus over to them when no crowd was present.
註解: ユダは師を裏切って祭司長宮守頭に売り渡し、群衆の反対を受ける心配がない機を窺って彼を付すことを約束した。
辞解
[宮守頭(みやもりがしら)] 宮の守衛の職を掌る者らの頭領。
要義 [イエスはユダの反逆を予知し給わざりしや]十二使徒選任の当時はイエスはユダの反逆を予知しなかったものと見るべきである。ユダはイエスを非常に尊敬しイエスに期待した。唯彼の期待がこの世的であったためにサタンの乗ずる処となったのであり、神はこのユダの反逆を利用してイエスをしてその十字架の贖罪を成就せしめ給うたのであったと見るべきである。

10-1-ロ 過越の準備 22:7 - 22:13
(マタ26:17-19) (マコ14:12-16)  

22章7節 過越(すぎこし)羔羊(こひつじ)(ほふ)るべき除酵祭(じょかうさい)()(きた)りたれば、[引照]

口語訳さて、過越の小羊をほふるべき除酵祭の日がきたので、
塚本訳過越の小羊を屠るべき種無しパンの祭の日が来た。
前田訳過越の小羊をほふるべき種なしパンの祭りの日が来た。
新共同過越の小羊を屠るべき除酵祭の日が来た。
NIVThen came the day of Unleavened Bread on which the Passover lamb had to be sacrificed.
註解: ニサンの月の十四日の午後に当る。その夕より過越の食が行われる。

22章8節 イエス、ペテロとヨハネとを(つかは)さんとして()ひたまふ『()きて(われ)らの(しょく)せん(ため)過越(すぎこし)(そなへ)をなせ』[引照]

口語訳イエスはペテロとヨハネとを使いに出して言われた、「行って、過越の食事ができるように準備をしなさい」。
塚本訳イエスはこう言ってペテロとヨハネとを使いにやられた、「わたし達の過越の食事の支度をして来なさい。」
前田訳イエスはペテロとヨハネをつかわしていわれた、「われらの過越の食事を用意して来なさい」と。
新共同イエスはペトロとヨハネとを使いに出そうとして、「行って過越の食事ができるように準備しなさい」と言われた。
NIVJesus sent Peter and John, saying, "Go and make preparations for us to eat the Passover."

22章9節 (かれ)()ふ『何處(いづこ)(そな)ふることを(のぞ)(たま)ふか』[引照]

口語訳彼らは言った、「どこに準備をしたらよいのですか」。
塚本訳二人が言った、「どこで支度をしましょうか。」
前田訳ふたりはいった、「どこで用意しましょうか」と。
新共同二人が、「どこに用意いたしましょうか」と言うと、
NIV"Where do you want us to prepare for it?" they asked.
註解: マタイ伝、マルコ伝には弟子たちが始めにイエスに問いを発したように録されている。15節にはイエスが主動的立場を取り給うたように録されている。従ってマタイ、およびマルコはこれを簡単にしたこととなる。なおマルコ伝には単に二人の弟子とあって名称は省略されている。

22章10節 イエス()ひたまふ『()よ、(みやこ)()らば、(みづ)をいれたる(かめ)()(ひと)なんぢらに()ふべし、(これ)(したが)ひゆき、その()(ところ)(いへ)にいりて、[引照]

口語訳イエスは言われた、「市内にはいったら、水がめを持っている男に出会うであろう。その人がはいる家までついて行って、
塚本訳彼らに言われた、「都に入ると、水瓶をかついだ男に出合うから、そのあとについて行って、その人が入ってゆく家にはいって、
前田訳彼はいわれた、「都に入ると、水瓶を運ぶ人に出会うから、あとについて行って、その人の入る家に入って、
新共同イエスは言われた。「都に入ると、水がめを運んでいる男に出会う。その人が入る家までついて行き、
NIVHe replied, "As you enter the city, a man carrying a jar of water will meet you. Follow him to the house that he enters,

22章11節 (いへ)主人(あるじ)に「()なんぢに()ふ、われ弟子(でし)らと(とも)過越(すぎこし)(しょく)をなすべき座敷(ざしき)何處(いづこ)なるか」と()へ。[引照]

口語訳その家の主人に言いなさい、『弟子たちと一緒に過越の食事をする座敷はどこか、と先生が言っておられます』。
塚本訳その家の主人に、『わたしが弟子たちと一しょに過越の食事をする部屋はどこか、と先生があなたに言われる』と言いなさい。
前田訳家の主人にいいなさい、『弟子たちと過越の食事を共にする部屋はどこか、と先生があなたにいわれる』と。
新共同家の主人にはこう言いなさい。『先生が、「弟子たちと一緒に過越の食事をする部屋はどこか」とあなたに言っています。』
NIVand say to the owner of the house, `The Teacher asks: Where is the guest room, where I may eat the Passover with my disciples?'

22章12節 さらば調(ととの)へたる(おほい)なる二階(にかい)座敷(ざしき)()すべし。其處(そこ)(そな)へよ』[引照]

口語訳すると、その主人は席の整えられた二階の広間を見せてくれるから、そこに用意をしなさい」。
塚本訳するとその人は敷物のしいてある、大きな二階座敷に案内してくれるから、そこで(食事の)支度をしなさい。」
前田訳するとその人は敷物のある大きな二階の座敷を見せてくれよう。そこで用意しなさい」と。
新共同すると、席の整った二階の広間を見せてくれるから、そこに準備をしておきなさい。」
NIVHe will show you a large upper room, all furnished. Make preparations there."

22章13節 かれら()()きて、イエスの()(たま)ひし(ごと)くなるを()て、過越(すぎこし)設備(そなへ)をなせり。[引照]

口語訳弟子たちは出て行ってみると、イエスが言われたとおりであったので、過越の食事の用意をした。
塚本訳二人は行って見ると、はたしてイエスの言葉どおりだったので、(そこで)過越の食事の支度をした。
前田訳彼らが行ってみると、いわれたとおりであったので、過越の用意をした。
新共同二人が行ってみると、イエスが言われたとおりだったので、過越の食事を準備した。
NIVThey left and found things just as Jesus had told them. So they prepared the Passover.
註解: 10−13節は大体マコ14:13−16と同一である。「水を入れたる瓶を持つ人」に逢うであろうということをイエスは如何にして知ったか、またその人がちょうどその求める家の家族または僕であることを如何にして知ったか等度は不明である。しかし家の主人に「師」というだけで了解された点またその二階座敷の内部までも熟知していた点などより考えて、イエスと親密な関係にあった人と見るべきであろう。これがイエスの弟子の一人かまたはマルコの父の家であるまいかとの想像が行われているのもこのためである。これをイエスの千里眼的透視力によったものと解する必要はない。ただし19:29−34の場合と同じく、イエスの偉大なる直観力が、水瓶を持った人のことを適確に言い当てたものと見ることができる。それ故この二つの記事は全部奇蹟的記事と見る必要はないが、また全部平凡な事実と見ることもできない。

10-1-ハ 最後の晩餐 22:14 - 22:23
(マタ26:26-29) (マコ14:22-25)  

22章14節 (とき)いたりてイエス(せき)()きたまひ、使徒(しと)たちも(とも)()く。[引照]

口語訳時間になったので、イエスは食卓につかれ、使徒たちも共に席についた。
塚本訳(日が暮れて食事の)時間になると、イエスは席につかれた。使徒たちも一しょであった。
前田訳時が来ると、彼は食卓につかれた。使徒たちもいっしょであった。
新共同時刻になったので、イエスは食事の席に着かれたが、使徒たちも一緒だった。
NIVWhen the hour came, Jesus and his apostles reclined at the table.

22章15節 かくて(かれ)らに()(たま)ふ『われ苦難(くるしみ)(まへ)に、なんぢらと(とも)にこの過越(すぎこし)(しょく)をなすことを(のぞ)みに(のぞ)みたり。[引照]

口語訳イエスは彼らに言われた、「わたしは苦しみを受ける前に、あなたがたとこの過越の食事をしようと、切に望んでいた。
塚本訳彼らに言われた、「わたしは苦しみをうける前に、あなた達と一しょにこの過越の食事がしたくて、たまらなかった。
前田訳彼らにいわれた、「わたしは、苦難を受ける前にあなた方とこの過越の食事を共にすることを切に望んでいた。
新共同イエスは言われた。「苦しみを受ける前に、あなたがたと共にこの過越の食事をしたいと、わたしは切に願っていた。
NIVAnd he said to them, "I have eagerly desired to eat this Passover with you before I suffer.

22章16節 われ(なんぢ)らに()ぐ、(かみ)(くに)にて[過越(すぎこし)の]成就(じゃうじゅ)するまでは、(われ)(また)これを(しょく)せざるべし』[引照]

口語訳あなたがたに言って置くが、神の国で過越が成就する時までは、わたしは二度と、この過越の食事をすることはない」。
塚本訳わたしは言う、神の国でほんとうの過越の食事──(罪のあがないの記念の食事)──をする時まで、わたしはもう決して、この(エジプトからあがなわれた記念の)食事をしないのだから。」
前田訳わたしはいう、神の国で過越が成就するときまで、わたしは決してこの食事をしない」と。
新共同言っておくが、神の国で過越が成し遂げられるまで、わたしは決してこの過越の食事をとることはない。」
NIVFor I tell you, I will not eat it again until it finds fulfillment in the kingdom of God."
註解: (14−16節はルカ伝特有である。13節までマルコ伝と歩調を合わせて来たルカがここでマルコ伝を離れたこと、殊に17−20節の問題に関する重要な変更は、ルカが独特の資料により確信をもって事実有りのままを録したものと考えられる。)イエスは彼の上に苦難が臨むことが極めて切迫していることを感じたので、過越の祭まで果して生きられるかを疑い、最後の過越を弟子たちと共に食することを切に望み給うた。それが実現したことがイエスにとって大きいよろこびであった。そして彼は弟子たちに向い、「神の国において過越が成就するまで」すなわちイスラエルが過越の羔羊によってエジプトから救い出されたように、イエスの死によって神の国に救われた者が神の国において天国の饗宴に加わりイエスと共に食事する時が来るまで、イエスはもはや彼らと過越の食を共にすることは決して無いであろうこと、すなわち間もなく死んでこの世を去り給うことを彼らに告げ給うた。

22章17節 かくて酒杯(さかづき)()け、かつ(しゃ)して()(たま)ふ『これを()りて(たがひ)(わか)()め。[引照]

口語訳そして杯を取り、感謝して言われた、「これを取って、互に分けて飲め。
塚本訳そして(いつものように)杯を受け取り、(神に)感謝したのち、(弟子たちに)言われた、「これを取って、みなで回して飲みなさい。
前田訳そして杯を受けて感謝してからいわれた、「これを受けて互いに分けなさい。
新共同そして、イエスは杯を取り上げ、感謝の祈りを唱えてから言われた。「これを取り、互いに回して飲みなさい。
NIVAfter taking the cup, he gave thanks and said, "Take this and divide it among you.

22章18節 われ(なんぢ)らに()ぐ、(かみ)(くに)(きた)るまでは、われ(いま)よりのち葡萄(ぶだう)()より()るものを()まじ』[引照]

口語訳あなたがたに言っておくが、今からのち神の国が来るまでは、わたしはぶどうの実から造ったものを、いっさい飲まない」。
塚本訳わたしは言う、今からのち神の国が来るまで、わたしは決して葡萄の木から出来たものを飲まないのだから。」
前田訳わたしはいう、今からのち、神の国が来るまで、わたしは決してぶどうから作ったものを飲むまい」と。
新共同言っておくが、神の国が来るまで、わたしは今後ぶどうの実から作ったものを飲むことは決してあるまい。」
NIVFor I tell you I will not drink again of the fruit of the vine until the kingdom of God comes."
註解: ルカは他の福音書と異なりイエスの受難が切迫している場合のイエスの訣別の感情を中心に記事を進めているものと見るべきであろう。マタイ伝、マルコ伝ではイエスがこの際聖餐式を制定し給うたもののごとくに記しているのと非常に異なっている。なお附記参照。すなわちイエスは酒杯を受けてこれを弟子たちに分ち与え、神の国において弟子たちと共に新たに酒杯を取る時までは、葡萄酒を飲むことは又とは無い。すなわち、これが飲み納めであるとの意。イエスはその切迫せる死について明白に意識し給うた。なおこの際イエスは過越の食の慣例に反して葡萄酒を自らは飲み給わなかったと解することは(酒杯を「受け」とあり、「取り」となっていないのがその理由とされている。Z0、M0)必ずしも必要ではない。パンについても同様のことが言える。ルカが聖餐式との関連を眼中に置かなかったことは、パンよりも前に葡萄酒を置いていること、および後に記すように19b−20節が本来ルカ伝に欠けているとすれば葡萄酒がイエスの血を表徴すとの記事が全く欠けていることによってこれを認めることができる。ルカの記事はイエスの死が接近しているという緊迫感に充たされている。

22章19節 またパンを()(しゃ)してさき、弟子(でし)たちに(あた)へて()(たま)ふ『これは(なんぢ)らの(ため)(あた)ふる()(からだ)なり。()記念(きねん)として(これ)(おこな)へ』[引照]

口語訳またパンを取り、感謝してこれをさき、弟子たちに与えて言われた、「これは、あなたがたのために与えるわたしのからだである。わたしを記念するため、このように行いなさい」。
塚本訳またパンを(手に)取り、感謝して裂き、彼らに渡して言われた、「これはわたしの体である。[以下及び20無し
前田訳また、パンを受け、感謝して裂き、彼らに渡していわれた、「これはあなた方のために与えられるわが体である。これをわが記念に行ないなさい」と。
新共同それから、イエスはパンを取り、感謝の祈りを唱えて、それを裂き、使徒たちに与えて言われた。「これは、あなたがたのために与えられるわたしの体である。わたしの記念としてこのように行いなさい。」
NIVAnd he took bread, gave thanks and broke it, and gave it to them, saying, "This is my body given for you; do this in remembrance of me."

22章20節 夕餐(ゆふげ)ののち酒杯(さかづき)をも(しか)して()(たま)ふ『この酒杯(さかづき)は、(なんぢ)らの(ため)(なが)()()によりて()つる(あたら)しき契約(けいやく)なり。[引照]

口語訳食事ののち、杯も同じ様にして言われた、「この杯は、あなたがたのために流すわたしの血で立てられる新しい契約である。
塚本訳
前田訳同じように食後杯をとっていわれる、「これはあなた方のために流されるわが血による新しい契約である。
新共同食事を終えてから、杯も同じようにして言われた。「この杯は、あなたがたのために流される、わたしの血による新しい契約である。
NIVIn the same way, after the supper he took the cup, saying, "This cup is the new covenant in my blood, which is poured out for you.
註解: 19節の中に「イエス言い給ふ『これ我が體なり』」までがイエスの言として録され、それ以下(邦訳「汝らの為に與ふる」もこの中に含まる)および20節が全く欠けている写本がある。おそらくこれが正しい原本であろう(S1、M0、W2、Z0)。19節bおよび20節はTコリ11:23−25による後代の挿入であろう。1946年発行の米国の公認新訳版はこの19b−20節を欄外に移している。従って福音書中にはイエスが聖餐式を制定し給うたことはないこととなった。附記参照。

22章21節 されど()よ、(われ)()(もの)()、われと(とも)食卓(しょくたく)(うへ)にあり、[引照]

口語訳しかし、そこに、わたしを裏切る者が、わたしと一緒に食卓に手を置いている。
塚本訳しかし驚いてはいけない、わたしを(敵に)売る者が、わたしと一しょに手を食事の上において食事をしている!
前田訳しかし、見よ、わたしを引き渡すものがわたしといっしょに食卓に手を置いている。
新共同しかし、見よ、わたしを裏切る者が、わたしと一緒に手を食卓に置いている。
NIVBut the hand of him who is going to betray me is with mine on the table.
附記 [17−20節について]この部分は多くの写本の間に混乱があり、(1)17、18節を19節の後に置くもの、(2)17、18節を全く除いてあるもの、(3)19、20a「夕餐の後」、17、20b「この酒杯は・・・・」18の順序によるもの、(4)19b「汝らの為に与ふる所のものなり、我が記念として・・・・」および20を全く欠いているもの、および(5)現行訳のごときものである。この混乱の原因はマタイおよびマルコと異なり酒杯が前後二回用いられており、しかもパンよりも先に置かれており、かつ第一の酒杯には「我が血」としての解釈が加えられていないからであろう。これらの混乱の中おそらく(4)が原形であったのを、他の福音書のごとく聖餐式的形体を添えるためにTコリ11:23−25より借用してここに挿入したのが現行訳の原本(5)であり、その場合生じた酒杯の重複を防ぐために、変更を加えたのが(1)(2)(3)であろうとする学説が最も真に近い(Z0、M0、W2)。もしこの推測が正しいとすればルカはこの場合イエスの死の切迫感を中心に、彼自身の攻究した資料によって記載したのであって、極めて意義深き記録であると言わなければならない。事実イエスがその切迫せる死を前にして、聖餐式と称えらるるごとき儀式を制定したというようなことは、甚だ真実に遠い考え方である。勿論弟子たちの間に聖餐式が儀式として確立された原因は、この最後の晩餐が弟子たちの心に与えた印象によることは疑いないことであるが、イエスがそれを制定したと考えることは、少なくとも福音書の記事からはこれを断定する材料はない。殊に注意を要することは一九四六年に発行された米国の Revised Standard Version(最新公定改訳)はこの(4)と同じく19節bと20節とを本文より除いて欄外に移していることである。

22章22節 ()(ひと)()(さだ)められたる(ごと)()くなり。されど(これ)()(もの)禍害(わざはひ)なるかな』[引照]

口語訳人の子は定められたとおりに、去って行く。しかし人の子を裏切るその人は、わざわいである」。
塚本訳人の子(わたしはかねて神に)定められているとおりに死んでゆくのだから。しかし(人の子を)売るその人は、ああかわいそうだ!」
前田訳人の子は定められたとおり去って行く。しかし人の子を引き渡すその人はわざわいである」と。
新共同人の子は、定められたとおり去って行く。だが、人の子を裏切るその者は不幸だ。」
NIVThe Son of Man will go as it has been decreed, but woe to that man who betrays him."
註解: イエスは神の聖旨により、その死が定められていると思いつつも、その愛する弟子の一人が彼を売るに至ったことを識(し)り、これを考えて耐え得ない苦痛を感じ給うた。ルカの霊筆はよくこの切実な感情を描写している。

22章23節 弟子(でし)たち(おのれ)らの(うち)にて()(こと)をなす(もの)は、(たれ)ならんと(たがひ)()(はじ)む。[引照]

口語訳弟子たちは、自分たちのうちのだれが、そんな事をしようとしているのだろうと、互に論じはじめた。
塚本訳(これを聞くと)弟子たちは、自分たちのうちでいったいだれがそんな(だいそれた)ことをしようとしているのかと、みなで言い合いを始めた。
前田訳弟子たちは、自分たちのうちのだれがいったいそんなことをしようかと、互いにいいあいはじめた。
新共同そこで使徒たちは、自分たちのうち、いったいだれが、そんなことをしようとしているのかと互いに議論をし始めた。
NIVThey began to question among themselves which of them it might be who would do this.
註解: 弟子たちは未だ充分にイエスの死が近付いていることを解していなかった。いわんや彼らの中から裏切者が現れるであろうことを夢にも考えなかった。彼らが驚いた表情が本節に巧みに記されている。

10-2 弟子の生涯とサタンの戦い 22:24 - 22:71
10-2-イ 奉仕の生涯 22:24 - 22:30
(マタ20:25-28) (マコ10:42-45)  

註解: 24−30節はマタ20:20−28。マコ10:35−45にゼベダイの子らと母とがイエスに来り、その子らが天国において高き地位を与えられんことを要求したことの記事に関連してイエスが教訓を垂れ給うた言葉に相当しているのであるが本書の場合は、イエスの死後弟子たちが奉仕の生活を送ることを望み給えるイエスの遺言として録されている。かつユダがイエスを付したのも、その虚栄心や支配慾の結果であることを彼らに知らせんとし給うたこともこれに加わっていたことであろう。ヨハ13:4−10の洗足の記事を背景としたものと解する学者が多いけれども、適当ではない(M0)。

22章24節 また(かれ)らの(うち)に、(おのれ)らの(うち)たれか(おほい)ならんとの爭論(さうろん)おこりたれば、[引照]

口語訳それから、自分たちの中でだれがいちばん偉いだろうかと言って、争論が彼らの間に、起った。
塚本訳また弟子たちの間に、自分たちのうちでだれが一番えらいと思われているかについての争いもあった。
前田訳弟子たちの間に、自分たちのうちでだれが一番偉く思われるかについて論争があった。
新共同また、使徒たちの間に、自分たちのうちでだれがいちばん偉いだろうか、という議論も起こった。
NIVAlso a dispute arose among them as to which of them was considered to be greatest.

22章25節 イエス()ひたまふ[引照]

口語訳そこでイエスが言われた、「異邦の王たちはその民の上に君臨し、また、権力をふるっている者たちは恩人と呼ばれる。
塚本訳するとイエスが言われた、「世間では王が人民を支配し、また主権者は自分を恩人と呼ばせる。
前田訳イエスはいわれた、「異邦人の王たちはその民を支配し、その権力者は恩人と呼ばれる。
新共同そこで、イエスは言われた。「異邦人の間では、王が民を支配し、民の上に権力を振るう者が守護者と呼ばれている。
NIVJesus said to them, "The kings of the Gentiles lord it over them; and those who exercise authority over them call themselves Benefactors.
註解: かかる議論がこの際に起ったと考えることは、必ずしも適当ではないが、イエスを売る者は誰であるかに関する議論から派生したものと考えられないことはない。
辞解
[誰か大ならん] 「誰がヨリ大であると認められるか」。

異邦人(いはうじん)(わう)はその(たみ)(つかさ)どり、また(たみ)支配(しはい)する(もの)恩人(おんじん)(とな)へらる。

註解: 異邦の社会の風習として王は民の主となり、また民の上に権を取る者は恩人(功労者)と呼ばれる。すなわち支配者、権力者は尊ばれ民はこれに隷属するのが当然と考えられている。
辞解
[恩人] euergetēs 「善行者」「功労者」等を意味し、「閣下」というごとき称呼として用いられている。
[宰(つかさ)どり] kyrieuō は「主人となる」ことで従って民は奴隷となること。
[支配する] exousiazō は権威を有すること。

22章26節 されど(なんぢ)らは(しか)あらざれ、(なんぢ)()のうち(おほい)なる(もの)(わか)(もの)のごとく、(かしら)たる(もの)(つか)ふる(もの)(ごと)くなれ。[引照]

口語訳しかし、あなたがたは、そうであってはならない。かえって、あなたがたの中でいちばん偉い人はいちばん若い者のように、指導する人は仕える者のようになるべきである。
塚本訳しかしあなた達はそれではいけない。あなた達の間では、一番えらい者が一番若輩のように、支配する者が給仕をする者のようになれ。
前田訳しかしあなた方はそれではいけない。あなた方の一番偉いものは一番若いように、支配者は給仕人のようであれ。
新共同しかし、あなたがたはそれではいけない。あなたがたの中でいちばん偉い人は、いちばん若い者のようになり、上に立つ人は、仕える者のようになりなさい。
NIVBut you are not to be like that. Instead, the greatest among you should be like the youngest, and the one who rules like the one who serves.
註解: 一般異邦人の社会では、若き者は事(つか)うる者すなわち僕婢であり老いたる者優れたる者、指導者は事(つか)えられる者であるが、キリスト者の間ではその正反対であるべきで、能力や経験が多ければ多いほど、これをもって多くの人に奉仕すべき義務を負うこととなる。官吏は神を知らざる社会では、公民の主人であるが、キリスト教的社会では公僕と考えられるのはそのためである。
辞解
[頭たる者] hēgoumenos 指導する者。

22章27節 食事(しょくじ)(せき)()(もの)(つか)ふる(もの)とは、(いづ)れか(おほい)なる。食事(しょくじ)(せき)()(もの)ならずや、されど(われ)(なんぢ)らの(うち)にて(つか)ふる(もの)のごとし。[引照]

口語訳食卓につく人と給仕する者と、どちらが偉いのか。食卓につく人の方ではないか。しかし、わたしはあなたがたの中で、給仕をする者のようにしている。
塚本訳食卓につく者と給仕をする者と、どちらがえらいか。食卓につく者ではないのか。でもわたしはあなた達の間で、あたかも給仕をする者のようにしている。
前田訳食卓につくものと給仕人とどちらが偉いか。食卓につくものではないか。わたしはあなた方の間では給仕人のようにしている。
新共同食事の席に着く人と給仕する者とは、どちらが偉いか。食事の席に着く人ではないか。しかし、わたしはあなたがたの中で、いわば給仕する者である。
NIVFor who is greater, the one who is at the table or the one who serves? Is it not the one who is at the table? But I am among you as one who serves.
註解: 「食事の席に著(つ)く者」は主人または賓客であり、「事(つか)ふる者」は「給仕する者」(僕婢)である。主人や賓客はだいなるものとして尊敬せられ、給仕する者は婢僕として卑しめられる。然るにイエスは弟子たちに対して僕の態度を取り給うた。これは必ずしも洗足のことを指すと見るべきではなく、イエスの生涯全体が弟子たちのために存在し、彼らのために生きまた死に給うたという事実が、彼の「事(つか)ふる者」であることの証拠であると見ることができる。

22章28節 (なんぢ)らは()嘗試(こころみ)のうちに()えず(われ)とともに()りし(もの)なれば、[引照]

口語訳あなたがたは、わたしの試錬のあいだ、わたしと一緒に最後まで忍んでくれた人たちである。
塚本訳しかしあなた達はわたしのかずかずの試みの時に、一しょに持ちこたえてくれた人たちだ。
前田訳あなた方はわたしの試練の時々にいっしょに耐え抜いてくれた人たちである、
新共同あなたがたは、わたしが種々の試練に遭ったとき、絶えずわたしと一緒に踏みとどまってくれた。
NIVYou are those who have stood by me in my trials.

22章29節 わが(ちち)(われ)(にん)(たま)へるごとく、(われ)(また)なんぢらに(くに)(にん)ず。[引照]

口語訳それで、わたしの父が国の支配をわたしにゆだねてくださったように、わたしもそれをあなたがたにゆだね、
塚本訳だから父上がわたしに御国を委ねてくださったように、わたしもあなた達にわたしの国を委ね、
前田訳父上がわたしにみ国をゆだねられたように、わたしもあなた方にそれをゆだね、
新共同だから、わたしの父がわたしに支配権をゆだねてくださったように、わたしもあなたがたにそれをゆだねる。
NIVAnd I confer on you a kingdom, just as my Father conferred one on me,

22章30節 これ(なんぢ)らの()(くに)にて()食卓(しょくたく)飮食(のみくひ)し、かつ座位(くらゐ)()してイスラエルの十二(じふに)(やから)(さば)かん(ため)なり。[引照]

口語訳わたしの国で食卓について飲み食いをさせ、また位に座してイスラエルの十二の部族をさばかせるであろう。
塚本訳(そこで)わたしの食卓で飲み食いさせ、また王座につかせて、イスラエルの(民の)十二族を支配させるであろう。」
前田訳み国のわが食卓で飲み食いさせ、王座につかせてイスラエルの十二の族(やから)を裁かせよう」と。
新共同あなたがたは、わたしの国でわたしの食事の席に着いて飲み食いを共にし、王座に座ってイスラエルの十二部族を治めることになる。」
NIVso that you may eat and drink at my table in my kingdom and sit on thrones, judging the twelve tribes of Israel.
註解: 28、29節はルカ特有である。イエスの嘗試(こころみ)とは、イエスの全生涯を通じてのサタンとの戦闘を指す。弟子たちは絶えずイエスと共に留まっていた。これがイエスの最も喜び給う処であること、あたかもイエスが常に神と共に在ることによって神の喜び給う処であるのと同一である。而して神がその御国をイエスにまかせ給うたと同様にイエスはその忠信なる弟子たちに国を委任し給うた。その結果彼らは神の国においてイエスと共に飲食することの幸福に与ることができ、また十二の座位に坐してイスラエルの十二の族を審(さば)くこと、すなわち神の民の上に支配権を持つことができた。すなわち弟子たちは自ら大ならんとして大なり得ず、かえって自ら事(つか)うる者となり、イエスの苦難と嘗試(こころみ)とに与ることによって偉大なる者となることができた。
辞解
[絶えず我とともに居りし] diamenō の完了形、共に居ることを頑張り通したこと。
[任ず] diatithēmi はまかせられること。

10-2-ロ ペテロ主を否むことの預言 22:31 - 22:34
(マタ26:30-35) (マコ14:26-31)  

22章31節 シモン、シモン、()よ、サタン(なんぢ)らを(むぎ)のごとく(ふる)はんとて()()たり。[引照]

口語訳シモン、シモン、見よ、サタンはあなたがたを麦のようにふるいにかけることを願って許された。
塚本訳(そしてペテロに向かって言われた、)「シモン、シモン、見なさい、悪魔はあなた達を麦のように篩にかけることを(神に)願って聞き届けられた。
前田訳「シモン、シモン、見よ、悪魔はあなた方を麦のように篩(ふるい)にかけることを願って、ゆるされた。
新共同「シモン、シモン、サタンはあなたがたを、小麦のようにふるいにかけることを神に願って聞き入れられた。
NIV"Simon, Simon, Satan has asked to sift you as wheat.
註解: 31−34節は十二使徒の主席にペテロを任命し給えること、そして同時にペテロの人間としての弱さを明かにした意味において重大なる意義を有する箇所である。イエスの死は弟子たちをサタンの激しい嘗試(こころみ)に放任することとなる。麦を篩(ふる)う時のごとく激しく篩われるであろう。「請ひ得たり」は、熱心に求めてついにその目的を達したこと、イエスの死はサタンの謀計の成功であった。しかしこれが彼の没落の原因となろうということは、サタンは考えなかった。この場合弟子たちをサタンが懇求獲得したことは弟子たちにとっては非常な危機であったことは勿論である。
辞解
[請ひ得たり] exaiteō は「求めて獲得すること」。

22章32節 されど(われ)なんぢの(ため)に、その信仰(しんかう)()せぬやうに(いの)りたり、[引照]

口語訳しかし、わたしはあなたの信仰がなくならないように、あなたのために祈った。それで、あなたが立ち直ったときには、兄弟たちを力づけてやりなさい」。
塚本訳しかしわたしはあなたのために、信仰がなくならないように祈っておいた。(だから一度信仰を失っても、またもどってくる。)もどってきたら、あなたが兄弟たちを強めてやってほしい。」
前田訳しかしわたしはあなたのために、信仰がうせないように祈った。あなたが戻って来たら、兄弟たちを強めなさい」と。
新共同しかし、わたしはあなたのために、信仰が無くならないように祈った。だから、あなたは立ち直ったら、兄弟たちを力づけてやりなさい。」
NIVBut I have prayed for you, Simon, that your faith may not fail. And when you have turned back, strengthen your brothers."
註解: イエスは特にペテロのために祈り給うた。ペテロが十二使徒の首班としてその上に責任を持っていたことはこれによって知られる。イエスの祈りは必ず聴かれた。

なんぢ()(かへ)りてのち兄弟(きゃうだい)たちを(かた)うせよ』

註解: 「立ち帰り」 epistrephō は向きをかえること、回心の意味にも用う。この場合難解であるが、これまで主イエスの方のみに目を向けていたのを、今後弟子たちの方に向きかわって彼らの信仰を堅うせよとの意味であろう。これを単に「汝としては」の意味に解する説(E0)またはこれを他動詞的に見て「汝は兄弟たちを回心せしめてこれを堅うせよ」と訳する説がある(Z0)が、次節との関係から見ても上記のように訳すべきであろう。

22章33節 シモン()ふ『(しゅ)よ、(われ)(なんぢ)とともに(ひとや)にまでも、()にまでも()かんと覺悟(かくご)せり』[引照]

口語訳シモンが言った、「主よ、わたしは獄にでも、また死に至るまでも、あなたとご一緒に行く覚悟です」。
塚本訳するとペテロは言った、「主よ、ご一しょに、牢に入っても、死んでもよい覚悟ができております。」
前田訳ペテロはいった、「主よ、お伴をして、いつ牢に入っても、いつ死んでも結構です」と。
新共同するとシモンは、「主よ、御一緒になら、牢に入っても死んでもよいと覚悟しております」と言った。
NIVBut he replied, "Lord, I am ready to go with you to prison and to death."
註解: ペテロの決心はあくまでも主イエスと生死を共にすることであった。従って向き帰って弟子たちの監督者となることのごときは思いもよらないというのである。その熱情はまことに愛すべきものであったけれども、肉による熱情は失敗し易いことは後の事実が示す通りである。

22章34節 イエス()(たま)ふ『ペテロよ、(われ)なんぢに()ぐ、今日(けふ)なんぢ三度(みたび)われを()らずと(いな)むまでは、(にはとり)()かざるべし』[引照]

口語訳するとイエスが言われた、「ペテロよ、あなたに言っておく。きょう、鶏が鳴くまでに、あなたは三度わたしを知らないと言うだろう」。
塚本訳イエスは言われた、「ペテロ、わたしは言う、きょう(今夜、)三度、あなたがわたしを知らないと言うまで、鶏は鳴かない。」
前田訳イエスはいわれた、「ペテロ、わたしはいう、今夜三度あなたがわたしを否むまで、にわとりは鳴くまい」と。
新共同イエスは言われた。「ペトロ、言っておくが、あなたは今日、鶏が鳴くまでに、三度わたしを知らないと言うだろう。」
NIVJesus answered, "I tell you, Peter, before the rooster crows today, you will deny three times that you know me."
註解: ペテロの熱情的告白も間もなくその弱さのために破滅に帰することをイエスは知悉し、これに警戒を与え給うた。マタイ、マルコによればペテロに関するこのイエスの預言は、彼らが過越の食を終えて橄欖山に向って出て行った時のこととなっている。この二つの記事を強いて調和する必要はない。
要義1 [奉仕の生活]イエスがこの世を去るに当り、その弟子たちに残し給える遺訓の重要なるものは弟子たちが人に事(つか)うる者となるべきことであった。キリスト教の道徳の凡てはこれを隣人愛の一語に要約することができ、そして隣人愛の実行は奉仕となって表われるとすれば、奉仕の生活はキリスト教道徳のアルパでありオメガであることとなる。それ故に弟子たちの態度としても、それが第一に強調さるべきであったこと勿論である。もし弟子たちがイエスの十二弟子に選ばれたことを誇るような心をもっているならば、彼らはユダと同じくたちまちサタンの誘うところとなるであろう。
要義2 [天国における地位の上下]この数節の示すごとく天国においても地位の差別は有るものと考えらるべきであろう。ただしそれはこの地上における地位身分の上下と異なり、地上の生活において他人のために奉仕し、信仰のために苦しみ、キリストと同じ生活を送った者に対して与えられる栄誉であり、そしてその地位はそのまま他の人々に対する審判となるであろう。何となれば正しい生活の明白な報いとして与えられているからである(マタ5:12)。そしてその地位は富や権力を享楽するのではなく、イエスと共に在るの幸福を享楽するごとき地位であろう。

10-2-ハ 弟子たちの覚悟を促し給う 22:35 - 22:38  

註解: 35−38節はルカに特有の部分で、イエスがその死を前にして、弟子たちを警戒し、今後彼らのの境遇が全く一変し以前の伝道のごとき温かき歓迎を期待し得るものではなく、敵意と迫害の中に立たなければならないとの決心を彼らに与えんとし給うたのであった。かく解することによって36節bも理解し易くなるけれどもなお解釈上問題の点が多い個所である。大体ルカ特有の部分には優れたものが多いと同時に難解の部分も多い。

22章35節 かくて弟子(でし)たちに()(たま)ふ『財布(さいふ)(ふくろ)(くつ)をも()たせずして(なんぢ)らを(つかは)ししとき、()けたる(ところ)ありしや』(かれ)()ふ『()かりき』[引照]

口語訳そして彼らに言われた、「わたしが財布も袋もくつも持たせずにあなたがたをつかわしたとき、何かこまったことがあったか」。彼らは、「いいえ、何もありませんでした」と答えた。
塚本訳それから彼らに言われた、「(前に)財布も旅行袋も靴も持たせずに、あなた達を(伝道に)やった時、何か足りない物があったか。」彼らが答えた、「いえ、何も。」
前田訳彼らにいわれた、「財布も袋も靴もなしにあなた方をつかわしたとき、何か足りなかったか」と。彼らはいった、「何も」と。
新共同それから、イエスは使徒たちに言われた。「財布も袋も履物も持たせずにあなたがたを遣わしたとき、何か不足したものがあったか。」彼らが、「いいえ、何もありませんでした」と言うと、
NIVThen Jesus asked them, "When I sent you without purse, bag or sandals, did you lack anything?" "Nothing," they answered.
註解: 9:3−5。10:4参照。イエスが「善き師」として人民一般に崇められていた間は、弟子たちの伝道は比較的容易であり、平穏無事であった。しかしイエスが罪人と共に数えられ、悪人として処刑された場合、一般の人の態度は一変しもはや従来のごとき歓迎を期待し得ないこととなる。

22章36節 イエス()(たま)ふ『されど(いま)財布(さいふ)ある(もの)(これ)()れ、(ふくろ)ある(もの)(しか)すべし。また(つるぎ)なき(もの)(ころも)()りて(つるぎ)()へ。[引照]

口語訳そこで言われた、「しかし今は、財布のあるものは、それを持って行け。袋も同様に持って行け。また、つるぎのない者は、自分の上着を売って、それを買うがよい。
塚本訳彼らに言われた、「しかし今は(もうそれではいけない。)財布を持っている者は持ってゆけ。旅行袋も同様。剣を持たない者は、(もし金がなかったら、)上着を売ってでも買いなさい。
前田訳彼はいわれた、「しかし今は財布のあるものは持って行け。袋も同様に。剣のないものは上着を売って買え。
新共同イエスは言われた。「しかし今は、財布のある者は、それを持って行きなさい。袋も同じようにしなさい。剣のない者は、服を売ってそれを買いなさい。
NIVHe said to them, "But now if you have a purse, take it, and also a bag; and if you don't have a sword, sell your cloak and buy one.
註解: 一般の人々は弟子たちに生活の資料をも与えず、また生命の保護をも与えず、かえって彼らを殺そうとするであろう。イエスの死によって世人の彼らに対する態度は一変するであろうことを、イエスはこの言によって彼らに示さんとし給うたのであった。それ故(1)以前は自らの生命も生活も全く神にのみ依り頼んでいたけれども今後は財袋や嚢や剣のごとき物質の力に依り頼まなければならないということを教え給うたのでは勿論なく、また(2)財袋や嚢は霊の生活資料、剣は御言の剣(エペ6:17)を意味する(オルスハウゼンその他)比喩的教訓でもなく、いわんや(3)法王ボニファキウス八世のごとく二振の剣は霊界と俗界の支配権を示すのでもない。イエスはかつて「財袋や嚢や糧食や衣類を持つな」と命じ給うた場合でも、それらを形式的に守らせるためではなく、彼らに神に対する絶対的信頼を持たせるためであった(9:3と10:4との間に内容を異にしている点にも注意せよ)。同様に本節の場合でも、弟子たちが全く孤立無援の立場に立つであろうことに対する警戒としてのみ意味があるのであって、貧弱な財布や二振の剣で彼らを防衛すべきことを教えたのではない。イエスはこれらのものを持つべきや否やを問題とし給うたのではなく、彼らの持つべき覚悟を教え給うたのである。平和無抵抗を主義とするイエスの弟子に「衣まで売って剣を買え」と教えられたことは如何にも不相応であったことは、古くより凡ての人に感じられていたために、古い記録にも「多くの写本には『剣を買ひて之を佩(は)け』の代りに『汝の敵の為に祈りせよ』とある」とあり(Z0六八四頁註六八参照)、また多くの学者や平和論者たちは、これを霊的の剣と解しようとするけれども、解釈としては正しくない。かく解せんとする精神を一歩進めてイエスの精神そのものに接することにより本節の真意を感得することができるであろう。以上の解釈はなお38、50、51節によって確められるであろう。
辞解
[劍] この場合過越の羔羊を屠るための大形のナイフであったろうと想像する学者がある(クリソストム、Z0)、ペテロとヨハネの二人(7節)がこれを所持したのであろう(38、50節)と想像されている。反対説もあるが興味ある説である。
[また劍なき者] 原語は「劍」を略しているので「財布と嚢なき者は」(M0)とかまたは単に「持たぬ者は」(すなわち貧者はの意)(H0)に解する説あれど不適当なり。

22章37節 われ(なんぢ)らに()ぐ「かれは愆人(とがにん)(とも)(かず)へられたり」と(しる)されたるは、()()()()げらるべし。[引照]

口語訳あなたがたに言うが、『彼は罪人のひとりに数えられた』としるしてあることは、わたしの身に成しとげられねばならない。そうだ、わたしに係わることは成就している」。
塚本訳わたしは言う、“彼は咎人の一人に数えられた”と(聖書に)書いてあること、をわたしは成就せねばならないのだから。そしてわたしの務は(いよいよこれで)果てるのだ。(あなた達も戦いの準備をするがよい。)」
前田訳わたしはいう、『不法もののひとりに数えられた』と聖書にあることはわが身に成就されねぱならない、わたしにかかわることは成就する」と。
新共同言っておくが、『その人は犯罪人の一人に数えられた』と書かれていることは、わたしの身に必ず実現する。わたしにかかわることは実現するからである。」
NIVIt is written: `And he was numbered with the transgressors' ; and I tell you that this must be fulfilled in me. Yes, what is written about me is reaching its fulfillment."
註解: イザ53:12の預言がイエスの身において完うせられることとなる。すなわち弟子たちにとって大切な師が、この世からは愆人(とがにん)(anomoi 無律法者)と見られ、罪人として取扱われることをイエスは彼らに告げ給う。ここでイエスがイザ53:4−6のごとき贖罪の死について語られなかった訳は「万人救済主義の点でパウロ主義者であったルカは20節以外にはパウロの贖罪論の神学について知っていないことを示している(E0)」のではなく、この場合イエスの死が弟子たちを如何なる状態に陥れるかを彼らに知らせるのが主眼であったので愆人(とがにん)と同視される点を掲げたのであろう。

(おほよ)(われ)(かかは)(こと)()()げらるればなり』

註解: 本節前半の理由として預言が成就することを示している。ただしこの部分を「我に関することは終りとなれり」「我が運命は定まれり」等の意味に訳する説あり(Z0、H0、Z0)。原文としてはこの方が適当である。

22章38節 弟子(でし)たち()ふ『(しゅ)()たまへ、(ここ)(つるぎ)二振(ふたふり)あり』イエス()ひたまふ『()れり』[引照]

口語訳弟子たちが言った、「主よ、ごらんなさい、ここにつるぎが二振りございます」。イエスは言われた、「それでよい」。
塚本訳彼らが言った、「主よ、剣ならばここに二振あります。」イエスが(笑いながら)言われた、「それで沢山々々。」
前田訳彼らはいった、「主よ、剣はここに二振りあります」と。彼はいわれた、「それで十分」と。
新共同そこで彼らが、「主よ、剣なら、このとおりここに二振りあります」と言うと、イエスは、「それでよい」と言われた。
NIVThe disciples said, "See, Lord, here are two swords." "That is enough," he replied.
註解: 弟子たちは師の言から、事情が極めて切迫し、今にも敵が彼を襲うであとうと考え、持ち合わせている二振の剣では果して足るや否やを問うつもりでイエスに向って二振の剣を示した。彼らの態度があまりにも幼稚であり、またイエスの真意を理解しないので、イエスは「よしよし」とか「もうそれで結構」とかいう言葉の通り、談話を打切る意味の答を与え給うたのであると解すべきである(M0、E0、H0)。二本の剣で十二弟子の自己防衛に充分であるという意味では勿論ない。このイエスの答と態度とによって、弟子たちも36節後半のイエスの御言の真意が文字以外の点にあることを幾分悟ったであろう。

10-2-ニ ゲッセマネの祈り 22:39 - 22:46
(マタ26:36-46) (マコ14:32-42)  

22章39節 (つい)()でて、(つね)のごとくオリブ(やま)()(たま)へば、弟子(でし)たちも(したが)ふ。[引照]

口語訳イエスは出て、いつものようにオリブ山に行かれると、弟子たちも従って行った。
塚本訳それから(都を)出て、例のとおり、オリブ山へ行かれた。弟子たち(十一人)もついて行った。(もう真夜中すぎであった。)
前田訳それから出かけて、いつものとおり、オリブ山へ行かれた。弟子たちもお伴した。
新共同イエスがそこを出て、いつものようにオリーブ山に行かれると、弟子たちも従った。
NIVJesus went out as usual to the Mount of Olives, and his disciples followed him.

22章40節 其處(そこ)(いた)りて(かれ)らに()ひたまふ『誘惑(まどはし)()らぬやうに(いの)れ』[引照]

口語訳いつもの場所に着いてから、彼らに言われた、「誘惑に陥らないように祈りなさい」。
塚本訳いつもの場所につくと、彼らに言われた、「誘惑に陥らないように祈っていなさい。」
前田訳いつものところにつくと、彼らにいわれた、「誘惑にかからぬよう祈りなさい」と。
新共同いつもの場所に来ると、イエスは弟子たちに、「誘惑に陥らないように祈りなさい」と言われた。
NIVOn reaching the place, he said to them, "Pray that you will not fall into temptation."
註解: 「常のごとく」は原語「習慣に従って」でイエスは常にオリブ山に往き殊にゲッセマネ(マタ26:36。マコ14:32)の園にて祈ることを習慣とし給うた。「其處に至りて」は「例の場所に至り」でこの園を指す。唯ルカはその名称を省略している。イエス自らも祈らんとしているのであるが、同時に弟子たちにも誘惑に陥らぬように祈ることを勧めている。その故はイエスの死はサタンの乗ずる裁量の機会であり、弟子たちを信仰から引き離そうとして、これを誘惑するに相違ないからである。

22章41節 かくて(みづか)らは(いし)()げらるる(ほど)かれらより(へだて)り、(ひざま)づきて(いの)()ひたまふ、[引照]

口語訳そしてご自分は、石を投げてとどくほど離れたところへ退き、ひざまずいて、祈って言われた、
塚本訳そして自分は石を投げれば届くほどの所に離れてゆき、ひざまずいて祈って
前田訳そして自分は石を投げうるほどのところに離れて、ひざまずいて祈っていわれた、
新共同そして自分は、石を投げて届くほどの所に離れ、ひざまずいてこう祈られた。
NIVHe withdrew about a stone's throw beyond them, knelt down and prayed,
註解: イエスにとっては彼のみに関する特別の祈りを必要とする切迫せる場面であった。

22章42節 (ちち)よ、御旨(みむね)ならば、()酒杯(さかづき)(われ)より()()りたまへ、されど()(こころ)にあらずして御意(みこころ)()らんことを(ねが)ふ』[引照]

口語訳「父よ、みこころならば、どうぞ、この杯をわたしから取りのけてください。しかし、わたしの思いではなく、みこころが成るようにしてください」。
塚本訳言われた、「お父様、お心ならば、どうかこの杯をわたしに差さないでください。しかし、わたしの願いでなく、お心が成りますように!」
前田訳「父上、み心ならば、どうぞこの杯をわたしからお取りください。しかし、わが心でなく、み心がなりますように」と。
新共同「父よ、御心なら、この杯をわたしから取りのけてください。しかし、わたしの願いではなく、御心のままに行ってください。」〔
NIV"Father, if you are willing, take this cup from me; yet not my will, but yours be done."
註解: イエスの苦杯はその近付いている死であった。死に対してはイエスも我らと同じく本能的忌避感を有ったに相違ないが、単にそれだけではなく、神との不断の親しき交わりに生き給うた彼としては、死によってこの関係が消滅することが最大の苦痛であった、それ故に彼は死にたくなかったのである。しかし他の反面においてイエスは死を予感ししばしばこれを預言し、また聖書の預言の成就すべきことを信じ(37節)、それが凡て父の御旨であると信じ給うた。それ故この最後の場面においてイエスと神との間にその欲求が齟齬を生じた訳である。欲求が一致しないことは罪ではない。問題はそのために神に叛き神を離れてサタンに降服するか、または自己の欲求の成らんことよりも以上に神の御意の成ることを欲しこれを祈るかの点にある。そしてイエスの祈りはこの後者であって神に対する完全なる服従の模範である。▲イエスはイザヤ53章の「主の僕」のごとく人類の罪を贖うためにその身代の小羊として死ななければならないことを既に知りまた弟子にも語り給うた(9:22−27。マタ16:21−28、マコ8:31−9:1)唯その死が切迫したために、この死の苦痛なしにその贖罪の使命を全うすることができないだろうかと考えこれを父に祈り給うた。贖罪の使命を避けようとしたのではないと考うべきである。

22章43節 (とき)(てん)より御使(みつかひ)あらはれて、イエスに(ちから)()ふ。[引照]

口語訳そのとき、御使が天からあらわれてイエスを力づけた。
塚本訳そのとき天から一人の天使がイエスに現われて、力づけた。
前田訳天からみ使いが彼に現われて力を添えた。
新共同すると、天使が天から現れて、イエスを力づけた。
NIVAn angel from heaven appeared to him and strengthened him.
註解: この場合一方にイエスはサタンの力を非常に強く感じたと同時に、天の使い来ってイエスに力を添え、彼をサタンより守ったのであった。なお本節および次節はシナイ写本、D写本、その他少数の写本にのみ存しているのであるが、極めて重要なる事実を保存しているというべきである。天使のことはイエスがこれを弟子たちに話す機会が無かったに相違ないとの点から、後代の物語に過ぎないと主張する学者もあり、また弟子たちはこれを目撃したのであろうと解する学者もあるけれども、何れも決定的ではない。聖霊がこれを後世に語り伝えたものというより外にない。

22章44節 イエス(かな)しみ(せま)り、いよいよ(せつ)(いの)(たま)へば、(あせ)地上(ちじゃう)()つる()(しづく)(ごと)し。[引照]

口語訳イエスは苦しみもだえて、ますます切に祈られた。そして、その汗が血のしたたりのように地に落ちた。
塚本訳イエスはもだえながら、死に物狂いに祈られた。汗が血のしたたるように(ポタポタ)地上に落ちた。
前田訳彼は苦しみのうちに死物狂いで祈られた。汗が血のしたたるように地に落ちた。
新共同イエスは苦しみもだえ、いよいよ切に祈られた。汗が血の滴るように地面に落ちた。〕
NIVAnd being in anguish, he prayed more earnestly, and his sweat was like drops of blood falling to the ground.
註解: イエスの祈りが如何に真剣であり全生命の全精力を搾り出せる祈りであったかが窺われる。「血の涙」という場合と同様、汗の中に血が混ったと見る(M0)必要がない。
辞解
[悲しみ迫り] 苦闘に陥り、後半は「血の雫の如きその汗は地上に落ちたり」と訳すべきである。孰(いず)れもその祈りによる苦闘の激しさを示す。

22章45節 (いのり)()へ、()ちて弟子(でし)たちの(もと)にきたり、その(うれひ)によりて(ねむ)れるを()()ひたまふ、[引照]

口語訳祈を終えて立ちあがり、弟子たちのところへ行かれると、彼らが悲しみのはて寝入っているのをごらんになって
塚本訳やがて祈りから立ち上がって弟子たちの所に来て、彼らが悲しさのあまり寝入っているのを見ると、
前田訳祈りから立ちあがって弟子たちのところへ来て、彼らが悲しみのあまり寝入っているの見ると、いわれた、
新共同イエスが祈り終わって立ち上がり、弟子たちのところに戻って御覧になると、彼らは悲しみの果てに眠り込んでいた。
NIVWhen he rose from prayer and went back to the disciples, he found them asleep, exhausted from sorrow.

22章46節 『なんぞ(ねむ)るか、()て、誘惑(まどはし)()らぬやうに(いの)れ』[引照]

口語訳言われた、「なぜ眠っているのか。誘惑に陥らないように、起きて祈っていなさい」。
塚本訳言われた、「なぜ眠るのか。誘惑に陥らないように、立ち上がって祈っていなさい。」
前田訳「なぜ眠っているのか。誘惑にかからぬように、立って祈りなさい」と。
新共同イエスは言われた。「なぜ眠っているのか。誘惑に陥らぬよう、起きて祈っていなさい。」
NIV"Why are you sleeping?" he asked them. "Get up and pray so that you will not fall into temptation."
註解: 祈りを終え給えるイエスは苦闘の姿はなく、極めて平静であった。父の御意は明かにイエスを死なしむることにあることをイエスは明かに悟り給うたのであった。弟子たちにはイエスに比すべき苦闘の跡は見られない。唯夜が晩(おそ)いのと(マタ26:41)、イエスの運命に関する「憂い」とで眠りに陥っていた。これに対しイエスは「誘惑に入らぬよう起ちて祈れ」(私訳)と彼らに命じ給うた。人は神の苦痛を知ることにおいては非常に鈍い。

10-2-ホ イエス捕われ給う 22:47 - 22:53
(マタ26:47-56) (マコ14:43-52)  

22章47節 なほ(かた)りゐ(たま)ふとき、()よ、群衆(ぐんじゅう)あらはれ、十二(じふに)一人(ひとり)なるユダ(さき)だち(きた)り、イエスに接吻(くちつけ)せんとて近寄(ちかよ)りたれば、[引照]

口語訳イエスがまだそう言っておられるうちに、そこに群衆が現れ、十二弟子のひとりでユダという者が先頭に立って、イエスに接吻しようとして近づいてきた。
塚本訳イエスの言葉がまだ終らぬうちに、そこに一群の人があらわれた。十二人の一人である、前に言ったユダが先頭に立ち、イエスに接吻しようとして近寄ってきた。
前田訳まだ話の最中に群衆が現われた。十二人のひとりで先にのべたユダが先頭に立ち、イエスに口づけしようと近づいた。
新共同イエスがまだ話しておられると、群衆が現れ、十二人の一人でユダという者が先頭に立って、イエスに接吻をしようと近づいた。
NIVWhile he was still speaking a crowd came up, and the man who was called Judas, one of the Twelve, was leading them. He approached Jesus to kiss him,

22章48節 イエス()(たま)ふ『ユダ、なんぢは接吻(くちつけ)をもて(ひと)()()るか』[引照]

口語訳そこでイエスは言われた、「ユダ、あなたは接吻をもって人の子を裏切るのか」。
塚本訳イエスが言われた、「ユダ、接吻で人の子を売るのか。」
前田訳イエスは彼にいわれた、「ユダ、口づけで人の子を引き渡すのか」と。
新共同イエスは、「ユダ、あなたは接吻で人の子を裏切るのか」と言われた。
NIVbut Jesus asked him, "Judas, are you betraying the Son of Man with a kiss?"
註解: ユダの接吻は、彼が案内して来た群衆に対する合図であった。イエスはその事を悟り彼に叱責の質問を発し給うた。そしてこの御言がユダの虚偽の態度に対する徹底的批判となった。ユダの心は剣をもって刺されたよりも苦しかったであろう。

22章49節 御側(みそば)()(もの)ども(こと)(およ)ばんとするを()()[引照]

口語訳イエスのそばにいた人たちは、事のなりゆきを見て、「主よ、つるぎで切りつけてやりましょうか」と言って、
塚本訳弟子たちはことの迫ったのを見て言った、「主よ、剣で切りまくりましょうか。」
前田訳おそばにいた人々はおこるべきことを見ていった、「主よ、剣で切りつけましょうか」と。
新共同イエスの周りにいた人々は事の成り行きを見て取り、「主よ、剣で切りつけましょうか」と言った。
NIVWhen Jesus' followers saw what was going to happen, they said, "Lord, should we strike with our swords?"
註解: 「事の及ばんとするを見て」は「起らんとする事を見て」と訳すべきで、すなわちユダだに率いられた群衆がイエスを捕えんとて来たのであることを看取しての意。

(しゅ)よ、われら(つるぎ)をもて()つべきか』

註解: 36節のイエスの言葉と38節の「足れり」等より、彼らもイエスの意思のどの辺にあるかにつき明白に知り得なかったので、この質問を発したのであろう。これに対してイエスは一言も答え給わなかった。

22章50節 その(うち)一人(ひとり)(だい)祭司(さいし)(しもべ)()ちて、(みぎ)(みみ)()(おと)せり。[引照]

口語訳そのうちのひとりが、祭司長の僕に切りつけ、その右の耳を切り落した。
塚本訳そのうちのひとりの人が大祭司の下男に切りかかり、右の耳をそぎ落してしまった。
前田訳そのひとりは大祭司の僕に切りつけて、右の耳を落とした。
新共同そのうちのある者が大祭司の手下に打ちかかって、その右の耳を切り落とした。
NIVAnd one of them struck the servant of the high priest, cutting off his right ear.

22章51節 イエス(こた)へて()ひたまふ『(これ)にてゆるせ』(しか)して(しもべ)(みみ)()をつけて(いや)(たま)ふ。[引照]

口語訳イエスはこれに対して言われた、「それだけでやめなさい」。そして、その僕の耳に手を触れて、おいやしになった。
塚本訳イエスは、「もうそれでよし」と言って、耳にさわってお直しになった。
前田訳イエスは答えられた、「もうそれでよい」と。そして耳にさわっていやされた。
新共同そこでイエスは、「やめなさい。もうそれでよい」と言い、その耳に触れていやされた。
NIVBut Jesus answered, "No more of this!" And he touched the man's ear and healed him.
註解: ヨハ18:10によれば切り落したのはペテロであり、その僕はマルコスという人であった。なおマタ26:52には「なんぢの剣をもとに収めよ、すべて剣をとる者は剣にて亡ぶるなり」とあり、ヨハ18:11には「剣を鞘に収めよ、父の我に賜ひたる酒杯は我飲まざらんや」とあり、何れも悪に抵抗せずして神の御旨に従うべきことを教え給い、本書においては「之にてゆるせ」すなわち「之までにて止めよ」と命じ、自らその傷を醫し給うたことが記されている。すなわち剣をもって自己を防衛するより外に全く途なく、かつもし必要ならば十二軍の天使をも天より呼び下し得るイエスでありながら、全く無抵抗の態度を示し、神の御旨に絶対に服従し、進んで敵をも愛する愛を実行し給うことによって「剣」が全く必要が無いことを事実をもって教え給うたのであった。もしこのイエスの心を心とするならば剣を持つ必要が全くないことは明かである。事実弟子たちがその後衣を売って剣を求めた形跡は全くない。

22章52節 かくて(おのれ)(むか)ひて(きた)れる祭司長(さいしちゃう)宮守頭(みやもりがしら)長老(ちゃうらう)らに()(たま)ふ『なんぢら強盜(がうたう)(むか)ふごとく、(つるぎ)(ぼう)とを()ちて()できたるか。[引照]

口語訳それから、自分にむかって来る祭司長、宮守がしら、長老たちに対して言われた、「あなたがたは、強盗にむかうように剣や棒を持って出てきたのか。
塚本訳それからイエスは、押しかけてきていた大祭司連、宮の守衛長、長老たちに言われた、「強盗にでも向かうように、剣や棍棒を持ってやって来たのか。
前田訳それからイエスは、押しかけて来る大祭司、宮の守衛長、長老たちにいわれた、「強盗にでも向かうかのように、剣や棒を持ってやって来たのか。
新共同それからイエスは、押し寄せて来た祭司長、神殿守衛長、長老たちに言われた。「まるで強盗にでも向かうように、剣や棒を持ってやって来たのか。
NIVThen Jesus said to the chief priests, the officers of the temple guard, and the elders, who had come for him, "Am I leading a rebellion, that you have come with swords and clubs?

22章53節 (われ)日々(ひび)なんぢらと(とも)(みや)()りしに、()(うへ)()()べざりき。されど(いま)(なんぢ)らの(とき)、また暗黒(くらき)權威(けんゐ)なり』[引照]

口語訳毎日あなたがたと一緒に宮にいた時には、わたしに手をかけなかった。だが、今はあなたがたの時、また、やみの支配の時である」。
塚本訳わたしが毎日あなた達と一しょに宮にいたときには、手を下さずにおいて。(時が来なかったのだ。)しかし今は、(この暗い夜こそ)あなた達の天下、闇の縄張り(、悪魔の勢力範囲)である。」
前田訳わたしが毎日宮であなた方といっしょであったときには、手をかけなかったのに。しかし今はあなた方の時、闇の権威の時である」と。
新共同わたしは毎日、神殿の境内で一緒にいたのに、あなたたちはわたしに手を下さなかった。だが、今はあなたたちの時で、闇が力を振るっている。」
NIVEvery day I was with you in the temple courts, and you did not lay a hand on me. But this is your hour--when darkness reigns."
註解: 今やイエスは夜の最中の暗黒の中で強盗のごとくに捕えられんとしている。これはイエスにとっては甚だ不似合なことであった。何となれば彼は強盗とは異なり日々宮の中で公然と白日の下に民を教えていたからである。しかしイエスを捕える者にとってはこれは最も相応しいことであった。何となれば光はイエスの「時」であったけれども暗黒は「汝らの時」であり、イエスは光の主であるけれども彼ら祭司長らは「暗黒界の権威」であるからである。かくして光の主は暗黒の権威によって暗黒の中に捕えられ給うた。

10-2-へ ペテロ三度イエスを否む 22:54 - 22:62
(マタ26:57-58、69-75) (マコ14:53-54、66-72)  

22章54節 (つい)人々(ひとびと)イエスを(とら)へて、(だい)祭司(さいし)(いへ)()きゆく。ペテロ(とほ)(はな)れて(したが)ふ。[引照]

口語訳それから人々はイエスを捕え、ひっぱって大祭司の邸宅へつれて行った。ペテロは遠くからついて行った。
塚本訳彼らはイエスをつかまえると、引いていって、大祭司(カヤパ)の屋敷につれ込んだ。ペテロは見えがくれについて行った。
前田訳彼らはイエスを捕え、引っぱって大祭司の家へ連れて行った。ペテロは遠くからついて行った。
新共同人々はイエスを捕らえ、引いて行き、大祭司の家に連れて入った。ペトロは遠く離れて従った。
NIVThen seizing him, they led him away and took him into the house of the high priest. Peter followed at a distance.
註解: 大祭司はカヤパかアンナスか不明である。ルカの記事がイエスの受難週間に関してはヨハネ伝(18:12−14参照)に近い点から見てあるいはアンナスを念頭に置いたのであろう。マタイおよびルカによれば議会は直ちに開かれてイエスの訊問が行われたのであるが(マタ26:57−63。マコ14:53−67)、ルカによれば(66節)翌朝まで行われていない。

22章55節 人々(ひとびと)(うち)(には)のうちに()()きて、諸共(もろとも)()したれば、ペテロもその(うち)()す。[引照]

口語訳人々は中庭のまん中に火をたいて、一緒にすわっていたので、ペテロもその中にすわった。
塚本訳そして彼らが中庭の真中であかあかと火を焚いて一しょにすわったので、ペテロもその中に坐った。
前田訳彼らが中庭で火を焚いてすわっていると、ペテロもその中にすわった。
新共同人々が屋敷の中庭の中央に火をたいて、一緒に座っていたので、ペトロも中に混じって腰を下ろした。
NIVBut when they had kindled a fire in the middle of the courtyard and had sat down together, Peter sat down with them.

22章56節 (ある)婢女(はしため)ペテロの()(ひかり)()けて()()るを()、これに()(そそ)ぎて()ふ『この(ひと)(かれ)(とも)にゐたり』[引照]

口語訳すると、ある女中が、彼が火のそばにすわっているのを見、彼を見つめて、「この人もイエスと一緒にいました」と言った。
塚本訳ひとりの女中は彼が火の所に坐っているのを見ると、しげしげと眺めならら、「この人もあの人と一しょだった」と言った。
前田訳ある下女が彼が火のところにすわっているのを目にとめ、じっと見つめていった、「この人もあの人といっしょでした」と。
新共同するとある女中が、ペトロがたき火に照らされて座っているのを目にして、じっと見つめ、「この人も一緒にいました」と言った。
NIVA servant girl saw him seated there in the firelight. She looked closely at him and said, "This man was with him."

22章57節 ペテロ(うけが)はずして()ふ『をんなよ、(われ)(かれ)()らず』[引照]

口語訳ペテロはそれを打ち消して、「わたしはその人を知らない」と言った。
塚本訳しかしペテロは、「女中さん、あんな人は知らない」と言って打ち消した。
前田訳ペテロは打ち消して、「女の方、あの人は知りません」といった。
新共同しかし、ペトロはそれを打ち消して、「わたしはあの人を知らない」と言った。
NIVBut he denied it. "Woman, I don't know him," he said.
註解: 人間は窮して虚偽を言う、今日もイエスに対する信仰を明白に告白し得ないものは決して少なくない。

22章58節 (しばら)くして(ほか)(もの)ペテロを()()ふ『なんぢも(かれ)黨與(ともがら)なり』ペテロ()ふ『(ひと)よ、(しか)らず』[引照]

口語訳しばらくして、ほかの人がペテロを見て言った、「あなたもあの仲間のひとりだ」。するとペテロは言った、「いや、それはちがう」。
塚本訳ほどなく、ほかの男がペテロを見て、「あなたもあの仲間だ」と言った。ペテロは言った、「君、人ちがいだ。」
前田訳間もなく、別の人がペテロを見ていった、「あなたもあの仲間だ」と。ペテロはいった、「君、それはちがう」と。
新共同少したってから、ほかの人がペトロを見て、「お前もあの連中の仲間だ」と言うと、ペトロは、「いや、そうではない」と言った。
NIVA little later someone else saw him and said, "You also are one of them." "Man, I am not!" Peter replied.
註解: マコ14:69には始めの婢女(はしため)が再びペテロを見出して詰問したことになっている。

22章59節 (いち)(とき)ばかりして(また)ほかの(をとこ)言張(いひは)りて()ふ『まさしく()(ひと)(かれ)とともに()りき、(これ)ガリラヤ(ひと)なり』[引照]

口語訳約一時間たってから、またほかの者が言い張った、「たしかにこの人もイエスと一緒だった。この人もガリラヤ人なのだから」。
塚本訳一時間ばかりたつと、(また)ほかの男が、「実際この人もあの人と一しょだった。この人もガリラヤ人だから」と主張した。
前田訳一時間ほどたつと、また別の人がいい張った、「確かにこの人もあの人といっしょだった、ガリラヤ人だから」と。
新共同一時間ほどたつと、また別の人が、「確かにこの人も一緒だった。ガリラヤの者だから」と言い張った。
NIVAbout an hour later another asserted, "Certainly this fellow was with him, for he is a Galilean."
註解: マコ14:70によれば「一時ばかりして」の代りに「暫くして」とあり、かつ「ほかの男」の代りに「傍に立つ者ども」となっている。かかる混雑の場合の事実は種々の異なった内容をもって言い伝えられるのが自然である。何れが事実であったにしてもペテロが三度までも主を否んだことは隠れなき事実であった。十二使徒の筆頭ペテロも我らと同じ弱さを持つことは、我らにとっても一つの力強さを与える。

22章60節 ペテロ()ふ『(ひと)よ、(われ)なんぢの()ふことを()らず』なほ()()へぬに、やがて(にはとり)()きぬ。[引照]

口語訳ペテロは言った、「あなたの言っていることは、わたしにわからない」。すると、彼がまだ言い終らぬうちに、たちまち、鶏が鳴いた。
塚本訳しかしペテロは言った、「君、あなたの言っていることはわからない。」するとたちまち、まだその言葉の終らぬうちに、鶏が鳴いた。
前田訳ペテロはいった。「君、そちらのいうことはわからない」と。するとたちまち、そういいも終わらぬうちに、にわとりが鳴いた。
新共同だが、ペトロは、「あなたの言うことは分からない」と言った。まだこう言い終わらないうちに、突然鶏が鳴いた。
NIVPeter replied, "Man, I don't know what you're talking about!" Just as he was speaking, the rooster crowed.

22章61節 (しゅ)振反(ふりかへ)りてペテロに()をとめ(たま)ふ。[引照]

口語訳主は振りむいてペテロを見つめられた。そのときペテロは、「きょう、鶏が鳴く前に、三度わたしを知らないと言うであろう」と言われた主のお言葉を思い出した。
塚本訳主が振り向いて、じっとペテロを見つめられた。ペテロは、「きょう(今夜)、鶏が鳴く前に、わたしを三度、知らないと言う」と言われた主の言葉を思い出し、
前田訳主は振り向いて、じっとペテロを見つめられた。ペテロは、「きょう、にわとりが鳴く前に、三度わたしを否もう」といわれた主のことばを思い出し、
新共同主は振り向いてペトロを見つめられた。ペトロは、「今日、鶏が鳴く前に、あなたは三度わたしを知らないと言うだろう」と言われた主の言葉を思い出した。
NIVThe Lord turned and looked straight at Peter. Then Peter remembered the word the Lord had spoken to him: "Before the rooster crows today, you will disown me three times."
註解: 三度主を否んだペテロは鶏が鳴いたので、イエスの御言が忽(たちま)ち頭に浮んで来、「獄にまでも死にまでも」との決心を口外した自分の憫むべき姿を顧みて強い懺悔の念に打たれたのであった。そしてちょうどその時イエスは振返ってペテロに目をとめ給い、ペテロの目とイエスの目とが相合った時ペテロはもはや坐に耐えないようになった。イエスが振返り給うたことは他の福音書に記されていない。

ここにペテロ、(しゅ)の『今日(けふ)にはとり()(まへ)に、なんぢ三度(みたび)われを(いな)まん』と()(たま)ひし御言(みことば)(おも)ひいだし、

22章62節 (そと)()でて(いた)()けり。[引照]

口語訳そして外へ出て、激しく泣いた。
塚本訳外に出ていって、さめざめと泣いた。
前田訳外に出て行って泣きくずれた。
新共同そして外に出て、激しく泣いた。
NIVAnd he went outside and wept bitterly.
註解: 人間としてのペテロの弱さ、その純情、その率直なる悔改めの態度、イエスの達観等何れも我らの心を打たずにはおかない。君子の過ちは日月の食のごとし、ペテロの過誤はその懺悔によって彼の価値を低めずかえってこれを高めた。

10-2-ト 議会における訊問 22:63 - 22:71
(マタ26:63-66) (マコ14:61-64)  

22章63節 (まも)(もの)どもイエスを嘲弄(てうろう)し、(これ)()ち、[引照]

口語訳イエスを監視していた人たちは、イエスを嘲弄し、打ちたたき、
塚本訳イエスの番をしていた者たちはイエスをなぶったり、なぐったりした。
前田訳イエスを見張っていた人々は彼をあざけったり打ったりした。
新共同さて、見張りをしていた者たちは、イエスを侮辱したり殴ったりした。
NIVThe men who were guarding Jesus began mocking and beating him.

22章64節 その()(おほ)()ひて()ふ『預言(よげん)せよ、(なんぢ)()ちし(もの)(たれ)なるか』[引照]

口語訳目かくしをして、「言いあててみよ。打ったのは、だれか」ときいたりした。
塚本訳また目隠しをして、「だれがぶったか、当ててみろ」と言って尋ねた。
前田訳また、目隠しをして、「だれが打ったか、いい当てよ」といった。
新共同そして目隠しをして、「お前を殴ったのはだれか。言い当ててみろ」と尋ねた。
NIVThey blindfolded him and demanded, "Prophesy! Who hit you?"

22章65節 この(ほか)なほ(おほ)くのことを()ひて(そし)れり。[引照]

口語訳そのほか、いろいろな事を言って、イエスを愚弄した。
塚本訳そのほかなおさまざまのことを言って、イエスを冒涜した。
前田訳そのほかいろいろなことをいって彼を冒涜した。
新共同そのほか、さまざまなことを言ってイエスをののしった。
NIVAnd they said many other insulting things to him.
註解: (▲「譏(そし)る」 blasphemeō は「愚弄」よりも「嘲弄」「誹謗」等に相当する。)イエスの受難は全人類より受け給うた苦難であった。その意味であらゆる種類の人が何らかの意味で彼の死と関係をもち彼を殺すことに与っているいることは注意すべき事実であった。ユダは主を裏切り、ペテロは主を否み、ここにまた「守る者ども」はイエスを侮辱、嘲弄した。やがて民衆や祭司その他も各々その分を果すこととなる。

22章66節 夜明(よあけ)になりて、(たみ)長老(ちゃうらう)祭司長(さいしちゃう)學者(がくしゃ)(あひ)(あつま)り、イエスをその議會(ぎくわい)()()して()ふ、[引照]

口語訳夜が明けたとき、人民の長老、祭司長たち、律法学者たちが集まり、イエスを議会に引き出して言った、
塚本訳朝になると、国の元老院、すなわち大祭司連や、聖書学者たちが集まって、イエスを彼らの法院の議場に引いていって
前田訳夜が明けると、民の長老団、すなわち大祭司と学者が集まって、彼を法院(サンヘドリン)に引いて行った。そしていった、
新共同夜が明けると、民の長老会、祭司長たちや律法学者たちが集まった。そして、イエスを最高法院に連れ出して、
NIVAt daybreak the council of the elders of the people, both the chief priests and teachers of the law, met together, and Jesus was led before them.
註解: 「議会」は長老・祭司長・学者ら七十人をもって組織するユダヤ人の役所で行政や司法の事務を扱っていた。朝になってこれらの議員が出勤して議会を開きイエスを引き出したのであった。

22章67節 『なんぢ()しキリストならば、(われ)らに()へ』イエス()(たま)ふ『われ()ふとも(なんぢ)(しん)ぜじ、[引照]

口語訳「あなたがキリストなら、そう言ってもらいたい」。イエスは言われた、「わたしが言っても、あなたがたは信じないだろう。
塚本訳言った、「お前が救世主なら、そうだとわれわれに言ってもらいたい。」彼らに答えられた、「言っても、とても信じまいし、
前田訳「そちらがキリストなら、そうわれらにいいなさい」と。彼らに答えられた、「いってもあなた方は信じまい。
新共同「お前がメシアなら、そうだと言うがよい」と言った。イエスは言われた。「わたしが言っても、あなたたちは決して信じないだろう。
NIV"If you are the Christ, " they said, "tell us." Jesus answered, "If I tell you, you will not believe me,

22章68節 (また)われ()ふとも(なんぢ)(こた)へじ。[引照]

口語訳また、わたしがたずねても、答えないだろう。
塚本訳尋ねても、なかなか返事ができまい。
前田訳たずねても答えまい。
新共同わたしが尋ねても、決して答えないだろう。
NIVand if I asked you, you would not answer.

22章69節 されど(ひと)()(いま)よりのち(かみ)能力(ちから)(みぎ)()せん』[引照]

口語訳しかし、人の子は今からのち、全能の神の右に座するであろう」。
塚本訳しかし今からのち、“人の子(わたし)は大能の神の右に坐って”いる。」
前田訳しかし、今からのち、人の子は大能の神の右に座すであろう」と。
新共同しかし、今から後、人の子は全能の神の右に座る。」
NIVBut from now on, the Son of Man will be seated at the right hand of the mighty God."
註解: イエスの答えの前半(68節の終りまで)はルカ伝に特有である。マタイ、マルコにはイエスは「我は夫(それ)なり」「汝の言へるごとし」等の答によって肯定的の返答を与えているけれどもルカはこれをば次節に譲り単に「神の能力の右に坐する」ことのみを掲げているに過ぎないけれども、それでもイエスの意図は明かである。それ故彼らは直ちに次節のごとき問いを発した。

22章70節 (みな)いふ『されば(なんぢ)(かみ)()なるか』(こた)(たま)ふ『なんぢらの()ふごとく(われ)はそれなり』[引照]

口語訳彼らは言った、「では、あなたは神の子なのか」。イエスは言われた、「あなたがたの言うとおりである」。
塚本訳皆が言った、「ではお前が、神の子か。」彼らに言われた、「そうだと言われるなら、御意見にまかせる。」
前田訳皆がいった、「それなら、そちらは神の子か」と。彼らにいわれた、「わたしをそれというのはあなた方だ」と。
新共同そこで皆の者が、「では、お前は神の子か」と言うと、イエスは言われた。「わたしがそうだとは、あなたたちが言っている。」
NIVThey all asked, "Are you then the Son of God?" He replied, "You are right in saying I am."
註解: イエスが神の子キリストであると告白し給うたことはユダヤ人にとっては重大この上もない事件であった。何となれば、もし事実そうであるならば、彼らはイエスを神の子として信じ崇めなければならず、もし事実そうでないならばイエスを冒涜者として殺さなければならないからである。

22章71節 (かれ)()ふ『(なに)ぞなほ(ほか)證據(しょうこ)(もと)めんや。(われ)(みづか)らその(くち)より()けり』[引照]

口語訳すると彼らは言った、「これ以上、なんの証拠がいるか。われわれは直接彼の口から聞いたのだから」。
塚本訳すると彼らが言った、「これ以上、なんで証言の必要があろう。われわれが(直接)本人の口から聞いたのだから。」
前田訳彼らはいった、「このうえ何の証拠が要ろう。われらが本人の口から聞いたから」と。
新共同人々は、「これでもまだ証言が必要だろうか。我々は本人の口から聞いたのだ」と言った。
NIVThen they said, "Why do we need any more testimony? We have heard it from his own lips."
要義 [神の子の告白の意義]神は唯一絶対であると信ずるユダヤ人にとっては、凡ての見ゆるものは被造物であって神ではなかった。人間ももとより被造物である。それ故イエスが神の子であることを告白し給うことは、ユダヤ人にとっては赦すべからざる冒涜であった。しかしもし事実イエスが神の子であるならば如何、その場合凡てのユダヤ人は彼を崇め彼に服(したが)わなければならないはずであり、彼を殺すことは神に対する反逆となる。しかしこれは単にユダヤ人にのみでなく全人類の前にも投げ出された問題である。神の子に従うか、これを十字架に釘づけるか。全人類はこの二者の中の一つを択ばなければならない。神について真剣に考えない国民 ─ 日本人のごとき ─ はイエスについてもかく真剣に考えることができないのであるが、我らが考えると否とに関らず、神はその当然の要求をもって我らに臨み給う。