マルコ傳福音書

 

[著者マルコ]本書は古くよりヨハネ・マルコ(使12:25)の作として知られている。マルコはイエスの弟子ではなく、ペテロの弟子であり、その母マリヤの家(使12:12)は相当の家で、イエスの死後初代使徒たちの集合所であり、おそらくペテロもこの家に宿っていたのであろう。彼はマルコを我が子(Tペテ5:13)と呼んでいるのを見ても、その関係を推測することができる。その後彼はバルナバ、パウロに従ってアンテオケに行き(使12:25)、第一伝道旅行においては彼らに随伴したけれども(使13:5)、途中より離脱してエルサレムに帰った(使13:13)。あるいはパウロの異邦人に与える自由が若きマルコを躓かせたのかもしれない。その後第二伝道旅行の門出において、マルコを伴うべきや否やの問題がバルナバとパウロとを分離せしめ、マルコはバルナバと共にクプロに伝道した。その後パウロとマルコの間は旧に復したことは、パウロのローマにおける幽囚の際(六一年前後)にマルコも彼と共にローマにいたことによりてこれを知ることができる(ピレ24。コロ4:10)。またパウロの第二回のローマ滞在に際してもパウロを助けていた(Uテモ4:11)。伝説によれば、マルコはペテロの通辯(おそらくペテロの説教を記録しまたはこれを敷衍して説明する役目)として彼に伴ったことが録されている。これは聖書には録されていないけれども信ずべき伝説である。ペテロの殉教(六六年頃)後のマルコにつきては種々の伝説あれど不明なり。

 

[本書の資料および著述の年代]アレキサンドリヤのクレメンス(九九年死)の著書その他によればペテロがローマに伝道している際、宮廷の高官の請によりペテロの口述をマルコが筆記したものがこのマルコ伝であり、ペテロはこのことにつきてはマルコに薦めもせずまたこれを禁じもしなかったと録されてある。すなわちイエスに最も近くに侍したペテロの実験せる事実の口述を忠実に筆記したものが本書であるとされている。而して近代批評学の研究の結果略、明かにせられしごとく、マタイ伝もルカ伝もその資料の一部をマルコ伝より取りたるものとすれば、マルコ伝はその以前に存在したはずであり、而してマタイ伝はエルサレム陥落(七十年)前にでき(異説多し)、而して使徒行伝は、おそらくパウロの幽囚の間(六十二年頃)にでき上がったものなるべく(ハルナック)、ルカ伝もその直前(六十一年前後)にできたとすれば、マルコ伝はその前に完成していたと見るべきである。通説はイレネウスの記事より、これをパウロとペテロの殉教後、エルサレムの陥落前(すなわち六十七八年頃)に置いているものが多いけれども、マルコがペテロの口述を筆記したものとすれば、イレネウスの記事は不精確である。かつ伝説(年代的には不精確なれど)によれば、ペテロは四十六年頃よりローマに伝道したことが言伝えられ、また、パウロの幽囚の際マルコは前にローマにいたものと推定し得るとすれば、マルコはペテロに従ってローマに来り、その後ペテロは他に赴き、マルコのみその後もローマに残っていたものと考うることができ、この間にマルコ伝が完成してルカ伝の資料の一つとなったものであろう。すなわち六十年頃と見るべきであろう。ただしこれが世に流布せらるるに至った年月につきては、あるいはその数年後であったというごときことは有り得ないことではない。

 

[本書の特徴および目的]本書の特徴は(1)きわめて簡潔雄勁(ゆうけい)なること、(2)イエスの感情や行動の機微なる動きを生き生きと描写せること(これが目撃者ペテロの直話の筆記であるとの伝説を確め得る重要な点である)、(3)イエスの説教を簡略にせること(これはおそらくイエスの語録 ─ 所謂ロギア ─の存在を知り重複を避けたものであろう)、(4)大部分をイエスの受難の記事をもって占めていること、(5)年代や事件の前後の関係等に比較的無頓着なること等である。従って本書におけるイエスの姿が他の三福音書に比して一層真に近いものであると見ることができる。なお本書は異邦人のキリスト者のために著されたものであることは、旧約聖書よりの引用なきこと(1:2以下を除き)、ユダヤ主義的傾向なきこと、ヘブル語を説明せること等よりこれを証明することができる。

 

[本書とマタイ伝およびルカ伝との関係]従来はマルコがマタイ伝より抜粋してマルコ伝を著したものと考えられていたけれども、その後の研究により、むしろマタイ伝、ルカ伝等がマルコ伝を資料としてそのほとんど全部を利用したものと考えらるるに至った。これは勿論一つの学説に過ぎないけれども、現在においてはかく考うることによりて最も良く共観福音書の相互関係およびその特色を知ることができる。