黒崎幸吉著 註解新約聖書 Web版マタイ伝

マタイ伝第9章

分類
4 ガリラヤにおけるイエスの御業 8:1 - 10:42
4-1 イエスの奇蹟と伝道 8:1 - 9:38
4-1-ト イエス中風の者を医し給う 9:1 - 9:8
(マコ2:1-12) (ルカ5:17-26)  

9章1節 イエス(ふね)にのり、(わた)りて(おの)(まち)にきたり(たま)ふ。[引照]

口語訳さて、イエスは舟に乗って海を渡り、自分の町に帰られた。
塚本訳それから舟に乗って(湖を)渡り、自分の町(カペナウム)に来られた。
前田訳そこで彼は舟に乗って湖を渡り、おのが町へ来られた。
新共同イエスは舟に乗って湖を渡り、自分の町に帰って来られた。
NIVJesus stepped into a boat, crossed over and came to his own town.
註解: ガダラ人の要求により「己が町」すなわちカペナウムに渡り給うた。

9章2節 ()よ、中風(ちゅうぶ)にて(とこ)()しをる(もの)を、人々(ひとびと)みもとに()(きた)れり。[引照]

口語訳すると、人々が中風の者を床の上に寝かせたままでみもとに運んできた。イエスは彼らの信仰を見て、中風の者に、「子よ、しっかりしなさい。あなたの罪はゆるされたのだ」と言われた。
塚本訳するとそこに、人々が寝床にねている一人の中風の者をつれて来た。イエスはその人たちの信仰を見て(驚き)、中風の者に言われた、「子よ、安心せよ、いまあなたの罪は赦された。」
前田訳すると見よ、床についた中風やみを運んで来た人々がある。イエスは彼らの信仰を見て中風やみにいわれた、「安心なさい、わが子よ、あなたの罪はゆるされます」と。
新共同すると、人々が中風の人を床に寝かせたまま、イエスのところへ連れて来た。イエスはその人たちの信仰を見て、中風の人に、「子よ、元気を出しなさい。あなたの罪は赦される」と言われた。
NIVSome men brought to him a paralytic, lying on a mat. When Jesus saw their faith, he said to the paralytic, "Take heart, son; your sins are forgiven."
註解: 群衆に遮られてイエスに近付くことができなかったので屋根を破って彼を床のままイエスの前に釣下した/吊り下ろした(マコ2:4。ルカ5:19)。信仰より来た熱心が彼らをしてかく為さしめたのである。

イエス(かれ)らの信仰(しんかう)()て、中風(ちゅうぶ)(もの)()ひたまふ『()よ、(こころ)(やす)かれ、(なんぢ)(つみ)ゆるされたり』

註解: 「彼ら」は床を持ち運べる人々及び患者を総称している。イエスはその病者の心の中に罪の自覚が強く感せられていることを知り、先ず無限の愛をもって彼を慰め給うた。「汝の罪ゆるされたり。ゆえにその結果病も癒されるであろう。心配することは一つもない」と。主を信ずる者はこの言のみをもって安心することができる。

9章3節 ()よ、(ある)學者(がくしゃ)(こころ)(うち)にいふ『この(ひと)(かみ)(けが)すなり』[引照]

口語訳すると、ある律法学者たちが心の中で言った、「この人は神を汚している」。
塚本訳すると数人の聖書学者がひそかに思った、「この人は神を冒涜している。」
前田訳すると数名の学者が心の中でいった、この人はけがしごとをいう、と。
新共同ところが、律法学者の中に、「この男は神を冒涜している」と思う者がいた。
NIVAt this, some of the teachers of the law said to themselves, "This fellow is blaspheming!"
註解: いずれの世においても最も多くのことを知っていながら、最も大切なことを知らないのは学者である。この場合でも学者は律法と預言者に精通していながらイエスの神の子に在(いま)し給うことを知らなかった。ゆえにイエスが罪を赦し給えるを聞き、神を涜(けが)すものと考えたのである。
辞解
[神を涜す] 「神を涜す」ことは神に不当の性質を帰する場合、または神にその当然の性質を帰しない場合、又は神のみに属する性質を神以外に帰する場合である。

9章4節 イエスその(おもひ)()りて()(たま)ふ『(なに)ゆゑ(こころ)()しき(こと)をおもふか。[引照]

口語訳イエスは彼らの考えを見抜いて、「なぜ、あなたがたは心の中で悪いことを考えているのか。
塚本訳イエスは彼らの考えを知って言われた、「なぜ悪いことを心の中で考えているのか。
前田訳イエスは彼らの心を見抜いていわれる、「何ゆえ心の中に悪を考えるか。
新共同イエスは、彼らの考えを見抜いて言われた。「なぜ、心の中で悪いことを考えているのか。
NIVKnowing their thoughts, Jesus said, "Why do you entertain evil thoughts in your hearts?

9章5節 (なんぢ)(つみ)ゆるされたりと()ふと、()きて(あゆ)めと()ふと、(いづれ)(やす)き。[引照]

口語訳あなたの罪はゆるされた、と言うのと、起きて歩け、と言うのと、どちらがたやすいか。
塚本訳あなたの罪は赦された、と言うのと、起きて歩け、と言うのと、いったいどちらがたやすい(と思う)か。
前田訳『あなたの罪はゆるされる』というのと、『起きて歩め』というのと、どちらがやさしいか。
新共同『あなたの罪は赦される』と言うのと、『起きて歩け』と言うのと、どちらが易しいか。
NIVWhich is easier: to say, `Your sins are forgiven,' or to say, `Get up and walk'?
註解: イエスは常に人の心の中の状態を注意しこれを見透し給う。学者らは「彼は神を涜(けが)すことを言っている。罪を赦すというだけならば何も難しいことはない。どこにも証拠がないのだから」と心の中に言ったであろう。これに対しイエスは「そんならば一層困難なことを例に示して予が罪を赦す権のあることを示そう。「起きて歩め」ということは容易ではない、何となればもし病者がこの言に従わなければ予に罪を赦すの権がない証拠となるからである。従ってもしこの言に従って病者が立ち上がるならば、「予には罪を赦すの権があることは明らかではないか」というのがイエスの御言の意味である。

9章6節 (ひと)()()にて(つみ)(ゆる)權威(けんゐ)あることを(なんぢ)らに()らせん(ため)に』――ここに中風(ちゅうぶ)(もの)()(たま)ふ――『()きよ、(とこ)をとりて(なんぢ)(いへ)にかへれ』[引照]

口語訳しかし、人の子は地上で罪をゆるす権威をもっていることが、あなたがたにわかるために」と言い、中風の者にむかって、「起きよ、床を取りあげて家に帰れ」と言われた。
塚本訳では、人の子(わたし)は地上で罪を赦す全権を持っていることを知らせてやろう」と言っておいて、中風の者に言われる、「起きて寝床をかついで、家に帰りなさい。」
前田訳しかし人の子が地上で罪をゆるす権威を持つことをあなた方に知らせよう」と。そこで中風やみにいわれる、「起きてあなたの床をあげて家にお帰り」と。
新共同人の子が地上で罪を赦す権威を持っていることを知らせよう。」そして、中風の人に、「起き上がって床を担ぎ、家に帰りなさい」と言われた。
NIVBut so that you may know that the Son of Man has authority on earth to forgive sins...." Then he said to the paralytic, "Get up, take your mat and go home."
註解: 中風の者に一言をもって命じ、これによりてキリストが地上において既に罪を赦す権のあることを示し給うた。これによりて天においては凡ての権威を有(も)ち給うことが当然であることが解かる。

9章7節 (かれ)おきてその(いへ)にかへる。[引照]

口語訳すると彼は起きあがり、家に帰って行った。
塚本訳すると彼は起き上がって、家に帰って行った。
前田訳すると彼は起きて家へと立ち去った。
新共同その人は起き上がり、家に帰って行った。
NIVAnd the man got up and went home.

9章8節 群衆(ぐんじゅう)これを()ておそれ、かかる能力(ちから)(ひと)にあたへ(たま)へる(かみ)(あが)めたり。[引照]

口語訳群衆はそれを見て恐れ、こんな大きな権威を人にお与えになった神をあがめた。
塚本訳群衆はそれを見て恐ろしくなり、こんな全権を人に授けられた神を賛美した。
前田訳それを見た群衆は畏敬し、そのような権威を人々に与えたもうた神をたたえた。
新共同群衆はこれを見て恐ろしくなり、人間にこれほどの権威をゆだねられた神を賛美した。
NIVWhen the crowd saw this, they were filled with awe; and they praised God, who had given such authority to men.
註解: これを見て学者はイエスが罪を赦し給うことを批難することができなかった。又群衆はこの偉大なる力に驚くと共に人類にかかる能力を与え給えることは著しき出来事であるので神を讃美した。

4-1-チ マタイの聖召と饗應 9:9 - 9:13
(マコ2:14-17) (ルカ5:27-31)  

9章9節 イエス此處(ここ)より(すす)みて、マタイといふ(ひと)收税所(しうぜいしょ)()しをるを()て『(われ)(したが)へ』と()(たま)へば、()ちて(したが)へり。[引照]

口語訳さてイエスはそこから進んで行かれ、マタイという人が収税所にすわっているのを見て、「わたしに従ってきなさい」と言われた。すると彼は立ちあがって、イエスに従った。
塚本訳イエスはそこから出かけて、(湖のほとりで)マタイという人が税務所に坐っているのを見て、「わたしについて来なさい」と言われると、立って従った。
前田訳イエスはそこを去るとマタイという人が収税所にすわっているのを見受けて、彼にいわれる、「わたしについて来なさい」と。すると立って従った。
新共同イエスはそこをたち、通りがかりに、マタイという人が収税所に座っているのを見かけて、「わたしに従いなさい」と言われた。彼は立ち上がってイエスに従った。
NIVAs Jesus went on from there, he saw a man named Matthew sitting at the tax collector's booth. "Follow me," he told him, and Matthew got up and followed him.
註解: マルコ、ルカにはレビの名をもって記さる。マタイは恐らく以前にもしばしばイエスに接してその教えを聞き、彼の弟子の一人に加えられていたことであろう。彼はイエスの召しに応じて直ちに従った。先には無学の漁夫(4:19、20)を召し給い、今又人に賤しめらるる取税吏を召し給うた。イエスの神学校はガリラヤの湖水でありこの世の風波(ふうは)である。

9章10節 (いへ)にて食事(しょくじ)(せき)につき居給(ゐたま)ふとき、()よ、(おほ)くの取税人(しゅぜいにん)罪人(つみびと)(きた)りて、イエス(およ)弟子(でし)たちと(とも)(つらな)る。[引照]

口語訳それから、イエスが家で食事の席についておられた時のことである。多くの取税人や罪人たちがきて、イエスや弟子たちと共にその席に着いていた。
塚本訳イエスが家で食卓についておられるたときのこと、大勢の税金取りや罪人も来て、イエスや弟子たちと同席していた。
前田訳イエスが家で食卓につかれると、見よ、多くの取税人と罪びとが来てイエスと弟子たちと同席した。
新共同イエスがその家で食事をしておられたときのことである。徴税人や罪人も大勢やって来て、イエスや弟子たちと同席していた。
NIVWhile Jesus was having dinner at Matthew's house, many tax collectors and "sinners" came and ate with him and his disciples.
註解: この家はマタイの家であった(ルカ5:29)。マタイはその旧友に別れを告げたのであろう。取税人や罪人(すなわち普通のユダヤ人の道徳的基準にも達せず第六戒第七戒等を破った人)と共に食することは当時のユダヤ人中の真面目な分子にとっては非常に汚らわしきことであった。イエスもその弟子も当時すでにこの悪習の束縛を脱していた。

9章11節 パリサイ(びと)これを()弟子(でし)たちに()ふ『なに(ゆゑ)なんぢらの()は、取税人(しゅぜいにん)罪人(つみびと)らと(とも)(しょく)するか』[引照]

口語訳パリサイ人たちはこれを見て、弟子たちに言った、「なぜ、あなたがたの先生は、取税人や罪人などと食事を共にするのか」。
塚本訳パリサイ人はこれを見て、弟子たちに言った、「なぜあなた達の先生は、税金取りや罪人と一しょに食事をするのか。」
前田訳するとパリサイ人が見て弟子たちにいった、「なぜあなた方の先生は取税人や罪びとと食をともにするのか」と。
新共同ファリサイ派の人々はこれを見て、弟子たちに、「なぜ、あなたたちの先生は徴税人や罪人と一緒に食事をするのか」と言った。
NIVWhen the Pharisees saw this, they asked his disciples, "Why does your teacher eat with tax collectors and `sinners'?"
註解: パリサイ人及び学者ら(マルコ、ルカ)は自己を取税人、罪人らに比して義しきものと自信していた。ゆえにイエスが彼らと共に食することを怪しみ、これをもってイエスの不完全なる教師であることの証しとして弟子達に示さんとした。

9章12節 (これ)()きて、()ひたまふ『(すこや)かなる(もの)醫者(いしゃ)(えう)せず、ただ、()める(もの)これを(えう)す。[引照]

口語訳イエスはこれを聞いて言われた、「丈夫な人には医者はいらない。いるのは病人である。
塚本訳聞いて言われた、「丈夫な者に医者はいらない、医者のいるのは病人である。
前田訳彼は聞いていわれた、「医者を要するのは健康人ではなくて病人である。
新共同イエスはこれを聞いて言われた。「医者を必要とするのは、丈夫な人ではなく病人である。
NIVOn hearing this, Jesus said, "It is not the healthy who need a doctor, but the sick.
註解: 「健やかなる者」「病める者」は次節の「正しき者」「罪人」と相対している。イエスは彼を必要とする者、すなわち病める者、罪人のために来り給うたのである。健やかなる者、正しき者は彼を必要としない。しかし実際においてはすべての人が病める者、罪人である(ロマ3:10)、ゆえにキリストを必要としない者は一人もない。パリサイ人はこのことを知らなかった。ゆえにイエスは裏面よりこのことを彼らに覚らしめんとしてい給う。

9章13節 なんぢら()きて(まな)べ「われ憐憫(あはれみ)(この)みて、犧牲(いけにへ)(この)まず」とは如何(いか)なる(こころ)ぞ。(われ)(ただ)しき(もの)(まね)かんとにあらで、罪人(つみびと)(まね)かんとて(きた)れり』[引照]

口語訳『わたしが好むのは、あわれみであって、いけにえではない』とはどういう意味か、学んできなさい。わたしがきたのは、義人を招くためではなく、罪人を招くためである」。
塚本訳“わたしは憐れみを好み、犠牲を好まない”という(神の言葉の)意味を、行って、勉強したがよかろう。わたしは正しい人を招きに来たのではない、罪人を招きに来たのである。」
前田訳出かけて学びなさい、『わが欲するはあわれみでいけにえではない』とは何か、を。わたしが招きに来たのは義人をではなく罪びとをである」と。
新共同『わたしが求めるのは憐れみであって、いけにえではない』とはどういう意味か、行って学びなさい。わたしが来たのは、正しい人を招くためではなく、罪人を招くためである。」
NIVBut go and learn what this means: `I desire mercy, not sacrifice.' For I have not come to call the righteous, but sinners."
註解: パリサイ人は憐憫の心よりもむしろ律法を形式的に守り犠牲を神に献ぐることに熱心であった。ホセ6:6にエホバはこれを好み給わず、自ら憐れむことを好み給うことを示している。イエスが取税人、罪人と食を共にするは、かかる者をあ憐れみ、これを救わんがためである。
要義 [義人なし一人だになし]9−13節によりキリストは唯罪ある者のためにのみ来り給い、罪あるものを求め給うことを知ることができる。然らば果してこの世にキリストを必要としない義人があるであろうか。パリサイ人は自ら義(ただ)しと信じ、取税人・罪人とは異なっていると信じていた(ルカ18:11)。これに向いキリストは「我はかかる人を招かんがために来たのではない」と言い給うた。ゆえにこれを表面より見れば、かかる人々はキリストの救いを必要とせざる種類の人のごとくに見える。しかしながらイエスのこの御言はイエスの憐憫のいかに深いかを示し、これを聞けるパリサイ人らをして自らを顧みて憐憫の心なきを覚り、イエスの赦しを乞わしめんがためであった。実際の処彼らパリサイ人らは最も多くキリストを必要とする最大の罪人であった(ヨハ9:41)。今日もこれと同様であって自ら罪なき義しき人と信じて憐憫の心なき者は最大の罪人である。

4-1-リ 新と旧との関係 9:14 - 9:17
(マコ2:18-22) (ルカ5:23-39)  

9章14節 ここにヨハネの弟子(でし)たち御許(みもと)にきたりて()ふ『われらとパリサイ(びと)斷食(だんじき)するに、(なに)(ゆゑ)なんぢの弟子(でし)たちは斷食(だんじき)せぬか』[引照]

口語訳そのとき、ヨハネの弟子たちがイエスのところにきて言った、「わたしたちとパリサイ人たちとが断食をしているのに、あなたの弟子たちは、なぜ断食をしないのですか」。
塚本訳そのあと、洗礼者ヨハネの弟子がイエスの所に来て言う、「わたし達とパリサイ人とは断食をするのに、なぜあなたの弟子は断食をしないのか。」
前田訳そのころ彼のところにヨハネの弟子が来ていう、「なぜわれらとパリサイ人は断食するのに、あなたの弟子は断食しないのか」と。
新共同そのころ、ヨハネの弟子たちがイエスのところに来て、「わたしたちとファリサイ派の人々はよく断食しているのに、なぜ、あなたの弟子たちは断食しないのですか」と言った。
NIVThen John's disciples came and asked him, "How is it that we and the Pharisees fast, but your disciples do not fast?"
註解: バプテスマのヨハネの弟子たちはその師に倣(なら)いて厳格なる生活を送り、常に断食の修養を行っていた。然るにイエスの弟子はこれを行わず、かえって「飲食さえした」(ルカ5:33)。前段(9:10−13)はイエスの行為に対する質問、この一段は弟子の行為に対する質問であった。いずれも内心にこれを批難しつつも穏かに質問の形を取ってその非難を表明したのである。▲イエスとその弟子たちは、当時の宗教熱心家が習慣的に行っていた行事には甚だ冷淡であった。保守的な人々の反対はその結果でもあった。
辞解
[断食] モーセの律法には断食は年に一回あるのみであったが、その後増加して現今ではユダヤ人は一般に年に二十八回の断食を行う、その他国民的大事件に際してしばしば断食が行われた(U歴20:3。エレ36:6-10。ネヘ9:1。ヨエ1:14。2:15。イザ5:8)。個人的には悲哀、苦痛、憂慮に際して断食を行った場合は多い。主イエスの時代には月、金の二日が断食日と定められていた。断食の程度には種々あった。

9章15節 イエス()ひたまふ『新郎(はなむこ)(とも)だち、新郎(はなむこ)(とも)にをる(あひだ)は、(かな)しむことを()んや。されど新郎(はなむこ)をとらるる()きたらん、その(とき)には斷食(だんじき)せん。[引照]

口語訳するとイエスは言われた、「婚礼の客は、花婿が一緒にいる間は、悲しんでおられようか。しかし、花婿が奪い去られる日が来る。その時には断食をするであろう。
塚本訳イエスは言われた、「婚礼の客は花婿がまだ一しょにいる間に、(断食をして)悲しむことが出来ようか。しかしいまに花嫁を奪いとられる時が来る。すると彼らは(いやでも)断食をするであろう。
前田訳そこでイエスは彼らにいわれる、「花むこがともにいる間、婚礼の客は悲しめようか。花むこが取られる日が来よう。そのときには彼らは断食しよう。
新共同イエスは言われた。「花婿が一緒にいる間、婚礼の客は悲しむことができるだろうか。しかし、花婿が奪い取られる時が来る。そのとき、彼らは断食することになる。
NIVJesus answered, "How can the guests of the bridegroom mourn while he is with them? The time will come when the bridegroom will be taken from them; then they will fast.
註解: キリストは己を新郎に譬え給うた。これ一面ヨハネの言(ヨハ3:29)を利用したのであるけれども他面キリストの重要なる一性質であった、弟子は今彼と共に婚筵(こんえん)の席にある、その歓喜の中に断食のごとくに苦痛の表徴を示さんとするならばそれは不自然で偽善である。しかしキリストはやがて十字架につけられ取らるる日が来る、その時には断食と弟子の心持とが完全に調和するであろう。律法的形式固執主義は大なる禍いである。
辞解
[新郎] キリストが新郎であり、教会が新婦であることは聖書中の重要なる真理であり、神の奥義であった。あたかもイスラエルが妻で、エホバが夫であるとの譬のごときものであった(イザ54:5−10。ホセ2:12)。いずれも神とキリストの愛と誠実とを示している。

9章16節 (たれ)(あたら)しき(ぬの)(きれ)(ふる)(ころも)につぐことは()じ、(おぎな)ひたる(きれ)は、その(ころも)をやぶりて、破綻(ほころび)さらに(はなは)だしかるべし。[引照]

口語訳だれも、真新しい布ぎれで、古い着物につぎを当てはしない。そのつぎきれは着物を引き破り、そして、破れがもっとひどくなるから。
塚本訳真新しい布切で古い着物に継ぎをする者はない。当て切は着物をひきさき、裂け目はますますひどくなるからである。
前田訳だれも織りたての布で古い衣につぎをあてない。つぎは衣からやぶけて、裂け目は前よりひどくなる。
新共同だれも、織りたての布から布切れを取って、古い服に継ぎを当てたりはしない。新しい布切れが服を引き裂き、破れはいっそうひどくなるからだ。
NIV"No one sews a patch of unshrunk cloth on an old garment, for the patch will pull away from the garment, making the tear worse.

9章17節 また(あたら)しき葡萄酒(ぶだうしゅ)をふるき革嚢(かはぶくろ)()るることは()じ。もし(しか)せば、(ふくろ)はりさけ(さけ)ほどばしり()でて、(ふくろ)もまた(すた)らん。(あたら)しき葡萄酒(ぶだうしゅ)(あたら)しき革嚢(かはぶくろ)にいれ、かくて(ふたつ)ながら(たも)つなり』[引照]

口語訳だれも、新しいぶどう酒を古い皮袋に入れはしない。もしそんなことをしたら、その皮袋は張り裂け、酒は流れ出るし、皮袋もむだになる。だから、新しいぶどう酒は新しい皮袋に入れるべきである。そうすれば両方とも長もちがするであろう」。
塚本訳新しい酒を古い皮袋に入れることもしない。そんなことをすれば、皮袋が破れて酒は流れ出し、皮袋もだめになる。新しい酒は新しい皮袋に入れる。そうすれば両方とも安全である。」
前田訳新しい酒を古い皮袋に入れる人もない。さもないと皮袋は裂け、酒はこぼれて皮袋は使えなくなる。新しい酒は新しい皮袋に入れるもの。すればともに長持ちする」と。
新共同新しいぶどう酒を古い革袋に入れる者はいない。そんなことをすれば、革袋は破れ、ぶどう酒は流れ出て、革袋もだめになる。新しいぶどう酒は、新しい革袋に入れるものだ。そうすれば、両方とも長もちする。」
NIVNeither do men pour new wine into old wineskins. If they do, the skins will burst, the wine will run out and the wineskins will be ruined. No, they pour new wine into new wineskins, and both are preserved."
註解: 新しき自由なる福音と古き律法主義とは全く別物である。前者は後者の完成したものではるが(5:17)、この二者を繋ぎ合せたり、又は古い形式の中に新しい精神を盛ろうとする場合には、両(ふた)つながらその本質を失ってしまい、かえって悪い結果となる。新しい福音は全く新しい形式の中に入れらるべきものである。而してこの新しい福音の取るべき形式は「自由」であって、キリスト取らるる日に自ら断食するがごときすなわちこれである。外形的には断食は古き断食と異ならない、しかしその本質は全然異なっている、あたかも古き革袋と新しき革袋とは同じく皮袋であってもその本質を異にするのと同様である。

4-1-ヌ ヤイロの娘の甦りと血漏を患える女の治癒 9:18 - 9:26
(マコ5:21-43) (ルカ8:41-56)  

9章18節 イエス(これ)()のことを(かた)りゐ(たま)ふとき、()よ、一人(ひとり)(つかさ)きたり、(はい)して()ふ『わが(むすめ)いま()にたり。されど(きた)りて御手(みて)(これ)におき(たま)はば()きん』[引照]

口語訳これらのことを彼らに話しておられると、そこにひとりの会堂司がきて、イエスを拝して言った、「わたしの娘がただ今死にました。しかしおいでになって手をその上においてやって下さい。そうしたら、娘は生き返るでしょう」。
塚本訳こう話しておられると、そこに一人の(礼拝堂の)役人が進み出て、しきりに願って言った、「わたしの娘がたったいま死にました。それでも、どうか行って、手をのせてやってください。そうすれば生き返りますから。」
前田訳こう彼らに話しておられるところへ、見よ、ひとりの司が来て、ひれ伏していう、「娘がいま死にました。しかしいらしてお手を置いてくだされば生き返るでしょう」と。
新共同イエスがこのようなことを話しておられると、ある指導者がそばに来て、ひれ伏して言った。「わたしの娘がたったいま死にました。でも、おいでになって手を置いてやってください。そうすれば、生き返るでしょう。」
NIVWhile he was saying this, a ruler came and knelt before him and said, "My daughter has just died. But come and put your hand on her, and she will live."
註解: この司は会堂司でヤイロと称していた。この出来事はマルコ、ルカに一層詳細に述べられている。彼が位(くらい)卑(いや)しきイエスを「拝した」のは彼の信仰より来れる謙遜であった。「死にたり」はマルコ、ルカには「今わの時」であると記されている。そして途中においてヤイロはその娘の死ねる報知に接した。マタイはその報知を受けし後のヤイロの信仰をその以前の言と併せて記したものであろう。

9章19節 イエス()ちて(かれ)(ともな)(たま)ふに、弟子(でし)たちも(したが)ふ。[引照]

口語訳そこで、イエスが立って彼について行かれると、弟子たちも一緒に行った。
塚本訳イエスは立ち上がって彼について行かれた、弟子たちも一しょに。
前田訳イエスは立ちあがって彼について行かれた。弟子たちもいっしょであった。
新共同そこで、イエスは立ち上がり、彼について行かれた。弟子たちも一緒だった。
NIVJesus got up and went with him, and so did his disciples.
註解: 信仰による祈りは神をも直ちに起(た)たしめる力がある。

9章20節 ()よ、(じふ)二年(にねん)血漏(ちらう)(わづら)ひゐたる(をんな)、イエスの(のち)にきたりて、御衣(みころも)(ふさ)にさはる。[引照]

口語訳するとそのとき、十二年間も長血をわずらっている女が近寄ってきて、イエスのうしろからみ衣のふさにさわった。
塚本訳するとそこに、十二年も長血にかかっていた女が近寄ってきて、後ろからイエスの上着の裾にさわった。
前田訳すると見よ、十二年長血の女が近よって、うしろからお着物の裾にさわった。
新共同すると、そこへ十二年間も患って出血が続いている女が近寄って来て、後ろからイエスの服の房に触れた。
NIVJust then a woman who had been subject to bleeding for twelve years came up behind him and touched the edge of his cloak.

9章21節 それは、御衣(みころも)にだに(さは)らば(すく)はれんと(こころ)(うち)にいへるなり。[引照]

口語訳み衣にさわりさえすれば、なおしていただけるだろう、と心の中で思っていたからである。
塚本訳「お召物にさわるだけでも、なおるにちがいない」と、ひそかに思ったのである。
前田訳彼女はひそかに思っていた、「お着物の裾にさえさわれば救われよう」と。
新共同「この方の服に触れさえすれば治してもらえる」と思ったからである。
NIVShe said to herself, "If I only touch his cloak, I will be healed."
註解: 彼女はその病のためにその身代を浪費し尽くしても尚癒えず、絶望の中に陥っていた。医学の力は常に有限である、その絶望に陥りて彼女は心よりの謙遜と祈願と信仰とをもってイエスに近付いたのである。而して主は医術の為し能わざることを信仰に対して為し給う。そしてこの女も幸いにもその信仰によりて癒されたのである。
辞解
[血漏を患いたる女] 穢れたるものと認められ(レビ15:25)、その触れたものは皆穢れ、又神殿に近付き得なかった。神と人とより遠ざけられし憐れな人であった。
[衣の総(ふさ)] 民15:38−40に記されし律法によってユダヤ人が衣の裾に下げていあもの、イエスもかかる習慣において常人と異なる風をなし給わなかった。
[救われん] sōthēsomai は日本語の「助からん」に相当する意味を有し、「癒されん」との意味にも多く用いられている。この場合もその一つである。尚マコ6:56。ヨハ11:12。
[心の中にいへるなり] この信仰が根本であった。キリストの御衣に力がある訳ではない。信仰によってキリストに連なることが必要である。

9章22節 イエスふりかへり、(をんな)()()ひたまふ『(むすめ)よ、(こころ)(やす)かれ、(なんぢ)信仰(しんかう)なんぢを(すく)へり』(をんな)この(とき)より(すく)はれたり。[引照]

口語訳イエスは振り向いて、この女を見て言われた、「娘よ、しっかりしなさい。あなたの信仰があなたを救ったのです」。するとこの女はその時に、いやされた。
塚本訳イエスは振り向いて、女を見ながら言われた、「娘よ、安心しなさい、あなたの信仰がなおした。」するとちょうどその時から、女はなおった。
前田訳イエスは振り向き、彼女を見ていわれた、「安心なさい、娘よ、あなたの信仰があなたを救った」と。すると女はそのときから救われた。
新共同イエスは振り向いて、彼女を見ながら言われた。「娘よ、元気になりなさい。あなたの信仰があなたを救った。」そのとき、彼女は治った。
NIVJesus turned and saw her. "Take heart, daughter," he said, "your faith has healed you." And the woman was healed from that moment.
註解: 我らもこの女のごとく心卑下(へりくだ)り、悔改むる場合にはイエスはふりかえりて憐れみの目を注ぎ、愛の御言を発し給う、又主の助けは適当の時機に必ず与えられる。
辞解
[辞解] マルコ、ルカによればこの女の病いえたのは、イエスの御衣に触れた時であって御言を聞く以前であった。すなわちマタイの「この時」とは必ずしもイエスが御言を出し給える後の意味ではなく、もっと広い意味に用いられている。

9章23節 かくてイエス(つかさ)(いへ)にいたり、(ふえ)ふく(もの)(さわ)群衆(ぐんじゅう)とを()()ひたまふ、[引照]

口語訳それからイエスは司の家に着き、笛吹きどもや騒いでいる群衆を見て言われた。
塚本訳やがてイエスは役人の家に着いて、笛吹き男と騒いでいる群衆とを見ると、
前田訳イエスは司の家へ来て笛吹きや騒ぐ群衆を見るといわれた、
新共同イエスは指導者の家に行き、笛を吹く者たちや騒いでいる群衆を御覧になって、
NIVWhen Jesus entered the ruler's house and saw the flute players and the noisy crowd,

9章24節 退(しりぞ)け、少女(せうじょ)()にたるにあらず、()ねたるなり』人々(ひとびと)イエスを嘲笑(あざわら)ふ。[引照]

口語訳「あちらへ行っていなさい。少女は死んだのではない。眠っているだけである」。すると人々はイエスをあざ笑った。
塚本訳言われた、「あちらに行っておれ。少女は死んだのではない、眠っているのだから。」人々はあざ笑っていた。
前田訳「立ち去りなさい。少女は死んだのではなく眠っているのだ」と。彼らはイエスをあざ笑った。
新共同言われた。「あちらへ行きなさい。少女は死んだのではない。眠っているのだ。」人々はイエスをあざ笑った。
NIVhe said, "Go away. The girl is not dead but asleep." But they laughed at him.
註解: 我ら復活を信じる者にとってはすべての死者は寝たる者であって、この少女の場合と同じく主来り給えば直ちに甦えるのである。しかしながらかかる信仰をば人は「嘲笑(あざわら)う」こと今も昔も変りがない(使17:32)。
辞解
[笛ふく者] 当時の習慣として、死人のある家にては子供の死ならば笛、大人ならばその他の楽器を奏せしめた、これがために雇わるる専門の哀歌楽手があった。
[騒ぐ群衆] 大家であればある程喪の際に大騒ぎをする習慣であった。イエスはかかる群衆を退けて唯両親とペテロ、ヨハネ、ヤコブの三人のみを従えて中に入り給うたのであって、この世は死の苦痛を騒擾と音楽に響きをもって葬り去らんとしている。かかる伝統的喧騒は人間の生死とは全く無関係な事柄であることを暗示し給うた。

9章25節 群衆(ぐんじゅう)()されし(のち)、いりてその()をとり(たま)へば、少女(せうじょ)おきたり。[引照]

口語訳しかし、群衆を外へ出したのち、イエスは内へはいって、少女の手をお取りになると、少女は起きあがった。
塚本訳群衆が外に出されると、イエスは(部屋に)入っていって少女の手をお取りになった。すると少女は起き上がった。
前田訳群衆が外へ出されると彼は入って少女の手をお取りになった。すると少女は起きあがった。
新共同群衆を外に出すと、イエスは家の中に入り、少女の手をお取りになった。すると、少女は起き上がった。
NIVAfter the crowd had been put outside, he went in and took the girl by the hand, and she got up.

9章26節 この聲聞(きこえ)あまねく()()(ひろま)りぬ。[引照]

口語訳そして、そのうわさがこの地方全体にひろまった。
塚本訳この評判がその土地全体に広まった。
前田訳このうわさがその土地一帯にひろまった。
新共同このうわさはその地方一帯に広まった。
NIVNews of this spread through all that region.
註解: 詳細はマルコ、ルカを見よ。
要義 [死者の復活について]イエスはその御在世中に三度死者を甦らしめ給うた(ルカ7:11以下。ヨハ11:1以下及びこの場合)。これによりて彼は(1)未来において彼の再臨の時に死者の復活のあり得ること(詳細は1コリント15の註を見よ)。(2)死人を甦らしむる者はキリストであり、彼に復活の力があることを示し給うた。復活を信ずることを欲しない者は、この明瞭なる福音書の記事を種々の口実をもって否定しようとしているけれども、いずれも復活がないという前提から出発して推測しているに過ぎないのであって、記事それ自身の証明力を少しも減ずる力はない。三福音書ともこの記事を如実に記載していることを見、而して神の子に在し給うイエスにこの力が与えられしことを信ずる時、この記事の事実であることを疑う余地は少しもない。

4-1-ル 盲人の目を開き給う 9:27 - 9:31  

9章27節 イエス此處(ここ)より(すす)みたまふ(とき)、ふたりの盲人(めしひ)さけびて『ダビデの()よ、(われ)らを(あはれ)みたまへ』と()ひつつ(したが)ふ。[引照]

口語訳そこから進んで行かれると、ふたりの盲人が、「ダビデの子よ、わたしたちをあわれんで下さい」と叫びながら、イエスについてきた。
塚本訳そこから出かけられると、二人の盲人が「ダビデのお子様、どうぞお慈悲を」と言って叫びながら、イエスについて来た。
前田訳そこを去るイエスにふたりの目しいがついて来て叫んだ、「われらをあわれんでください、ダビデのみ子!」と。
新共同イエスがそこからお出かけになると、二人の盲人が叫んで、「ダビデの子よ、わたしたちを憐れんでください」と言いながらついて来た。
NIVAs Jesus went on from there, two blind men followed him, calling out, "Have mercy on us, Son of David!"
註解: 霊のことにつきて盲目なる我らもまたこの信仰と熱心とをもってイエスに祈りかつ彼に従わなければならない。「ダビデの子」はメシヤという意味。

9章28節 イエス(いへ)にいたり(たま)ひしに、盲人(めしひ)ども御許(みもと)(きた)りたれば、(これ)()ひたまふ『(われ)この(こと)をなし()(しん)ずるか』(かれ)()いふ『(しゅ)よ、(しか)り』[引照]

口語訳そしてイエスが家にはいられると、盲人たちがみもとにきたので、彼らに「わたしにそれができると信じるか」と言われた。彼らは言った、「主よ、信じます」。
塚本訳そして家にかえられると、盲人たちがそばに来たので、イエスが言われる、「わたしにそれが出来ると信じるのか。」「はい、主よ」と二人がこたえる。
前田訳家に入られると目しいたちが近よったのでイエスがいわれる、「わたしにそれができると信ずるか」と。彼らはいう、「はい、主よ」と。
新共同イエスが家に入ると、盲人たちがそばに寄って来たので、「わたしにできると信じるのか」と言われた。二人は、「はい、主よ」と言った。
NIVWhen he had gone indoors, the blind men came to him, and he asked them, "Do you believe that I am able to do this?" "Yes, Lord," they replied.
註解: イエスは家に入るまで盲人らの乞いに対して答え給わなかった。かくのごとく主は時に我らの祈りを容易に聴き給わない場合がある。しかしながら失望してはならない、これイエスが我らの信仰を試みんとし給うためである。ゆえにこの盲人らのごとくに答えを得るまでイエスに祈らなければならぬ。而してイエスは「確かにこのことを為し得給う」と信じて祈らなければならない、不信仰の心、半信半疑の心による祈りは決して聴かれない。この盲人らは「主よ、然り」と答えてその信仰を告白したことは幸いである。

9章29節 (ここ)にイエスかれらの()(さは)りて()ひたまふ『なんぢらの信仰(しんかう)のごとく(なんぢ)らに()れ』[引照]

口語訳そこで、イエスは彼らの目にさわって言われた、「あなたがたの信仰どおり、あなたがたの身になるように」。
塚本訳そこで彼らの目にさわり、「あなた達の信仰のとおりに成れ」と言われると、
前田訳そこで彼らの目にさわっていわれる、「あなた方の信仰どおりになれ」と。
新共同そこで、イエスが二人の目に触り、「あなたがたの信じているとおりになるように」と言われると、
NIVThen he touched their eyes and said, "According to your faith will it be done to you";
註解: 「神光あれと言い給いければ光ありき」(創1:3)・

9章30節 (すなは)(かれ)らの()あきたり。イエス(きび)しく(いまし)めて()ひたまふ『(つつし)みて(たれ)にも()らすな』[引照]

口語訳すると彼らの目が開かれた。イエスは彼らをきびしく戒めて言われた、「だれにも知れないように気をつけなさい」。
塚本訳二人の目があいた。するとイエスは(急に)いきり立ち、二人にむかって、「気をつけて、だれにも知られないようにせよ」と言われた。
前田訳すると目があいた。イエスは彼らをいましめていわれる、「気をつけて、だれにも知らせるな」と。
新共同二人は目が見えるようになった。イエスは、「このことは、だれにも知らせてはいけない」と彼らに厳しくお命じになった。
NIVand their sight was restored. Jesus warned them sternly, "See that no one knows about this."
註解: 我ら霊の盲人に対するイエスの御業もまたこれと等しい。我らの霊の盲目と暗黒に耐えずしてイエスに来る。そして彼必ずこの霊の目を開き得給うと信じて彼に祈る時、彼の言なる聖書が我らの心に響きて我らの目を開くのである。イエスはここでもまた/再びこの奇蹟の発表を厳禁し給うた(8:4註)。

9章31節 されど(かれ)()でて、あまねくその()にイエスの(こと)をいひ(ひろ)めたり。[引照]

口語訳しかし、彼らは出て行って、その地方全体にイエスのことを言いひろめた。
塚本訳しかし彼らは出てゆくと、その土地全体にイエスのことをふれまわった。
前田訳しかし外へ出ると彼らはイエスのことをその地一帯にいいふらした。
新共同しかし、二人は外へ出ると、その地方一帯にイエスのことを言い広めた。
NIVBut they went out and spread the news about him all over that region.
註解: 彼らはイエスの言に単純に従わなかった。肉の心はイエスの御言より自己の感情に重きを置き易い、而して目を開かれし歓喜は純なる感情であるだけ、それだけこれを発表することにはたといそれがイエスの御言に反しても、何ら差支えなしと思わるる節がないではない(カトリック教会の教父等は多くこの盲人の行為を賞賛した)。しかしながら人は御言よりも自己の感情に重きを置く時多くの誤りに陥るものであることを忘れてはならない。

4-1-ヲ 悪鬼に憑かれし唖者医さる 9:32 - 9:34  

9章32節 盲人(めしひ)どもの()づるとき、()よ、人々(ひとびと)惡鬼(あくき)()かれたる唖者(おふし)御許(みもと)につれきたる。[引照]

口語訳彼らが出て行くと、人々は悪霊につかれたおしをイエスのところに連れてきた。
塚本訳ちょうど二人と入れ違いに、人々が悪鬼につかれた唖をつれて来た。
前田訳彼らが外に出ると、見よ、悪霊つきの唖者が連れて来られた。
新共同二人が出て行くと、悪霊に取りつかれて口の利けない人が、イエスのところに連れられて来た。
NIVWhile they were going out, a man who was demon-possessed and could not talk was brought to Jesus.

9章33節 惡鬼(あくき)おひ()されて唖者(おふし)ものいひたれば、群衆(ぐんじゅう)あやしみて()ふ『かかる(こと)(いま)だイスラエルの(うち)(あらは)れざりき』[引照]

口語訳すると、悪霊は追い出されて、おしが物を言うようになった。群衆は驚いて、「このようなことがイスラエルの中で見られたことは、これまで一度もなかった」と言った。
塚本訳悪鬼が追い出されると、唖が物を言うようになった。群衆が驚いて、「こんなことはかってイスラエル人の中で起ったためしがない」と言った。
前田訳悪霊は追われて唖者は話しはじめた。群衆はおどろいていう、「いまだかつてイスラエルにこのようなことは見られなかった」と。
新共同悪霊が追い出されると、口の利けない人がものを言い始めたので、群衆は驚嘆し、「こんなことは、今までイスラエルで起こったためしがない」と言った。
NIVAnd when the demon was driven out, the man who had been mute spoke. The crowd was amazed and said, "Nothing like this has ever been seen in Israel."
註解: 最も困難なる病者をもイエスが容易に癒し給うたのを見し時は、単純素朴なる群衆は非常に驚き、二千年来神の特別の保護の下にありしイスラエルにすら前代未聞のこどがらであると讃嘆した。これ素朴正直なる群衆の偽らざる讃美であった。

9章34節 (しか)るにパリサイ(びと)いふ『かれは惡鬼(あくき)(かしら)によりて惡鬼(あくき)()(いだ)すなり』[引照]

口語訳しかし、パリサイ人たちは言った、「彼は、悪霊どものかしらによって悪霊どもを追い出しているのだ」。
塚本訳しかしパリサイ人は、「あれは悪鬼どもの頭(である悪魔)を使って悪鬼を追い出しているのだ」と言った。
前田訳しかしパリサイ人はいった、「彼は悪霊の頭によって悪霊を追い出す」と。
新共同しかし、ファリサイ派の人々は、「あの男は悪霊の頭の力で悪霊を追い出している」と言った。
NIVBut the Pharisees said, "It is by the prince of demons that he drives out demons."
註解: イエスはときに狂人と思われ(ヨハ7:20)、又は人を惑わす扇動者(ヨハネ7:13)或は罪ある者(ヨハ9:16)と呼ばれ、または悪鬼の首(かしら)を使役して奇蹟を行う者と誤解せられ給うた。信仰により聖霊に導かれない者は、イエスを神の子ということができない(1ヨハネ4:2)。▲「罪人」と呼ばれた「群衆」が、自ら最も立派な信者をもって任じたパリサイ人よりも、純真な心をもってイエスを判断したことに注意しなければならなぬ。いずれの時代、いずれの国民でも、真の信仰に最も縁遠いものは自ら宗教家をもって任じている人々である。

4-1-ワ 労働人の必要 9:35 - 9:38  

9章35節 イエスあまねく(まち)(むら)とを(めぐ)り、その會堂(くわいだう)にて(をし)へ、御國(みくに)福音(ふくいん)()べつたへ、もろもろの(やまひ)、もろもろの疾患(わずらひ)をいやし(たま)ふ。[引照]

口語訳イエスは、すべての町々村々を巡り歩いて、諸会堂で教え、御国の福音を宣べ伝え、あらゆる病気、あらゆるわずらいをおいやしになった。
塚本訳それからイエスは町や村をのこらず回りながら、その礼拝堂で教え、御国の福音を説き、またありとあらゆる病気や煩いをなおされた。
前田訳そしてイエスはすべての町々村々をめぐり、その会堂で教え、み国の福音を伝え、すべての病とすべてのわずらいをいやされた。
新共同イエスは町や村を残らず回って、会堂で教え、御国の福音を宣べ伝え、ありとあらゆる病気や患いをいやされた。
NIVJesus went through all the towns and villages, teaching in their synagogues, preaching the good news of the kingdom and healing every disease and sickness.
註解: 4:23の反復であって、第5章以下の全体の要約とも見るべきこの部分にはイエスの伝道の成功の方面が記されてある。

9章36節 また群衆(ぐんじゅう)()て、その()(もの)なき(ひつじ)のごとく(なや)み、(かつ)たふるるを(いた)(あはれ)み、[引照]

口語訳また群衆が飼う者のない羊のように弱り果てて、倒れているのをごらんになって、彼らを深くあわれまれた。
塚本訳そして“羊飼いのいない羊が”疲れきって、(地に)倒れている“ような”群衆を見られて、かわいそうに思われた。
前田訳群衆を見てあわれまれたが、それは彼らが牧者のない羊のごとく疲れて見捨てられていたからである。
新共同また、群衆が飼い主のいない羊のように弱り果て、打ちひしがれているのを見て、深く憐れまれた。
NIVWhen he saw the crowds, he had compassion on them, because they were harassed and helpless, like sheep without a shepherd.
註解: ユダヤ人の群衆は牧者なき羊のごとくどこに行くべきかを知らず、何人に従うべきかを知らず、どこに食を求むべきかを知らず、不安と不満とに生きていた。あたかも今日の宗教界のごとくその祭司、教師、牧者は彼らを導く所以(ゆえん)を知らなかった。それゆえに彼らは或は悩みかつ或は飢えに倒れ或は豺狼(おおかみ)に斃(たお)されていた。イエスはこれを見て深き憐れみの心を起し給うた。

9章37節 (つい)弟子(でし)たちに()ひたまふ『收穫(かりいれ)はおほく勞動人(はたらきびと)はすくなし。[引照]

口語訳そして弟子たちに言われた、「収穫は多いが、働き人が少ない。
塚本訳そこで弟子たちに言われる、「刈入れは多いが、働き手は少ない。
前田訳そこで弟子たちにいわれる、「取入れは多く、働き手は少ない。
新共同そこで、弟子たちに言われた。「収穫は多いが、働き手が少ない。
NIVThen he said to his disciples, "The harvest is plentiful but the workers are few.

9章38節 この(ゆゑ)收穫(かりいれ)(しゅ)に、勞動人(はたらきびと)をその收穫場(かりいれば)(つかは)(たま)はんことを(もと)めよ』[引照]

口語訳だから、収穫の主に願って、その収穫のために働き人を送り出すようにしてもらいなさい」。
塚本訳だから刈入れの主人に、刈入れのため(多くの)働き手を送られるよう、お願いしなさい。」
前田訳取入れの主に彼の取入れのための働き手を送るよう祈りなさい」と。
新共同だから、収穫のために働き手を送ってくださるように、収穫の主に願いなさい。」
NIVAsk the Lord of the harvest, therefore, to send out workers into his harvest field."
註解: 神は収穫の主に在(いま)し給うた。人の霊を刈り採りて御自身のものとなし給う。神の田畑は著しく色付いている。然るに労働人は少ない。この状態は今日も同様であろう。それゆえにイエスは弟子たちをして祈らしめ、これに自己の祈りを加えて父なる神より許しを得、遂に次章において十二弟子の派遣となったのである。これによって色付ける田の面は刈り取られ、迷える羊は牧者を得、遂に救いは全世界に宣べ伝えられた。

マタイ伝第10章
4-2 十二弟子の派遣 10:1 - 10:42

註解: 前数章におけるイエスの伝道と奇蹟的治癒と共にイエスは十二の弟子を選び給うた(その選召の時期は十二人の全部については記されていない)。今この十二人の弟子を伝道に派遣し給うこととなったのである。

10章1節 かくてイエスその十二(じふに)弟子(でし)()し、(けが)れし(れい)(せい)する權威(けんゐ)をあたへて、(これ)()()し、もろもろの(やまひ)、もろもろの疾患(わずらひ)(いや)すことを()しめ(たま)ふ。[引照]

口語訳そこで、イエスは十二弟子を呼び寄せて、汚れた霊を追い出し、あらゆる病気、あらゆるわずらいをいやす権威をお授けになった。
塚本訳そこで十二人の弟子を呼びよせて、汚れた霊を追い出し、またあらゆる病気、あらゆる煩いをなおす全権を授けられた。
前田訳そして十二弟子を呼びよせて、けがれた霊を追い出し、すべての病すべてのわずらいをいやす権威を与えられた。
新共同イエスは十二人の弟子を呼び寄せ、汚れた霊に対する権能をお授けになった。汚れた霊を追い出し、あらゆる病気や患いをいやすためであった。
NIVHe called his twelve disciples to him and gave them authority to drive out evil spirits and to heal every disease and sickness.
註解: 弟子に必要なるものはこの権威とこの能力であった。これはイエス御自身の有(も)ち給えるものであり(4:23。9:35)、弟子はこれをキリストより与えられて始めて持つ処のものであり、自分の自由に得ることができず、又本来有(も)っているものでもない。我ら唯イエスに従っていさえすれば、彼は必要の時機に必要の能力を与え給う。
辞解
[穢れし霊] 悪鬼。

4-2-イ 十二使徒の選任 10:2 - 10:4
(マコ3:16-19) (ルカ6:14-16)  

10章2節 十二(じふに)使徒(しと)()(ひだり)のごとし。()づペテロといふシモン(およ)びその兄弟(きゃうだい)アンデレ、ゼベダイの()ヤコブ(およ)びその兄弟(きゃうだい)ヨハネ、[引照]

口語訳十二使徒の名は、次のとおりである。まずペテロと呼ばれたシモンとその兄弟アンデレ、それからゼベダイの子ヤコブとその兄弟ヨハネ、
塚本訳十二使徒の名はこれである。──まず、ペテロと言われたシモンとその兄弟のアンデレ、それからゼベダイの子ヤコブとその兄弟のヨハネ、
前田訳十二弟子の名はこうである。まずペテロことシモンとその兄弟アンデレ、ゼベダイの子ヤコブとその兄弟ヨハネ、
新共同十二使徒の名は次のとおりである。まずペトロと呼ばれるシモンとその兄弟アンデレ、ゼベダイの子ヤコブとその兄弟ヨハネ、
NIVThese are the names of the twelve apostles: first, Simon (who is called Peter) and his brother Andrew; James son of Zebedee, and his brother John;

10章3節 ピリポ(およ)びバルトロマイ、トマス(およ)取税人(しゅぜいにん)マタイ、アルパヨの()ヤコブ(およ)びタダイ、[引照]

口語訳ピリポとバルトロマイ、トマスと取税人マタイ、アルパヨの子ヤコブとタダイ、
塚本訳ピリポとバルトロマイ、トマスと税金取りマタイ、アルパヨの子ヤコブとタダイ、
前田訳ピリポとバルトロマイ、トマスと取税人マタイ、アルパヨの子ヤコブとタダイ、
新共同フィリポとバルトロマイ、トマスと徴税人のマタイ、アルファイの子ヤコブとタダイ、
NIVPhilip and Bartholomew; Thomas and Matthew the tax collector; James son of Alphaeus, and Thaddaeus;

10章4節 熱心(ねっしん)(たう)のシモン(およ)びイスカリオテのユダ、このユダはイエスを()りし(もの)なり。[引照]

口語訳熱心党のシモンとイスカリオテのユダ。このユダはイエスを裏切った者である。
塚本訳熱心党のシモンと(あとで)イエスを売ったイスカリオテのユダ。
前田訳熱心党のシモンと彼を裏切ったイスカリオテのユダ。
新共同熱心党のシモン、それにイエスを裏切ったイスカリオテのユダである。
NIVSimon the Zealot and Judas Iscariot, who betrayed him.
註解: マルコ、ルカ、使徒にも皆十二使徒の名を揚げているけれども、その順序は必ずしも同じでない、唯いずれにも共通な点は(1)ペテロを筆頭に掲げ、イスカリオテのユダを最後に置いたこと(ただし使1:13にはこれを欠く)。(2)四人ずつ三階段に分かれ、その階段の順序はいずれも一致していること。(3)この三階段の筆頭はいずれもペテロ、ピリポ、アルパヨの子ヤコブなること、これらはいずれも一致している点である。而してこの段取りの順序は使徒の価値による自然の順序らしく見える。第一階段に属するものは常にイエスと共におり、重要なる場合に彼と共に行動した人々であった(マコ13:3。ルカ8:51。マタ17:1。26:37)。第二段に属するものは福音書の他の部分及び使徒行伝に顕われ相当の働きを示しており、第三段に属するものはユダ以外は、その名が聖書の他の部分に顕われない程微々たる使徒たちであった。各階段内にて順序が異なっているのはマタイ、ルカは二人ずつ派遣されし組々に従って列挙し、マルコはキリスト昇天前の弟子の価値により順序をつけ、使徒行伝は聖霊降下後の弟子の価値に従ったものであろう(B1)。読者自ら三福音書及び使徒行伝について表を作成されよ。イエスが使徒を祭司、学者、教法師中より選び給わず全然別の方面よりせしことは、彼の教えの全く新たなることを示す。
辞解
[使徒] 元来遣わさるる人の意味であるけれども、聖書においてはキリストより直接に選ばれ、伝道のために派遣せられし人々(十二使徒、パウロ等)を指している(Uコリ8:33。ピリ2:25。ヨハ13:16のみは使いの意味に用いられている)。十二人を選んだのはイスラエルの十二の支派に因んだのである。
[ペテロというシモン] シモンなる本名の上にイエスよりペテロという名をもらった(マタ16:8)。
[ゼベダイの子] アルパヨの子と区別するために父の名を用う。「バルトロマイ」は「トロマイの子」と意味し、ナタナエル(神の賜物)と同一人ならんとの説多し。「アルパヨの子ヤコブ」の母はマリアにて主の母マリヤの姉妹(ヨハ19:25)である(マコ15:40)。アルパヨとクロパは同一名なり。
[タダイ] 父の名はユダ、又はレバイ。
[熱心党] ローマ政府を暴力をもって転覆せんと企てしユダヤ人の一派。

4-2-ロ 一般的注意 10:5 - 10:15
(マコ6:8-11) (ルカ9:3-5)  

10章5節 イエスこの十二(じふに)(にん)(つかは)さんとて、(めい)じて()ひたまふ。[引照]

口語訳イエスはこの十二人をつかわすに当り、彼らに命じて言われた、「異邦人の道に行くな。またサマリヤ人の町にはいるな。
塚本訳イエスはこの十二人に次のように命じて(伝道に)派遣された。──「(国を離れてはいけない。)異教人の所へ行くな、またサマリヤ人の町に入るな。
前田訳イエスは次の指図をしてこれら十二人をつかわされた。「異邦人の道に出かけるな、サマリア人の町に入るな。
新共同イエスはこの十二人を派遣するにあたり、次のように命じられた。「異邦人の道に行ってはならない。また、サマリア人の町に入ってはならない。
NIVThese twelve Jesus sent out with the following instructions: "Do not go among the Gentiles or enter any town of the Samaritans.
註解: 彼らに与えし平日の教訓以外に別に使徒等を訓育することが必要であった。それほどキリストの使徒又は牧師、教師となることは重大なる任務である。この教訓は特に使徒らに与えられたものであるけれどもその精神においてすべての神の労働人に適用すべきものである。

異邦人(いはうじん)(みち)にゆくな、(また)サマリヤ(ひと)(まち)()るな。

10章6節 むしろイスラエルの(いへ)()せたる(ひつじ)にゆけ。[引照]

口語訳むしろ、イスラエルの家の失われた羊のところに行け。
塚本訳ただ、イスラエルの家のいなくなった羊(だけ)に行け。
前田訳むしろイスラエルの家のうせた羊へ行け。7行って天国は近づいたと告げよ。
新共同むしろ、イスラエルの家の失われた羊のところへ行きなさい。
NIVGo rather to the lost sheep of Israel.
註解: 異邦人、およびユダヤ人と相和しなかったサマリヤ人を、弟子の伝道区域外に置くことを命じ給える所以は彼らを憎むからではなく、又軽視したのでもない。神の国は先ずユダヤ人に約束せられ、このユダヤ人を通して救いは万国民に及ぶべきはずであったからである。15:24。使13:46。イザ49:1−6。
辞解
[サマリヤ] ユダヤとガリラヤの間にあり歴史的理由よりユダヤ人等と不和の関係にあった。このことについてはヨハネ4:9註参照。「途」「町」「家」と次第に小区域を示し、小より始むべきことを示す。使1:8を見よ。
[イスラエルの家の失せたる羊] 神の選民でありながら、神の真理より離れ牧する者もなく誤謬の中に迷い入っている人々(9:36)。

10章7節 ()きて()べつたへ「天國(てんこく)(ちか)づけり」と()へ。[引照]

口語訳行って、『天国が近づいた』と宣べ伝えよ。
塚本訳行って、『天の国は近づいた』と説け。
前田訳
新共同行って、『天の国は近づいた』と宣べ伝えなさい。
NIVAs you go, preach this message: `The kingdom of heaven is near.'
註解: メシヤが顕われた。汝ら悔改めよと教うべきことを示し給うた。イエスは御自身をそれと明示せず暗に「天国は近付けり」と言いてこれを間接に示し給うた。かかる事柄(イエスが神の子に在[いま]し給うこと)は聖霊によりて各人直接に示さるべきものであって、外部より規定すべきものではないからである。人の子の呼称もこの類である(16:17)。

10章8節 ()める(もの)をいやし、()にたる(もの)(よみが)へらせ、癩病人(らいびゃうにん)をきよめ、惡鬼(あくき)()ひいだせ。[引照]

口語訳病人をいやし、死人をよみがえらせ、らい病人をきよめ、悪霊を追い出せ。ただで受けたのだから、ただで与えるがよい。
塚本訳病人をなおし、死人を生きかえらせ、癩病人を清め、悪鬼を追い出せ。(福音も病気もなおす力も、みな神から)ただで戴いたのだ、ただで与えよ。
前田訳病むものをいやし、死人を起こし、らい者を清め、悪鬼を追い出せ。ただで受けたから、ただで与えよ。
新共同病人をいやし、死者を生き返らせ、重い皮膚病を患っている人を清くし、悪霊を追い払いなさい。ただで受けたのだから、ただで与えなさい。
NIVHeal the sick, raise the dead, cleanse those who have leprosy, drive out demons. Freely you have received, freely give.
註解: すべてイエスのなし給いしと同じ事柄であって、イエスは弟子たちに先ずその愛をもって人生の苦悩の最も普遍的にして直接なるものを除かしめ給うた。

(あたひ)なしに()けたれば(あたひ)なしに(あた)へよ。

註解: 十節との矛盾ではない。労働に対して生活を支えらるるの権あり、奇蹟は報酬なしにこれを施すべきである。これその力を無償で受けたからである。

10章9節 (おび)のなかに(きん)(ぎん)または(ぜに)をもつな。[引照]

口語訳財布の中に金、銀または銭を入れて行くな。
塚本訳(旅行に支度はいらない。)金貨も銀貨も銅貨も、帯の中に入れてゆくな。
前田訳懐中に金も銀も銅も用意するな。
新共同帯の中に金貨も銀貨も銅貨も入れて行ってはならない。
NIVDo not take along any gold or silver or copper in your belts;

10章10節 (たび)(ふくろ)も、()(まい)下衣(したぎ)も、(くつ)も、(つゑ)ももつな。勞動人(はたらきびと)の、その食物(しょくもつ)()るは相應(ふさは)しきなり。[引照]

口語訳旅行のための袋も、二枚の下着も、くつも、つえも持って行くな。働き人がその食物を得るのは当然である。
塚本訳旅行には旅行袋も、着替えの下着も、靴も、杖も(なんの用意も)いらない。働く者が食べ物をいただくのは当然だから。
前田訳道中に旅行袋も、着替えの肌着も、靴も杖も持つな。働き人はなりわいへの資格があるから。
新共同旅には袋も二枚の下着も、履物も杖も持って行ってはならない。働く者が食べ物を受けるのは当然である。
NIVtake no bag for the journey, or extra tunic, or sandals or a staff; for the worker is worth his keep.
註解: 伝道旅行の費用に充つる金銀、貨幣、パンその他の食物を運ぶ旅の袋、着換えに用いる下着、予備の靴、自己防御に用いる杖(マルコには一本の杖を携うることを許す。マコ6:8)等は不要である。必要なるものは神これを与え給う、すなわち神の賜物なる福音を受くる者をしてその価としてこれを提供するように導き給う(Tコリ9:6−14)。これを受くるは使徒、教師、牧者の当然の権利である。

10章11節 いづれの(まち)いづれの(むら)()るとも、その(うち)にて相應(ふさは)しき(もの)(たづ)ねいだして、()()るまでは其處(そこ)(とどま)れ。[引照]

口語訳どの町、どの村にはいっても、その中でだれがふさわしい人か、たずね出して、立ち去るまではその人のところにとどまっておれ。
塚本訳町なり村なりに入ったら、そこで然るべき人を捜して、(その土地を)立ってゆくまではその家に泊まっておれ。
前田訳入る町や村でだれかそこでの適当な人をたずね、出発までそこにとどまれ。
新共同町や村に入ったら、そこで、ふさわしい人はだれかをよく調べ、旅立つときまで、その人のもとにとどまりなさい。
NIV"Whatever town or village you enter, search for some worthy person there and stay at his house until you leave.
註解: 会堂や市場に彼らを遣わさずして個人の家に彼らを遣わし給いしは、イエスの深き思召(おぼしめ)しであった。福音は先ず深く個人の心に植付けられなければならない、しかも最も価値ある人(相応しい人)の心に植付けられ、その人を中心にしてその地方に福音が伝えられなければならない。教会の建物中心の伝道や大挙伝道的プロパガンダは成功しない。而して我が国の経験によるも神は御旨に叶う町村に相応しき中心人物を与え給い、彼を基礎としてその地に福音が広まるのを見ることができる。「立ち去るまでその所に止まれ」とはしばしば宿所を変更すべからざること。適切なる勧告である。

10章12節 (ひと)(いへ)()らば平安(へいあん)(いの)れ。[引照]

口語訳その家にはいったなら、平安を祈ってあげなさい。
塚本訳家に入ったらば、まず平安を祈れ。
前田訳家に入るとき、その家の平和を祈れ。
新共同その家に入ったら、『平和があるように』と挨拶しなさい。
NIVAs you enter the home, give it your greeting.
註解: 「平安を祈れ」の原語は「挨拶せよ」である。ユダヤ人は今日も会う時も分かるる時も「平安」シャロームといいて挨拶する習慣がある。

10章13節 その(いへ)もし(これ)相應(ふさは)しくば、(なんぢ)らの[(いの)る]平安(へいあん)はその(うへ)(のぞ)まん。[引照]

口語訳もし平安を受けるにふさわしい家であれば、あなたがたの祈る平安はその家に来るであろう。もしふさわしくなければ、その平安はあなたがたに帰って来るであろう。
塚本訳もしその家が(その祈りをうけるのに)ふさわしければ、あなた達の(祈った)平安はかならずその家に臨み、もしふさわしくなければ、その平安はあなた達にもどってくる。(そしてあなた達のものとなるのである。)
前田訳家がふさえばあなた方の平安ば必ずその家にのぞみ、ふさわねば平安はあなた方にもどろう。
新共同家の人々がそれを受けるにふさわしければ、あなたがたの願う平和は彼らに与えられる。もし、ふさわしくなければ、その平和はあなたがたに返ってくる。
NIVIf the home is deserving, let your peace rest on it; if it is not, let your peace return to you.
註解: イエスはユダヤの習慣的挨拶の辞を一層高き意味に活用し、神による平安すなわち救いを得し平安の意味に用い給うた。もし使徒が挨拶せる家がキリストの福音を受くるに値打ちしているならば汝らが「平安」といいて挨拶せるその語に叶(かな)いて救いはその家に臨むであろう。
辞解
[汝らの祈る平安] 原語「汝らの平安」すなわち挨拶のこと。

もし相應(ふさは)しからずば、その平安(へいあん)はなんぢらに(かへ)らん。

註解: 使徒らの祈りは空しきに帰したのではなく又自分に帰って来るというのであって、伝道が一見失敗せるがごとき場合にこの語は大なる慰藉(いしゃ)となることができる。

10章14節 (ひと)もし(なんぢ)らを()けず、(なんぢ)らの(ことば)()かずば、その(いへ)その(まち)()()るとき、(あし)(ちり)をはらへ。[引照]

口語訳もしあなたがたを迎えもせず、またあなたがたの言葉を聞きもしない人があれば、その家や町を立ち去る時に、足のちりを払い落しなさい。
塚本訳しかし人があなた達を歓迎せず、あなた達の言葉に耳をかたむけないなら、(すぐ)その家なり町なりを(出てゆけ。そして)出てゆくとき、(縁を切った証拠に)足の埃を払いおとせ。
前田訳あなた方を迎えもせず、あなた方のことばを聞きもしないならば、その家や町から出かけるとき足のちりを払い落とせ。
新共同あなたがたを迎え入れもせず、あなたがたの言葉に耳を傾けようともしない者がいたら、その家や町を出て行くとき、足の埃を払い落としなさい。
NIVIf anyone will not welcome you or listen to your words, shake the dust off your feet when you leave that home or town.
註解: 使徒たちを受けないで彼らによりて伝えられし教えを聴かないものは裁かれる。而してその裁きの激しきその地の土にまでも及ぶであろう。ゆえにこれをその足より払うべきである。又この方法によりて使徒らと彼らとの間に無関係なることを明示することができる(使13:51)。

10章15節 まことに(なんぢ)らに()ぐ、審判(さばき)()には、その(まち)よりもソドム、ゴモラの()のかた()(やす)からん。[引照]

口語訳あなたがたによく言っておく。さばきの日には、ソドム、ゴモラの地の方が、その町よりは耐えやすいであろう。
塚本訳アーメン、わたしは言う、(最後の)裁きの日には、あの(堕落町)ソドムやゴモラの地の方が、まだその町よりも罰が軽いであろう。
前田訳本当にいう、裁きの日にはソドムとゴモラの地のほうが、まだしもその町よりは凌ぎやすかろう。
新共同はっきり言っておく。裁きの日には、この町よりもソドムやゴモラの地の方が軽い罰で済む。」
NIVI tell you the truth, it will be more bearable for Sodom and Gomorrah on the day of judgment than for that town.
註解: アブラハムの時にソドムとゴモラ(ヨルダンの谷にあった繁華にして罪悪甚だしく行われし市。或は死海の南にあったという説もある)の二市が神の審判によって亡ぼされた。爾来(じらい)これを神の激しき裁きの例として用いている。
辞解
[審判の日] 最後の審判の日。

4-2-ハ 迫害と反対 10:16 - 10:23  

10章16節 ()よ、(われ)なんぢらを(つかは)すは、(ひつじ)豺狼(おほかみ)のなかに()るるが(ごと)し。この(ゆゑ)(へび)のごとく(さと)く、鴿(はと)のごとく素直(すなほ)なれ。[引照]

口語訳わたしがあなたがたをつかわすのは、羊をおおかみの中に送るようなものである。だから、へびのように賢く、はとのように素直であれ。
塚本訳いまわたしがあなた達を送り出すのは、羊を狼の中に入れるようなものだ。だから、蛇のように賢く、鳩のように純真であれ。
前田訳見よ、わたしがあなた方をつかわすのは羊を狼の中へも同然。それゆえ賢いこと蛇のよう、純なこと鳩のようであれ。
新共同「わたしはあなたがたを遣わす。それは、狼の群れに羊を送り込むようなものだ。だから、蛇のように賢く、鳩のように素直になりなさい。
NIVI am sending you out like sheep among wolves. Therefore be as shrewd as snakes and as innocent as doves.
註解: 伝道の困難は強者が力をもって弱者を征服するのではなく、弱者が愛をもって強者を征服する点に存する。ゆえに羊を豺狼(おおかみ)の中に遣わすようなものである。それゆえにイエスは悪魔の型であった蛇と聖霊の代表者であるはとの二者を、ここに持ち来り、弟子等はこの二性質を具うることを必要とすることを教え給うた。すなわちこの世は悪魔が支配しており、神の使いは蛇のごとき悪魔に攻撃せらる。それゆえにこれに対抗するには蛇のごとくに注意深く鋭敏迅速でなければならない。然らざればサタンの陰謀を見破ることができない(Uコリ2:11)。しかしながら一方悪魔のごとくに詭謀術数(きぼうじゅつすう)を用いることは神の使いの為すべきことではない。この点において使徒らははとのごとくに純真素朴無害でなければならない。17−23節はこの蛇とはととの両性質を応用したのである。この二性質を持合せる人としてイエス、パウロのごとき最も著しいものである。
辞解
[素直] 原語アケライオス akeraios 角(つの)なきことの意味であって、悪意を包蔵せず、人を害することなきはとのごとき性質を意味している。

10章17節 人々(ひとびと)(こころ)せよ、それは(なんぢ)らを衆議所(しゅうぎしょ)(わた)し、會堂(くわいだう)にて(むち)うたん。[引照]

口語訳人々に注意しなさい。彼らはあなたがたを衆議所に引き渡し、会堂でむち打つであろう。
塚本訳人々に気をゆるすな。あなた達を裁判所に引き渡し、礼拝堂で鞭打つからである。
前田訳人々に気をつけよ。彼らはあなた方を裁判所に引き渡し、彼らの会堂で鞭打とうから。
新共同人々を警戒しなさい。あなたがたは地方法院に引き渡され、会堂で鞭打たれるからである。
NIV"Be on your guard against men; they will hand you over to the local councils and flog you in their synagogues.
註解: 蛇が常に注意深く四方を見廻しているように、他の人々に注意を払わなければならぬ。何となれば彼らは汝らを法律的に又宗教的に迫害するからである。キリストの福音の宣伝えらるる処に常に迫害があるのは免れることができない。しかしながらキリストの御名のために責めらるるものは幸いである(Tペテ4:14。ヨハ15:20)。「衆議所」マタ5:22を見よ。

10章18節 また(なんぢ)()わが(ゆゑ)によりて、(つかさ)たち(わう)たちの(まへ)()かれん。これは(かれ)らと異邦人(いはうじん)とに(あかし)をなさん(ため)なり。[引照]

口語訳またあなたがたは、わたしのために長官たちや王たちの前に引き出されるであろう。それは、彼らと異邦人とに対してあかしをするためである。
塚本訳また、あなた達はわたし(の弟子であるが)ゆえに、総督や王の前に引き出されるであろう。これは、その人たちと異教人とに(福音を)証しする(機会を与えられる)ためである。
前田訳そしてわたしゆえに司や王たちへと連行されよう。それは彼らと異邦人への証のためである。
新共同また、わたしのために総督や王の前に引き出されて、彼らや異邦人に証しをすることになる。
NIVOn my account you will be brought before governors and kings as witnesses to them and to the Gentiles.
註解: あたかもキリストやパウロがユダヤ人のために司や王の前に曳かれしごとく、使徒らは皆かかる運命に遭うであろう。しかしながらこれによりて彼らの伝道が空しくなるのではなく、かえってこれが「彼ら」ユダヤ人と、「異邦人」すなわち王たち及びその周囲の人々に証しを与うるためである。キリスト者にとりてはすべてのことが伝道の機会となるのである。エペソ及びローマにおけるパウロがその例である。

10章19節 かれら(なんぢ)らを(わた)さば、如何(いか)(なに)()はんと(おも)(わづら)ふな、()ふべき(こと)は、その(とき)さづけらるべし。[引照]

口語訳彼らがあなたがたを引き渡したとき、何をどう言おうかと心配しないがよい。言うべきことは、その時に授けられるからである。
塚本訳人々があなた達を(裁判所や役人に)引き渡した時には、いかに、何を言おうかと心配するな。何を言うべきかは、その時に(神から)授かるのだから。
前田訳彼らがあなた方を引き渡すとき、いかにまたは何を語ろうと心配するな。語るべきことはそのときに授けられよう。
新共同引き渡されたときは、何をどう言おうかと心配してはならない。そのときには、言うべきことは教えられる。
NIVBut when they arrest you, do not worry about what to say or how to say it. At that time you will be given what to say,
註解: ここに使徒等がはとのごとくなるべきことを示している。すなわち司や王の前にて誤魔化して迫害を免れんとするごとき卑劣なる態度に出づべきではない。従っていかに答弁すべきかを思い煩う必要はない。他のすべての必要と同じくこれもその時に与えられる。ゆえにキリスト者はいかなる大困難、大迫害が臨んでも少しの思い煩いなしに活きることができる。

10章20節 これ()ふものは(なんぢ)()にあらず、()(うち)にありて()ひたまふ(なんぢ)らの(ちち)(れい)なり。[引照]

口語訳語る者は、あなたがたではなく、あなたがたの中にあって語る父の霊である。
塚本訳言うのはあなた達でなく、父上の霊があなた達によって言われるのである。
前田訳語るのはあなた方でなく、あなた方のうちに語る父の霊である。
新共同実は、話すのはあなたがたではなく、あなたがたの中で語ってくださる、父の霊である。
NIVfor it will not be you speaking, but the Spirit of your Father speaking through you.
註解: 思い煩わずにすべてを父に任せ奉る時、父の霊は汝らの心に宿って汝らをして語らしめ給う、ゆえに常に最も正しき言を最も適切なる時に発することができる。キリスト者は常にかくあるべきである。

10章21節 兄弟(きゃうだい)兄弟(きゃうだい)を、(ちち)()()(わた)し、()どもは(おや)(さから)ひて(これ)()なしめん。[引照]

口語訳兄弟は兄弟を、父は子を殺すために渡し、また子は親に逆らって立ち、彼らを殺させるであろう。
塚本訳また兄弟は兄弟を、父は子を、殺すために(裁判所に)引き渡し、“子は親にさからい立って”これを殺すであろう。
前田訳兄弟は兄弟を、父は子を死に渡そう、子は親にそむいて彼らを殺そう。
新共同兄弟は兄弟を、父は子を死に追いやり、子は親に反抗して殺すだろう。
NIV"Brother will betray brother to death, and a father his child; children will rebel against their parents and have them put to death.
註解: 宗教的熱狂を有(も)っていたユダヤ人は、異論迫害のためには親子兄弟の情をすら犠牲にした。悪魔がキリスト者を迫害する時は、その最も近き血族を動かしてこれを為さしめる場合が多い。

10章22節 (また)なんぢら()()のために(すべ)ての(ひと)(にく)まれん。されど(をはり)まで()(しの)ぶものは(すく)はるべし。[引照]

口語訳またあなたがたは、わたしの名のゆえにすべての人に憎まれるであろう。しかし、最後まで耐え忍ぶ者は救われる。
塚本訳あなた達はわたしの弟子であるために皆から憎まれる。しかし最後まで耐え忍ぶ者は救われる。
前田訳あなた方はわが名のゆえに皆から憎まれよう。しかし終わりまで耐える人、彼こそ救われよう。
新共同また、わたしの名のために、あなたがたはすべての人に憎まれる。しかし、最後まで耐え忍ぶ者は救われる。
NIVAll men will hate you because of me, but he who stands firm to the end will be saved.
註解: キリストの御名に入れられ彼を信ずることは実に苦痛である。父母兄弟に逆らうのみならずすべての人に憎まるるのが常である(マタ5:11)。されど「終りまで」すなわち最後の審判の日、キリストの再臨の日まで忍ぶ者は救われ、その以前にキリストに逆らう者は滅ぶる。

10章23節 この(まち)にて()めらるる(とき)は、かの(まち)(のが)れよ。(まこと)(なんぢ)らに()ぐ、なんぢらイスラエルの町々(まちまち)(めぐ)(つく)さぬうちに(ひと)()(きた)るべし。[引照]

口語訳一つの町で迫害されたなら、他の町へ逃げなさい。よく言っておく。あなたがたがイスラエルの町々を回り終らないうちに、人の子は来るであろう。
塚本訳この町で迫害された時には、次の町に逃げてゆけ。アーメン、わたしは言う、人の子(わたし)は(すぐに)、あなた達がイスラエル人の町々を回りつくさぬうちに来るのだから。
前田訳その町で迫害されれば別の町にのがれよ。本当にわたしはいう、あなた方がイスラエルの町々をめぐりつくさぬうちに人の子は来よう。
新共同一つの町で迫害されたときは、他の町へ逃げて行きなさい。はっきり言っておく。あなたがたがイスラエルの町を回り終わらないうちに、人の子は来る。
NIVWhen you are persecuted in one place, flee to another. I tell you the truth, you will not finish going through the cities of Israel before the Son of Man comes.
註解: 福音を受けずして使徒を迫害する町に永く留まるは無益のことである(マタ7:6)のみならず、キリストの再臨は非常に接近しているゆえに直ちに他の町に逃れよ、然らざればイスラエルの町々に福音が行き渡らないようになる恐れがある。この一節は難解の箇所である「付記」を参照すべし。▲この主の教えと比較して今日の伝道はあまりにも安易である。それだけ聖霊の力が弱ったことの証拠であろう。すなわち真理を割引きなしに述べることをしないからである。
要義 [迫害に対する態度]自己の愚かさのために無益に迫害にその身をさらしてはならない。パウロはその目的のためにエルサレムにおいてヤコブ等の薦めに従い誓願のものに剃髪せしめた。しかしながら同時に迫害に遭った場合には、キリストが常に己と共に在し給うものとして、思い煩うことなく、恐るることなく、率直に無邪気に振舞わなければならない。ピラトの前のイエス、アグリッパ王の前のパウロの態度のごときそれである。かつてパリにおいてカルビン派の信徒が迫害せられし時、彼らは国王に呈せんとする請願状を認めてこれをカルビンに示し、彼の訂正又は注意を乞わんとした時、カルビンはマタイ10:20に従い信仰的返答を彼らに与えた。曰く「予は諸君の希望に添うことができない。何となれば神はその御霊を諸君に与えて、御霊が諸君を通して為すことに大なる祝福を与え給うのであって、他人の助言のごときは価値ないものであるからである。予は諸君の告白を読み、これによりて教えられしことを悦ぶものではあるが、予は一言もこれに加うることを欲しない、何となればこれはその中に力となり智慧となって、明らかに顕われている聖霊の力と火の幾分を失うことになるからである」と。これが我らの迫害に対する態度でなければならない。
附記 [再臨の時期について]「なんぢらイスラエルの町々を巡り盡さぬうちに人の子は来るべし」なる一節は種々の問題を提出している。第一にこれは最後の審判のために、イエスが再臨し給う時を意味したのであろうか、もし然りとすればイエスにはこの点につき違算があったこととなる。何となれば最後の審判は使徒の生存中に行われなかったからである。第二に24:36の再臨の時期については、神の子もこれを知らないことをイエスは明言し給うのを見れば、果してこれが10:23と矛盾しないかどうかの問題が起って来る。これらの問題を解決せんがためには、福音書に示されし再臨の状態に関する記事(24。マコ13。ルカ21等)をいかに見るべきかについてマタイ24章の要義参照。この見方に従えば10:23の場合はキリストの再臨の型としてのこのエルサレムの陥落の預言をいったものであろうと解すべきであろう。

4-2-ニ 主と運命を共にすべき事 10:24 - 10:33
(ルカ12:2-9)   

10章24節 弟子(でし)はその()にまさらず、(しもべ)はその(しゅ)にまさらず、[引照]

口語訳弟子はその師以上のものではなく、僕はその主人以上の者ではない。
塚本訳弟子は先生以上でなく、僕は主人以上ではない。(だからあなた達が迫害されるのは当り前である。)
前田訳弟子は師にまさらず、僕は主人にまさらない。
新共同弟子は師にまさるものではなく、僕は主人にまさるものではない。
NIV"A student is not above his teacher, nor a servant above his master.

10章25節 弟子(でし)はその()のごとく、(しもべ)はその(しゅ)(ごと)くならば()れり。[引照]

口語訳弟子がその師のようであり、僕がその主人のようであれば、それで十分である。もし家の主人がベルゼブルと言われるならば、その家の者どもはなおさら、どんなにか悪く言われることであろう。
塚本訳弟子は先生のよう、僕は主人のようであれば、それで満足すべきである。家の主人(たるわたし)が(悪鬼の頭)ベルゼブルと(悪口を)言われたのだから、その家族(たるあなた達)はなおさらのことである。
前田訳弟子は師に、僕は主人にひとしくなれば十分。家長がベルゼブルと呼ばれるなら、家族はなおさらである。
新共同弟子は師のように、僕は主人のようになれば、それで十分である。家の主人がベルゼブルと言われるのなら、その家族の者はもっとひどく言われることだろう。」
NIVIt is enough for the student to be like his teacher, and the servant like his master. If the head of the house has been called Beelzebub, how much more the members of his household!
註解: 極めて普遍的なる事実である。これやがて使徒等の遭遇すべき運命を告ぐる際に彼らを驚かせないために、キリストは予めこれを彼らに告げ給うた。

もし家主(いへあるじ)をベルゼブルと()びたらんには、ましてその(いへ)(もの)をや。

註解: キリストは自身を家主に弟子を家族に譬え、自身ベルゼブル(悪魔の頭(かしら)の名)と称せられし程であれば(12:24。9:34)弟子も人々にかく呼ばれることは驚くに足らないことを教え給うた。
辞解
[ベルゼブル] 語義については種々の説がある。恐らくバール・ゼブール(家主)より転じて悪魔の首を呼ぶようになったのであろう。

10章26節 この(ゆゑ)に、(かれ)らを(おそ)るな。(おほ)はれたるものに(あらは)れぬはなく、(かく)れたるものに()られぬは()ければなり。[引照]

口語訳だから彼らを恐れるな。おおわれたもので、現れてこないものはなく、隠れているもので、知られてこないものはない。
塚本訳だから彼らを恐れるな、(すべてはじきに明らかになるであろう。)覆われているものであらわされないものはなく、隠れているもので(人に)知られないものはないからである。
前田訳それゆえ彼らをおそれるな。包まれたもので現われぬはなく、隠れたもので知られぬはない。
新共同「人々を恐れてはならない。覆われているもので現されないものはなく、隠されているもので知られずに済むものはないからである。
NIV"So do not be afraid of them. There is nothing concealed that will not be disclosed, or hidden that will not be made known.

10章27節 暗黒(くらき)にて()()ぐることを光明(ひかり)にて()へ。(みみ)をあてて()くことを()(うへ)にて()べよ。[引照]

口語訳わたしが暗やみであなたがたに話すことを、明るみで言え。耳にささやかれたことを、屋根の上で言いひろめよ。
塚本訳わたしが暗闇で(こっそり)話すことを、(大胆に)明るみで言え。耳うちされたことを屋根の上で宣伝せよ。
前田訳わたしが闇の中で話すことを光の中でいえ。耳うちされたことを屋上でのべよ。
新共同わたしが暗闇であなたがたに言うことを、明るみで言いなさい。耳打ちされたことを、屋根の上で言い広めなさい。
NIVWhat I tell you in the dark, speak in the daylight; what is whispered in your ear, proclaim from the roofs.
註解: 世の非難悪口を懼(おそ)れずにイエスより学びし福音を公表し、イエスに対する信仰を一般に向って告白しなければならない。この公表を懼(おそ)れるのは、自己に対する非難を懼(おそ)れるからである。
辞解
[屋の上] パレスチナ地方の家屋の屋根は扁平であ、その上に歩むことも談話することもできる。今のルーフガーデンのごとし。

10章28節 ()(ころ)して靈魂(たましひ)をころし()(もの)どもを(おそ)るな、()靈魂(たましひ)とをゲヘナにて(ほろぼ)()(もの)をおそれよ。[引照]

口語訳また、からだを殺しても、魂を殺すことのできない者どもを恐れるな。むしろ、からだも魂も地獄で滅ぼす力のあるかたを恐れなさい。
塚本訳体を殺しても、魂を殺すことの出来ない者を恐れることはない。ただ、魂も体も地獄で滅ぼすことの出来るお方を恐れよ。
前田訳体を殺して魂を殺しえぬものをおそれるな。むしろ、ゲヘナで魂も体も殺せるものをおそれよ。
新共同体は殺しても、魂を殺すことのできない者どもを恐れるな。むしろ、魂も体も地獄で滅ぼすことのできる方を恐れなさい。
NIVDo not be afraid of those who kill the body but cannot kill the soul. Rather, be afraid of the One who can destroy both soul and body in hell.
註解: 人は他人の身体を殺すことができてもその霊魂を殺すことができない、唯神のみこの二者をゲヘナに滅ぼすことができる。「神を懼(おそ)るる者は神以外の何物をも恐れず。神を畏れない者は神以外のすべてのものを恐れる」(B1)。

10章29節 ()()(すずめ)一錢(いっせん)にて()るにあらずや、(しか)るに、(なんぢ)らの(ちち)(もと)なくば、その(いち)()()()つること()からん。[引照]

口語訳二羽のすずめは一アサリオンで売られているではないか。しかもあなたがたの父の許しがなければ、その一羽も地に落ちることはない。
塚本訳雀は二羽一アサリオン(三十円)で売っているではないか。しかしその一羽でも、あなた達の父上のお許しなしには地に落ちないのである。
前田訳雀は二羽一アサリオンで売られるではないか。しかしその一羽もあなた方の父のゆるしなしには地に落ちない。
新共同二羽の雀が一アサリオンで売られているではないか。だが、その一羽さえ、あなたがたの父のお許しがなければ、地に落ちることはない。
NIVAre not two sparrows sold for a penny ? Yet not one of them will fall to the ground apart from the will of your Father.
註解: いかに無価値な生命すら、皆神の支配の下にあることは驚くべき事実である。これを思う時、我らの生命の貴重さと、またこれを神に托するものの平安とを味わうことができる。

10章30節 (なんぢ)らの(かしら)(かみ)までも(みな)かぞへらる。[引照]

口語訳またあなたがたの頭の毛までも、みな数えられている。
塚本訳ことにあなた達は、髪の毛までも一本一本数えられている。
前田訳あなた方の頭の髪さえもすべて数えられている。
新共同あなたがたの髪の毛までも一本残らず数えられている。
NIVAnd even the very hairs of your head are all numbered.

10章31節 この(ゆゑ)におそるな、(なんぢ)らは(おほ)くの(すずめ)よりも(すぐ)るるなり。[引照]

口語訳それだから、恐れることはない。あなたがたは多くのすずめよりも、まさった者である。
塚本訳だから恐れることはない。多くの雀よりもあなた達は大切である。
前田訳それゆえおそれるな。あなた方は多くの雀よりまさっている。
新共同だから、恐れるな。あなたがたは、たくさんの雀よりもはるかにまさっている。」
NIVSo don't be afraid; you are worth more than many sparrows.
註解: 啻(ただ)に我らの生命が神の御手にあるのみならず、人間として何人もこれを為すことができない程、すなわち我が頭髪をすら数え給う程我らの全身の事柄をも注意し給う。かかる深き注意をもって我らを護(まも)り給う神在(いま)せば我らは全く懼るる必要がない。

10章32節 されど(おほよ)(ひと)(まへ)にて(われ)()ひあらはす(もの)を、(われ)もまた(てん)にいます()(ちち)(まへ)にて()(あらは)さん。[引照]

口語訳だから人の前でわたしを受けいれる者を、わたしもまた、天にいますわたしの父の前で受けいれるであろう。
塚本訳それだから(恐れずに説け。)だれでも人の前で(公然)わたしを(主と)告白するものを、わたしも(裁きの日に)、わたしの天の父上の前で(弟子として)認める。
前田訳だれでもわたしを人々の前で認めるものはわたしも天にいます父の前で認めよう。
新共同「だから、だれでも人々の前で自分をわたしの仲間であると言い表す者は、わたしも天の父の前で、その人をわたしの仲間であると言い表す。
NIV"Whoever acknowledges me before men, I will also acknowledge him before my Father in heaven.

10章33節 されど(ひと)(まへ)にて(われ)(いな)(もの)を、(われ)もまた(てん)にいます()(ちち)(まへ)にて(いな)まん。[引照]

口語訳しかし、人の前でわたしを拒む者を、わたしも天にいますわたしの父の前で拒むであろう。
塚本訳しかしだれでも人の前でわたしを否定する者を、わたしも天の父上の前で否認するであろう。
前田訳だれでもわたしを人々の前で否むものはわたしも天にいます父の前で否もう。
新共同しかし、人々の前でわたしを知らないと言う者は、わたしも天の父の前で、その人を知らないと言う。」
NIVBut whoever disowns me before men, I will disown him before my Father in heaven.
註解: 人の前にてキリストに対する信仰を告白することのできない人は真に神を信じていない人である。何となればもし神を信じているならば人の非難、迫害を懼(おそ)れないはずであり、従って大胆にキリストに対する信仰を告白することができるはずである。ゆえにたとい種々の理由あるにしても、人の前でこの信仰を告白することのできない人の心の中には、必ずこの恐怖心が存しているのであって、かかる人をイエスは天の父の前にて否(いな)むより外にないのである。我らはイエスに対する信仰を告白することによって世の非難を受けるであろう、しかし弟子はその主のごとくであれば足るのである。
辞解
[父の前にて] キリストは父の前にありて我らを執成し給う、ゆえにキリストに否まるることは父の前に執成を受くることができないことを意味する。
要義 [信仰を大胆に告白すべきこと]自己の信仰を告白することを懼れているキリスト者がある。かかかるキリスト者は身を殺して霊魂を殺し得ざる人間を懼れているのであって神を畏るる心がない。それゆえに彼らは遂にその信仰を失ってしまうのみならず、キリストすら彼らを父の前に否み給うより外にない。日本のごとき異教国においてはキリストに対する信仰を告白することによりて得る処なく、失う処が多い。それゆえに自然これを告白することを躊躇するに至るのである。しかしながら永遠の国において父なる神に受入れられないことと、一時的のこの世において、世の人々に受入れられないこととの間には大なる差異があるのであって、キリスト者はキリストと同じくこの世においてはベルゼブルと呼ばれ、迫害を受けつつも神の国において、永遠に生くべきものであることを思わなければならない。もしパウロのごとくキリストのためにすべてを失っても尚益なりと思うならば、その信仰を大胆に告白することを得るに至るであろう。

4-2-ホ 地に剣を投ぜんがため 10:34 - 10:39
(ルカ12:51-53)   

10章34節 われ()平和(へいわ)(とう)ぜんために(きた)れりと(おも)ふな。平和(へいわ)にあらず、(かへ)つて(つるぎ)(とう)ぜん(ため)(きた)れり。[引照]

口語訳地上に平和をもたらすために、わたしがきたと思うな。平和ではなく、つるぎを投げ込むためにきたのである。
塚本訳地上に平和をもたらすためにわたしが来た、などと考えてはならない。平和ではない、剣を、(戦いを)もたらすために来たのである。
前田訳わたしが来たのは地に平和をもたらすためとあなた方は思うな。わたしが来たのは平和をではなく剣をもたらすためである。
新共同「わたしが来たのは地上に平和をもたらすためだ、と思ってはならない。平和ではなく、剣をもたらすために来たのだ。
NIV"Do not suppose that I have come to bring peace to the earth. I did not come to bring peace, but a sword.
註解: イエスは福音の反撥的性質を知り給うた。福音の及ぶ処必ず反対の起ることは免れない処であった。蓋(けだ)し悪魔の全力を尽くして滅ぼさんとするものはこの福音だからである。それゆえにもし平和を得んがために世と妥協して福音の本色を失ってしまうならば、キリストこの世に来り給える目的に叶わない、ゆえにイエスは弟子等がかかる妥協によりてその伝道の特色を失わんことを懼(おそ)れ、「却って劍を投ぜん為」すなわち争闘を起さんがために来れることを告げ給うた。濫(みだ)りに争闘を事とすべしというのではない、福音の上に立ちて妥協すべからずというのである。

10章35節 それ()(きた)れるは、(ひと)をその(ちち)より、(むすめ)をその(はは)より、(よめ)をその(しゅうとめ)より(わか)たん(ため)なり。[引照]

口語訳わたしがきたのは、人をその父と、娘をその母と、嫁をそのしゅうとめと仲たがいさせるためである。
塚本訳わたしは子を“その父と、娘を母と、嫁を姑と”仲違いさせるために来たのだから。
前田訳わたしが来たのは、人を父から、娘を母から、嫁を姑から離すためである。
新共同わたしは敵対させるために来たからである。人をその父に、/娘を母に、/嫁をしゅうとめに。
NIVFor I have come to turn "`a man against his father, a daughter against her mother, a daughter-in-law against her mother-in-law--
註解: キリストは一家の団欒を破らんがために来り給えるごとくに見え、多くの誤解を引起した一節である。愛をもってすべてを貫くことを本旨(ほんし)とするキリスト教になぜにかかる教訓があるかを怪しむであろう。しかしながらこれキリストに対する信仰の絶対性を示したのであって、この信仰こそ使徒は勿論万人がすべてを捨てても有(も)たなければならないものであって、この信仰を妨げるものは、たとい人間のもっとも大切なる最も親しき肉身の関係すらも、これを犠牲にしなければならないことを示したのである。もしキリストを信ずること以外の理由をもって父母兄弟相分かるるに至るならば、これ決してキリストの心ではない。

10章36節 (ひと)(あた)はその(いへ)(もの)なるべし。[引照]

口語訳そして家の者が、その人の敵となるであろう。
塚本訳“家族が自分の敵となろう。”
前田訳人の敵はおのが家人である。
新共同こうして、自分の家族の者が敵となる。
NIVa man's enemies will be the members of his own household.'
註解: 何となれば最も関係の近く愛の深き者は、かえって最も激しく福音に反対することは有り得ることである。

10章37節 (われ)よりも(ちち)または(はは)(あい)する(もの)は、(われ)相應(ふさは)しからず。(われ)よりも息子(むすこ)または(むすめ)(あい)する(もの)は、(われ)相應(ふさは)しからず。[引照]

口語訳わたしよりも父または母を愛する者は、わたしにふさわしくない。わたしよりもむすこや娘を愛する者は、わたしにふさわしくない。
塚本訳わたしよりも父や母を愛する者は、わたし(の弟子たる)に適しない。わたしよりも息子や娘を愛する者は、わたし(の弟子たる)に適しない。
前田訳父や母をわたし以上に愛するものはわたしにふさわない。むすこや娘をわたし以上に愛するものは、わたしにふさわない。
新共同わたしよりも父や母を愛する者は、わたしにふさわしくない。わたしよりも息子や娘を愛する者も、わたしにふさわしくない。
NIV"Anyone who loves his father or mother more than me is not worthy of me; anyone who loves his son or daughter more than me is not worthy of me;
註解: キリストに対する愛は絶対の愛でなければならぬ。キリストに対する服従は絶対の服従でなければならぬ。家族に対する愛のごとき愛、又はその以下の愛をもって彼に対する者はキリストを信ずる者ということができない。しかしながらキリストを最も多く愛することによりてかえって真の意味において父母、息子、息女をも最も多く愛することになるのである。

10章38節 (また)おのが十字架(じふじか)をとりて(われ)(したが)はぬ(もの)は、(われ)相應(ふさは)しからず。[引照]

口語訳また自分の十字架をとってわたしに従ってこない者はわたしにふさわしくない。
塚本訳また自分の十字架を取ってわたしのあとに従わない者は、わたし(の弟子たる)に適しない。
前田訳おのが十字架を受け取ってわたしに従わないものは、わたしにふさわない。
新共同また、自分の十字架を担ってわたしに従わない者は、わたしにふさわしくない。
NIVand anyone who does not take his cross and follow me is not worthy of me.
註解: 父母兄弟のみならず自己より以上にキリストを愛し、彼のために彼と同じくすべての快楽を棄て、すべての苦難を身に負うて、彼の足跡に従い、彼のごとくに歩むものにあらざれば、キリストに相応しい者ではない。
辞解
[己が十字架を取りて我に従う] ローマの処刑法として十字架の礫刑を用い、その犯人をして刑場まで十字架を負わしむる習慣があった。ゆえにこの語はすでに死刑を宣告せられて刑場に赴く人のごとくこの世のすべての名誉と慾望とを放棄すること、そして最大の苦難を身に負うことを意味する。

10章39節 生命(いのち)()(もの)はこれを(うしな)ひ、()がために生命(いのち)(うしな)(もの)はこれを()べし。[引照]

口語訳自分の命を得ている者はそれを失い、わたしのために自分の命を失っている者は、それを得るであろう。
塚本訳(十字架を避けてこの世の)命を得る者は(永遠の)命を失い、わたしのために(この世の)命を失う者は、(永遠の)命を得るであろう。
前田訳おのがいのちを得るものはそれを失い、わたしゆえにおのがいのちを失うものはそれを得よう。
新共同自分の命を得ようとする者は、それを失い、わたしのために命を失う者は、かえってそれを得るのである。」
NIVWhoever finds his life will lose it, and whoever loses his life for my sake will find it.
註解: 人は自己の快楽、名誉、家庭の幸福等を最上のものとして要求する。然るにキリストはこれらを得る者は生命を失い、反対にこれらをすべて棄て去って、己の十字架を負う者こそ、その生命を見出す者であることを教え給うた。ゆえにキリスト者はこの世の人の思いとは正反対に、彼らの求むるすべての幸福を棄て、彼らが最高の道徳と思惟(しい)する孝悌(こうてい)よりも以上にキリストを愛することが必要である。これによりて始めて真の幸福と真の道徳とに達することができるのである。
要義 [キリスト教は不孝を教うるや]孝道を至上の道徳として教えられし日本人にとって、この数節(34−37)は強い反感を与うることは自然である。又この数節をキリスト教道徳攻撃の材料に利用する人も少なくはない。しかしながらキリストはこれによりて孝道(モーセの十戒の第五誡に厳然として教えられている)を否定したのでなことは勿論であって、いかなる正義(道徳)もいかなる愛もキリストを離れて無価値であること、而してかかる偽りの正義とかかる愛とに向って戦いを挑むべきこと、要するに父母に対し子女に対する愛情すらも、キリストに対する愛の妨害となるべきではなく、これに従属すべきものであることを示し給うたのである。孝道を最も強調せし孔子すらも、弟子が「父の命に従うを孝と謂うべきか」と問えるに対し、非常に驚き「参是れ何をか云う、是何をか云う、言の通ぜざるか」と嘆息し父にも争子(そうし)あることを必要とした。キリストに従うことに反対する家族に対して、かかる態度を取るべきことをキリストは教え給うたのである。

4-2-ヘ 弟子を受納るる者の幸福 10:40 - 10:42  

10章40節 (なんぢ)らを()くる(もの)は、(われ)()くるなり。(われ)をうくる(もの)は、(われ)(つかは)(たま)ひし(もの)()くるなり。[引照]

口語訳あなたがたを受けいれる者は、わたしを受けいれるのである。わたしを受けいれる者は、わたしをおつかわしになったかたを受けいれるのである。
塚本訳あなた達を迎える者は、わたしを迎えてくれるのであり、わたしを迎える者は、わたしを遣わされた方をお迎えするのである。
前田訳あなた方を迎えるものはわたしを迎え、わたしを迎えるものはわたしをつかわされた方を迎える。
新共同「あなたがたを受け入れる人は、わたしを受け入れ、わたしを受け入れる人は、わたしを遣わされた方を受け入れるのである。
NIV"He who receives you receives me, and he who receives me receives the one who sent me.
註解: 父なる神の御心はキリストの中に宿り、キリストの御心はその弟子と共に在(あ)りて離れ給わない。ゆえに使徒等を受入れることはすなわちキリストを受け、神を受くることである。単にかく見做(みな)さるるというのではなく事実そうであるというのである。これを見て弟子たちを拒む者の不幸に引きかえこれを受くる者の幸福を思うことができる。

10章41節 預言者(よげんしゃ)たる()(ゆゑ)預言者(よげんしゃ)をうくる(もの)は、預言者(よげんしゃ)(むくい)をうけ、義人(ぎじん)たる()のゆゑに義人(ぎじん)をうくる(もの)は、義人(ぎじん)(むくい)()くべし。[引照]

口語訳預言者の名のゆえに預言者を受けいれる者は、預言者の報いを受け、義人の名のゆえに義人を受けいれる者は、義人の報いを受けるであろう。
塚本訳預言者を預言者として迎える者は、預言者と同じ褒美を戴き、義人を義人として迎える者は、義人と同じ褒美を戴くであろう。
前田訳預言者を預言者として迎えるものは預言者としての報いを受けよう。義人を義人として迎えるものは義人としての報いを受けよう。
新共同預言者を預言者として受け入れる人は、預言者と同じ報いを受け、正しい者を正しい者として受け入れる人は、正しい者と同じ報いを受ける。
NIVAnyone who receives a prophet because he is a prophet will receive a prophet's reward, and anyone who receives a righteous man because he is a righteous man will receive a righteous man's reward.
註解: 神の御心を語る者(預言者)、及びこれを行う者(義人)をかかる者と知りて(名の故に)受くる者はたとい自己は未だ弱いキリスト者であっても、預言者義人と同じ報いを得るのである(20:9)。而して使徒らはかかる預言者と義人とを兼ねた者であった。彼らを受くる者は実に幸いである。

10章42節 (おほよ)そわが弟子(でし)たる()(ゆゑ)に、この(ちひさ)(もの)一人(ひとり)(ひやや)かなる(みづ)一杯(いっぱい)にても(あた)ふる(もの)は、まことに(なんぢ)らに()ぐ、(かなら)ずその(むくい)(うしな)はざるべし』[引照]

口語訳わたしの弟子であるという名のゆえに、この小さい者のひとりに冷たい水一杯でも飲ませてくれる者は、よく言っておくが、決してその報いからもれることはない」。
塚本訳また(わたしの)弟子としてこの一人の小さな者に一杯の冷たい水でも飲ませる者は、アーメン、わたしは言う、(天にて)その褒美にもれることはない。」
前田訳そして、これら小さいもののひとりに弟子として冷たい水一杯を飲ませるものは、本当にいう、決して相応な報いにもれまい」。
新共同はっきり言っておく。わたしの弟子だという理由で、この小さな者の一人に、冷たい水一杯でも飲ませてくれる人は、必ずその報いを受ける。」
NIVAnd if anyone gives even a cup of cold water to one of these little ones because he is my disciple, I tell you the truth, he will certainly not lose his reward."
註解: キリストの弟子であることを知って彼らの一人(弟子等は当時の世界において取るに足らない微賎[びせん]の匹夫[ひっぷ]であった)に冷水一杯を与える者、すなわち無料にて手近に為し得る親切を行う者は、確かにキリストは終りの日にこれに報いを与え給うであろう。▲ある人のイエスの弟子たる者に対する態度はそのままその人に返って来るという意味である。
要義 [伝道者に対する態度]この世における王侯貴族のごとく大なる者は、人皆これに仕え、これより報いを得んとしているけれども、福音の伝道者はこの世における小なる者であって、何人もこれを受くることを欲せず、又これを受くることによりて報いを期待しない。然るに神の国においてはこれと異なり、かかる小なる者にかえってキリストの愛が特に注がれているのであって、かかる者を受くる者こそ、その報いを受けることができるのである。この御言がこの世において塵芥のごとくに取扱わるる弟子らにとっていかに慰めの多き御言であったろうか。又かかる弟子らを受くる者にとっていかに大きい希望であったろうか。