黒崎幸吉著 註解新約聖書 Web版マタイ伝

マタイ伝第18章

分類
7 天国の民 18:1 - 18:35
7-1 祝福せらるる幼児 18:1 - 1:14
(マコ9:33-48)(ルカ9:47-50) 

18章1節 そのとき弟子(でし)たちイエスに(きた)りて()ふ『しからば天國(てんこく)にて(おほい)なるは(たれ)か』[引照]

口語訳そのとき、弟子たちがイエスのもとにきて言った、「いったい、天国ではだれがいちばん偉いのですか」。
塚本訳その時、弟子たちがイエスの所に来て、「ではいったい(われわれのうちの)だれが天の国で一番えらいのですか」とたずねた。
前田訳そのとき弟子たちがイエスのところに来ていった、「天国で最大なのはだれですか」と。
新共同そのとき、弟子たちがイエスのところに来て、「いったいだれが、天の国でいちばん偉いのでしょうか」と言った。
NIVAt that time the disciples came to Jesus and asked, "Who is the greatest in the kingdom of heaven?"
註解: 変貌の山において三人の弟子が特に伴われ、納金を納むる場合にペテロがイエスと共同に奇跡的に得し金をもって納金せる等の事実あり、他方イエスの死の近付いたを見て、弟子たちの心の中にこの疑問が起って来た。「しからば」は「事情かくの如くであるならば」との意味である。ここに弟子たちが如何に天国の名誉や地位を求めていたかがわかる。

18章2節 イエス幼兒(をさなご)()び、(かれ)らの(うち)()きて()(たま)[引照]

口語訳すると、イエスは幼な子を呼び寄せ、彼らのまん中に立たせて言われた、
塚本訳イエスはひとりの子供を呼びよせ、彼らの真中に立たせて
前田訳するとひとりの子どもを呼んで彼らの間に置いていわれた、
新共同そこで、イエスは一人の子供を呼び寄せ、彼らの中に立たせて、
NIVHe called a little child and had him stand among them.

18章3節 『まことに(なんぢ)らに()ぐ、もし(なんぢ)(ひるが)へりて幼兒(をさなご)(ごと)くならずば、天國(てんこく)()るを()じ。[引照]

口語訳「よく聞きなさい。心をいれかえて幼な子のようにならなければ、天国にはいることはできないであろう。
塚本訳言われた、「アーメン、わたしは言う、あなた達は生まれかわって子供のように(小さく)ならなければ、決して天の国に入ることはできない。
前田訳「本当にいう、転身して子どものようにならなければ天国には入れない。
新共同言われた。「はっきり言っておく。心を入れ替えて子供のようにならなければ、決して天の国に入ることはできない。
NIVAnd he said: "I tell you the truth, unless you change and become like little children, you will never enter the kingdom of heaven.

18章4節 されば(たれ)にても()幼兒(をさなご)のごとく(おのれ)(ひく)うする(もの)は、これ天國(てんこく)にて(おほい)なる(もの)なり。[引照]

口語訳この幼な子のように自分を低くする者が、天国でいちばん偉いのである。
塚本訳だから、この子供のように自分を低くする者、それが天の国では一番えらい人である。
前田訳この子のように自らへりくだるものこそ天国で最大である。
新共同自分を低くして、この子供のようになる人が、天の国でいちばん偉いのだ。
NIVTherefore, whoever humbles himself like this child is the greatest in the kingdom of heaven.
註解: 神の国における神と人との関係は、本質的に愛の関係である。神に愛されることが人間最大の幸福である。人間の地位や功績の大小は、天国における価値の大小ではない。弟子たちの心の中を見透し給えるイエスは彼らの倨倣(たかぶり)を誡めんとし給い、而してこれと同時に神の愛はかかる者に注がれずして幼児のごとき者に注がるることを示し給うた。「幼児のごとく」天真爛漫で、率直で、謙虚で、信頼の心に満ちている者にあらざれば天国に入ることすらできない。况(ま)して天国において大なる者となるがごときは思いもよらざる事柄である。天国において大ならんとせばこの幼児のごとく謙虚なる心にならなければならない。ゆえに弟子たちのごとく自らを高しとする者は翻って(方向を一転して)この幼児のごとくにならなければならない。ここにイエスは幼児に対する親の深き慈愛を例として、天の父が謙卑(へりくだ)る者に対する愛を表示し給うた。まことに幼児がその母に対する信愛の情と謙卑従順の態度ほど信者の神に対する態度の模範として適切なるはない。

18章5節 また()()のために、かくのごとき一人(ひとり)幼兒(をさなご)()くる(もの)は、(われ)()くるなり。[引照]

口語訳また、だれでも、このようなひとりの幼な子を、わたしの名のゆえに受けいれる者は、わたしを受けいれるのである。
塚本訳またわたしの名を信ずるこんな一人の子供を迎える者は、わたしを迎えてくれるのである。
前田訳わが名のゆえにこのような子ひとりを受けるものはわたしを受ける。
新共同わたしの名のためにこのような一人の子供を受け入れる者は、わたしを受け入れるのである。」
NIV"And whoever welcomes a little child like this in my name welcomes me.
註解: 弱き卑りたる一人の信仰の幼児にはイエスの全愛が集注せられている。それゆえにもし人、かかる幼児をイエスの名のために、すなわちイエスを信ずる者たる理由のために(マコ9:42)愛をもって受入れるならば、それはイエス御自身を受入れたのである。何となればこの信仰の幼児の中にイエスが宿り給うがゆえである。イエスがかくまでも幼児たる弱き信者を愛し給う以上、我らも同じ愛をもってかかる人々を愛しこれを受入れなければならない。

18章6節 されど(われ)(しん)ずる()(ちひさ)(もの)一人(ひとり)(つまづ)かする(もの)は、(むし)(おほい)なる碾臼(ひきうす)(くび)()けられ、(うみ)深處(ふかみ)(しづ)められんかた(えき)なり。[引照]

口語訳しかし、わたしを信ずるこれらの小さい者のひとりをつまずかせる者は、大きなひきうすを首にかけられて海の深みに沈められる方が、その人の益になる。
塚本訳しかしわたしを信ずるこの小さな者を一人でも罪にいざなう者は、大きな挽臼を頚にかけられて深い海に沈められる方が得である。
前田訳わたしを信ずるこれら小さい人のひとりをつまずかせるものは、臼を首にかけて海の深みにおぼれた方がいい。
新共同「しかし、わたしを信じるこれらの小さな者の一人をつまずかせる者は、大きな石臼を首に懸けられて、深い海に沈められる方がましである。
NIVBut if anyone causes one of these little ones who believe in me to sin, it would be better for him to have a large millstone hung around his neck and to be drowned in the depths of the sea.
註解: 「躓かする」ことは「受くる」ことの反対であって小さきものの信仰とその歩みの前に躓きの石を置くことである。すなわちかかる者を誘い、又は迫害し、又は信仰を失わしめんとするごとき行為を為すことである。かかる者に対してイエスはその満腔の悲憤を吐露し給うた。ゆえに弱き一人のキリスト者を愛せずしてこれを躓かする者は最も重き罪人であって、最も重き神の刑罰に値している者である。これあたかも人間の場合において、嬰児に対し残虐なる行為を為すものは最も残忍性の甚だしきものであると同じである。この御言の中にも信仰の幼児に対するイエスの愛のいかに深いかを窺うことができる。
辞解
[ひき臼] 驢馬にひかする大なる臼、これを頭に懸けて海に投ずる処刑法は、ユダヤ以外の諸国で行われ、ローマ人もこれを行った。すなわち最も残忍なる刑罰の一種である。

18章7節 この()躓物(つまづき)あるによりて禍害(わざはひ)なるかな。躓物(つまづき)(かなら)(きた)らん、されど躓物(つまづき)(きた)らする(ひと)禍害(わざはひ)なるかな。[引照]

口語訳この世は、罪の誘惑があるから、わざわいである。罪の誘惑は必ず来る。しかし、それをきたらせる人は、わざわいである。
塚本訳この世は罪のいざないがあるから禍だ、罪のいざないの来るのを避けることができないからである。しかしいざないを来させる人は禍だ。
前田訳つまずきのあるこの世はわざわいだ。つまずきは必ず来る。しかし、わざわいなのはつまずきのもとになる人!
新共同世は人をつまずかせるから不幸だ。つまずきは避けられない。だが、つまずきをもたらす者は不幸である。
NIV"Woe to the world because of the things that cause people to sin! Such things must come, but woe to the man through whom they come!
註解: かくてイエスは信仰の幼児の住むべきこの世を眺め、そこに躓物が充ちているを見て嘆き給うた。すなわち躓物は必ず来るべきで免るることができない。イエスは神の定めによりて人の手に付され、十字架に釘き給うべきであった。これすべての人にとっての躓きである(26:31)。ゆえにこの世はキリスト者にとって禍いである。殊にこの躓物の原因となる人は一層禍いである(6:24)。幼児に対する愛が深ければ深い程、この躓物に対する嫌悪が強い。我らもまたすべての躓物に対してかかる詛(のろい)の言を発し、またすべての躓きを我らの前より除かなければならない。▲口語訳ではこの「躓物」skandalonを「罪の誘惑」と訳し「躓かす」sukandalizō を「罪を犯させる」と訳しているけれども、この訳語は原語の意味を狭めている。

18章8節 もし(なんぢ)()または(あし)なんぢを(つまづ)かせば、()りて()てよ。不具(ふぐ)または蹇跛(あしなへ)にて生命(いのち)()るは、兩手(りゃうて)兩足(りゃうあし)ありて永遠(とこしへ)()()()れらるるよりも(まさ)るなり。[引照]

口語訳もしあなたの片手または片足が、罪を犯させるなら、それを切って捨てなさい。両手、両足がそろったままで、永遠の火に投げ込まれるよりは、片手、片足になって命に入る方がよい。
塚本訳(だから)もし手か足があなたを罪にいざなうなら、切り取って捨てよ。両手両足があって永遠の火の中に投げ込まれるよりも、片手片足で(永遠の)命に入る方が仕合わせである。
前田訳もし手か足があなたをつまずかせるなら、切って投げ捨てよ。片手片足でいのちに入るほうが両手両足で永遠の火に投げ込まれるよりはいい。
新共同もし片方の手か足があなたをつまずかせるなら、それを切って捨ててしまいなさい。両手両足がそろったまま永遠の火に投げ込まれるよりは、片手片足になっても命にあずかる方がよい。
NIVIf your hand or your foot causes you to sin cut it off and throw it away. It is better for you to enter life maimed or crippled than to have two hands or two feet and be thrown into eternal fire.

18章9節 もし(なんぢ)()なんぢを(つまづ)かせば、()きて()てよ。片眼(かため)にて生命(いのち)()るは、兩眼(りゃうめ)ありて()のゲヘナに()()れらるるよりも(まさ)るなり。[引照]

口語訳もしあなたの片目が罪を犯させるなら、それを抜き出して捨てなさい。両眼がそろったままで地獄の火に投げ入れられるよりは、片目になって命に入る方がよい。
塚本訳もしまた目があなたを罪にいざなうなら、くじり出して捨てよ。両目があって火の地獄に投げ込まれるよりも、片目で(永遠の)命に入る方が仕合わせである。
前田訳もし目があなたをつまずかせるなら、えぐり出して投げ捨てよ。片目でいのちに入るほうが両目で火の地獄に投げ込まれるよりはいい。
新共同もし片方の目があなたをつまずかせるなら、えぐり出して捨ててしまいなさい。両方の目がそろったまま火の地獄に投げ込まれるよりは、一つの目になっても命にあずかる方がよい。」
NIVAnd if your eye causes you to sin, gouge it out and throw it away. It is better for you to enter life with one eye than to have two eyes and be thrown into the fire of hell.
註解: 5:29、30(同註参照)においては律法の成就の意味においてイエスは語り給い、ここには信仰の幼児に対する愛よりこれを語り給うた。生命を全うせんためには躓きが外より来ると、自己に在るとに関わらずこれを除去しなければならない。▲口語訳ではこの「躓物」skandalonを「罪の誘惑」と訳し「躓かす」skandalizōを「罪を犯させる」と訳しているけれども、この訳語は原語の意味を狭めている。

18章10節 (なんぢ)(つつし)みて()(ちひさ)(もの)一人(ひとり)をも(あなど)るな。(われ)なんぢらに()ぐ、(かれ)らの御使(みつかひ)たちは(てん)にありて、(てん)にいます()(ちち)御顏(みかほ)(つね)()るなり。[引照]

口語訳あなたがたは、これらの小さい者のひとりをも軽んじないように、気をつけなさい。あなたがたに言うが、彼らの御使たちは天にあって、天にいますわたしの父のみ顔をいつも仰いでいるのである。〔
塚本訳この小さな者を一人でも軽んじることのないように注意せよ。わたしは言う、(わたしの父上は片時も彼らをお忘れにならない。)あの者たちの(守り)天使は、天でいつもわたしの天の父上にお目にかかっているのだから。
前田訳心がけて、これらの小さいもののひとりを軽んじないようにせよ。わたしはいう、彼らには(守り)天使があって、天にいますわが父のお顔をいつも見ている。
新共同「これらの小さな者を一人でも軽んじないように気をつけなさい。言っておくが、彼らの天使たちは天でいつもわたしの天の父の御顔を仰いでいるのである。
NIV"See that you do not look down on one of these little ones. For I tell you that their angels in heaven always see the face of my Father in heaven.
註解: イエスはさらに進んで信仰の幼児に対するその愛の御旨を述べ給うた。すなわち弟子たちは(すべてのキリスト者も同様)決して信仰の幼児の一人を侮ってはならない。彼らを護っている御使いたちは、父なる神に最も接近している最高の地位にある天使であって(T列10:8)、この幼児を侮る者は直ちに父なる神の怒りを受けなければならないからである。
辞解
[彼らの御使たち] 神が天使の手によりて、その民を護り給うとの旧約聖書の思想をここにそのままに用いたのである。かかる天使の中幼児を護っているものは殊に高き位にある天使である。これ幼児が神の特別の恩恵を受けていることを示しているのであって信仰の幼児においてもまた同じである。

18章11節 [なし][引照]

口語訳人の子は、滅びる者を救うためにきたのである。〕
塚本訳〔無し〕
前田訳〔人の子はうせたものを救いに来た〕。
新共同(†底本に節が欠落 異本訳)人の子は、失われたものを救うために来た。
NIV
註解: 異本には「それ人の子の来れるは失せたる者を救わんためなり」とあり。

18章12節 (なんぢ)()いかに(おも)ふか、百匹(ひゃくぴき)(ひつじ)()てる(ひと)あらんに、()しその一匹(いっぴき)まよはば、()(じふ)()(ひき)(やま)(のこ)しおき、()きて(まよ)へるものを(たづ)ねぬか。[引照]

口語訳あなたがたはどう思うか。ある人に百匹の羊があり、その中の一匹が迷い出たとすれば、九十九匹を山に残しておいて、その迷い出ている羊を捜しに出かけないであろうか。
塚本訳あなた達はどう思うか。ある人が羊を百匹もっていて、その一匹が道に迷ったとき、その人は九十九匹を山にのこしておいて、迷っている一匹をさがしに行かないだろうか。
前田訳あなた方はどう思うか。ある人に羊が百匹あって、その一匹が道に迷ったら、九十九匹を山に置いたまま迷ったのを探しに行かないか。
新共同あなたがたはどう思うか。ある人が羊を百匹持っていて、その一匹が迷い出たとすれば、九十九匹を山に残しておいて、迷い出た一匹を捜しに行かないだろうか。
NIV"What do you think? If a man owns a hundred sheep, and one of them wanders away, will he not leave the ninety-nine on the hills and go to look for the one that wandered off?
註解: イエスはさらに進んで、幼児に対するこの神の愛は実に深くして、幼児の一人にもその全愛を注ぎ給うことを示し給う。羊を愛する牧者は百匹の群の中の一匹を失うことをも欲しない。その一匹のためにあらゆる困難を冒してこれを尋ね、見出すまでは息(やす)むことがない。神の檻より一人の信者が迷い出でし時の御心は全くこれと同じであって、人類の中の一人でも迷っている間は神は見出すまでこれを尋ね求め給う。

18章13節 もし(これ)見出(みいだ)さば、まことに(なんぢ)らに()ぐ、(まよ)はぬ()(じふ)()(ひき)(まさ)りて()一匹(いっぴき)(よろこ)ばん。[引照]

口語訳もしそれを見つけたなら、よく聞きなさい、迷わないでいる九十九匹のためよりも、むしろその一匹のために喜ぶであろう。
塚本訳そしてもし見つけようものなら、アーメン、わたしは言う、この一匹を、迷わなかった九十九匹以上に喜ぶにちがいない。
前田訳そしてそれが見つかったら、わたしはいう、この一匹のほうが迷わなかった九十九匹よりうれしい。
新共同はっきり言っておくが、もし、それを見つけたら、迷わずにいた九十九匹より、その一匹のことを喜ぶだろう。
NIVAnd if he finds it, I tell you the truth, he is happier about that one sheep than about the ninety-nine that did not wander off.
註解: 弱ければ弱い程、罪深ければ深い程、益々神の愛はかかる者に注がれる。それゆえに迷える者を見出し、罪に沈める者を救い出す場合の神の喜びは、何ものよりも大きい。これ迷わざる羊を愛し給わないのではない。迷えるものをさらに愛し給うのである。

18章14節 かくのごとく()(ちひさ)(もの)一人(ひとり)(ほろ)ぶるは、(てん)にいます(なんぢ)らの(ちち)御意(みこころ)にあらず。[引照]

口語訳そのように、これらの小さい者のひとりが滅びることは、天にいますあなたがたの父のみこころではない。
塚本訳このように、この小さな者たちが一人でも滅びることは、あなた達の天の父上の御心ではない。
前田訳そのように、これら小さいもののひとりが滅びるのは、あなた方の天の父のみ心ではない。
新共同そのように、これらの小さな者が一人でも滅びることは、あなたがたの天の父の御心ではない。」
NIVIn the same way your Father in heaven is not willing that any of these little ones should be lost.
註解: 弟子たちは天国においていずれが大ならんとの問題より先に、一人の亡ぶるをも望み給わない神の愛を思うべきである。
要義 [信仰の幼児に対する神の愛]第十八章全体と通して、信者が誤謬に陥れる場合に対する誡めを記しており、その1−14節においては信仰の幼児に対する神の切なる愛が示されている。すなわち天国において大なる者は決して自己の信仰に誇る強き信者ではなく、幼児のごとき弱き信者であること(1−4)、而してかかる幼児をばキリストはその目の瞳のごとくに愛し給い、これを受くるものを喜び、これを躓かする者を詛い給うこと(5−9)、かかる幼児は神の特別の寵愛を受けているので人はこれを侮るべからずこと(9、10)、而して最後に神はかかる弱き信者の一人の亡ぶるをも望み給わぬことを示している。この全体を通して弱き信者に対する神の深き愛が溢るるばかりに露わされているのであって、かかる愛をもって我らを愛し給う時と御子イエス・キリストに在る者の幸いの実に大なることをしることができる。

7-2 兄弟の罪について 18:15 - 18:20

18章15節 もし(なんぢ)兄弟(きゃうだい)(つみ)(をか)さば、()きてただ(かれ)とのみ(あひ)(たい)して(いさ)めよ。もし()かば()兄弟(きゃうだい)()たるなり。[引照]

口語訳もしあなたの兄弟が罪を犯すなら、行って、彼とふたりだけの所で忠告しなさい。もし聞いてくれたら、あなたの兄弟を得たことになる。
塚本訳それで、もし兄弟が罪を犯し(て悔改めなかっ)たら、行って、あなたと二人だけの間で忠告をしてやりなさい。もし言うことを聞けば、あなたは(天の国のために)兄弟を一人もうけたのである。
前田訳兄弟が罪を犯したら、行って、あなたと彼だけの間でさとしなさい。彼が聞けば、あなたは兄弟をかち得たのだ。
新共同「兄弟があなたに対して罪を犯したなら、行って二人だけのところで忠告しなさい。言うことを聞き入れたら、兄弟を得たことになる。
NIV"If your brother sins against you, go and show him his fault, just between the two of you. If he listens to you, you have won your brother over.
註解: 一人の亡ぶるは天の父の御心ではない、ゆえに亡びんとする兄弟あらばこれを救い出さなければならない。兄弟の中に罪を犯している者ある場合は、彼は迷える羊のごとくサタンなる豺狼(さいろう)の餌食とならんとしているのである。かかる場合にはこれを放棄せず、あらゆる手段をもって彼を導き返さねばならない。ここに先ず第一に採るべき手段として、唯一人その罪人を訪(と)うべきこと教えている。一人静かに諌止(いさめ)ることは柔和なる心の徴であり、自ら罪人の許(もと)に赴(おもむ)きて彼を訪(と)うことは(ルカ15:20)キリストの愛心の発顕(はっけん)である。極めて人心の機微(きび)を穿(うが)てる教訓であることを見るべきである。
辞解
[罪を犯さば] 異本に「汝に対し罪を犯さば」とあり、しかしこの場合は「汝に対する」罪も然らざるものも包含していると見るべきであって、異本によらざるを可とする。
[得たるなり] 迷い失いしものを得たること。

18章16節 もし()かずば、一人(ひとり)二人(ふたり)(ともな)()け、これ()(さん)證人(しょうにん)(くち)()りて、(すべ)ての(こと)(たしか)められん(ため)なり。[引照]

口語訳もし聞いてくれないなら、ほかにひとりふたりを、一緒に連れて行きなさい。それは、ふたりまたは三人の証人の口によって、すべてのことがらが確かめられるためである。
塚本訳しかし(どうしても)聞かないなら、ほかに一人か二人、一しょに連れてゆくがよい。“すべてのことは、二人もしくは三人の証言によって定められる”(というモーセの掟に従う)ためである。
前田訳彼が聞かなければ、あなたとともに一人か二人を連れよ。万事二人か三人の証によって定まる。
新共同聞き入れなければ、ほかに一人か二人、一緒に連れて行きなさい。すべてのことが、二人または三人の証人の口によって確定されるようになるためである。
NIVBut if he will not listen, take one or two others along, so that `every matter may be established by the testimony of two or three witnesses.'
註解: 第一の方法によりて目的を達しない場合は、一、二人を伴い行くべきである。人の罪を公表することは万止むを得ざる場合の手段であって、先ず愛によりでき得るだけ少数の範囲にその公表を限るべきである。一、二人を伴い行くことによりその兄弟の不従順の事実及び理由を確めることができる(申19:15。Uコリ13:1)、従って次に採るべき手段の準備となる。

18章17節 もし(かれ)()にも()かずば、教會(けうくわい)()げよ。もし教會(けうくわい)にも()かずば、(これ)異邦人(いはうじん)または取税人(しゅぜいにん)のごとき(もの)とすべし。[引照]

口語訳もし彼らの言うことを聞かないなら、教会に申し出なさい。もし教会の言うことも聞かないなら、その人を異邦人または取税人同様に扱いなさい。
塚本訳しかし彼らの言うことを聞かないなら、集会に申し出よ。集会の言うことも聞かないなら、(その時は已むを得ないから、その人と交際をたって)異教人か税金取りのように思ってよろしい。
前田訳彼らにもさからうなら、集まりにいえ。集まりにもさからうなら、異邦人や取税人とみなしなさい。
新共同それでも聞き入れなければ、教会に申し出なさい。教会の言うことも聞き入れないなら、その人を異邦人か徴税人と同様に見なしなさい。
NIVIf he refuses to listen to them, tell it to the church; and if he refuses to listen even to the church, treat him as you would a pagan or a tax collector.
註解: 第二の手段に成功せざれば、第三の手段として始めてその罪を公表して教会に告ぐべきである。かくして彼を恥ぢしめて立帰ること有(あ)らんためである。これにも聴かない場合は、最早取るべき手段がないので止むを得ず彼とキリストにある兄弟姉妹としての交わりを取らないこととなるのである。ただし敵をすら愛することがキリスト教の本旨である以上かかる人をも愛することが必要であること勿論である。
辞解
[教会] 単に信者の集団の意義であって、今日見るごとき個々の教会やその制度を指したものではない(M0)。
[異邦人または取税人のごとき者とす] 今日教会に行なわるる法律的破門を意味するのではなく、事実的にキリスト者の兄弟姉妹の交わりを断つことを意味する。

18章18節 まことに(なんぢ)らに()ぐ、すべて(なんぢ)らが()にて(つな)(ところ)(てん)にても(つな)ぎ、()にて()(ところ)(てん)にても()くなり。[引照]

口語訳よく言っておく。あなたがたが地上でつなぐことは、天でも皆つながれ、あなたがたが地上で解くことは、天でもみな解かれるであろう。
塚本訳アーメン、わたしは言う、あなた達が地上で結ぶことはみな天でも結ばれ、地上で解くことはみな天でも解かれるであろう。
前田訳本当にいう、あなた方が地で縛ることはみな天でも縛られ、地でゆるすことはみな天でもゆるされよう。
新共同はっきり言っておく。あなたがたが地上でつなぐことは、天上でもつながれ、あなたがたが地上で解くことは、天上でも解かれる。
NIV"I tell you the truth, whatever you bind on earth will be bound in heaven, and whatever you loose on earth will be loosed in heaven.
註解: 16:19にペテロに対して発せられし御言は、ここで教会の会衆一般に向って発せられている。その箇所の註参照。M0 は「汝ら」は使徒たちであると解しているけれども、前後の関係上使徒ならびに全教会と解すべきであると思う。▲この一節によってもローマ法王の権威なるものの誤りであることが解る。又キリストを信ずる者の集会は天的権威を有っていることを知らなければならない。教会の堕落は神に対する大なる罪である。

18章19節 また(まこと)(なんぢ)らに()ぐ、もし(なんぢ)()のうち二人(ふたり)(なに)にても(もと)むる(こと)につき()にて(こころ)(ひと)つにせば、(てん)にいます()(ちち)(これ)()(たま)ふべし。[引照]

口語訳また、よく言っておく。もしあなたがたのうちのふたりが、どんな願い事についても地上で心を合わせるなら、天にいますわたしの父はそれをかなえて下さるであろう。
塚本訳なお、アーメン、わたしは言う、何事によらず、もしあなた達のうちの二人が心を一つにして地上で祈るならば、わたしの天の父上は(きっとその願いを)かなえてくださるだろう。
前田訳なおわたしはいう、あなた方のうち二人が心を合わせて地上で願うことはみな天のわが父によってなされよう。
新共同また、はっきり言っておくが、どんな願い事であれ、あなたがたのうち二人が地上で心を一つにして求めるなら、わたしの天の父はそれをかなえてくださる。
NIV"Again, I tell you that if two of you on earth agree about anything you ask for, it will be done for you by my Father in heaven.
註解: すなわち教会が心を一つにしてかかる人が罪より救い出されんこと、又は正しくかかる兄弟を審くことを祈るならば父はこれを成し給うであろう、その他の何事においても同様である。ここに二人と一人との間に特に差を設け給うた所以は一人の求めをば聞き給わないという意味ではない(7:7)。二人心を一つにする処にそこに教会があり、神は心を一つにせる二人を特に喜び給い、その祈りを聞き給うことを意味している。而して一人の弱さのために祈りが妨げらるる場合には、他の者の祈りをもってこれを補うことができることは事実である。

18章20節 二三人(にさんにん)わが()によりて(あつま)(ところ)には、(われ)もその(うち)()るなり。[引照]

口語訳ふたりまたは三人が、わたしの名によって集まっている所には、わたしもその中にいるのである」。
塚本訳二人、三人、わたしの名によって集まっている所には、わたしがいつもその真中にいるのだから。」
前田訳二人、三人とわが名で集まるところ、そこにわたしは彼らの仲間としている」と。
新共同二人または三人がわたしの名によって集まるところには、わたしもその中にいるのである。」
NIVFor where two or three come together in my name, there am I with them."
註解: 「在(あ)るなり」は「在(あ)ればなり」であって、前節の理由を説明しているのである。すなわち少数のものがキリストの御名に集めらるる時、その集会は天的の集会であって、キリストそこに在(いま)し、キリスト在(いま)す処に父なる神の共に在して、キリストの御名を通して捧げらるる祈りを聴き給うのである。これが真の教会であって、天的家庭の団欒がここに実現しているのである。ここで教会と訳された ekklesia は集会の意味であって、今日の教会と全く異なったものであることを知り得るであろう。
要義 [個人と教会]神がイスラエルを選び給うたのは個人としてではなく国民としてであった。これに反し教会は団体として選ばれたのではなく、個人として救われた者の団体である。ゆえに教会の根底はあくまでも救われし個人でなければならない。すなわち個人と神との間に完全なる霊の結合一致がなければならない。しかしながら教会は決してこれらの個人の機械的集合ではない。縦に神と結合せるものは又横に相互の間に霊的結合ができ、ここに神と人、人と人、及び神と教会(人の集合)との間に不可離の結合ができるのである。而してかかる結合が特に神の目に貴いのであって、あたかも一家の父にとってその子女一人々々が貴いと共に団欒せる和気藹々たる家庭そのものが特別の貴さを有っていると同様である。ゆえに教会の貴さは、それが信仰を有ちて主に在る個人の自然の結合であることと、それが和合一致心を併せて共に祈る団体であるの点であって、人造の規則によりて束縛せられ、互に相紛争する団体はこの意味における真の教会ではない。

7-3 兄弟の罪を赦せ 18:21 - 18:35

18章21節 ここにペテロ御許(みもと)(きた)りて()ふ『(しゅ)よ、わが兄弟(きゃうだい)われに(たい)して(つみ)(をか)さば(いく)たび(ゆる)すべきか、七度(ななたび)までか』[引照]

口語訳そのとき、ペテロがイエスのもとにきて言った、「主よ、兄弟がわたしに対して罪を犯した場合、幾たびゆるさねばなりませんか。七たびまでですか」。
塚本訳その時ペテロが進み寄ってたずねた、「主よ、兄弟がわたしに対して罪を犯したとき、何度赦してやらねばなりませんか。七度まででしょうか。」
前田訳そこでペテロが近よっていった、「主よ、わが兄弟がわたしに罪を犯したとき、何度ゆるしてやりましょうか。七度までですか」と。
新共同そのとき、ペトロがイエスのところに来て言った。「主よ、兄弟がわたしに対して罪を犯したなら、何回赦すべきでしょうか。七回までですか。」
NIVThen Peter came to Jesus and asked, "Lord, how many times shall I forgive my brother when he sins against me? Up to seven times?"
註解: 本章1−4節には信仰の幼児に対する神の愛を示し、15−20節には罪を犯せる者に対して教会の取るべき態度を示したる後、21節以下に個人が自己に対して罪を犯せる者に対しいかなる態度に出づるべきかを教えている。
辞解
[七度] 当時の格言に人の己に対する罪は、三度までは赦し四度とならば赦すべからずということを教えていた。ペテロは前の教訓より罪を犯せる者に対するイエスの深い愛を知り、この回数を倍加して「七度までか」と問うたのであろう。

18章22節 イエス()ひたまふ『(いな)、われ「七度(ななたび)まで」とは()はず「七度(ななたび)(しち)(じふ)(ばい)するまで」と()ふなり。[引照]

口語訳イエスは彼に言われた、「わたしは七たびまでとは言わない。七たびを七十倍するまでにしなさい。
塚本訳イエスがこたえられた、「いや、あなたに言う、七度までどころか、七十七度まで!
前田訳イエスは彼にいわれる、「わたしはいう、『七度までといわず、七度の七十倍まで』と。
新共同イエスは言われた。「あなたに言っておく。七回どころか七の七十倍までも赦しなさい。
NIVJesus answered, "I tell you, not seven times, but seventy-seven times.
註解: 罪を悔改むる者には無限にこれを赦すべきである。人は己の受けし損害を無視して相手方を迷える道より立帰らしむることを専ら考えなければならない。これ愛の途である。人は己の受くる損害を思う場合には到底人を幾回も赦すことができないようになるのである。

18章23節 この(ゆゑ)に、天國(てんこく)はその家來(けらい)どもと計算(けいさん)をなさんとする(わう)のごとし。[引照]

口語訳それだから、天国は王が僕たちと決算をするようなものだ。
塚本訳だから天の国は、王が家来たちとの貸し借りを清算しようとするのに似ている。
前田訳それゆえ天国をたとえると、王が僕たちと金勘定しようとするに似る。
新共同そこで、天の国は次のようにたとえられる。ある王が、家来たちに貸した金の決済をしようとした。
NIV"Therefore, the kingdom of heaven is like a king who wanted to settle accounts with his servants.

18章24節 計算(けいさん)(はじ)めしとき、一萬(いちまん)タラントの負債(おひめ)ある家來(けらい)つれ(きた)られしが、[引照]

口語訳決算が始まると、一万タラントの負債のある者が、王のところに連れられてきた。
塚本訳清算を始めると、(王に対し)一万タラント[三百億円]の借りのある家来がつれて来られた。
前田訳勘定しはじめると、一万タラント借りのある僕が連れて来られた。
新共同決済し始めたところ、一万タラントン借金している家来が、王の前に連れて来られた。
NIVAs he began the settlement, a man who owed him ten thousand talents was brought to him.
辞解
[計算] 王より借財をしていた家来が数多くいたことを想像しなければならぬ。王は今彼らとの間に決算しようとしているのであって、神に対して罪を負う我らが世の終りにおいて神に対して決算をするのと同じである。
[タラント] 一タラントは大略二千円(1928年頃の日本貨幣の価値に換算したもの。イエスの当時では6千日分の労働者の給料に相当)ほどであって、一万タラントは二千万円位に相当する。我らの神に対して負う罪の負債はかくも大きいのである。

18章25節 (つくの)(かた)なかりしかば、()主人(あるじ)、この(もの)とその(つま)()(すべ)ての所有(もちもの)とを()りて(つくの)ふことを(めい)じたるに、[引照]

口語訳しかし、返せなかったので、主人は、その人自身とその妻子と持ち物全部とを売って返すように命じた。
塚本訳返すことができないので、主人は(その家来に、)自分も妻も子も持ち物も全部売って返すように命じた。
前田訳返せないので、主人は自分も妻も子も持ちものすべてを売って返すよう命じた。
新共同しかし、返済できなかったので、主君はこの家来に、自分も妻も子も、また持ち物も全部売って返済するように命じた。
NIVSince he was not able to pay, the master ordered that he and his wife and his children and all that he had be sold to repay the debt.
註解: 彼は己のみならずその家族の自主的存在を犠牲にするより以外にこの負債を償うすべがなかった。罪の負債を償わんとする者もまたこれに同じ、我らの過去の罪はあまりに大にして将来の努力によりてこれを償うことはできない。罪の払う値は死なり、我ら死をもてこれを償うより外にない。

18章26節 その家來(けらい)ひれ()(はい)して()ふ「(ゆる)くし(たま)へ、さらば(ことご)とく(つくの)はん」[引照]

口語訳そこで、この僕はひれ伏して哀願した、『どうぞお待ちください。全部お返しいたしますから』。
塚本訳家来はひれ伏して、しきりに願った、『しばらく待ってください。全部お返ししますから。』
前田訳僕はひれ伏していった、『しばしご猶予を。皆お返ししましょう』と。
新共同家来はひれ伏し、『どうか待ってください。きっと全部お返しします』としきりに願った。
NIV"The servant fell on his knees before him. `Be patient with me,' he begged, `and I will pay back everything.'
註解: 家来はその苦痛のあまり寛容の取扱いを乞い、かつ自らの力以上のことを約束したのであって、実際はことごとく償うことはできない。▲▲口語訳「お待ち下さい」よりも「寛大に御扱い下さい」の意。

18章27節 その家來(けらい)主人(あるじ)あはれみて(これ)()き、その負債(おひめ)(ゆる)したり。[引照]

口語訳僕の主人はあわれに思って、彼をゆるし、その負債を免じてやった。
塚本訳そこで主人は気の毒に思って、身柄をゆるした上、借金にまで棒を引いてやった。
前田訳僕の主人はあわれんで彼をゆるし、借りを帳消しにしてやった。
新共同その家来の主君は憐れに思って、彼を赦し、その借金を帳消しにしてやった。
NIVThe servant's master took pity on him, canceled the debt and let him go.
註解: 主人は同情のあまりその要求をことごとく撤回して彼の負債を免じた。いわんや天の父は砕けた悔いし心(詩51:17)に対してその罪の負債をことごとく宥し給わないはずがない。

18章28節 (しか)るに()家來(けらい)いでて、(おのれ)より(ひゃく)デナリを()ひたる一人(ひとり)同僚(どうれう)にあひ、(これ)をとらへ、(のど)()めて()ふ「負債(おひめ)(つくの)へ」[引照]

口語訳その僕が出て行くと、百デナリを貸しているひとりの仲間に出会い、彼をつかまえ、首をしめて『借金を返せ』と言った。
塚本訳ところがその家来は出ていって、自分に百デナリ[五万円]を借りているひとりの同僚に出合うと、これをつかまえ、喉頚をしめて、『借りているものを返せ』と言った。
前田訳その僕が出かけて、自分に百デナリ借りのある仲間に会うと、彼を捕え、のどをしめて、『借りを返せ』といった。
新共同ところが、この家来は外に出て、自分に百デナリオンの借金をしている仲間に出会うと、捕まえて首を絞め、『借金を返せ』と言った。
NIV"But when that servant went out, he found one of his fellow servants who owed him a hundred denarii. He grabbed him and began to choke him. `Pay back what you owe me!' he demanded.
註解: 百デナリは約三十五円(1928年頃の日本の貨幣価値。一デナリはイエスの時代の一日の労銀)に相当する。山の如き己の負債を王より免されしことをも忘れて塵のごとき同僚の負債について彼を責める。神より罪を宥されし者にして他人の罪を宥し得ざる者はかくのごとき人である。
辞解
[負債を償え] 直訳「負債あらば償え」であって、この語法は弱きがごとくにしてかえって強い意味を示している。

18章29節 その同僚(どうれう)ひれ()し、(ねが)ひて「(ゆる)くし(たま)へ、さらば(つくの)はん」と()へど、[引照]

口語訳そこでこの仲間はひれ伏し、『どうか待ってくれ。返すから』と言って頼んだ。
塚本訳同僚はひれ伏して、『ちょっと待ってくれ。返すから』と頼んだ。
前田訳仲間はひれ伏していった、『しばしご猶予を。お返ししますから』と。
新共同仲間はひれ伏して、『どうか待ってくれ。返すから』としきりに頼んだ。
NIV"His fellow servant fell to his knees and begged him, `Be patient with me, and I will pay you back.'

18章30節 (うけが)はずして()き、その負債(おひめ)(つくの)ふまで(これ)(ひとや)()れたり。[引照]

口語訳しかし承知せずに、その人をひっぱって行って、借金を返すまで獄に入れた。
塚本訳しかし承知せず、(裁判官につれて)行って、負債を返すまで牢に入れた。
前田訳しかし承知せず、訴えに行って仲間が借りを返すまで牢に入れた。
新共同しかし、承知せず、その仲間を引っぱって行き、借金を返すまでと牢に入れた。
NIV"But he refused. Instead, he went off and had the man thrown into prison until he could pay the debt.
註解: 彼自ら王に乞いしと同一の語をもって同僚は彼に寛容を乞うた。これは肯(うけが)わざりし彼の罪の重さを見るべきである。

18章31節 同僚(どうれう)ども()りし(こと)()(いた)(かな)しみ、()きて()りし(すべ)ての(こと)をその主人(あるじ)()ぐ。[引照]

口語訳その人の仲間たちは、この様子を見て、非常に心をいため、行ってそのことをのこらず主人に話した。
塚本訳その人の同僚たちはこの出来事を見て非常に悲しみ、行って、出来事の一部始終を主人に報告した。
前田訳仲間の僕たちは出来事を見てはなはだ悲しみ、行って、主人に一部始終を話した。
新共同仲間たちは、事の次第を見て非常に心を痛め、主君の前に出て事件を残らず告げた。
NIVWhen the other servants saw what had happened, they were greatly distressed and went and told their master everything that had happened.

18章32節 ここに主人(あるじ)かれを()()して()ふ「()しき家來(けらい)よ、なんぢ(ねが)ひしによりて、かの負債(おひめ)をことごとく(ゆる)せり。[引照]

口語訳そこでこの主人は彼を呼びつけて言った、『悪い僕、わたしに願ったからこそ、あの負債を全部ゆるしてやったのだ。
塚本訳すると主人はその家来を呼び出して言う、『不埒な家来、あなたが頼んだから、わたしはあの負債に全部、棒を引いてやったのだ。
前田訳そこで主人は彼を呼んでいう、『この悪い僕、おまえが頼んだから、あの借りをみな帳消しにしてやったのに!
新共同そこで、主君はその家来を呼びつけて言った。『不届きな家来だ。お前が頼んだから、借金を全部帳消しにしてやったのだ。
NIV"Then the master called the servant in. `You wicked servant,' he said, `I canceled all that debt of yours because you begged me to.

18章33節 わが(なんぢ)(あはれ)みしごとく、(なんぢ)もまた同僚(どうれう)(あはれ)むべきにあらずや」[引照]

口語訳わたしがあわれんでやったように、あの仲間をあわれんでやるべきではなかったか』。
塚本訳だからあなたもわたしに情をかけてもらったように、同僚に情をかけてやるべきではなかったのか。』
前田訳わたしがおまえをあわれんだように、おまえも仲間をあわれむべきではなかったのか』と。
新共同わたしがお前を憐れんでやったように、お前も自分の仲間を憐れんでやるべきではなかったか。』
NIVShouldn't you have had mercy on your fellow servant just as I had on you?'
註解: 主人より負債を免されしことを心より感謝して、その心に主人の恩恵を深く感銘している者は、その心自ら主人の愛心に同化して、その同僚をも憐れむようになるのである。これに反し主人より負債を免されしことによりて受けし自己の利益を喜ぶ者は、その心益々利己的となり同僚を憐れまざるに至るのである。かくのごとくキリストの十字架の贖いによりて罪を赦されし場合に、かかる深き罪を宥し給う愛の主イエスを喜ぶ者は、その心イエスに同化して愛に充てる心を持つようになり、反対に自己の罪を赦されし事実を自己の利益として喜び、かえって愛の主を忘るるものは他人に対して罪を赦すの心を失ってしまうのである。

18章34節 ()くその主人(あるじ)(いか)りて、負債(おひめ)をことごとく(つくの)ふまで(かれ)獄卒(ごくそつ)(わた)せり。[引照]

口語訳そして主人は立腹して、負債全部を返してしまうまで、彼を獄吏に引きわたした。
塚本訳そこで主人は怒って、負債を全部返すまでその男を獄吏に引き渡した、(という話。)
前田訳主人は怒って、借りをみな払うまで彼を獄吏(ごくり)に渡した。
新共同そして、主君は怒って、借金をすっかり返済するまでと、家来を牢役人に引き渡した。
NIVIn anger his master turned him over to the jailers to be tortured, until he should pay back all he owed.
註解: 罪の赦免の宣告を受けてもこれを単に利己主義的立場より信ずるものは、この家来と同じく主の審判を免るることができない。かかるキリスト者は決して少なくはないであろう。
辞解
[獄卒] 原語は「拷問吏」と訳する方が適当である。単なる獄卒ではない。

18章35節 もし(なんぢ)()おのおの(こころ)より兄弟(きゃうだい)(ゆる)さずば、()(てん)(ちち)(また)なんぢらに()のごとく()(たま)ふべし』[引照]

口語訳あなたがためいめいも、もし心から兄弟をゆるさないならば、わたしの天の父もまたあなたがたに対して、そのようになさるであろう」。
塚本訳わたしの天の父上も、もしあなた達ひとりびとりが心から兄弟を赦さないならば、同じようにあなた達になさるであろう。」
前田訳このように天のわが父もあなた方になさろう、もしめいめいが心から兄弟をゆるさないならば」と。
新共同あなたがたの一人一人が、心から兄弟を赦さないなら、わたしの天の父もあなたがたに同じようになさるであろう。」
NIV"This is how my heavenly Father will treat each of you unless you forgive your brother from your heart."
註解: キリスト者はキリストの功によりそのすべての罪(一万タラントにも相当すべき)を赦されし者である。ゆえにこの神の愛に感激し、神の愛心をもって己の心とし、心からその兄弟を赦さなければならない。形式的に又は強いて忍耐して赦せるごとく装うだけでは足らない。もし心から兄弟を赦すことができないならば天の父はこの比喩のごとく彼を罰せずに置き給わないであろう。而して兄弟の罪を赦す度数は無限でなければならない。
要義 [罪の赦について]我らの罪は自らこれを償うことができず、唯キリスト・イエスの十字架の功により自らの功なくして義とせられるのである。これは十字架の福音の中心的真理である。然るにこれを法律的、機会的に自己に当てはめる人々は、これにより自己はすべての道徳的義務より解放せられしもののごとくに誤信し、少しも他人を憐まず、他人の罪を赦さない傾向がある。しかしながら十字架の福音をその心に受けた者はかくのごとくで有り得ない。彼は心から同じ罪人を愛し、彼の罪を赦さざるを得ざるに至るのである。ゆえに6:12、14、15のごときもこれを単なる律法と見るべきではなく、キリスト者にして心より他人の罪を赦し得ざる者に対する当然の刑罰である。エペ4:32はこのことを示している。

マタイ伝第19章

分類
8 ユダヤにおけるイエスの御業と御教 19:1 - 20:34
8-1 離婚問題 19:1 - 19:9
(マコ10:1-12) 

19章1節 イエスこれらの(ことば)(かた)()へて、ガリラヤを()り、ヨルダンの彼方(かなた)なるユダヤの地方(ちはう)(きた)(たま)ひしに、[引照]

口語訳イエスはこれらのことを語り終えられてから、ガリラヤを去ってヨルダンの向こうのユダヤの地方へ行かれた。
塚本訳イエスはこれらの話を終えると、ガリラヤを去り、ヨルダン川の向こうのユダヤ(人の住むペレヤ)地方に行かれた。
前田訳イエスがこれらの話を終えられたときのこと、ガリラヤを去ってヨルダンの向こうのユダヤ地方へ来られた。
新共同イエスはこれらの言葉を語り終えると、ガリラヤを去り、ヨルダン川の向こう側のユダヤ地方に行かれた。
NIVWhen Jesus had finished saying these things, he left Galilee and went into the region of Judea to the other side of the Jordan.
註解: 前章にてガリラヤの伝道は終り、これより十字架の贖いを成就せんがためにエルサレムに向って猛進し給うた。これがイエスの最後のエルサレム行きであってヨハネ伝にはこの以前のユダヤ行について記されている。
辞解
[ヨルダンの彼方なるユダヤ] ヨルダンの東ペレア地方。

19章2節 (おほい)なる群衆(ぐんじゅう)したがひたれば、此處(ここ)にて(かれ)らを(いや)(たま)へり。[引照]

口語訳すると大ぜいの群衆がついてきたので、彼らをそこでおいやしになった。
塚本訳すると大勢の群衆がついて来たので、そこで彼らの病気をなおされた。
前田訳多くの群衆が彼に従い、彼はその地方で彼らの病をいやされた。
新共同大勢の群衆が従った。イエスはそこで人々の病気をいやされた。
NIVLarge crowds followed him, and he healed them there.
註解: 病者を癒し給うことがキリストの日常の行事であったことを見ることができる。

19章3節 パリサイ(びと)(きた)り、イエスを(こころ)みて()ふ『(なに)(ゆゑ)にかかはらず、(ひと)その(つま)(いだ)すは()きか』[引照]

口語訳さてパリサイ人たちが近づいてきて、イエスを試みようとして言った、「何かの理由で、夫がその妻を出すのは、さしつかえないでしょうか」。
塚本訳そこにパリサイ人たちが近寄ってきて、イエスを試そうとして言った、「何か理由があれば、妻を離縁してもよろしいか。」
前田訳パリサイ人が彼を試みに来ていった、「何かの理由があればおのが妻を離縁してもよろしいか」と。
新共同ファリサイ派の人々が近寄り、イエスを試そうとして、「何か理由があれば、夫が妻を離縁することは、律法に適っているでしょうか」と言った。
NIVSome Pharisees came to him to test him. They asked, "Is it lawful for a man to divorce his wife for any and every reason?"
註解: 当時ユダヤにおいて離婚問題につき厳格なるシャムマイ派と自由放恣(ほうし)なるヒレル派とが申24:1の「恥ずべき所」の解釈を異にしていた。前者はこれを姦淫のごとき重大なる欠陥に局限し、後者はこれを日常些末(にちじょうさまつ)の失錯(しっさく)で、パリサイ人らはイエスをこの問題をもって試みて、その答弁いかんによって、彼に対する反対の理由を捕えんとした。

19章4節 (こた)へて()ひたまふ『(ひと)(つく)(たま)ひしもの、元始(はじめ)より(これ)(をとこ)(をんな)とに(つく)り、(しか)して、[引照]

口語訳イエスは答えて言われた、「あなたがたはまだ読んだことがないのか。『創造者は初めから人を男と女とに造られ、
塚本訳答えて言われた、「造物者が始めから“彼らを男と女とに造られた”こと、
前田訳彼は答えられた、「あなた方は読んだことがないのか、創造主(つくりぬし)ははじめに彼らを男と女に造られたこと、
新共同イエスはお答えになった。「あなたたちは読んだことがないのか。創造主は初めから人を男と女とにお造りになった。」
NIV"Haven't you read," he replied, "that at the beginning the Creator `made them male and female,'

19章5節 「かかる(ゆゑ)(ひと)(ちち)(はは)(はな)れ、その(つま)()ひて、二人(ふたり)のもの一體(いったい)となるべし」と()(たま)ひしを(いま)()まぬか。[引照]

口語訳そして言われた、それゆえに、人は父母を離れ、その妻と結ばれ、ふたりの者は一体となるべきである』。
塚本訳また、“それゆえに人は父と母とをすてて妻に結びつき、二人は一体となる”と言われたことを、あなた達は読んだことがないのか。
前田訳それゆえ人は父母を離れて妻につき、ふたりは一体となるべきことを。
新共同そして、こうも言われた。「それゆえ、人は父母を離れてその妻と結ばれ、二人は一体となる。
NIVand said, `For this reason a man will leave his father and mother and be united to his wife, and the two will become one flesh' ?
註解: イエスはシャムマイ派ヒレル派等の争論より超越した態度を取り、遠く人間創造の根本に遡りて創1:27。2:24を基礎とし、神は人類を男と女とに造り、一人の男と一人の女とを合せて夫婦なる一体を造り給えることを示し給うた。すなわち神が選びて二人を合せ給うことによりて二人は不離の一体となり、従って父母より独立して夫婦一体の存在を営むことが夫婦関係の本体である。それゆえに夫婦関係は神の定めであって神聖、かつ不可離である。キリスト教の夫婦観は絶対にこの基礎の上に立っている。

19章6節 されば、はや二人(ふたり)にはあらず、一體(いったい)なり。この(ゆゑ)(かみ)(あは)(たま)ひし(もの)は、(ひと)これを(はな)すべからず』[引照]

口語訳彼らはもはや、ふたりではなく一体である。だから、神が合わせられたものを、人は離してはならない」。
塚本訳従って、もはや二人ではない、一体である。だから夫婦は(皆)神が一つの軛におつなぎになったものである。(どんな理由があっても)人間がこれを引き離してはならない。」
前田訳したがってもはやふたつでなくひとつの体である。神が結ばれたものを人が離すべきではない」と。
新共同だから、二人はもはや別々ではなく、一体である。従って、神が結び合わせてくださったものを、人は離してはならない。」
NIVSo they are no longer two, but one. Therefore what God has joined together, let man not separate."
註解: 二人一体の関係は神の定め給える事実である。ゆえに姦淫のごときこの関係そのものを破る行為以外は(5:32)これを解いてはならない。またこの二人は神が選びてこれを合せ給いしものゆえ、最善のものである。たとい互に心に叶わないことがあってもこれを離してはならない。神の御定めと神の御導きとを深く思うものには離婚は有り得ないことである。

19章7節 (かれ)らイエスに()ふ『さらば(なに)(ゆゑ)モーセは離縁状(りえんじゃう)(あた)へて(いだ)すことを(めい)じたるか』[引照]

口語訳彼らはイエスに言った、「それでは、なぜモーセは、妻を出す場合には離縁状を渡せ、と定めたのですか」。
塚本訳彼らが言う、「それでは、なぜモーセは“離縁状を渡して(妻を)離縁することを”命じているか。」
前田訳彼らはいう、「モーセが離縁状を渡して離縁することを命じたのはなぜですか」と。
新共同すると、彼らはイエスに言った。「では、なぜモーセは、離縁状を渡して離縁するように命じたのですか。」
NIV"Why then," they asked, "did Moses command that a man give his wife a certificate of divorce and send her away?"
註解: 原文は文語訳に近い。口語訳は文語訳が誤解されないように訳しかえたものであろう。彼らはイエス・キリストがモーセよりも優れるものであることを知らなかった。ゆえに申24:1を引用して彼を反駁した。

19章8節 (かれ)らに()(たま)ふ『モーセは(なんぢ)(こころ)つれなきによりて(つま)(いだ)すことを(ゆる)したり。されど元始(はじめ)より(しか)にはあらぬなり。[引照]

口語訳イエスが言われた、「モーセはあなたがたの心が、かたくななので、妻を出すことを許したのだが、初めからそうではなかった。
塚本訳彼らに言われる、「モーセはあなた達の心が(神に対して)頑固なために、妻を離縁することを許したので、始めからそうではなかった。
前田訳彼らにいわれる、「モーセはあなた方が頑(かたくな)なので妻を離縁することをゆるしたので、事ははじめからそうではなかった。
新共同イエスは言われた。「あなたたちの心が頑固なので、モーセは妻を離縁することを許したのであって、初めからそうだったわけではない。
NIVJesus replied, "Moses permitted you to divorce your wives because your hearts were hard. But it was not this way from the beginning.
註解: パリサイ人らの反駁(はんばく)は意味を為さない。モーセはむしろ男子の無情の下に苦しむ妻を救わんがためにこれを出すことを「許し」たのであって「命じ」たのではない。そして人類の元始の状態はかかるもではなく、人類が堕落して神の命に叛(そむ)き、神の言に従わないようになってから、かかる醜き関係が始まったのである。ゆえに人類が再び神に従うようになれば、この元始の義しき夫婦関係に立帰るのが至当である。

19章9節 われ(なんぢ)らに()ぐ、おほよそ淫行(いんかう)(ゆゑ)ならで()(つま)をいだし(ほか)(めと)(もの)は、姦淫(かんいん)(おこな)ふなり』[引照]

口語訳そこでわたしはあなたがたに言う。不品行のゆえでなくて、自分の妻を出して他の女をめとる者は、姦淫を行うのである」。
塚本訳わたしは言う、不品行のゆえでなくて妻を離縁し、ほかの女と結婚する者は、姦淫を犯すのである。」
前田訳わたしはいう、不品行のゆえでなく妻を離縁してほかの女をめとるものは姦淫をすることになる」と。
新共同言っておくが、不法な結婚でもないのに妻を離縁して、他の女を妻にする者は、姦通の罪を犯すことになる。」
NIVI tell you that anyone who divorces his wife, except for marital unfaithfulness, and marries another woman commits adultery."
註解: 夫婦の一方の淫行は、その行為自身が夫婦一体の関係の破壊である。ゆえにこの場合に妻を出すことは当然である。しかしその他の場合は妻がいかに不徳でも、愚鈍でも、病身でも、醜悪でも、又子なくともその他いかなる理由があっても、夫はこれを忍び、かつ矯正すべき義務を負わされているのであって、これを出すことはできない。ゆえにこれを出して他に娶る者は神の前には姦淫の行為と同一である。

8-2 独身問題 19:10 - 19:12

19章10節 弟子(でし)たちイエスに()ふ『(ひと)もし(つま)のことに(おい)てかくのごとくば、(めと)らざるに如かず』[引照]

口語訳弟子たちは言った、「もし妻に対する夫の立場がそうだとすれば、結婚しない方がましです」。
塚本訳弟子たちが言う、「夫婦の関係がそんな(面倒な)ものなら、結婚をしない方が得だ。」
前田訳弟子たちは彼にいう、「もし人と妻とのことがそのようならば、結婚しないほうがよろしい」と。
新共同弟子たちは、「夫婦の間柄がそんなものなら、妻を迎えない方がましです」と言った。
NIVThe disciples said to him, "If this is the situation between a husband and wife, it is better not to marry."
註解: 弟子はイエスの御言をあまりに空想的で実際に適応しないものと考えた。夫婦生活の実際においては性格の不和、道徳的知識的欠陥、家庭的能力の欠乏、他の家族との不調和等種々複雑なる事情があることを考えた。これらのすべてにも関わらず唯一つ淫行の場合を除きていかなる場合にも離婚を許さないならば、いかに多くの不愉快、不都合を生ずることであろうか、弟子たちはこの煩累(はんるい)を思うて結婚せざるに如かずと思うたのである。

19章11節 (かれ)らに()ひたまふ『(すべ)ての(ひと)この(ことば)()()るるにはあらず、ただ(さづ)けられたる(もの)のみなり。[引照]

口語訳するとイエスは彼らに言われた、「その言葉を受けいれることができるのはすべての人ではなく、ただそれを授けられている人々だけである。
塚本訳彼らに言われた、「そのことは(本当の意味がわかって実行すれば確かに得であるが、それは)だれにでも出来ることではない。(神から特別に力を)授けられる者だけに出来るのである。
前田訳彼はいわれた、「恵まれた人は別として、すべての人がこのことばを受け入れうるのではなく、
新共同イエスは言われた。「だれもがこの言葉を受け入れるのではなく、恵まれた者だけである。
NIVJesus replied, "Not everyone can accept this word, but only those to whom it has been given.
註解: イエスは「娶らざるに如かず」と言いし弟子の言葉を否定し給わなかった。結婚生活が必ずしも幸福のみを与うる甘き生活ではなく、時に多くの苦き杯を飲まなければならぬことをイエスは充分に認め給うた。しかしながら又弟子たちの言のごとく簡単に独身生活を取るべきものではなく、又取り得るものでもない。唯その賜物を授けられたもののみこの生活に入ることができることを教え給うた。

19章12節 それ(うま)れながらの閹人(えんじん)あり、[引照]

口語訳というのは、母の胎内から独身者に生れついているものがあり、また他から独身者にされたものもあり、また天国のために、みずから進んで独身者となったものもある。この言葉を受けられる者は、受けいれるがよい」。
塚本訳というのは、(同じ独身でも、)母の胎内から結婚できないように生まれついた者があり、また人から(無理に)結婚できないようにされた者があり、また天の国のために自分で(決心して)結婚しない者がある。(この最後のものが本当の独身である。)出来る者はしたがよかろう。」
前田訳母の胎からの生まれつきの独身があり、人から独身にされたものがあり、また天国のゆえに自らを独身にしたものがある。このことを受け入れうるものは受け入れよ」と。
新共同結婚できないように生まれついた者、人から結婚できないようにされた者もいるが、天の国のために結婚しない者もいる。これを受け入れることのできる人は受け入れなさい。」
NIVFor some are eunuchs because they were born that way; others were made that way by men; and others have renounced marriage because of the kingdom of heaven. The one who can accept this should accept it."
註解: えん(閹)人は本来生理的に結婚不能なるもの、又は人為的手術によりてこれを不能ならしめたる者を指すけれども、ここでは道徳的にこれと同様の状態に立っている人をも指している。すなわち「生れながらのえん(閹)人」とは先天的に独身性格を送り得るごとき性格を具えたる人か、または先天的に生理上の不具者で結婚不能なものの双方を指すものと見るべきである。
辞解
[閹人(えんじん)] ▲eunochos は本来古代の宮廷の後宮の管理をする役人で、そのために手術により性的不能者となった男子を指す。本節ではこれを生れながらの不能者又は自己の意思により結婚を断念した人も含ませている。口語訳の「独身者」は適訳ではない。

(ひと)()られたる閹人(えんじん)あり、

註解: 手術によりて結婚行為を不能にした人々。

また天國(てんこく)のために(みづか)らなりたる閹人(えんじん)あり、

註解: 福音を宣伝うるため、その他天国のために係累(けいるい)なく専心に働き得んがために自ら結婚を避けその煩累(はんるい)から脱し、独身生活を送るの決心を為した人々で、ここでは生理的に自己をえん人としたというのではなく、信仰により自己を神の道に捧ぐることによりて性欲を去りこれに打ち勝ち得る状態に到達せる人を指す。この種のえん人は最も貴きものである。

(これ)()()れうる(もの)()()るべし』

註解: 己の生理的素質のいかんと意思の強弱と信仰の大小を考慮して、独身生活を受け容れ得る自信がある者は独身生活を受け容れるべきであって、かかる人が真に「授けられたる者」である。一般の人はこれを為すべきではない。使徒すらもこれを受け容れ得なかった(Tコリ9:5)。
要義 [イエスと独身生活]一方にイエスは一夫一婦の結婚生活が神の定め給いし本来の状態であることを強調しつつ、他方独身生活をも認め給うた。ただしカトリック教会が僧侶に独身生活を強要せるごとき態度ではなく、又反対に新教徒が1テモテ4:3より独身生活を極力否定せるごとき態度でもなく、独身生活の賜物を授けられしものはこれを選び取るべしとの態度である。ただしこれにはその目的が限られているのであって「天国のために自らなりたるもの」であることが必要である。イエスもこの意味において独身の生活を送り給うたのであろう。今日新教の伝道者たらんとする者にして、この賜物を受けている者は進んで独身生活を選んだならば、イエスの御言にかない、天国のための奉仕となるであろう。尚1コリント7:7註及び要義参照。

8-3 幼児の祝福 19:13 - 19:15
(マコ10:13-16)(ルカ18:15-17) 

19章13節 ここに人々(ひとびと)イエスの()をおきて(いの)(たま)はんことを(のぞ)みて、幼兒(をさなご)らを()(きた)りしに、弟子(でし)たち(いやし)めたれば、[引照]

口語訳そのとき、イエスに手をおいて祈っていただくために、人々が幼な子らをみもとに連れてきた。ところが、弟子たちは彼らをたしなめた。
塚本訳それから、イエスに手をのせて祈っていただこうとして、人々が子供たちをつれて来ると、弟子たちが咎めた。
前田訳そのころ、人々がイエスのところへ子どもを連れて来て、手を置いて祈っていただこうとしたのを弟子たちがとがめた。
新共同そのとき、イエスに手を置いて祈っていただくために、人々が子供たちを連れて来た。弟子たちはこの人々を叱った。
NIVThen little children were brought to Jesus for him to place his hands on them and pray for them. But the disciples rebuked those who brought them.
註解: 偉大なる人格イエスより祝福を受けんがために、親たちはその愛する幼児らを彼に連れ来たった。弟子たちはかかることにその師を煩わすことを好まずこれを禁(さしと)めた。弟子の心は既に打算と功利との色彩を帯びている。然るにイエスの御心は唯愛の自然の流れのごとく清く自由であった。
辞解
[手をおく] 祝福が手を伝わって幼児に及ぶことを示す形式。按手礼の起源。

19章14節 イエス()ひたまふ『幼兒(をさなご)らを(ゆる)せ、(われ)(きた)るを(とど)むな、天國(てんこく)はかくのごとき(もの)(くに)なり』[引照]

口語訳するとイエスは言われた、「幼な子らをそのままにしておきなさい。わたしのところに来るのをとめてはならない。天国はこのような者の国である」。
塚本訳イエスは言われた、「子供たちを放っておけ、わたしの所に来るのを邪魔するな。天の国はこんな(小さな)人たちのものである。」
前田訳イエスはいわれた、「子どもはそのままに。彼らがわたしのところへ来るのを妨げるな。天国はこのような人たちのものである」と。
新共同しかし、イエスは言われた。「子供たちを来させなさい。わたしのところに来るのを妨げてはならない。天の国はこのような者たちのものである。」
NIVJesus said, "Let the little children come to me, and do not hinder them, for the kingdom of heaven belongs to such as these."
註解: 親たちがその幼児を愛するごとき愛をもってイエスは彼らを眺め給い、その無邪気にして表裏なき信頼の姿に天国の民の有様を見給うたのである。18:3註参照。イエスは彼らを祝福せずにはいられなかった。

19章15節 かくて()(かれ)らの(うへ)におきて此處(ここ)()(たま)へり。[引照]

口語訳そして手を彼らの上においてから、そこを去って行かれた。
塚本訳それから子供たち(の頭)に手をのせて祝福したのち、そこを去られた。
前田訳彼らに(祝福の)手を置いて、そこを去られた。
新共同そして、子供たちに手を置いてから、そこを立ち去られた。
NIVWhen he had placed his hands on them, he went on from there.
註解: 「この節に嬰児浸礼の根拠がある。けれどもTコリ7:14によれば必ずしも嬰児の洗礼が必要であることを示しているのではない」(M0)。

8-4 富める青年 19:16 - 19:30
(マコ10:17-31)(ルカ18:18-30) 

19章16節 ()よ、(ある)(ひと)みもとに(きた)りて()ふ『()よ、われ永遠(とこしへ)生命(いのち)をうる(ため)には、如何(いか)なる()(こと)()すべきか』[引照]

口語訳すると、ひとりの人がイエスに近寄ってきて言った、「先生、永遠の生命を得るためには、どんなよいことをしたらいいでしょうか」。
塚本訳するとそこに、ひとりの人がイエスの所に来て言った、「先生、永遠の命を得るには、どんな善いことをすればよいでしょうか。」
前田訳すると見よ、イエスのところへ来た人があり、「先生、永遠(とこしえ)のいのちを得るには、どんなよいことをすべきですか」といった。
新共同さて、一人の男がイエスに近寄って来て言った。「先生、永遠の命を得るには、どんな善いことをすればよいのでしょうか。」
NIVNow a man came up to Jesus and asked, "Teacher, what good thing must I do to get eternal life?"
註解: この富める青年は真面目な青年であった。その富も、その従来力(つと)めて行って来た善行も、彼に永遠の生命を与うるごとき確信を与えなかったので、心中深く悶えていたのであろう。走り来りイエスの前に跪(ひざまず)きて(マコ10:17)いかなる善事を為すべきかを問うた。彼は善を行うことに熱心であった。只彼の従来行える以外に、何か彼に永遠の生命を与うるの足るべき善事があるだろうと想像したのである。彼は信仰が本(もと)であって行為がこれより生るるものであることを知らなかった。尚マコ10:17以下参照。

19章17節 イエス()ひたまふ『()(こと)につきて(なに)(われ)()ふか、()(もの)(ただ)ひとりのみ。[引照]

口語訳イエスは言われた、「なぜよい事についてわたしに尋ねるのか。よいかたはただひとりだけである。もし命に入りたいと思うなら、いましめを守りなさい」。
塚本訳イエスは言われた、「なぜ善いことについってわたしに尋ねるのか。善いお方はただ一人(神)である。(永遠の)命に入りたければ、(神の)掟を守りなさい。」
前田訳彼はいわれた、「なぜよいことについてわたしにたずねるのか、よい方はただひとりである。いのちに入りたければ、掟を守れ」と。
新共同イエスは言われた。「なぜ、善いことについて、わたしに尋ねるのか。善い方はおひとりである。もし命を得たいのなら、掟を守りなさい。」
NIV"Why do you ask me about what is good?" Jesus replied. "There is only One who is good. If you want to enter life, obey the commandments."
註解: 青年の心は「善き事」に囚われて「善き者」を忘れていたことをイエスは洞察し給うた。我らの心は善き行為を考うるよりも先に唯一の善き者なる神に向い、彼に導かれなければならない。---尚本節の解として「我」を「善き者」と対立せしめて善き事は善き者なる神にのみに問うべきであると言い給えると解する説もある。マルコ、ルカはイエスの答を他の形をもって掲げている。その所参照。

(なんぢ)もし生命(いのち)()らんと(おも)はば誡命(いましめ)(まも)れ』

註解: 始めに律法を与え、律法の極まる処に福音を与うるのが神の順序である。律法を完全に行うことの報償は永遠の生命である。

19章18節 (かれ)いふ『(いづれ)を』[引照]

口語訳彼は言った、「どのいましめですか」。イエスは言われた、「『殺すな、姦淫するな、盗むな、偽証を立てるな。
塚本訳「どの掟を」と彼が言う。イエスはこたえられた、「“殺してはならない、姦淫をしてはならない、盗んではならない、偽りの証言をしてはならない、
前田訳彼はいう、「どの掟ですか」と。イエスはいわれた、「殺すな、姦淫するな、盗むな、偽証するな、
新共同男が「どの掟ですか」と尋ねると、イエスは言われた。「『殺すな、姦淫するな、盗むな、偽証するな、
NIV"Which ones?" the man inquired. Jesus replied, "`Do not murder, do not commit adultery, do not steal, do not give false testimony,
註解: 彼はイエスの口より彼の知らない重要なる律法を示されるであろうと期待した。

イエス()ひたまふ『「(ころ)すなかれ」「姦淫(かんいん)するなかれ」「(ぬす)むなかれ」「僞證(ぎしょう)()つる(なか)れ」

19章19節 (ちち)(はは)とを(うやま)へ」また「(おのれ)のごとく(なんぢ)(となり)(あい)すべし」』[引照]

口語訳父と母とを敬え』。また『自分を愛するように、あなたの隣り人を愛せよ』」。
塚本訳父と母とを敬え、”また“隣の人を自分のように愛せよ。”」
前田訳父母を敬え、隣(となり)びとを自らのごとく愛せよ」と。
新共同父母を敬え、また、隣人を自分のように愛しなさい。』」
NIVhonor your father and mother,' and `love your neighbor as yourself.' "
註解: 然るにイエスは極めて平凡にモーセの十戒の第二部、すなわち対人関係の律法を例示し給うた。青年がこれを知らないはずはない。唯イエスはこの青年が真の意味において(5:48要義参照)この律法を遵守していないことを知り給い、これを教えんがために先ずこの律法を提示し給うた。

19章20節 その若者(わかもの)いふ『(われ)みな(これ)(まも)れり、なほ(なに)()くか』[引照]

口語訳この青年はイエスに言った、「それはみな守ってきました。ほかに何が足りないのでしょう」。
塚本訳青年が言う、「それならみんな守っております。まだ何か足りないでしょうか。」
前田訳若者はいう、「それらは皆守っています。何がまだ足りないのでしょう」と。
新共同そこで、この青年は言った。「そういうことはみな守ってきました。まだ何か欠けているでしょうか。」
NIV"All these I have kept," the young man said. "What do I still lack?"
註解: 青年はその神への信頼の有無をば問題にしないで、唯外形的にこれを守りて以て自らこれらの律法を遵守しているものと信じていた。それゆえに己の内心の不満足なる原因を未だ発見することができず、他に欠くる処あることを思いこれをイエスに尋ねた。

19章21節 イエス()ひたまふ『なんぢ()(まった)からんと(おも)はば、()きて(なんぢ)所有(もちもの)()りて(まづ)しき(もの)(ほどこ)せ、さらば財寶(たから)(てん)()ん。かつ(きた)りて(われ)(したが)へ』[引照]

口語訳イエスは彼に言われた、「もしあなたが完全になりたいと思うなら、帰ってあなたの持ち物を売り払い、貧しい人々に施しなさい。そうすれば、天に宝を持つようになろう。そして、わたしに従ってきなさい」。
塚本訳イエスは言われた、「完全になりたければ、家に帰って持ち物を売って、(その金を)貧乏な人に施しなさい。そうすれば天に宝を積むことができる。それから来て、わたしの弟子になりなさい。」
前田訳イエスはいわれた、「全くありたければ、行って持ちものを売って貧しい人々に与えよ。そうすれば天に宝を得よう。そのうえで来てわたしに従いなさい」と。
新共同イエスは言われた。「もし完全になりたいのなら、行って持ち物を売り払い、貧しい人々に施しなさい。そうすれば、天に富を積むことになる。それから、わたしに従いなさい。」
NIVJesus answered, "If you want to be perfect, go, sell your possessions and give to the poor, and you will have treasure in heaven. Then come, follow me."
註解: 青年の心は神に依り頼むことをせず、財貨に依り頼んでいた。イエスは青年の不安の原因がこれであったことを観取し、この偶像を棄ててイエスに従うことを命じ給うたのである。すなわち「これ忠告にあらずして命令であり、任意にあらずして絶対である。しかし一般的ではなく特別の場合であって、青年の霊の特別の状態に応じたものである。何となれば彼に従えるものの多くにイエスのこの命令を与え給わなかった。財貨を所有していても尚かつ全き者たり得ると共に、すべてを貧しき者に施しても全からざるものもあり得る」(B1)、すなわち唯一の問題は唯神のみを信じ、彼に依り頼むや否やにある。彼以外に何物かが我らの心を占領して、彼に依り頼むことを妨げるならば、イエスは我らにこれを棄て、彼に従えと命じ給う。
辞解
[全からんと思わば] 5:48と同じく「全き」はその質においての完全であって、量においての完全ではない。

19章22節 この(ことば)をききて、若者(わかもの)(かな)しみつつ()りぬ。(おほい)なる資産(しさん)()てる(ゆゑ)なり。[引照]

口語訳この言葉を聞いて、青年は悲しみながら立ち去った。たくさんの資産を持っていたからである。
塚本訳青年はこの言葉を聞き、悲しそうにして立ち去った。大資産家であったのである。
前田訳若者はそのことばを聞いて、悲しみながら去った。財産が多かったからである。
新共同青年はこの言葉を聞き、悲しみながら立ち去った。たくさんの財産を持っていたからである。
NIVWhen the young man heard this, he went away sad, because he had great wealth.
註解: この青年は永遠の生命をすてて財貨を選び取った。現在の一時の苦痛に耐え得ずして未来の永遠の苦痛を招いたのである。かくしてイエスに従わずして去る者はこの青年のみではない。我ら自身その一人にあらざるやを反省しなければならない。

19章23節 イエス弟子(でし)たちに()(たま)ふ『まことに(なんぢ)らに()ぐ、()める(もの)天國(てんこく)()るは(かた)し。[引照]

口語訳それからイエスは弟子たちに言われた、「よく聞きなさい。富んでいる者が天国にはいるのは、むずかしいものである。
塚本訳イエスは弟子たちに言われた、「アーメン、わたしは言う、金持が天の国に入ることはむずかしい。
前田訳イエスは弟子たちにいわれた、「本当にいう、金持が天国に入るのはむずかしい。
新共同イエスは弟子たちに言われた。「はっきり言っておく。金持ちが天の国に入るのは難しい。
NIVThen Jesus said to his disciples, "I tell you the truth, it is hard for a rich man to enter the kingdom of heaven.

19章24節 (また)なんぢらに()ぐ、()める(もの)(かみ)(くに)()るよりは、駱駝(らくだ)(はり)(あな)(とほ)るかた(かへ)つて(やす)し』[引照]

口語訳また、あなたがたに言うが、富んでいる者が神の国にはいるよりは、らくだが針の穴を通る方が、もっとやさしい」。
塚本訳かさねて言う、金持が天の国に入るよりは、駱駝が針のめどを通る方がたやすい。」
前田訳繰り返すが、らくだが針の穴を通るほうが金持が神の国へ入るよりはやさしい」と。
新共同重ねて言うが、金持ちが神の国に入るよりも、らくだが針の穴を通る方がまだ易しい。」
NIVAgain I tell you, it is easier for a camel to go through the eye of a needle than for a rich man to enter the kingdom of God."
註解: 駱駝は針の穴を通ることができないと同じく、富める者は神の国に入ることができない。ゆえに我らは貧しくならなければならぬ。ここに富める者とは財貨金銀に富める者のみに限るべきではない。智識、学問、智恵、経験、地位、身分、その他何にてもこれを価値ありと認めてその価値に依り頼んでいるならば、その人はその点において富める者である。イエスは我らに向いこれらをすべて捨て去って彼に従うべきことを命じ給う。

19章25節 弟子(でし)たち(これ)をきき、(はなは)だしく(をどろ)きて()ふ『さらば(たれ)(すく)はるることを()ん』[引照]

口語訳弟子たちはこれを聞いて非常に驚いて言った、「では、だれが救われることができるのだろう」。
塚本訳これを聞いて、弟子たちは非常に驚いて言った、「ではいったい、だれが救われることが出来るのだろう。」
前田訳それを聞いて弟子たちははなはだおどろいていう、「それならだれが救われえよう」と。
新共同弟子たちはこれを聞いて非常に驚き、「それでは、だれが救われるのだろうか」と言った。
NIVWhen the disciples heard this, they were greatly astonished and asked, "Who then can be saved?"
註解: イエスが富める者の天国に入るは難しと宣(のたま)える意義が単に財宝の富を言ったのではなく、心の富める者(5:3の反対の場合)をも意味していたことを弟子たちは悟ったのであろう。それゆえにもし然らば救わるる者はないであろうと驚いたのである(単に財宝の富のみを意味するならが、貧者の多きこの世界に救わるるもの少なきを憂うる必要はない)。

19章26節 イエス(かれ)らに()()めて()(たま)ふ『これは(ひと)(あた)はねど、(かみ)(すべ)ての(こと)をなし()るなり』[引照]

口語訳イエスは彼らを見つめて言われた、「人にはそれはできないが、神にはなんでもできない事はない」。
塚本訳イエスは彼らをじっと見て言われた、「これは人間には出来ないが、“神にはなんでも出来る。”」
前田訳イエスは彼らを見つめていわれた、「これは人にはできないが、神にはすべてがおできになる」と。
新共同イエスは彼らを見つめて、「それは人間にできることではないが、神は何でもできる」と言われた。
NIVJesus looked at them and said, "With man this is impossible, but with God all things are possible."
註解: この重要なる真理を語らんとしてイエスは特に彼らに目を注(と)め給うた。人は自ら自分を救うことはできない。己を棄ててキリストに従うことは人の自力をもってはこれを為すことができない。唯神はその恩恵と十字架の犠牲によりて人を救うことを得給う。人の救わるるはすべて神の御業である。すべてのことを為し得給う神は、またこの頑固なる人の心をも砕きてこれを悔改めしむることを得給う。

19章27節 ここにペテロ(こた)へて()ふ『()よ、われら一切(すべて)をすてて(なんぢ)(したが)へり、されば(なに)()べきか』[引照]

口語訳そのとき、ペテロがイエスに答えて言った、「ごらんなさい、わたしたちはいっさいを捨てて、あなたに従いました。ついては、何がいただけるでしょうか」。
塚本訳その時、ペテロが口を出してイエスに言った、「でも、わたし達は(あの金持とちがいます。)この通り何もかもすてて、あなたの弟子になりました。わたし達にはいったいなんの褒美があるのでしょうか。」
前田訳そこでペテロが答えていった、「このとおりわれらはすべてを捨ててあなたに従いました。いったい何がわれらに与えられますか」と。
新共同すると、ペトロがイエスに言った。「このとおり、わたしたちは何もかも捨ててあなたに従って参りました。では、わたしたちは何をいただけるのでしょうか。」
NIVPeter answered him, "We have left everything to follow you! What then will there be for us?"
註解: 弟子たちは始めより報償を約束し、これを交換条件としてキリストに従ったのではなかった。唯単純に彼の言に従ったのである。今イエスの御言によりこれが神の救いの御手が加わったのであることを彼らは知った。唯彼らはその終局がいかなる結果に立ち至るだろうかについて新たに疑問を起したのであろう。富める青年の行動が彼らが疑問を起すの原因となったのであろう。

19章28節 イエス(かれ)らに()(たま)ふ『まことに(なんぢ)らに()ぐ、()あらたまりて(ひと)()その榮光(えいくわう)座位(くらゐ)()するとき、(われ)(したが)へる(なんぢ)()もまた十二(じふに)座位(くらゐ)()して、イスラエルの十二(じふに)(やから)(さば)かん。[引照]

口語訳イエスは彼らに言われた、「よく聞いておくがよい。世が改まって、人の子がその栄光の座につく時には、わたしに従ってきたあなたがたもまた、十二の位に座してイスラエルの十二の部族をさばくであろう。
塚本訳イエスが彼らに言われた、「アーメン、わたしは言う、新しい世界が生まれて、人の子(わたし)が栄光の座につく時には、わたしの弟子になったあなた達十二人も十二の王座について、イスラエル(の民)の十二族を支配するのである。
前田訳イエスは彼らにいわれた、「本当にいう、新生のとき人の子が栄光の座につくと、あなた方わたしに従うものも十二の王座についてイスラエルの十二の族(やから)を裁こう。
新共同イエスは一同に言われた。「はっきり言っておく。新しい世界になり、人の子が栄光の座に座るとき、あなたがたも、わたしに従って来たのだから、十二の座に座ってイスラエルの十二部族を治めることになる。
NIVJesus said to them, "I tell you the truth, at the renewal of all things, when the Son of Man sits on his glorious throne, you who have followed me will also sit on twelve thrones, judging the twelve tribes of Israel.
註解: 本節は使徒たちに対する特別の報償(マルコ、ルカになし)29節は一般に対する報償の約束である。「世あらたまる時」すなわちキリストの再臨によりて聖徒の復活、万物の復興ある時(イザ2:6−9。使3:21。ロマ8:19−23。Tコリ15:51。黙21:1−5)キリスト栄光の座位に坐し、十二使徒と共にイスラエルの十二の族を支配するであろう。けだしすべてを捨てし使徒らは、又そのイスラエルの民籍をすらこれを捨てた、彼らはイスラエルに排斥せらるるものとなった。しかしながら時来らばそのイスラエルは彼らの審きを受け(Tコリ6:2。ルカ22:30)彼らに支配せらるるに至るであろう(C1、S1、Z0)。彼らが教会の基礎となる栄誉を持つことは勿論であるがここには述べられていない。唯彼らの棄てしものに幾倍するものを与えられることを示したのである(このイスラエルを教会すなわち霊によるイスラエルと解する説もある。黙7。ガラテヤ6:16。黙21:12−14)。
辞解
[審く] ここでは「支配する」意味をも含むと見るべきであろう(Z0)。

19章29節 また(おほよ)()()のために、(あるひ)(いへ)、あるひは兄弟(きゃうだい)、あるひは姉妹(しまい)、あるひは(ちち)、あるひは(はは)、あるひは()、あるひは田畑(たはた)()つる(もの)は、數倍(すうばい)()け、また永遠(とこしへ)生命(いのち)()がん。[引照]

口語訳おおよそ、わたしの名のために、家、兄弟、姉妹、父、母、子、もしくは畑を捨てた者は、その幾倍もを受け、また永遠の生命を受けつぐであろう。
塚本訳そしてわたしのために家や兄弟や姉妹や父や母や畑をすてた者は一人のこらず、(この世で)その幾倍を受け、また(来るべき世では)永遠の命をいただくのである。
前田訳わが名のゆえに家や兄弟姉妹や父母や子や畑を捨てたものは、みな何倍もの報いを受け、永遠のいのちを継ごう。
新共同わたしの名のために、家、兄弟、姉妹、父、母、子供、畑を捨てた者は皆、その百倍もの報いを受け、永遠の命を受け継ぐ。
NIVAnd everyone who has left houses or brothers or sisters or father or mother or children or fields for my sake will receive a hundred times as much and will inherit eternal life.
註解: 「数倍」はマルコ伝及び異本に「百倍」とあり、マルコ、ルカには「今の時に」とあり、すなわちキリストの御名を信ずるゆえをもって、これらのすべてを棄つる者はこの世においてその幾倍を受けるというのである。果してそれは事実であろうか。キリスト者は物質的に恵まれず、家庭的にも社会的にも迫害を受け不和を来すのが常である。然るにイエスはあたかもこの事実を無視するかのごとくにこの約束を与え給うた。しかしながらこの約束は事実である。財宝や家庭の快楽をイエスの御名のために棄てしものとってはパンの一斤、兄弟の小さき愛の行為も、絶大の価値を有し、反対に自己の欲望を棄てない者にとっては巨万の富も満足を与えない。而して富とは結局主観的満足の総量であって客観的分量の大小でない以上、すべてを棄るるものはこの世においてすらその幾倍をうけることは事実である。最も富めるものは何をも持たない者である。而して終には永遠の生命をその報償として受けるのである。これはイエスの御名のためにすべてを棄つる人の皆経験する事実である。

19章30節 されど(おほ)くの(さき)なる(もの)(のち)に、(のち)なる(もの)(さき)になるべし。[引照]

口語訳しかし、多くの先の者はあとになり、あとの者は先になるであろう。
塚本訳しかし(決して油断をしてはならない。)一番の者が最後になり、最後の者が一番になることが多い。
前田訳最初のものが最後になり、最後のものが最初になることが多かろう。
新共同しかし、先にいる多くの者が後になり、後にいる多くの者が先になる。」
NIVBut many who are first will be last, and many who are last will be first.
註解: イエスは使徒たちの高ぶりを防がんがために、この一節を付加し、さらに20:1−16の比喩をもって彼らに教え、その結末にも同一の語をもって結んでいる。すなわち先に選ばれたる者ももしそのことに安心しているならば、後より来るものがかえって彼らに先立つに至るであろう。信仰の道は一刻も油断してはならない。
要義1 [心の富める者は天国に入り難し]財宝に富めるものがこれに寄り頼みて神に寄り頼まざるがために天国に入ることができないと同様、自己の理性を神として崇め、神の言を理性に照して排斥する者、その他自己の地位、身分、名誉、経歴、経験等の棄て難きがためにイエスに従いかねている者は皆天国に入り難き者である。何となれば彼らはたとい金銀に富まずとも、これらの無形の財宝に富んでいる富者であって、イエスは富める青年に対してその所有を売ることを命じ給いしと同じく、これらの人々に対してこれらの無形の財貨を棄ててイエスに従うこと命じ給うであろう。而してこの命令をききて悲しみて去る人はいかに多いことであろうか。哲学や、芸術や、科学や、社会運動やをもって満足せずしてイエスに来る者は今日といえども少なくはない。しかし彼らの中に結局悲しみて去るもの多きは何故であろうか。彼らはその所有を棄て難しと思うからである。彼らはすべてを棄ててイエスに従わなければならぬ。然らざれば神の国に入ることができないであろう。
要義2 [神はすべてのことをなし得るなり]天地万有を創造し給える神は、又我らの中に新しき人を造ることを得給う。我らは自らすべてを棄てんと欲しても、我が心の中に罪の法(ロマ7:23)があって、我らを妨げる。我らのすべての努力は我らを全きものたらしむることができない。しかるに神は石よりアブラハムの子を造り得給う(3:9)ごとく、キリストの十字架上に我らのすべての罪をおきて彼の肉において罪を罰して我らの罪を赦し給うた。この神の愛を知る場合には、いかなる頑固なる石の心も砕かれずにいることができない。かくして神は我らを新たなる生命に更生せしめ給い、我ら自己の努力によりては不可能であったことを成就し給うのである。いかなる富者といえども、この神の御手が彼に加えらるる時、彼は救われるのである。ゆえに有形無形の財に富める者は、イエスよりこれを棄つべき命令を受けし際に悲しみて立去ることをせず、その無力を告白して無力のまま神に寄り頼む時、神は彼をしてすべてを棄つることを得しめ給う。