黒崎幸吉著 註解新約聖書 Web版マタイ伝

マタイ伝第16章

分類
5 イエス逆境に陥りたまう 11:1 - 16:12
5-4 イエス退きて弟子を訓練し給う 14:1 - 16:12
5-4-リ 天よりの徴 16:1 - 16:4
(マコ8:2-13) (ルカ12:54-57)   

16章1節 パリサイ(びと)とサドカイ(びと)(きた)りてイエスを(こころ)み、(てん)よりの(しるし)(しめ)さんことを()ふ。[引照]

口語訳パリサイ人とサドカイ人とが近寄ってきて、イエスを試み、天からのしるしを見せてもらいたいと言った。
塚本訳するとパリサイ人とサドカイ人とが来て、イエスを試そうとして、(神の子である証拠に)天からの(不思議な)徴を示すようにと頼んだ。
前田訳パリサイ人とサドカイ人が来て、イエスを試すために天からの徴を彼らに示すよう請うた。
新共同ファリサイ派とサドカイ派の人々が来て、イエスを試そうとして、天からのしるしを見せてほしいと願った。
NIVThe Pharisees and Sadducees came to Jesus and tested him by asking him to show them a sign from heaven.
註解: パリサイ人もサドカイ人もこれまでイエスの行い給える奇蹟のみをもっては、彼を救い主と信ずることができなかった。恐らく彼らはこれらの奇蹟をもって地のものと見做し、サタンもこれを行い得るものと考えたのであろう。ゆえに彼らはモーセやヨシュアやエリヤの場合のごとく、イエスのメシヤなることについての天よりの徴を示さんことを乞うた。これ取りもなおさずイエスのメシヤなりや否やに関する挑戦である。彼らはこの試みによりイエスを試験せんとした、あたかも荒野におけるサタンの役目を彼らは演じているのである。すべてのことにおいて相一致せざるパリサイ人とサドカイ人も、イエスに対する不信においては一致していた。
辞解
[天よりの徴] モーセが十戒を授けらるる時の天変、天よりのマナ、ヨシュアに対する神の助け、エリヤがカルメル山上にエホバの火を祈ってこれを得しごとき徴を指す。

16章2節 (こた)へて()ひたまふ『(ゆふべ)には(なんぢ)ら「(そら)あかき(ゆゑ)(はれ)ならん」と()ひ、[引照]

口語訳イエスは彼らに言われた、「あなたがたは夕方になると、『空がまっかだから、晴だ』と言い、
塚本訳彼らに答えられた、「あなた達は夕方には『(明日は)天気だ、空が焼けているから』と言い、
前田訳彼は答えられた、「〔夕になるとあなた方はいう、『お天気だ、空が焼けているから』と。
新共同イエスはお答えになった。「あなたたちは、夕方には『夕焼けだから、晴れだ』と言い、
NIVHe replied, "When evening comes, you say, `It will be fair weather, for the sky is red,'

16章3節 また(あした)には「そら(あか)くして(くも)(ゆゑ)に、今日(けふ)(かぜ)(あめ)ならん」と()ふ。なんぢら(くう)氣色(けはひ)見分(みわ)くることを()りて、(とき)(しるし)見分(みわ)くること(あた)はぬか。[引照]

口語訳また明け方には『空が曇ってまっかだから、きょうは荒れだ』と言う。あなたがたは空の模様を見分けることを知りながら、時のしるしを見分けることができないのか。
塚本訳また朝早く、『きょうは荒れだ、空が雲って焼けているから』と言う。あなた達は空の模様を見分けることを知っていながら、時の(せまった)徴を見分けることが出来ないのか。
前田訳そして朝には、『きょうは嵐だ、空が曇って焼けているから』と。空の様子を見わけることを知って時の徴がわからないのか〕。
新共同朝には『朝焼けで雲が低いから、今日は嵐だ』と言う。このように空模様を見分けることは知っているのに、時代のしるしは見ることができないのか。
NIVand in the morning, `Today it will be stormy, for the sky is red and overcast.' You know how to interpret the appearance of the sky, but you cannot interpret the signs of the times.
註解: 夕焼けは好天、朝焼けは荒天の前兆であることは我が国においても知られている。この空の気色は万人に明らかなる徴であり、何人もこの徴によりて天候を予知することができる。イエスこの世に来り給い多くの能力ある業を行い給いしことは、この空の気色と同じく万人の前に行われ、何人にも明らかなる「恵みによる救いの時の徴」であった。これを見分くることができないはずはないとイエスは言い給う。而してこれを見分け得ないのは、徴がないからではなく「不信」の結果彼らが盲目になっているからである。今日キリストの福音が宣伝えられ罪の赦しが示されているのに人々これに与り得ないのは、彼らの不信の結果である。

16章4節 邪曲(よこしま)にして不義(ふぎ)なる()(しるし)(もと)む、されどヨナの(しるし)(ほか)(しるし)(あた)へられじ』かくて(かれ)らを(はな)れて()(たま)ひぬ。[引照]

口語訳邪悪で不義な時代は、しるしを求める。しかし、ヨナのしるしのほかには、なんのしるしも与えられないであろう」。そして、イエスは彼らをあとに残して立ち去られた。
塚本訳この悪い、神を忘れた時代の人は、徴をほしがる。しかしこの人たちには、ヨナの徴以外の徴は与えられない。」イエスは彼らをすてて立ち去られた。
前田訳悪い背信の世代は徴を求めるが、ヨナの徴のほか徴は与えられまい」と。イエスは彼らから立ち去られた。
新共同よこしまで神に背いた時代の者たちはしるしを欲しがるが、ヨナのしるしのほかには、しるしは与えられない。」そして、イエスは彼らを後に残して立ち去られた。
NIVA wicked and adulterous generation looks for a miraculous sign, but none will be given it except the sign of Jonah." Jesus then left them and went away.
註解: このパリサイ人やサドカイ人のごとき高慢な態度やイエスに対する批判的態度で福音に対する者は祝福を受けることができない。マタ12:39註参照。
要義 [不信仰は人をして盲目ならしむ]ヨハネ9:1−41の盲人開目の奇跡の示すがごとく、パリサイ人らはその不信仰のゆえに盲目であった。盲目なる者にはいかなる徴も何の意味をもなさない、ゆえに彼らには徴が与えられないのである。然るにパリサイ人らは自己の不信をばこれを顧みずして、天よりの徴によりて信ぜしめられんことを求めている。しかしこれは無益である、ゆえにイエスは5−12節にこのパリサイ人のパン種を戒め、13−30節においてペテロが何らの徴によらず、信仰によりてイエスを神の子と告白することができた事実を示している。

5-4-ヌ パン種に対する警戒 16:5 - 16:12
(マコ8:14-21)   

16章5節 弟子(でし)たち彼方(かなた)(きし)(いた)りしに、パンを(たづさ)ふることを(わす)れたり。[引照]

口語訳弟子たちは向こう岸に行ったが、パンを持って来るのを忘れていた。
塚本訳向う岸に着いたとき、弟子たちはパンを持ってくるのを忘れていた。
前田訳向こう岸に渡るとき弟子たちはパンを持って来るのを忘れていた。
新共同弟子たちは向こう岸に行ったが、パンを持って来るのを忘れていた。
NIVWhen they went across the lake, the disciples forgot to take bread.
註解: 弟子たちのみならずイエスも彼らと共に渡り給いしことは次節によりても明らかである。

16章6節 イエス()ひたまふ『(つつし)みてパリサイ(びと)とサドカイ(びと)とのパン(だね)(こころ)せよ』[引照]

口語訳そこでイエスは言われた、「パリサイ人とサドカイ人とのパン種を、よくよく警戒せよ」。
塚本訳するとイエスは弟子たちに、「パリサイ人(のパン種)とサドカイ人のパン種に注意し、警戒せよ」と言われた。
前田訳イエスは彼らにいわれた、「心がけて、パリサイ人とサドカイ人のパン種を警戒せよ」と。
新共同イエスは彼らに、「ファリサイ派とサドカイ派の人々のパン種によく注意しなさい」と言われた。
NIV"Be careful," Jesus said to them. "Be on your guard against the yeast of the Pharisees and Sadducees."
註解: 弟子たちがパンのことを憂慮しつつある間に、イエスは彼らの心がパリサイ主義、サドカイ主義に浸潤せられんことを恐れて、かく誡め給うたのである。蓋し自ら信仰なしに、形式的律法の遵守をもって真の宗教なりとするパリサイ人、また自ら信仰なしに、理智的、哲学的、文化的態度をもって真の人生なりとし、この世に勢力あることを誇るサドカイ人(マコ8:15にはヘロデのパン種とあり、サドカイ人にはヘロデ党が多かった)らは共にイエスを拒む人々であって、人は律法主義、文化主義に陥ると同時にイエスを見失うことは今日も変りはない。イエスはこのパン種を警戒し給うたのである。▲今日でもキリスト教徒の中に、このパリサイ型とサドカイ型とがあり、いずれも真の信仰ではない。
辞解
[パン種] マタ13:33註参照。

16章7節 弟子(でし)たち(たがひ)に『(われ)らはパンを(たづさ)へざりき』と(かた)()ふ。[引照]

口語訳弟子たちは、これは自分たちがパンを持ってこなかったためであろうと言って、互に論じ合った。
塚本訳弟子たちは(その意味がわからず、)「パンを持ってこなかったこと(を言われる)らしい」と言って、こそこそ評議をしていた。
前田訳彼ら同士いいはじめた、「われわれがパンを持って来なかったからだ」と。
新共同弟子たちは、「これは、パンを持って来なかったからだ」と論じ合っていた。
NIVThey discussed this among themselves and said, "It is because we didn't bring any bread."
註解: かかる理解なき弟子たちであったので、イエスは特に警戒を与うるの必要を認め給うたのであろう。弟子たちはイエスの御言を解し兼ねて互いにヒソヒソ話をしたのである。

16章8節 イエス(これ)()りて()(たま)ふ『ああ信仰(しんかう)うすき(もの)よ、(なに)ぞパン()きことを(かた)()ふか。[引照]

口語訳イエスはそれと知って言われた、「信仰の薄い者たちよ、なぜパンがないからだと互に論じ合っているのか。
塚本訳イエスはそれと知って言われた、「なぜパンのないことをこそこそ評議するのか。この信仰の小さい人たち!
前田訳気づいてイエスはいわれた、「なぜあなた方同士でパンのないことを話しあうか、小信もの、
新共同イエスはそれに気づいて言われた。「信仰の薄い者たちよ、なぜ、パンを持っていないことで論じ合っているのか。
NIVAware of their discussion, Jesus asked, "You of little faith, why are you talking among yourselves about having no bread?

16章9節 (いま)(さと)らぬか、(いつ)つのパンを()(せん)(にん)(わか)ちて、その(あまり)幾籃(いくかご)ひろひ、[引照]

口語訳まだわからないのか。覚えていないのか。五つのパンを五千人に分けたとき、幾かご拾ったか。
塚本訳まだ解らないのか、覚えていないのか、あの五千人の五つのパンのとき、いく篭ひろったか。
前田訳まだわからないのか、五千人のためのパン五つでいく籠拾ったか、覚えていないのか。
新共同まだ、分からないのか。覚えていないのか。パン五つを五千人に分けたとき、残りを幾籠に集めたか。
NIVDo you still not understand? Don't you remember the five loaves for the five thousand, and how many basketfuls you gathered?

16章10節 また(なな)つのパンを四千(しせん)(にん)(わか)ちて、その(あまり)幾籃(いくかご)ひろひしかを(おぼ)えぬか。[引照]

口語訳また、七つのパンを四千人に分けたとき、幾かご拾ったか。
塚本訳また、四千人の七つのパンのとき、いく篭ひろったか。
前田訳四千人のためのパン七つでいく籠拾ったか。
新共同また、パン七つを四千人に分けたときは、残りを幾籠に集めたか。
NIVOr the seven loaves for the four thousand, and how many basketfuls you gathered?
註解: イエスが弟子たちに要求し給うことは衣食の思い煩いを除きて、唯イエスをメシヤと信じ神の子と仰ぐことであった。もし弟子たちがイエスの二度までも為し給えるパンの奇蹟を心に留め、これによりてイエスの神の子に在し給うことを信じていたならば、パンを携えなかったことに心を奪わるるようなことはないであろう。この信仰が弟子たちに欠けているのをいかに悲しく思い給うたことであろうか、イエスは幾度も入念にその奇蹟につきて弟子に質問を発し給うた(マコ8:17−21には一層強く「未だ悟らぬか」を繰返し給いしことが記されている)。かくのごとく弟子の「信仰うすき」がゆえに、イエスはパン種につきて一層厳(おごそ)かに警戒することを必要と感じ給うたのである。
辞解
[筐(かご)] コフィノス kophinos であって旅行に携帯するバスケット様のもの、「籃(かご)」はスピュリス spuris でパウロは籃に入れて夜中石垣より吊り下ろされた(使9:25)のもこの種類であり、穀物貯蔵のために用いらるる大型の籃である。パンの奇蹟の第一回は筐であり、第二回が籃であったことは四福音書の記事が一致し、この物語の精確さを保証している。

16章11節 ()()ひしはパンの(こと)にあらぬを(なに)(さと)らざる。(ただ)パリサイ(びと)とサドカイ(びと)とのパンだねに(こころ)せよ』[引照]

口語訳わたしが言ったのは、パンについてではないことを、どうして悟らないのか。ただ、パリサイ人とサドカイ人とのパン種を警戒しなさい」。
塚本訳パンのことを言ったのではないことが、どうして解らないのか。パリサイ人(のパン種)とサドカイ人のパン種を警戒せよ。」
前田訳あなた方にいったのはパンのことではないのがなぜわからないのか。パリサイ人とサドカイ人のパン種を警戒せよ」と。
新共同パンについて言ったのではないことが、どうして分からないのか。ファリサイ派とサドカイ派の人々のパン種に注意しなさい。」
NIVHow is it you don't understand that I was not talking to you about bread? But be on your guard against the yeast of the Pharisees and Sadducees."
註解: イエスは彼を拒まんとするパリサイ人やサドカイ人の思想の中に多くの害毒を認めこれに感染せざるよう、くれぐれも弟子たちを教え給うたのである。

16章12節 ここに弟子(でし)たちイエスの(こころ)せよと()(たま)ひしは、パンの(たね)にはあらで、パリサイ(びと)とサドカイ(びと)との(をしへ)なることを(さと)れり。[引照]

口語訳そのとき彼らは、イエスが警戒せよと言われたのは、パン種のことではなく、パリサイ人とサドカイ人との教のことであると悟った。
塚本訳その時(やっと)弟子たちは、イエスがパン種でなく、パリサイ人とサドカイ人との教えを警戒せよ、と言われたことを悟った。
前田訳そこで、弟子たちは彼がパン種でなくてパリサイ人とサドカイ人の教えを警戒するよういわれたことがわかった。
新共同そのときようやく、弟子たちは、イエスが注意を促されたのは、パン種のことではなく、ファリサイ派とサドカイ派の人々の教えのことだと悟った。
NIVThen they understood that he was not telling them to guard against the yeast used in bread, but against the teaching of the Pharisees and Sadducees.
註解: 前節にイエスはパン種の何を意味せざるかを示し、何を意味するか弟子の判断に任せ給うた。本節にはその弟子の判断を記している。この「教」の内容についてカルビンは「神の言に自己の考えを交え又神の言の中になきものを付加するごときこと」と解しているけれども、それよりもむしろ形式外見を重んじて内容なきいわゆるパリサイ主義、理智を重んじて信仰なきサドカイ主義と解する方が前後の関係に適している。
要義 [パン種に対する注意]「少しのパン種の粉の団塊をみな膨れしむることを知らぬか」(1コリント5:6。ガラテヤ5:9)。イエスがここにパリサイとサドカイのパン種を除くべきことを教え給えるは、唯その当時の事情のみに適する教えではなく、今日も同様にこのパリサイとサドカイのパン種が多量に存しているのである。心がキリストより遠ざかっておりながら、口と手とをもって形式的に律法的にキリストに仕えんとする教会主義は、一種のパリサイのパン種である。又福音の中より奇跡を除き、イエスの神の子に在し給うこと、十字架によりて罪を贖い、復活して神の右に在し、やがて再び来りて審判を行い給うこと等を除きて、キリスト教を一種の文化運動、社会運動に化せしめんとするものは一種のサドカイ主義である。かくのごとく今日我らの世界においてもこの二主義が種々の形を為して存在しているのであって、我らはイエスを神の子と信ずる信仰によりてこのパン種を除くことをしなければならない。

分類
6 イエスその使命及び十字架を予告し給う 16:13 - 17:27
6-1 ペテロの告白 16:13 - 16:20
(マコ8:27-30) 

16章13節 イエス、ピリポ・カイザリヤの地方(ちはう)にいたり、弟子(でし)たちに()ひて()ひたまふ『人々(ひとびと)(ひと)()(たれ)()ふか』[引照]

口語訳イエスがピリポ・カイザリヤの地方に行かれたとき、弟子たちに尋ねて言われた、「人々は人の子をだれと言っているか」。
塚本訳ピリポ・カイザリヤ地方に行かれたとき、イエスはこう言って弟子たちに尋ねられた、「世間の人は人の子(わたし)のことをなんと言っているか。」
前田訳イエスはピリポ・カイサリアの地方に来られたとき、弟子たちに問われた、「人々は人の子を何というか」と。
新共同イエスは、フィリポ・カイサリア地方に行ったとき、弟子たちに、「人々は、人の子のことを何者だと言っているか」とお尋ねになった。
NIVWhen Jesus came to the region of Caesarea Philippi, he asked his disciples, "Who do people say the Son of Man is?"
註解: ピリポ・カイザリヤはパレスチナのカイザリヤと区別され、前者はレバノン山脈の麓にある一小市、後者は地中海岸の都市である。この質問を境界としてイエスの臨終が益々近付いて来、弟子たちにもそのことを示し給う。
辞解
[人の子] マタイ8:20。

16章14節 (かれ)()いふ『(ある)(ひと)はバプテスマのヨハネ、(ある)(ひと)はエリヤ、(ある)(ひと)はエレミヤ、また預言者(よげんしゃ)一人(ひとり)[引照]

口語訳彼らは言った、「ある人々はバプテスマのヨハネだと言っています。しかし、ほかの人たちは、エリヤだと言い、また、エレミヤあるいは預言者のひとりだ、と言っている者もあります」。
塚本訳彼らが言った、「あるいは洗礼者ヨハネ、あるいは預言者エリヤ、あるいはエレミヤとか(昔の)普通の預言者とか言う者があります。」
前田訳彼らはいった、「あるものは洗礼者ヨハネ、あるものはエリヤ、他のものはエレミヤとか預言者のひとりといいます」。
新共同弟子たちは言った。「『洗礼者ヨハネだ』と言う人も、『エリヤだ』と言う人もいます。ほかに、『エレミヤだ』とか、『預言者の一人だ』と言う人もいます。」
NIVThey replied, "Some say John the Baptist; others say Elijah; and still others, Jeremiah or one of the prophets."
註解: 世人のイエス評である。イエスを信ぜざる者もイエスの偉大を否定し得なかった。ゆえに或人はイエスを現代における最大の聖者ヨハネに比し、或人はメシアの先駆として来るべきエリヤに比し、或人は最大の預言者エレミヤに比した、その他イエスに対して種々の評を下していたことであろうけれども、要するに人類中の最も大なるものとして彼を見ていた。それにもかかわらず彼が神の独子に在し給うことを知ることができなかった。今日もイエスをもって世界の三聖または四聖の中に列せしむることを躊躇する人はあるまい、しかしながら彼を神の子と信ずるものは極めて少ない。

16章15節 (かれ)らに()ひたまふ『なんぢらは(われ)(たれ)()ふか』[引照]

口語訳そこでイエスは彼らに言われた、「それでは、あなたがたはわたしをだれと言うか」。
塚本訳彼らに言われる、「では、あなた達はわたしのことをなんと言うのか。」
前田訳彼らにいわれる、「あなた方はわたしを何というか」と。
新共同イエスが言われた。「それでは、あなたがたはわたしを何者だと言うのか。」
NIV"But what about you?" he asked. "Who do you say I am?"
註解: イエスは勿論世人の評価を多く期待しなかった。先ずこれについて質したのは、弟子たちが彼について何を考えているかを問うの前提に過ぎなかった。彼にとっては弟子の信仰が最大の関心事であったのである。彼の死期は近付きつつあった。もし弟子たちにして彼を解しなかったならば、彼の淋しさはいかばかりであったろうか。

16章16節 シモン・ペテロ(こた)へて()ふ『なんぢはキリスト、()ける(かみ)()なり』[引照]

口語訳シモン・ペテロが答えて言った、「あなたこそ、生ける神の子キリストです」。
塚本訳シモン・ペテロが答えて言った、「あなたは救世主、生ける神の子であります!」
前田訳シモン・ペテロが答えた、「あなたはキリスト、生ける神の子です」と。
新共同シモン・ペトロが、「あなたはメシア、生ける神の子です」と答えた。
NIVSimon Peter answered, "You are the Christ, the Son of the living God."
註解: イエスは単なる偉人、宗教家、天才、預言者等の語をもって示すべくあまりに偉大である。彼は人間の中に列せらるべきものではなく、まことに、メシヤ、救い主、活ける神の子に在し給うた。ペテロは使徒たちの代弁者として厳(おごそ)かにこの信仰を告白したのである。このペテロの告白こそすべてのキリスト者の告白でなければならない。かくしてイエスをキリスト者と信じ、神の子として彼を拝するに至らなければならない。イエスを単に一人の偉人と考うるに過ぎないものは「世の人」であってキリスト者ではない。「イエスはキリスト活ける神の子なり」との告白は「キリスト教信仰箇条の総和である」(M0)。マタ26:63。ヨハ11:27。20:31。ピリ2:11。Tヨハ2:22以下。彼らと同じ肉体をもって彼らの間に宿り給えるイエスを見て、この告白を為すことができたペテロの信仰こそは偉大なる信仰である。

16章17節 イエス(こた)へて()(たま)ふ『バルヨナ・シモン、(なんぢ)幸福(さいはひ)なり、(なんぢ)(これ)を[(しめ)し]((あら)はし)たるは血肉(けつにく)にあらず、(てん)にいます()(ちち)なり。[引照]

口語訳すると、イエスは彼にむかって言われた、「バルヨナ・シモン、あなたはさいわいである。あなたにこの事をあらわしたのは、血肉ではなく、天にいますわたしの父である。
塚本訳するとイエスは(喜んで)ペテロに答えられた、「バルヨナ・シモン、あなたは幸いだ。これをあなたに示したのは血肉([人間]の知恵)でなく、わたしの天の父上だから。
前田訳イエスは答えられる、「ヨナの子シモン、あなたはさいわいだ、血肉でなく天のわが父がそれをあなたに示されたから。
新共同すると、イエスはお答えになった。「シモン・バルヨナ、あなたは幸いだ。あなたにこのことを現したのは、人間ではなく、わたしの天の父なのだ。
NIVJesus replied, "Blessed are you, Simon son of Jonah, for this was not revealed to you by man, but by my Father in heaven.
註解: イエスはいたくこの信仰告白に満足し給うた。これによって彼は安心して来るべき彼の死をも弟子たちに顕わすことができるからである。イエスがペテロに向って語り給える御言の中にこの喜びが漲(みなぎ)っている。「幸いなるかなシモンよ、この信仰は生れながらの人には有(も)つことができない。天の父がこれを顕わし給うにあらずば、いかなる学問も瞑想も体験もこの信仰を持ち来すことができない。汝がこの信仰を告白することができたのは、汝が天の父の特別の導きに与っている証拠である」。
辞解
[バルヨナ] 「ヨナの子」という意味。
[示し] 原語「顕わし」であって天よりの顕現、隠れたるものの表顕を意味す。
[血肉] 人間の生れながらに有っている肉体、感覚、思想等のすべてであってすなわちアダムによりて生れし古き人、自然人と同義である(Tコリ15:50)。

16章18節 (われ)はまた(なんぢ)()ぐ、(なんぢ)はペテロなり、(われ)この(いは)(うへ)()教會(けうくわい)()てん、黄泉(よみ)(もん)はこれに()たざるべし。[引照]

口語訳そこで、わたしもあなたに言う。あなたはペテロである。そして、わたしはこの岩の上にわたしの教会を建てよう。黄泉の力もそれに打ち勝つことはない。
塚本訳それでわたしもあなたに言おう。──あなたはペテロ[岩]、わたしはこの岩の上に、わたしの集会を建てる。黄泉の門[死の力]もこれに勝つことはできない。
前田訳わたしもあなたにいう。『あなたはペテロ(岩)で、わたしはこの岩の上にわが教会(エクレシア)を建てる。黄泉(よみ)の門もそれに打ち勝てない。
新共同わたしも言っておく。あなたはペトロ。わたしはこの岩の上にわたしの教会を建てる。陰府の力もこれに対抗できない。
NIVAnd I tell you that you are Peter, and on this rock I will build my church, and the gates of Hades will not overcome it.
註解: ここにイエスは血肉としてのペテロにはあらずして、天の父に連なる新たなる人としてのペテロを眼中に置きてこの言を発し給うたのである(23節はその反対の場合)。イエスを神の子と信ずる信仰こそキリスト者たることの要素であって、この信仰を最初に告白せるペテロこそキリストの教会の礎石ともいうべきものである。このペテロ(すなわち信仰によりてイエスに連なるペテロ)を離れてキリストの教会はない。彼は事実上十二使徒の首位を占め(マタ10:2。マコ1:36。ルカ8:45。9:32。使1:15。2:14。4:8。15:7)従って十二使徒の代表として多くの問答の場合において、その代弁者のごとき地位に立っていた(マタ14:28。17:4。18:21。19:27。ルカ22:31以下。ヨハ6:68等)。キリストの教会はこの告白をなせるペテロの上に建てられしものである。而してこの基礎の上に立っている教会は後に制度や信条や教権に堕落して、黄泉の門の中に呑まれてしまったけれども、もしかかるものに堕落せずして唯イエスを活ける神の子と信ずる磐の上に建てられたならば、黄泉の門は決してこれに勝つことはできないであろう。▲四福音書で「教会」(ekklēsia)なる語が用いられたのは、本節と18:17(二回)だけである。この語は本来は「集会」を意味しており、かつイエスの当時には制度としての「教会」は全然存在しなかったからこれを「集会」と訳すことが正しい。
辞解
[ペテロ] 原語ペトロス petros(男性名詞)で磐又は石を意味す。「この磐」原語ペトラ petra(女性名詞)で磐の意味には普通後者を用いる。ヘブル語にては双方ともケファ(ケパ)であって区別はない。ペテロのごとき人を女性名詞にて呼ぶことは不相応なのでペトロスと呼んだのであろう。この男性名詞と女性名詞の区別を基礎として、人間としてのペテロと、そのペテロの信仰との区別を示すものであるとする説は有力ではない。
[黄泉の門] 地獄の門というがごとき意味で「滅亡」「死」等の意味に解すべきである。

16章19節 われ天國(てんこく)(かぎ)(なんぢ)(あた)へん、(おほよ)(なんぢ)()にて(つな)(ところ)(てん)にても(つな)ぎ、()にて()(ところ)(てん)にても()くなり』[引照]

口語訳わたしは、あなたに天国のかぎを授けよう。そして、あなたが地上でつなぐことは、天でもつながれ、あなたが地上で解くことは天でも解かれるであろう」。
塚本訳わたしはあなたに天の国の鍵をあずける。(だから)あなたが地上で結ぶことは(そのまま)天でも結ばれ、地上で解くことは(そのまま)天でも解かれるであろう。」
前田訳わたしはあなたに天国の鍵を与える、あなたが地で縛ることは天でも縛られ、あなたが地でゆるすことは天でもゆるされよう』と」。
新共同わたしはあなたに天の国の鍵を授ける。あなたが地上でつなぐことは、天上でもつながれる。あなたが地上で解くことは、天上でも解かれる。」
NIVI will give you the keys of the kingdom of heaven; whatever you bind on earth will be bound in heaven, and whatever you loose on earth will be loosed in heaven."
註解: ▲肉の人ペテロではなく、又十二使徒の筆頭としてのペテロでもなく、イエスを「キリスト活ける神の子」と告白したペテロが集会の基礎であって、これを動かしてはならず、これを取除いてはならない。この時始めてイエスはその弟子たちの集会の本質および基礎を信仰のペテロにおいて発見したのであった。罪人の手枷、足枷を縛(つな)き又は解くための鍵を意味するのであって罪の赦しの問題に関係している。すなわちペテロがこの地上において人の罪を赦せばすなわち天国においてその罪赦され、地上において罪を定むれば天国においてもその罪が定められることを意味する。この権は使徒全体および信者にも与えられ(マタ18:18。ヨハ20:23)たのであって、ペテロは使徒の主席としてここに先ず第一にこれを与えられたのである。而してこの権はキリストに対する信仰により、霊においてキリストに連なっている場合にはすべての人がこれを有(も)っているのであって、これを有形的に教会に伝えてローマ法王が専らこの鍵を握っていると解するカトリック教会の解釈は、前掲の聖言に叶わざるのみならず、すべての聖言よりその生命を奪ってこれを死せる文字とし、教会の僕たらしむる涜神的行為である。

16章20節 ここにイエス、(おの)がキリストなる(こと)(たれ)にも()ぐなと、弟子(でし)たちを(いまし)(たま)へり。[引照]

口語訳そのとき、イエスは、自分がキリストであることをだれにも言ってはいけないと、弟子たちを戒められた。
塚本訳それからイエスは、自分が救世主であることをだれにも言ってはならないと、弟子たちを戒められた。
前田訳それから弟子たちに彼がキリストであるとだれにもいわぬよういましめられた。
新共同それから、イエスは、御自分がメシアであることをだれにも話さないように、と弟子たちに命じられた。
NIVThen he warned his disciples not to tell anyone that he was the Christ.
註解: 「無理解なるものに濫(みだ)りに奥義を語ることは双方に害を与えるからである」(B1)。
要義1 [教会の基礎について]キリストは教会について極めて稀に語り給えるのみであった。それゆえにこの箇所はキリストの教会観についての重要なる部分である。殊にカトリック教会はこの18、19節をもってその金科玉条となし、ローマ法王をもってペテロの正統なる後継者となし、地上におけるキリストの代表者として神の国の首長をもって自ら任じていた。而してその根拠をすべてこの二節においているのである。しかしながらこれ要するに後に至って、ローマカトリック教会が自己の地位と勢力とを弁護せんがために考案せる牽強付会の説に過ぎない。何となれば(1)ペテロは使徒等の主席として、教会の第一の礎石となったことは何人も否定し得ない事実であって、イエスはこの事実をこの時に予め示し給うたのであるけれども、この地位はペテロ独特の地位であって、他人がこれを継承すべきものでもなく、又継承することができるものでもない。一度第一に置かれし教会の礎石は永遠に残っているのである。(2)又ペテロが教会の礎石であることの意味は、彼がこの信仰告白によりてイエスに連なっているものとしてのみに限られている。何となれば数瞬間後にこのペテロはサタンとして、イエスに拒まれたのみならず、教会の基はイエス・キリストであり(Tコリ3:11)、又キリスト・イエスを隅の首石として、使徒と預言者との基の上に教会は建てらるるものであるからである(エペ2:20)。ゆえにペテロのみを教会の基礎と見ることが、既に誤っているのみならず、この基礎の後継者云々のごときことは存在することもできず、又存在するはずがない。あたかも一つの建築の礎石を他の礎石が継承することなきがごとく、ペテロの地位は他の使徒らの首長として、彼らと共にキリストに在りて永遠にキリスト教会の基礎を形成しているのである。而してこの「教会」は真のエクレシアを意味すると考えなければならない。イエスが今日の教会のごとき制度的、神学的、組織的なものを予想していたことは聖書の中には発見されない。
要義2 [汝はキリスト活ける神の子なり]この告白は実に重大なる意義を有っているのであって、ここにキリスト教の中心がある。何となればもしイエスが神の子に在し給わず、我らと同じ罪人、アダムの子に在し給うならば、その死は我らの罪を贖うに足らず、我らは尚罪の中にいなければならないからである。然るにイエスは神の子に在し給う、ゆえにその死は我らの罪の贖いであり、その奇蹟は神の力の自然の発露であり、その復活は神の子たるの証拠であり、今や当然に神の右に坐して我らのために執成し給い、やがて再び来り給うて我らを復活せしめ、新天新地を復興し給うのである。ゆえにペテロと共にこの告白を為し得る者は真のキリスト者であり、これに反しいかにキリストについて多くを知っていても、この告白を為し得ないものはキリスト者ではない。

6-2 イエス死を預言し給う 16:21 - 16:23
(マコ8:31-32) 

16章21節 この(とき)よりイエス・キリスト、弟子(でし)たちに、(おのれ)のエルサレムに()きて、長老(ちゃうらう)祭司長(さいしちゃう)學者(がくしゃ)らより(おほ)くの苦難(くるしみ)()け、かつ(ころ)され、三日(みっか)めに(よみが)へるべき(こと)(しめ)(はじ)めたまふ。[引照]

口語訳この時から、イエス・キリストは、自分が必ずエルサレムに行き、長老、祭司長、律法学者たちから多くの苦しみを受け、殺され、そして三日目によみがえるべきことを、弟子たちに示しはじめられた。
塚本訳この時から、イエスは自分が(神の計画どおり)エルサレムに行って、長老、大祭司連、聖書学者たちから多くの苦しみをうけ、殺され、そして三日目に復活せねばならないことを弟子たちに示し始められた。
前田訳それ以来イエス・キリストは、弟子たちに、エルサレムへ行って、長老、大祭司、学者から手痛く苦しめられ、殺されて、三日目に復活せねばならぬことを示しはじめられた。
新共同このときから、イエスは、御自分が必ずエルサレムに行って、長老、祭司長、律法学者たちから多くの苦しみを受けて殺され、三日目に復活することになっている、と弟子たちに打ち明け始められた。
NIVFrom that time on Jesus began to explain to his disciples that he must go to Jerusalem and suffer many things at the hands of the elders, chief priests and teachers of the law, and that he must be killed and on the third day be raised to life.
註解: この以前にもイエスはその死について暗示を与え給うた(9:15。10:38。10:40)。この場合それが一層明かに示されたのであった。この後には更に細目に渡って示されている(17:22、23。20:17−19)。かく回を重ねてイエスの死が明示せられているに関わらず、弟子たちはこれを理解せず、イエスの死を見て失望し、復活を信じなかったことは、未だこれを理解する能力が彼らに与えられなかったからである。マイヤーは「イエスはこれほど明かに示し給うたのではないだろう」と想像しているけれども、これは当らない。ルカ9:45註及び要義参照。「この時」よりこれを示し始めたのは、これまででイエスのメシヤたることを明かにし終わったので、次にはメシヤが苦難に遭わなければならないことを示すの順序を取り給うたのである。▲エルサレムはユダヤ教の中心であり、神の民の首都であるから、神の子は当然そこで支配者の地位につかなければならない、しかしそこには祭司長、長老、学者等が支配権を振るっているゆえ、必ずイエスを迫害するであろうことをイエスは予知された。

16章22節 ペテロ、イエスを(かたへ)にひき(いまし)()でて()ふ『(しゅ)よ、(しか)あらざれ、()(こと)なんぢに(おこ)らざるべし』[引照]

口語訳すると、ペテロはイエスをわきへ引き寄せて、いさめはじめ、「主よ、とんでもないことです。そんなことがあるはずはございません」と言った。
塚本訳するとペテロはイエスをわきへ引っ張っていって、「主よ、とんでもない。そんなことは絶対にいけません!」と言って忠告を始めた。(救世主が死ぬなどとは考えられなかったのである。)
前田訳ペテロは彼をかたわらに引いて、制止しはじめた、「主よ、とんでもない、決してそんなことはなりません」と。
新共同すると、ペトロはイエスをわきへお連れして、いさめ始めた。「主よ、とんでもないことです。そんなことがあってはなりません。」
NIVPeter took him aside and began to rebuke him. "Never, Lord!" he said. "This shall never happen to you!"
註解: ペテロにとってかくなることは、イエスのメシヤの職務に対する失敗のごとくに思われたのであろう。主を思う心の厚かった彼は、自分が奮って主を助けたならばかかることはないであろうと考えたのであろう。主を思う切なる心が強くこの語の中に顕われている。▲▲「起らざるべし」も、口語訳の「あるはずはございません」も、共に適訳ではない。「そんなことが有(あ)ってはなりません」の意。

16章23節 イエス振反(ふりかへ)りてペテロに()(たま)ふ『サタンよ、()(のち)退(しりぞ)け、(なんぢ)はわが躓物(つまづき)なり、(なんぢ)(かみ)のことを(おも)はず、(かへ)つて(ひと)のことを(おも)ふ』[引照]

口語訳イエスは振り向いて、ペテロに言われた、「サタンよ、引きさがれ。わたしの邪魔をする者だ。あなたは神のことを思わないで、人のことを思っている」。
塚本訳イエスは振り返って、ペテロに言われた、「引っ込んでろ、悪魔、この邪魔者!お前は神様のことを考えずに、人間のことを考えている!」
前田訳彼は振り返ってペテロにいわれた、「サタン、引きさがれ。おまえはわがつまずき。おまえは神のことをでなく、人間のことを考えている」と。
新共同イエスは振り向いてペトロに言われた。「サタン、引き下がれ。あなたはわたしの邪魔をする者。神のことを思わず、人間のことを思っている。」
NIVJesus turned and said to Peter, "Get behind me, Satan! You are a stumbling block to me; you do not have in mind the things of God, but the things of men."
註解: 曩(さき)にイエスがサタンに「教会の礎石」と呼び給いしペテロは、ここに「サタン」と呼ばれ、「躓物」といわれていることは驚くべき事実である。曩(さき)には父なる神の聖旨を受け、彼に連なれる信仰のペテロがあった。ここには父の聖旨を離れ、人間として血肉により師を思う心のみに支配せられているペテロがある。サタンは往々にして人間の道徳心、正義観を利用して人を神の聖旨より引離さんとするのであって、かくして神を離るる場合にその人は直ちにサタンのものとなっているのである。イエスはかかるペテロの中にこのサタンの働きを認め給うた。それゆえにマタ4:10と同じ語をもって彼を叱責し給うた。イエスは人間としてのペテロの愛を無視し給うたのではない、この愛を深く感ぜられしだけそれだけ強きサタンの狡計(こうけい)をその中に認め給うたのである。
要義1 [サタンの狡計とこれを見破る方法]サタンは多くの場合において、鬼面をもって来るよりもむしろ羊のごとき姿において来るのを常としている。ペテロの主イエスに対する切なる愛を、サタンが利用せるごときその最も著しい例証である。ゆえにいかに高尚なる思想も道徳も行為も、もし神を離れて為さるる場合には悪魔の利用する処となるのである。故に悪魔に乗ぜられざらんがため、又自ら悪魔の道具とならざらんがためには、常に神の御旨を思い寸刻もこれより離れないことが必要である。イエスが深く師を思うペテロの中にサタンの姿を発見し給うたのは、イエスが深く神の御旨を思いて寸時もこれより離れ給わなかったからである。
要義2 [サタンに乗ぜらるる危機]サタンは主として信仰の高所に達した者を付け狙うものである。信仰なきもの、又は信仰弱き者をば、サタンは自己の勢力範囲内のものとして安んじてこれを放置し、これを攻撃することをしない。反対にヨブや、ダビデやイエスやペテロのごとき人々を激しく攻撃する。殊にイエスがバプテスマを受けて聖霊彼に下った際、又ペテロがイエスをキリスト神の子なりと告白して、主より絶大なる讃辞を受けた際のごとき、最も好んでサタンの乗ずる機会である。而してイエスは堅く神の言を保持して悪魔を退け給うたけれども、ペテロは神の聖旨を思わず、人のことを思うたためにサタンに敗れたのである。我らも信仰が高まり神の恩恵が豊かに下れるごとき場合に、最も多くサタンに対する警戒を要する。

6-3 己が十字架を負え 16:24 - 16:28
(マコ8:34-9:1) 

16章24節 ここにイエス弟子(でし)たちに()ひたまふ『(ひと)もし(われ)(したが)(きた)らんと(おも)はば、(おのれ)をすて、(おの)十字架(じふじか)()ひて、(われ)(したが)へ。[引照]

口語訳それからイエスは弟子たちに言われた、「だれでもわたしについてきたいと思うなら、自分を捨て、自分の十字架を負うて、わたしに従ってきなさい。
塚本訳あとでイエスは弟子たちに言われた、「だれでも、わたしについて来ようと思う者は、(まず)己れをすてて、自分の十字架を負い、それからわたしに従え。
前田訳それからイエスは弟子たちにいわれた、「わたしにつこうと思うものは、おのれを捨てておのが十字架を負い、それからわたしに従え。
新共同それから、弟子たちに言われた。「わたしについて来たい者は、自分を捨て、自分の十字架を背負って、わたしに従いなさい。
NIVThen Jesus said to his disciples, "If anyone would come after me, he must deny himself and take up his cross and follow me.
註解: キリストに従いその弟子とならんとする者は、彼と同じ道を行かなければならない。而してイエスはメシヤに在(いま)し給いしにも関わらず、己の栄光、地位、慾望を棄て(ピリ2:6−8)、己が十字架を負いて(10:38註)死に向って進み給うた。弟子たちもイエスと共に己の十字架を負いて死刑を宣告されしもののごとくに、この世のあらゆる希望や慾望や情愛に絶縁してしまわなければならぬ。もしペテロがこの十字架を負っていたならば、彼はイエスの死の運命を理解したであろう。そして、イエスの死を妨げんとはしなかったであろう。イエスに従う者はかかる態度でなければならない。

16章25節 (おの)生命(いのち)(すく)はんと(おも)(もの)は、これを(うしな)ひ、()がために(おの)生命(いのち)をうしなふ(もの)は、(これ)()べし。[引照]

口語訳自分の命を救おうと思う者はそれを失い、わたしのために自分の命を失う者は、それを見いだすであろう。
塚本訳(十字架を避けてこの世の)命を救おうと思う者は(永遠の)命を失い、わたしのために(この世の)命を失う者は、(永遠の)命を得るのだから。
前田訳おのがいのちを救おうと思うものはそれを失い、わがゆえにおのがいのちを失おうと思うものはそれを得よう。
新共同自分の命を救いたいと思う者は、それを失うが、わたしのために命を失う者は、それを得る。
NIVFor whoever wants to save his life will lose it, but whoever loses his life for me will find it.
註解: 己のために生くる者は、その生命を救わんことを欲してかえってこれを失う。キリストのために生くる者は、己が十字架を負い死ぬる者として彼に従ってかえってその生命を見出すのである。この世の子らの行く道は皆前者であり、キリスト者は後者を取る。但し「我がために」すなわちキリストのために己が生命を失うことが必要である。キリストの御心に叶わざる途において己が生命を失っても、己が生命を得ることはできない。

16章26節 (ひと)全世界(ぜんせかい)(まう)くとも、(おの)生命(いのち)(そん)せば、(なに)(えき)あらん、(また)その生命(いのち)(かわり)(なに)(あた)へんや。[引照]

口語訳たとい人が全世界をもうけても、自分の命を損したら、なんの得になろうか。また、人はどんな代価を払って、その命を買いもどすことができようか。
塚本訳たとい全世界をもうけても、命を損するならば、その人は何を得するのだろう。それとも、人は(一度失った永遠の)命を受けもどす代価として、何か(神に)渡すことができるのだろうか。
前田訳全世界をかち得てもおのがいのちをとられれば何の役に立とう。おのがいのちの代価に何を与えようか。
新共同人は、たとえ全世界を手に入れても、自分の命を失ったら、何の得があろうか。自分の命を買い戻すのに、どんな代価を支払えようか。
NIVWhat good will it be for a man if he gains the whole world, yet forfeits his soul? Or what can a man give in exchange for his soul?
註解: 己の慾望のために生くる者といえども全世界を贏(もう)くる/儲けること以上を望むことができない。これが人が考え得る成功の絶頂である。たといかかる絶頂に達した者でも終の審判の日においてその生命を失ってしまうならば、その贏(か)ち得たものは彼に何の役にも立たない。たとい全世界を提供してもその生命を買戻すことはできない。ゆえに一人の生命は全世界よりも重い。我らはこの永遠の生命を得ることを努めなければならない。▲イエスに在る新生命を有たない者は終の審判を待つまでもなく今已(すで)に己の生命を失っていることは勿論であるが、今日は信仰により生命を得る途が残されている。

16章27節 (ひと)()(ちち)榮光(えいくわう)をもて、御使(みつかひ)たちと(とも)(きた)らん。その(とき)おのおのの行爲(おこなひ)(したが)ひて(むく)ゆべし。[引照]

口語訳人の子は父の栄光のうちに、御使たちを従えて来るが、その時には、実際のおこないに応じて、それぞれに報いるであろう。
塚本訳(永遠の命のために働け。)人の子(わたし)は父上の栄光に包まれ、自分の使いたちを引き連れて(ふたたび地上に)来るが、その時、“ひとりびとりの行いに応じて褒美を与えるのである”から。
前田訳人の子が父の栄光を受けて天使とともに来るであろうとき、めいめいにその行ないによって報いよう。
新共同人の子は、父の栄光に輝いて天使たちと共に来るが、そのとき、それぞれの行いに応じて報いるのである。
NIVFor the Son of Man is going to come in his Father's glory with his angels, and then he will reward each person according to what he has done.
註解: キリストが父の栄光をもて再臨し給う時、この生命が与えらるるや否やが定まるのである。而してその生命をもて報いらるるや否やはその行為によるのであって、己をすてて己が十字架を負いてイエスに従う処の行為をなす者がこの報いを受けるのである。義とせらるる原因は信仰であり報いを受くる原因は行為である。Uコリ5:10註参照。

16章28節 まことに(なんぢ)らに()ぐ、ここに()(もの)のうちに、(ひと)()のその(くに)をもて(きた)るを()るまでは、()(あぢ)はぬ(もの)どもあり』[引照]

口語訳よく聞いておくがよい、人の子が御国の力をもって来るのを見るまでは、死を味わわない者が、ここに立っている者の中にいる」。
塚本訳アーメン、わたしは言う、(その時はじきに来る。今)ここに立っている者のうちには、死なずにいて、人の子(わたし)がその国と共に来るのを見る者がある。」
前田訳本当にいう、ここに立つもののうち、人の子が彼の国に来るのを見るまで死を味わわぬものがある」と。
新共同はっきり言っておく。ここに一緒にいる人々の中には、人の子がその国と共に来るのを見るまでは、決して死なない者がいる。」
NIVI tell you the truth, some who are standing here will not taste death before they see the Son of Man coming in his kingdom."
註解: 10:23と同様に難解である、この場合にもエルサレムの陥落を予示しているのであると解する人、又は次章のイエスの変貌を指すと解する人、又は真の再臨を示したものと解する人等種々の解釈がある。ここでは第三の場合すなわちキリストの再臨を指しているのであって、ここに立つ者の中にキリストを信ずる信仰に入る人が生じ、それらの者は永遠の生命に入り、死を味わずして(ヨハ8:52)キリストの栄光の再臨を迎えることができる。キリスト者には死の味はない。▲▲この一節はむしろマコ9:1のごとく、次の変貌の山におけるイエスの栄光を見る者が汝らの中に在(あ)ることを言われたのであると見るのが適当であると思われる。27節の栄光の来臨の予表として、三人の弟子はイエスの変貌を見たのであった。Uペテ1:16−18。

マタイ伝第17章
6-4 イエスの変貌 17:1 - 17:8
(マコ9:2-8)(ルカ9:28-36) 

17章1節 六日(むゆか)(のち)、イエス、ペテロ、ヤコブ(およ)びヤコブの兄弟(きゃうだい)ヨハネを()きつれ、(ひと)()けて(たか)(やま)(のぼ)りたまふ。[引照]

口語訳六日ののち、イエスはペテロ、ヤコブ、ヤコブの兄弟ヨハネだけを連れて、高い山に登られた。
塚本訳(それから)六日の後、イエスはペテロとヤコブとその兄弟のヨハネだけを連れて、高い山にのぼられた。
前田訳六日ののちイエスはペテロとヤコブとその兄弟ヨハネを連れ、彼らだけで高い山に上られた。
新共同六日の後、イエスは、ペトロ、それにヤコブとその兄弟ヨハネだけを連れて、高い山に登られた。
NIVAfter six days Jesus took with him Peter, James and John the brother of James, and led them up a high mountain by themselves.
辞解
[六日の後] ルカ伝には「八日ばかり後」とあり、ユダヤ人の日数や年数の数え方は日本人の場合と同様不精確である。
[ペテロ、ヤコブ、ヨハネ] この三人は十二弟子中にも殊に重きをなしており、重要なる機会にイエスと共にいた(引照参照)。三人のみに示し給える理由は、事柄が重大であればあるだけ、多くの人にこれを示すことは害あって益がないからである。
[高き山] ヘルモン山、タボール山、ハッチン山等の説あり確定することはできない。

17章2節 かくて(かれ)らの(まへ)にてその(さま)かはり、()(かほ)()のごとく(かがや)き、その(ころも)(ひかり)のごとく(しろ)くなりぬ。[引照]

口語訳ところが、彼らの目の前でイエスの姿が変り、その顔は日のように輝き、その衣は光のように白くなった。
塚本訳すると彼らの見ている前でイエスの姿が変った。顔は太陽のように照りかがやき、着物(まで)が光のように白くなった。
前田訳すると彼らの目の前でイエスの姿が変わり、顔は日のように輝き、着物は光のように白くなった。
新共同イエスの姿が彼らの目の前で変わり、顔は太陽のように輝き、服は光のように白くなった。
NIVThere he was transfigured before them. His face shone like the sun, and his clothes became as white as the light.
註解: キリスト再臨の時の貌(かたち)は当(まさ)にかくのごときものであろう(Uペテ1:16−18)。この現象は今日の科学をもってこれを説明することができない。唯、蛹(さなぎ)が蛾に変るがごとき動物の変態を目撃している我らは、かかる現象を想像することはできる。
辞解
[その状かわり] metamorphoō は動物の「変態」metamorphosis と同語。

17章3節 ()よ、モーセとエリヤとイエスに(かた)りつつ(かれ)らに(あらは)る。[引照]

口語訳すると、見よ、モーセとエリヤが彼らに現れて、イエスと語り合っていた。
塚本訳すると見よ、モーセとエリヤとが彼らに現われた。二人はイエスと話していた。
前田訳すると見よ、モーセとエリヤが彼らに現われてイエスと話していた。
新共同見ると、モーセとエリヤが現れ、イエスと語り合っていた。
NIVJust then there appeared before them Moses and Elijah, talking with Jesus.
註解: モーセは律法、エリヤは預言者を代表し、共に異常なる死を遂げた人である(申34:6。U列2:11)。旧約の律法と預言者とが、ここにイエエスの死によりて完成せらるることを示している。会話の内容はルカ9:31によればイエスの死についてであった。▲口語訳は適訳ではない。

17章4節 ペテロ差出(さしい)でてイエスに()ふ『(しゅ)よ、(われ)らの此處(ここ)()るは()し。御意(みこころ)ならば(われ)ここに()つの(いほり)(つく)り、(ひと)つを(なんぢ)のため、(ひと)つをモーセのため、(ひと)つをエリヤの(ため)にせん』[引照]

口語訳ペテロはイエスにむかって言った、「主よ、わたしたちがここにいるのは、すばらしいことです。もし、おさしつかえなければ、わたしはここに小屋を三つ建てましょう。一つはあなたのために、一つはモーセのために、一つはエリヤのために」。
塚本訳ペテロが口を出してイエスに言った、「主よ、わたし達(三人)がここにいるのは、とても良いと思います。もしよろしければ、わたしはここに小屋を三つ造りましょう。あなたに一つ、モーセに一つ、エリヤに一つ。」
前田訳ペテロがイエスにいった、「主よ、われらがここにいるのはよいことです。お望みなら、ここに幕屋を三つ作りましょう、一つをあなたに、一つをモーセに、一つをエリヤに」と。
新共同ペトロが口をはさんでイエスに言った。「主よ、わたしたちがここにいるのは、すばらしいことです。お望みでしたら、わたしがここに仮小屋を三つ建てましょう。一つはあなたのため、一つはモーセのため、もう一つはエリヤのためです。」
NIVPeter said to Jesus, "Lord, it is good for us to be here. If you wish, I will put up three shelters--one for you, one for Moses and one for Elijah."
註解: ペテロの異常なる歓喜を表わしており、この稀有(けう)の機会に遭遇せることに対する喜悦の情あふれて、この状態をいつまでも継続せまほしき希望を言い表わしたのである。ペテロは律法や預言は廃れて、唯キリストのみ永遠に残り給うものであることを考えなかった(Tコリ13:8)。「全き者の来らん時は全からぬもの廃らん」(Tコリ13:10)。

17章5節 (かれ)なほ(かた)りをるとき、()よ、(ひかり)れる(くも)かれらを(おほ)ふ。また(くも)より(こゑ)あり、(いは)く『これは()(いつく)しむ()、わが(よろこ)(もの)なり、(なんぢ)(これ)()け』[引照]

口語訳彼がまだ話し終えないうちに、たちまち、輝く雲が彼らをおおい、そして雲の中から声がした、「これはわたしの愛する子、わたしの心にかなう者である。これに聞け」。
塚本訳ペテロの言葉がまだ終らぬうちに、見よ、光る雲が彼ら(イエスとモーセとエリヤと)を掩い、そのとき、「これはわたしの“最愛の子、”“わたしの心にかなった。”“彼の言うことを聞け”」と言う声が雲の中から出た。
前田訳ペテロがなお語るうちに、見よ、光る雲が彼らをおおい、加えて雲の中から声がした、いわく、「これはわがいとし子、わが心にかなうもの、彼に耳傾けよ」と。
新共同ペトロがこう話しているうちに、光り輝く雲が彼らを覆った。すると、「これはわたしの愛する子、わたしの心に適う者。これに聞け」という声が雲の中から聞こえた。
NIVWhile he was still speaking, a bright cloud enveloped them, and a voice from the cloud said, "This is my Son, whom I love; with him I am well pleased. Listen to him!"
註解: 3:17の場合はイエスの伝道の門出であり、この場合はその死を経て天に昇り給う門口であった。共に同一の語が天から響いてきたのである。これによりイエスがメシヤたることが明かに示されたのであった。「汝らこれに聞け」は3:17にはない。この時よりいよいよモーセの律法を聴きてこれを行うべき時代が過ぎて、神の右に在(いま)すイエスの言を聴きてこれを行うべき時代とならんとしていたのである。ゆえにモーセもエリヤも皆イエスと共に雲に隠されたけれども、神の証は唯イエス一人に関するものであった。▲▲かくして三人の弟子たちは、人の子がその国をもて(異本・栄光をもて)来るのを(すなわち再臨の雛形を)見たのであった。

17章6節 弟子(でし)たち(これ)()きて(たふ)()し、(おそ)るること(はなは)だし。[引照]

口語訳弟子たちはこれを聞いて非常に恐れ、顔を地に伏せた。
塚本訳これを聞くと弟子たちは地にひれ伏して、非常に恐ろしくなった。
前田訳それを聞いて弟子たちは地に倒れ伏し、おそれおののいた。
新共同弟子たちはこれを聞いてひれ伏し、非常に恐れた。
NIVWhen the disciples heard this, they fell facedown to the ground, terrified.
註解: 神の稜威に眩惑したのである。

17章7節 イエスその(もと)にきたり(これ)(さは)りて『()きよ、(おそ)るな』と()(たま)へば、[引照]

口語訳イエスは近づいてきて、手を彼らにおいて言われた、「起きなさい、恐れることはない」。
塚本訳イエスは近寄り、彼らにさわって言われた、「起きよ、恐れることはない。」
前田訳イエスは近より、彼らに手を触れていわれた、「起きよ、おそれるな」と。
新共同イエスは近づき、彼らに手を触れて言われた。「起きなさい。恐れることはない。」
NIVBut Jesus came and touched them. "Get up," he said. "Don't be afraid."
註解: 無限の稜威と無限の慈愛とを有(も)ち給うイエスの御言と御手は、我らを起(た)たしめ、我らの懼(おそ)れを除く。黙1:17。

17章8節 (かれ)()()げしに、イエス一人(ひとり)(ほか)(たれ)()えざりき。[引照]

口語訳彼らが目をあげると、イエスのほかには、だれも見えなかった。
塚本訳目を上げると(そこには)だれも見えず、ただイエスだけがおられた。
前田訳彼らが目をあげると、イエスひとりのほかだれも見えなかった。
新共同彼らが顔を上げて見ると、イエスのほかにはだれもいなかった。
NIVWhen they looked up, they saw no one except Jesus.
註解: すなわち天よりの声がイエスに関するものであり、旧約の時代は去って新約の時代となり、律法は廃れてキリストの律法が支配する時となったことを弟子たちも悟ることができた。イエス一人と共にいる処、そこに天国がある。
要義 [イエスの変貌の意義]イエスの死は近付きつつあった。弟子たちがメシヤとして期待せるイエスが、十字架上に最大の恥辱の死を遂げなければならないということは彼らの考え得ない事柄であった。「受難のメシヤ」の観念は彼らには不可解であった、それゆえに彼らが肉の念のために躓くことなからんがために、イエスは特にこの変貌によりてそのメシヤたることを示し、特に彼とモーセ及びエリヤとの関係を明らかにして、十字架の死が弟子たちの失望とならぬように為し給うたのである。それゆえにたとい一時はイエスの死によりて彼らは失望、為す処を知らなかったとはいえ、やがてイエス復活昇天し給い、聖霊彼らに与えられるに及んでこの変貌の意義が明らかになったのである。しかのみならず、彼らにとってイエスの再来が疑うことができない事実であった訳も、またこの変貌を実見したからであった。ゆえにこの出来事は弱き人類のために恩恵をもって啓示し給える神の御業であった。

6-5 エリヤに就いて 17:9 - 17:13
(マコ9:9-13) 

17章9節 (やま)(くだ)るとき、イエス(かれ)らに(めい)じて()ひたまふ『(ひと)()死人(しにん)(うち)より(よみが)へるまでは、()たることを(たれ)にも(かた)るな』[引照]

口語訳一同が山を下って来るとき、イエスは「人の子が死人の中からよみがえるまでは、いま見たことをだれにも話してはならない」と、彼らに命じられた。
塚本訳山を下りながら、イエスは、「人の子(わたし)が死人の中から復活する前には、(いま)見たことをだれにも言うな」と彼らに命じられた。
前田訳山をおりながら、イエスは彼らに命じられた、「人の子が死人の中から復活するまで、見たことをだれにもいうな」と。
新共同一同が山を下りるとき、イエスは、「人の子が死者の中から復活するまで、今見たことをだれにも話してはならない」と弟子たちに命じられた。
NIVAs they were coming down the mountain, Jesus instructed them, "Don't tell anyone what you have seen, until the Son of Man has been raised from the dead."
註解: 16:20註参照。他の弟子たちにさえも語ってはならなかったかかる事柄は好奇心や虚しき談論の目的たらしめてはならない。▲イエスの変貌は、一般の人々にこれを理解させることはできない。超自然的事実だからである。

17章10節 弟子(でし)たち()ひて()ふ『さらばエリヤ()(きた)るべしと學者(がくしゃ)らの()ふは(なに)ぞ』[引照]

口語訳弟子たちはイエスにお尋ねして言った、「いったい、律法学者たちは、なぜ、エリヤが先に来るはずだと言っているのですか」。
塚本訳すると弟子たちがこう言ってイエスに尋ねた、「では、なぜ聖書学者は、まずエリヤが(来てそのあとで人の子が)来るべきである、と言うのですか。(人の子は来られたのに、エリヤはまだ来ないではありませんか。)」(彼らは山の上のことを思い浮かべたのである。)
前田訳すると弟子たちは彼にたずねた、「それなら、学者がまずエリヤが来るはずというのはなぜですか」と。
新共同彼らはイエスに、「なぜ、律法学者は、まずエリヤが来るはずだと言っているのでしょうか」と尋ねた。
NIVThe disciples asked him, "Why then do the teachers of the law say that Elijah must come first?"
註解: メシヤの来臨の前にエリヤ先ず来るべしとの預言(マラキ4:5)は学者らによりて頻りに唱えられていた。「もし山上においてエリヤが顕われしことを人に告げてはならないというならば、かの現象はエリヤが来たということにはならないのであるか」とは弟子たちのイエスに対する質問である。
辞解
[さらば] この意義については多くの註解があって難解である。

17章11節 (こた)へて()ひたまふ『()にエリヤ(きた)りて(よろづ)(こと)をあらためん。[引照]

口語訳答えて言われた、「確かに、エリヤがきて、万事を元どおりに改めるであろう。
塚本訳答えられた、「たしかに“エリヤが”来て万事を“整頓するであろう。”
前田訳彼は答えられた、「エリヤが来てすべてを整えよう。
新共同イエスはお答えになった。「確かにエリヤが来て、すべてを元どおりにする。
NIVJesus replied, "To be sure, Elijah comes and will restore all things.

17章12節 (われ)なんぢらに()ぐ、エリヤは(すで)(きた)れり。されど人々(ひとびと)これを()らず、(かへ)つて(こころ)のままに(あしら)へり。かくのごとく(ひと)()もまた人々(ひとびと)より(くる)しめらるべし』[引照]

口語訳しかし、あなたがたに言っておく。エリヤはすでにきたのだ。しかし人々は彼を認めず、自分かってに彼をあしらった。人の子もまた、そのように彼らから苦しみを受けることになろう」。
塚本訳しかしわたしは言う、すでにエリヤは来た。ただ人々は彼を(それと)認めず、したい放題のことを彼にし(て殺してしまっ)たのである。(だから)同じように、人の子(わたし)も人々から苦しみをうけねばならない。」
前田訳しかしわたしはいう、エリヤはすでに来た。しかし人々は彼を認めず、思うままに彼をあしらった。そのように人の子も彼らに苦しめられよう」と。
新共同言っておくが、エリヤは既に来たのだ。人々は彼を認めず、好きなようにあしらったのである。人の子も、そのように人々から苦しめられることになる。」
NIVBut I tell you, Elijah has already come, and they did not recognize him, but have done to him everything they wished. In the same way the Son of Man is going to suffer at their hands."
註解: イエスの答えは「実に預言のごとくエリヤは来りて万物を復興せしむるであろう、否実際に既に来たのであるが人々これを知らなかったのである。人の子もこれと同じ運命に陥るであろう。心の目の開かれないものにはエリヤが来てもキリストが来ても何らこれを覚(さと)らないのみならず、かえってこれを殺すのである」との意味である。ここにイエスの悲哀の情調が充満している。

17章13節 ここに弟子(でし)たちバプテスマのヨハネを()して()(たま)ひしなるを(さと)れり。[引照]

口語訳そのとき、弟子たちは、イエスがバプテスマのヨハネのことを言われたのだと悟った。
塚本訳その時弟子たちは、洗礼者ヨハネのことを指して(エリヤと)言われたのだと悟った。
前田訳そこで弟子たちは洗礼者ヨハネのことをいわれたと悟った。
新共同そのとき、弟子たちは、イエスが洗礼者ヨハネのことを言われたのだと悟った。
NIVThen the disciples understood that he was talking to them about John the Baptist.
註解: 曩(さき)に11:14にイエスはこのことを語り給いしことがあった。それにも関わらずヨハネはヘロデのために殺された。イエスがその変貌につき誰にも告ぐなと宣(のたま)いしはそれが無效だからである。弟子たちはイエスのこの暗示がバプテスマのヨハネを指していることを覚(さと)って、イエスの禁止の意義が結局これを語るも無益であることの意味なるを覚(さと)ることができた。

6-6 癇癪の児を癒し給う 17:14 - 17:20
(マコ9:14-21)(ルカ9:37-43) 

17章14節 かれら群衆(ぐんじゅう)(もと)(いた)りしとき、(ある)(ひと)御許(みもと)にきたり(ひざま)づきて()ふ、[引照]

口語訳さて彼らが群衆のところに帰ると、ひとりの人がイエスに近寄ってきて、ひざまずいて、言った、
塚本訳(山を下りて)群衆の所にかえると、ひとりの人がイエスに近寄り、ひざまずいて
前田訳彼が群衆のところへ来られると、ひとりが近づいてひざまずいていった、
新共同一同が群衆のところへ行くと、ある人がイエスに近寄り、ひざまずいて、
NIVWhen they came to the crowd, a man approached Jesus and knelt before him.

17章15節 (しゅ)よ、わが()(あはれ)みたまへ。癲癇(てんかん)にて(なや)み、しばしば()(うち)に、しばしば(みづ)(うち)(たふ)るるなり。[引照]

口語訳「主よ、わたしの子をあわれんでください。てんかんで苦しんでおります。何度も何度も火の中や水の中に倒れるのです。
塚本訳言った、「主よ、どうぞ伜にお慈悲を。癲癇で、ひどく苦しんでおります。幾たびも幾たびも火の中、水の中に倒れるのです。
前田訳「主よ、わが息子をあわれんでください。てんかんで苦しんでいます。火の中や水の中へたびたび倒れます。
新共同言った。「主よ、息子を憐れんでください。てんかんでひどく苦しんでいます。度々火の中や水の中に倒れるのです。
NIV"Lord, have mercy on my son," he said. "He has seizures and is suffering greatly. He often falls into the fire or into the water.

17章16節 (これ)御弟子(みでし)たちに()(きた)りしに、(いや)すこと(あた)はざりき』[引照]

口語訳それで、その子をお弟子たちのところに連れてきましたが、なおしていただけませんでした」。
塚本訳それでお弟子たちのところにつれて来ましたが、なおおしになれませんでした。」
前田訳それで、あなたのお弟子たちのところへ連れて来ましたが、なおせませんでした」と。
新共同お弟子たちのところに連れて来ましたが、治すことができませんでした。」
NIVI brought him to your disciples, but they could not heal him."
註解: マルコ伝には一層詳細にこの間の消息を伝えている。モーセの不在中イスラエルの民は金の犢(こうし)を拝し(出32:1)、イエスの不在中弟子たちはその無力を暴露した。一方に栄化し給えるキリストがあり、他方無力なる弟子があった非常なる対比である。

17章17節 イエス(こた)へて()(たま)ふ『ああ(しん)なき(まが)れる()なるかな、(われ)いつまで(なんぢ)らと(とも)にをらん、何時(いつ)まで(なんぢ)らを(しの)ばん。その()(われ)()れきたれ』[引照]

口語訳イエスは答えて言われた、「ああ、なんという不信仰な、曲った時代であろう。いつまで、わたしはあなたがたと一緒におられようか。いつまであなたがたに我慢ができようか。その子をここに、わたしのところに連れてきなさい」。
塚本訳イエスは答えられた、「ああ不信仰な、腐り果てた時代よ、わたしはいつまであなた達と一しょにおればよいのか。いつまであなた達に我慢しなければならないのか。その子をここにつれて来なさい。」
前田訳イエスは答えられた、「不信で曲がった世代よ、わたしはいつまでいっしょか、いつまで辛抱するのか。その子をここにお連れ」と。
新共同イエスはお答えになった。「なんと信仰のない、よこしまな時代なのか。いつまでわたしはあなたがたと共にいられようか。いつまで、あなたがたに我慢しなければならないのか。その子をここに、わたしのところに連れて来なさい。」
NIV"O unbelieving and perverse generation," Jesus replied, "how long shall I stay with you? How long shall I put up with you? Bring the boy here to me."
註解: イエスはその死の近きを知りて、益々弟子たち(及び彼らに接する人々も同様)の不信を憂え給うた。人々はイエスがいつまでも彼らと共に在(いま)し、かつ彼らの不信を忍び給わんことを要求しているかのごとき心の状態であったけれども、是は有(あ)り得べからざる事柄であった。やがてイエスは取り去られ、不信に対する審判が彼らに下らなければならなかった。それゆえにイエスは強き語をもって彼らを叱責し給うたのである。しかもイエスの愛はこの最後の場合においても彼をして無為に終らしめえなった。彼はこの叱責を与えつつも尚この病者を癒し給うたのである。

17章18節 (つい)にイエスこれを(いやし)(たま)へば、惡鬼(あくき)いでてその()この(とき)より()えたり。[引照]

口語訳イエスがおしかりになると、悪霊はその子から出て行った。そして子はその時いやされた。
塚本訳そしてイエスが悪鬼を叱りつけられると、悪鬼が出ていって、その時から子はなおった。
前田訳イエスが子をしかりつけられると、悪魔が去り、子はそのときからいやされた。
新共同そして、イエスがお叱りになると、悪霊は出て行き、そのとき子供はいやされた。
NIVJesus rebuked the demon, and it came out of the boy, and he was healed from that moment.
註解: ▲「これ」は「悪鬼」を指す。「てんかん」は当時悪鬼の業と考えていたものと見なければならない。
辞解
[禁(いまし)め] 「叱責する」の意味で、悪鬼がその子に入りしことを責め給うたのである。

17章19節 ここに弟子(でし)たち(ひそか)にイエスに(きた)りて()ふ『われらは(なに)(ゆゑ)()()()ざりしか』[引照]

口語訳それから、弟子たちがひそかにイエスのもとにきて言った、「わたしたちは、どうして霊を追い出せなかったのですか」。
塚本訳あとで弟子たちは人のいない時にイエスの所に来て言った、「なぜわたし達には悪鬼を追い出せなかったのでしょうか。」
前田訳そこで弟子たちがイエスのところへそっと来ていった、「なぜわれわれは悪霊を追い出せなかったのですか」と。
新共同弟子たちはひそかにイエスのところに来て、「なぜ、わたしたちは悪霊を追い出せなかったのでしょうか」と言った。
NIVThen the disciples came to Jesus in private and asked, "Why couldn't we drive it out?"
註解: 弟子たちは17節のイエスの御言が彼ら自身に関係していることを充分に悟らなかったのであろう群衆の面前にて質問することを恥じて窃(ひそか)にイエスに来りて質問を発した。
辞解
[何故に] ▲▲原文「これを」がある

17章20節 (かれ)らに()(たま)ふ『なんぢら信仰(しんかう)うすき(ゆゑ)なり。まことに(なんぢ)らに()ぐ、もし芥種(からしだね)一粒(ひとつぶ)ほどの信仰(しんかう)あらば、この(やま)に「此處(ここ)より彼處(かしこ)(うつ)れ」と()ふとも(うつ)らん、かくて(なんぢ)(あた)はぬこと()かるべし』[引照]

口語訳するとイエスは言われた、「あなたがたの信仰が足りないからである。よく言い聞かせておくが、もし、からし種一粒ほどの信仰があるなら、この山にむかって『ここからあそこに移れ』と言えば、移るであろう。このように、あなたがたにできない事は、何もないであろう。〔
塚本訳彼らに言われた、「信仰が無いからだ。アーメン、わたしは言う、もしあなた達に芥子粒ほどでも信仰があれば、この山に向かい『ここからあそこに移れ』と言えば移り、あなた達に出来ないことは一つもない。」
前田訳彼はいわれる、「あなた方の小信のため。本当にいう、からし種ほどの信仰があれば、この山にここからあそこに移れといえば移り、あなた方にできないことはなかろう」と。
新共同イエスは言われた。「信仰が薄いからだ。はっきり言っておく。もし、からし種一粒ほどの信仰があれば、この山に向かって、『ここから、あそこに移れ』と命じても、そのとおりになる。あなたがたにできないことは何もない。」
NIVHe replied, "Because you have so little faith. I tell you the truth, if you have faith as small as a mustard seed, you can say to this mountain, `Move from here to there' and it will move. Nothing will be impossible for you. "
註解: 信仰はいかに小さくとも偉大なる力を有っており異常に大なる業を為すことができる。信仰によりていかなることでも能わぬことがないとの確信は、我らの生涯に量るべからざる大なる力を与えるものである。我らもこの確信に立たなければならない。▲「うすい信仰」oligopistiaとは、信実性pistis(=信仰)の少ないoligosのことを意味する。神学や聖書知識や宗教的活動が如何に大きくとも、真実性の少ないものは無力である。芥種は小粒でも強い味を有(も)っている。真実なものは強い。
辞解
[うすき信仰] 稀薄なる信仰で、悪鬼を逐出し得るや否やとの疑念を混ぜるもの、「小さき信仰」とは疑念を混ぜざる純真な信仰で唯その量において大ならざる信仰である。
[芥種程の信仰] 芥種は当時小さきものの譬に用いられていた。
[山を移す] 不可能に見ゆることをも為した場合に用いらるる通用語であった(Tコリ13:2)。

17章21節 [なし][引照]

口語訳しかし、このたぐいは、祈と断食とによらなければ、追い出すことはできない〕」。
塚本訳〔無し〕
前田訳
新共同(†底本に節が欠落 異本訳)しかし、この種のものは、祈りと断食によらなければ出て行かない。
NIV
註解: ナシ、異本にはマコ9:29と略同様の一節あり、その箇所の註参照
要義 [信仰の力]信仰は不思議な力である、信仰をもって祈る時不可能事を為すことができる。不治の病がこれによって癒され、飢渇に死せんとする場合にも救いがこれによりて来り、非常なる困難がこれによりて除かれ、絶大なる誘惑がこれによりて打勝たれし実例は枚挙に遑(いとま)なき程である。人間の力より判断せる能不能はこれを重視してはならない。「神において能わざる処なき」ことを信ずることがキリスト者の信仰であり、この信仰によりて、不可能と思わるることをも為すことができる。

6-7 再び受難を予告し給う 17:22 - 17:23
(マコ9:30-32)(ルカ9:44-45) 

17章22節 (かれ)らガリラヤに(つど)ひをる(とき)、イエス()ひたまふ『(ひと)()(ひと)()(わた)され、[引照]

口語訳彼らがガリラヤで集まっていた時、イエスは言われた、「人の子は人々の手にわたされ、
塚本訳一行がガリラヤを旅行しているとき、イエスは(また)弟子たちに言われた、「人の子(わたし)は人々の手に引き渡されねばならない。
前田訳ガリラヤのうちをめぐりつつ、イエスは彼らにいわれた、「人の子は人々の手に渡されて
新共同一行がガリラヤに集まったとき、イエスは言われた。「人の子は人々の手に引き渡されようとしている。
NIVWhen they came together in Galilee, he said to them, "The Son of Man is going to be betrayed into the hands of men.

17章23節 人々(ひとびと)(これ)(ころ)さん、かくて三日(みっか)めに(よみが)へるべし』弟子(でし)たち(いた)(かな)しめり。[引照]

口語訳彼らに殺され、そして三日目によみがえるであろう」。弟子たちは非常に心をいためた。
塚本訳彼らに殺されるが、三日目に復活する。」弟子たちは非常に悲しんだ。
前田訳殺され、三日目に復活しよう」と。彼らの悲しみは深かった。
新共同そして殺されるが、三日目に復活する。」弟子たちは非常に悲しんだ。
NIVThey will kill him, and on the third day he will be raised to life." And the disciples were filled with grief.
註解: これは無意味に16:21を繰返したのではない、弟子たちが充分にイエスの死に対して準備している必要があったからである。弟子たちは復活に関して充分なる確信がなかったので「甚だしく悲しんだ」、マルコ、ルカの記事と併せて考うるならば弟子たちには何とはなしに物凄き気分ともの悲しき心持とに襲われたものの如くである。イエスの御言は、後にその復活を目撃し聖霊が降下せる場合のごとくに明らかに彼らには理解せられなかった。

6-8 納金の問題 17:24 - 17:27

17章24節 (かれ)らカペナウムに(いた)りしとき、納金(をさめきん)(あつ)むる(もの)どもペテロに(きた)りて()ふ『なんぢらの()納金(をさめきん)(をさ)めぬか』[引照]

口語訳彼らがカペナウムにきたとき、宮の納入金を集める人たちがペテロのところにきて言った、「あなたがたの先生は宮の納入金を納めないのか」。
塚本訳彼らがカペナウムに来たとき、宮の奉納金の取立て人がペテロの所に来て言った、「あなた達の先生は奉納金を納めないのか。」
前田訳彼らがカペナウムに来ると、宮の納金の徴収者がペテロのところに来ていった、「あなた方の先生は宮の納金を納めないのか」と。
新共同一行がカファルナウムに来たとき、神殿税を集める者たちがペトロのところに来て、「あなたたちの先生は神殿税を納めないのか」と言った。
NIVAfter Jesus and his disciples arrived in Capernaum, the collectors of the two-drachma tax came to Peter and asked, "Doesn't your teacher pay the temple tax ?"
註解: この質問を発せる理由は恐らくイエスのメシヤたることの風評を耳にして、かかる人が果してこれを納むべきものなりや、又納むるものなりやを疑ったからであろう。
辞解
[納金] 原語ディドラクマ didrachma すなわち二ドラクモンで貨幣の名称である。二ドラクモンは半シケルに当り我が七十銭程に相当している(1928年頃の日本貨幣に換算したもの。銀3.898グラムの重量の貨幣。イエスの時代では労働者一日の賃金)。パビロンの捕囚より帰って後、二十歳以上のユダヤ人は皆この税金を宮のために納めなければならなかった。出30:13以下の規定によったものである。唯、宮に仕える祭司たちはこれを納めなかった。

17章25節 ペテロ『(をさ)む』と()ひ、やがて(いへ)()りしに、逸速(いちはや)くイエス()(たま)ふ『シモンいかに(おも)ふか、()(わう)たちは(ぜい)または(みつぎ)(たれ)より()るか、(おの)()よりか、(ほか)(もの)よりか』[引照]

口語訳ペテロは「納めておられます」と言った。そして彼が家にはいると、イエスから先に話しかけて言われた、「シモン、あなたはどう思うか。この世の王たちは税や貢をだれから取るのか。自分の子からか、それとも、ほかの人たちからか」。
塚本訳ペテロが「もちろん、納められる」と言う。そして(イエスの)家に行くと、イエスの方から言い出された、「シモン、どう思うか、この世の王たちは官税や税をだれから取るだろうか。自分の子供たちだろうか、それとも余所の人からだろうか。」
前田訳彼はいう、「お納めになる」と。ペテロが家に入るとイエスのほうから話しかけられた、「シモン、どう思うか、地の王たちは税や貢をだれから取るか。自らの子たちからか、他人の子たちからか」と。
新共同ペトロは、「納めます」と言った。そして家に入ると、イエスの方から言いだされた。「シモン、あなたはどう思うか。地上の王は、税や貢ぎ物をだれから取り立てるのか。自分の子供たちからか、それともほかの人々からか。」
NIV"Yes, he does," he replied. When Peter came into the house, Jesus was the first to speak. "What do you think, Simon?" he asked. "From whom do the kings of the earth collect duty and taxes--from their own sons or from others?"

17章26節 ペテロ()ふ『ほかの(もの)より』イエス()(たま)ふ『されば()自由(じいう)なり。[引照]

口語訳ペテロが「ほかの人たちからです」と答えると、イエスは言われた、「それでは、子は納めなくてもよいわけである。
塚本訳「余所の人から」と答える。イエスは言われた、「それでは(神の)子供たちには(納める)義務はない。
前田訳「他人の子たちからです」と答えると、イエスはいわれる、「それなら、子たちは無税だ。
新共同ペトロが「ほかの人々からです」と答えると、イエスは言われた。「では、子供たちは納めなくてよいわけだ。
NIV"From others," Peter answered. "Then the sons are exempt," Jesus said to him.
註解: イエスはペテロと取税人との会話を感知し給うた。そしてペテロに向い神の子はその父なる神の宮に関する税を納むる理由なきことを世の王とその子との関係を例として説明し給うた。
辞解
[他のもの] 王子以外の臣民その他のもの。
[自由なり] 租税や貢を納むる義務なきこと。

17章27節 されど(かれ)らを(つまづ)かせぬ(ため)に、(うみ)()きて(つり)をたれ、(はじめ)(あが)(うを)をとれ、()(くち)をひらかば銀貨(ぎんくわ)(ひと)つを()ん、それを()りて(われ)(なんぢ)との(ため)(をさ)めよ』[引照]

口語訳しかし、彼らをつまずかせないために、海に行って、つり針をたれなさい。そして最初につれた魚をとって、その口をあけると、銀貨一枚が見つかるであろう。それをとり出して、わたしとあなたのために納めなさい」。
塚本訳しかし人々をつまずかせないため、湖に出かけていって釣針を垂れよ。最初に釣れた魚を取って口をあけるとスタテル銀貨(二千円)が一つあるから、それを取って、わたしとあなたの分として取立て人に渡しなさい。」
前田訳しかし、彼らをつまずかせぬために、湖へ行って釣針を投げ、かかった最初の魚をとれ。その口を開くとスタテル銀貨が見つかろう。それを取って、わたしとあなたの分として彼らに与えよ」と。
新共同しかし、彼らをつまずかせないようにしよう。湖に行って釣りをしなさい。最初に釣れた魚を取って口を開けると、銀貨が一枚見つかるはずだ。それを取って、わたしとあなたの分として納めなさい。」
NIV"But so that we may not offend them, go to the lake and throw out your line. Take the first fish you catch; open its mouth and you will find a four-drachma coin. Take it and give it to them for my tax and yours."
註解: 「この世のことを掌(つかさど)っている人は金銭関係について最も聖徒に対して躓き易い」(B1)。而してイエスは一方彼らのイエスに躓くことなからんため、又その一方神の子に在(いま)し給うことを証せんため、この奇跡を行い給うた。この奇跡は聖書中最も難解なるものの一つであるがために、この事実を否定しつつ、この記事を種々の姑息なる説明をもって説き去ろうとしている学者があるけれども、いずれも信ずるに足りない。マタイが記せるままの事実があったものと見るより外になく、又かく見ることに何らの差支えはない。ただしこのイエスの命令をペテロが実行したとは録されていない点より見ればペテロの働いた収入の中から納めよとの教訓であったとも解される。
辞解
[銀貨] 四ドラクマに相当する貨幣であって二人分の納金に当っている。